冷徹軍師は敗国姫を手放さない


 風花は直垂を新しく作り直していた。氷室はまた屋敷を空け、泊まり込みで将軍に仕えている。ずっと部屋にいるだけで外出もできない。たまと颯手も深い話はしようとはしてくれない。

 「気が滅入るわ……」

 針仕事をして、少し休み、また針仕事をする。その繰り返しだった。こういう日常があと何年も続くのかと思うとめまいがしてくる。

 「だめだめ、平和なだけでも幸せだと思わなくては」

 いつまでも暗くてはいけない。こんな戦乱の世、何が起きてもおかしくはない。小さな頃から、それは嫌と言うほど見てきた。
 風花の部屋――側室の部屋は、屋敷の離れにある。白壁に囲まれた渡り廊下の先。そこだけは外の喧騒から切り離されたように静かで、空気さえひんやりとしている。部屋には上質な畳が敷かれ、几帳には淡い花模様が刺繍されていた。黒塗りの小机には香炉と櫛、紅紙(べにがみ)が並び、障子を開ければ、小さな庭が広がっていた。丸く刈り込まれた木々。白砂に、苔むした石灯籠(いしどうろう)。庭の中央には細い流れが通り、陽光を受けた水面がきらきらと揺れている。美しく整えられた庭だった。けれど、高い塀の向こうは見えない。
 風花は、氷室から丁重に扱われている。風花が嫌がるような言動をしてきたことはほとんどない。一度だけ怒った時くらいか。

 「氷室様は、紳士ね。感謝しなければ」

 もしも、熊のような野蛮な男の妻になって、夜な夜な嫌な思いをするとしたらどれだけ生きるのが辛くなるだろうか。氷室のような物静かで清潔感のある紳士――しかも夜の心配もない男。これは、高津国で政略結婚したとしても巡り合うのは難しい。
 それに、と風花はほんの少しだけ顔を赤らめさせる。やはり氷室は美丈夫(びじょうぶ)なのだ。すらりとした体躯(たいく)に端正な顔立ち。目を伏せた時の長い睫毛。広い胸、長い腕。武士なのに、わずかに香の匂い。全てが洗練されている。
 氷室の瞳に見透かされるたびに、風花の胸は不用意に高鳴ってしまう。風花の全身をくまなく観察しているような鋭利な視線を向けられると、身動きがとれない心地になってしまうのだ。 
 風花は針を動かす手を止める。氷室から頼まれていたことを思い出す。――自分の気持ちをうまく言えるようにするには、どうしたら良いのか。
 氷室が言葉数少ないのは、自分の気持ちをうまく言えないからなのだろうか。常に無表情で、無口。少しの緩みも見えない。一度だけ激昂したことはあったが、普段は感情がほとんど表に出ず、淡々としている。
 あの日、「駄目だ!!」って怒っていたのも、自分の気持ちをうまく言えなかったからなのだろうか。うまく言葉にできないもどかしさが、怒りというかたちで表れたのかもしれない。
 風花は、小首をかしげた。しかし腑に落ちない。この国に来てからずっと氷室のことばかり考えているのに結局よくわからない。氷室と距離が縮まるたびに少しわかったような気になるがそれも釈然としない。
 もちろん、彼自身に彼のことを聞いても答えはない。この屋敷に長く仕えるたまや颯手も、氷室の話題になると、どこか口を濁してしまう。まるで禁止されているかのように足早に去っていってしまうのだ。
 わかりたいのにわからない。風花は、ずっと霧の中を一人で歩いているような気持ちになった。

 (それに私、そもそも男性のこと自体がよくわからないからなぁ……)

 風花は、父と兄上くらいしか知らない。それは女性は家族以外の男性の前に顔を出してはいけないしきたりがあったからだ。いや、家族の男性であっても厳しく制限される。
 風花はそう思うと、高津国での日々が脳裏によみがえった。