冷徹軍師は敗国姫を手放さない

 「忠頼、あらまあ……」

 灯火の下で書物を読みふける忠頼の背後で、母は羽織りを背にかけてあげた。

 「こんな遅い時間まで、学問?」

 母は、息子に微笑みかける。

 「偉いわね、今度ご褒美に母が特別に刺繍した衣を作ってあげようか」

 「母上、甘やかさないでください」

 針仕事の得意な母は、侍女らの出る幕もないほど家政に長けていた。
 柔らかく、優しい母。まるで春の花をまとっているような可憐な女性。
 どれだけ厳しい父との鍛錬や、血の流れる戦争も、母の笑顔を見ると心が和らぐ。
 忠頼の心の中に理想の女性としての母の姿があった。
 母は父が敵国を滅ぼした時に母を戦利品として得たのだ。母は父が初めての夫ではない。敵国の武将の妻だった母は、戦利品として若き父がもらったと聞く。
 ――妻を誰の目にも入れさせるな!
 父が家来に怒声を浴びせていたのが思い浮かぶ。幼心にその日の光景が焼き付いている。父は母のことを屋敷の奥に隠し、誰の目にも入らないように囲い込んだ。幼き日の思い出に残る二人には明らかな緊張感が走っている。敵国の男の妻となった母は、大人しく父に付き従っている。それはまるで寵愛というよりは、支配に近かった。父は母を所有し、大切に隠すように屋敷の奥に閉じ込めていたのだ。
 母は、息子たちの前では、親しみやすい笑顔をよく浮かべており、忠頼はその笑顔に焦がれてやまなかった。

 「私の愛しい息子、学問はいいから早く寝なさい。明日もまた父上にしごかれるのよ」

 柔らかく優しい面影……。
 忠頼が日常心の奥底にしまい込んだ大切なものを、母は持っていた。それは、弱さでもあり優しさでもある。軍師としてふさわしくないと言って捨ててしまった心の要素。母はまさに忠頼が抑圧してきた心を具現化した存在だったのだ。

 ――ぼくは母に憧れている。母はぼくが捨てなければならなかったものを持っている人だから。 

 ――そんな母のような女性を手に入れるためには、ぼくはやっぱり父のようにならなければいけない。

 なぜなら、母を手に入れているのは父だから。
 頼りなく佇み、小春日和のような柔らかな面差しの母を見つめる。その面影は、どこかで――見覚えがある。

 ――風花だ。

 そう気づくと同時にまぶたを開くと、天井があった。朝日が障子越しに差し込み、鳥の鳴き声がする。
 久しぶりに昔の夢を見ていたと、氷室は寝室で目を開いた。

 (私ももう二十七歳か……)

 父は軍師の役目を息子に譲り、領地に戻った。母はすでに亡くなっている。

 (幼い頃より今に至るまで、私は父のような軍師になるため脇目をふらず努力してきた) 

 そして、こうして敵味方問わず恐れられる軍師の立場を得た。勝った戦の数は、このままいけば総数では並ぶだろう。
 しかし、胸の中は荒涼とした風が吹いているようだ。憧れの父。――その父と並ぶ軍師になれたというのに。

 (渇く)

 端正な横顔を歪ませた。