冷徹軍師は敗国姫を手放さない

 氷室は城の備蓄倉庫で兵糧の確認をしていた。冬の戦のために今から備えていなければならない。
 城の奥深く――分厚い土壁に囲まれた備蓄蔵には、冷えた空気が満ちていた。外の喧騒とは切り離された薄暗い空間。 太い(はり)が頭上を走り、壁際には巨大な米俵が幾重にも積み上げられている。俵には家紋と数量を示す墨書きがあり、湿気を避けるため木組みの台の上へ整然と並べられていた。

 「これだけあれば、足りるな」

 軍師は、こうした細々とした雑務もこなす。――やることも考えることも山積みだ。
 しかし、脳裏にちらつくのは女の白い肌だった。
 埃をかぶった俵の数をかぞえては、また一から数え直す。それをくりかえしている。
 氷室は、舌打ちをして頭を掻いた。ここ最近ずっとこれだ。
 顎に手を当てながら、氷室は冷静に自分の考えを整理する。――あの日以来、白い肌が脳裏から離れない。
 側室なのだから抱こうとすれば、いつでも抱ける。彼女に共寝(ともね)を断る力はないのだから、自分の寝所に招けば、すぐに欲望を満たすことができる。女を無理やり襲う趣味はないから、それなりに良い雰囲気を作って、優しく丁寧に抱けば、風花は身を預けてくれるはずだ。
 しかし――と、氷室はそれでも充足できない渇きが心の奥に沈殿していることにも気づいた。やはりそれは、風花の心なのだ。もちろんいつかは抱きたいが、彼女の肉体を支配しただけでは満たされない渇きがある。
 風花に針仕事を要求した。彼女は日がな小さな胸の中で氷室のことを考えながら、衣服を仕立てている。彼女が自分の要求を満たすたびに、氷室の中に高揚感が生まれていた。今まではそれを、彼女を自分の思い通りに動かせた――風花を自分のものにしているという支配欲からくるものだと考えていた。しかし、それだけではなかったのだ。針仕事の要求の先の先……風花を抱いたとしても、渇きは満たされないことに気づいてしまった。

 ――風花の心がほしいのだ。

 どうすれば、この女の心を完全にこちらへ向けられるのか、と。
 滅びた高津国も、死んだ一族も、雪の山々も、遠い記憶も。何もかも薄れ、気づけば自分だけが世界の中心になっている――そんな風に。
 風花が悲しめば、その涙の理由を自分にしたい。風花が笑えば、その笑顔の理由も自分であってほしい。恐怖も、安堵も、孤独も、幸福も。彼女の感情すべての行き先を、自分にしたかった。
 氷室は生涯、城を落とすことばかり考えて生きてきた。敵の弱点を探し、逃げ道を塞ぎ、兵糧を断ち、孤立させ、最後には心を折る。勝利とは、敵を完全に掌握することだった。

 そして今。氷室は初めて、人の心を攻略したいと思っている。――風花の心を。

 誰にも渡したくない。風花の高津国での過去にさえ。風花の中にあるものを、少しずつ塗り替えたい。二度と帰れぬほど深く、自分の内側へ囲い込みたい。いくえにも高い塀を作って、敵に奪われてしまわないように隠してしまいたい。彼女は氷室の前でだけ笑い、泣き、舞えばいいのだ。外の世界のことなど何も知らず、氷室のことだけを考えて生きていく。こうして彼女を囲い込み、心ゆくまで共寝をしたい。
 氷室は、自分の感情を恋とは呼ばなかった。そんな甘い言葉では、この渇きは説明できない。欲しかった。一人の女の心と身体、そのすべてを。
 だから氷室は静かに思う。

 ――時間をかければいい。

 戦と同じだ。焦る必要はない。包囲し、逃げ道を塞ぎ、 気づけば相手が自分なしでは生きられなくなる。そうして最後には、風花自身が望んで自分のもとへ戻ってくるように。