冷徹軍師は敗国姫を手放さない

 「目が覚めたか」

 怜悧(れいり)な声が響いた。目の前にいたのは氷室だった。その視線には感情の色がない。
  風花は……ここは、どこ?と、狼狽(ろうばい)する。状況を理解するのに時間がかかった。
 藁を敷いた簡易寝台の上。上等な小袖(こそで)がいくえにも掛けられていた。その小袖を抱きしめながら、風花は起き上がる。小袖から、かすかに香の匂いがする。

 「本陣だ」

 氷室は短く告げる。淡々とした抑揚のない声に、風花のまぶたの裏には陥落した城の景色が流れる。

 (そうだ……私はこの(ひと)に助けられて……)

 巨大な陣幕が張られている。家紋(かもん)を染め抜いた黒布が風に揺れ、その周囲を甲冑姿の兵たちが槍を持って固めていた。
 武将たちが左右に座している。――皆、興味と欲望の混じった視線を風花へ向けている。今まで生きてきてこんな視線にさらされたことのない風花は、不快さに身を強ばらせる。まるで人間を見ているのではなく、見世物(みせもの)を見ているのかのような瞳だ。
 風花は恐怖にまばたきも忘れる。背筋に冷や汗が流れるのを感じた。
 ――戦に敗れた。
 もう風花を守る者は、誰一人もいない。その事実だけが目前につきつけられていた。

 「ほう……なかなかの器量(きりょう)だな」
 「これは論功行賞(ろんこうこうしょう)が楽しみだ」
 「誰がこの姫を得るか、見ものだな」

 その言葉に、風花の顔から血の気が引いた――私の……ことだ、と。
 戦に敗れた女は、戦利品として扱われる――目の前が真っ暗になる。視界が渦巻き、不意にめまいに襲われる。

 「この姫はワシがもらおう。敵将を()ったのは、このワシだからな」

 熊のような髭の男が、風花へ手を伸ばした。風花が逃れようとした瞬間、めまいで足元がもつれる。風花の身体は、隣にいた氷室の胸にぶつかった。

 「ご、ごめんなさい……!」

 氷室はかすかなため息をつく。

 「皆」

 氷室が抑揚のない淡々とした声で言った。

 「殿のご命令を忘れたか」

 ――そう言って、面頬(めんぽう)に手をかける。仮面をゆっくりと外して現れた男の顔は、端正な顔立ちだった。その瞳には、感情の揺らぎが微塵(みじん)もない。氷室は兜の緒を解いて、脱いだ。切れ長の瞳の美丈夫(びじょうぶ)は、長い睫毛を伏せ、大きなため息をついた。

 「ガハハ、軍師殿。堅いことを言うな。少し遊ぶくらい構わんだろう」
 「私は軍奉行(いくさぶぎょう)でもある」

 その一言で、場の空気が変わった。氷室は、凍てつく視線を各々に向ける。全員が落雷に打たれたかのように瞬時に黙った。武将たちは気まずそうに視線を逸らして、各々の席に戻った。

 「姫君」
 「……は、はい」

 氷室は一拍置いて続ける。

 「明朝、論功行賞(ろんこうこうしょう)が行なわれる。」
 「論功……行賞……?」

 風花は、震える声で繰り返す。聞き慣れない言葉だ。

 「そこで扱いが決まる」

 氷室はそれ以上何も言わなかった。