冷徹軍師は敗国姫を手放さない

 城の西曲輪(にしくるわ)の外れには、武芸鍛錬のための弓場(ゆみば)が設けられていた。高い土塀に囲まれた細長い空間。  城内では足軽たちの掛け声や槍働きの音が響いていたが、この弓場だけは妙に静かだった。
 氷室は静かに弓を構え、息を止める。
 視線の先には、遠く据えられた丸的。
 ――だが、脳裏をよぎったのは、風花の姿だった。

 「……!」

 弦が鳴る。鋭く放たれた矢は、的の端をかすめ、そのまま土塀へ突き刺さった。
 氷室が的を外すことなど、ほとんどない。氷室はわずかに眉を寄せたまま、次の矢を手に取った。一つのことに集中して取り組める弓の練習は、得意とするところなのに。風花のことが頭によぎるだけで調子が出ない。

 氷室がどのくらい弓に長けているかというと――氷室忠頼が十六の頃のことだ。
 東雲国では、若武者たちを集めた弓比べが開かれた。山裾に設けられた射場には、諸将の子息や名家の嫡男たちが顔を揃えていたという。
 的は百歩先。しかも、ただの的ではない。風に揺れる細い板を射抜けという難題だった。若武者たちは次々と弓を引いた。だが、山から吹き下ろす風に矢道は乱れ、まともに当てられる者は少ない。

 「この風では無理だ」
 「的が小さすぎる……」

 皆がざわめく中、最後に前へ出たのが氷室だった。まだ若いにもかかわらず、その顔には妙な静けさがあったという。
 氷室はしばらく空を見ていた。風を見ていたのか、雲を見ていたのか――誰にもわからない。
 やがて、彼は静かに弓を引いた。矢は放たれた瞬間、風に流されたように見えた。

 「あれでは外れたな」

 誰かがそう呟いた直後だった。
 風に押し流された矢は、ふわりと軌道を変え、揺れていた板の中心を貫いた。
 射場が静まり返る。
 氷室は何事もなかったかのように弓を下ろした。

 「偶然か?」
 「いや、風を読んだのだ……」

 その日以来――氷室忠頼は風を射る男と噂されるようになった。
 
 その記憶を辿りながら、矢を放つ。
 しかし、的を外した矢は、横にそれて刺さった。氷室は深呼吸する。うまく集中ができない。こんなのは生まれて初めての経験だ。
 青い瞳の姫、風花。彼女一人の存在がここまで自分の頭の中を占めてしまっているのだと、氷室は自覚した。