色とりどりの反物を前に、風花は眉をひそめていた。
庭先で控えている商人が持参したもので、珍しく氷室の許可が降りて談笑していた。
氷室が風花のために手配したものだった。風花の打掛と、新たに作る氷室の羽織のための反物を選んでいる。
「どれがいいかしら」
畳の上へ流れ落ちる絹は、まるで水面のようになめらかに光を返す。
深紅、若草、藤紫、浅葱、山吹――色とりどりの反物が次々と並べられていった。淡い春霞のような色もあれば、燃える紅葉を思わせる鮮やかな色もある。金糸で花鳥が織り込まれたものは、光を受けるたび、きらきらと輝いた。
「こちらは異国で織られた品にございます」
「この染めは新しい技法を取り入れておりまして……」
商人は侍女を介して説明する。
反物には、四季の草花や流水紋、鶴、蝶、雲霞などが繊細に描かれていた。桜を散らした小袖地は春の風のように軽やかで、濃藍の生地には銀糸で夜空の星々が刺繍されている。
背後に控えていた颯手はかしこまった。
「奥さまがお選びしたものが、一番よいかと」
颯手の横に控えている古株の侍女のたまも頷いた。
「なるべく、氷室様のお好みに合わせたいんです。私は氷室様に嫌がられているかもしれませんから」
たまは颯手と顔を見合わせながら苦笑いした。
「なぜそう思うんです? 私たちからはそんなふうには見えませんよ……」
たまはなるべく遠回しの言い方をした。
風花は、気落ちした様子で2人を見る。
「氷室様のことがよくわかりません。私に優しくしてくださるような、冷たく突き放されているような……」
たまは氷室の冷酷な顔を思い浮かべる。――それでも、風花には、柔らかく笑って接しているように見えていたが。二人が並んで書院の庭を定期的に歩く姿。以前の氷室では考えられなかった様子だ、女性とゆっくり時間を過ごすなんて。風花がここへ来るまでの氷室といえば、軍務のための書簡を屋敷に帰ってからも作成しているか、書物を読んで学問をしているか、布陣図を広げては盤面に駒を置いて思案してるかのどれかだった。ゆっくり庭散歩をする氷室ですら珍しいものを、ましてやひと回り年下の可愛らしいお姫様と仲良く並んで歩くなんて想像すらできなかった。
「奥さまはまだここへ来られて間もないでしょう? それに祖国のこともあって、大変な中、旦那様のことまで気にかけるなんて、疲れてしまいますよ」
風花はうつむく。高津の夢を見て取り乱してしまった夜のことを思い出していた。あの時、彼が風花を支えてくれなければ、こうして少し気持ちを持ち直して反物を選んでいる彼女はいなかったからだ。あの晩を境に、風花にとって氷室は敵国の軍師から、ほんの少しだけ家族の存在に近づいていた。この敵国でたった一人、少しだけでも信頼ができる人がいるということは、風花にとって大きな一歩だった。
「私にはもう氷室様しか、いないんです」
だからこそ、氷室は風花の心の中心に座しはじめている。
「そんな、奥さま……」
「知りたいんです。氷室様のこと」
颯手はいくらでも氷室のことを教えたくなったが、口を固く閉ざした。
「あの……お二人はここにいて長いのですよね。お二人から見て、氷室様は私のことをどう思っていると思いますか?」
「そ……そうですね」
たまと颯手は再び苦笑いする。――口止めされていなければどれだけ自分の主人に変化があったのか語りたいところだが、二人はわざとらしく微笑んだ。
「大切にされているかと……」
「婚儀の時は冷たかったし……夫婦らしいことは一度もありません」
風花は、顔を青ざめさせながら目を見開く。
「私はお飾りの妻で、だから距離を置いているんですね」
颯手は誰よりも氷室の心中を察していたので、吹き出してしまった。 その時、戸が開き、氷室が現れた。
「お帰りなさいませ、忠頼様」
いつになく疲れの色が見える。
「下がれ」
たまと颯手は辞去した。
風花は氷室と目が合うと、少し困惑しながら笑顔を浮かべた。
「あの……新しく、氷室様の直垂を仕立てるために、反物を選んでいまして」
氷室は膝を立て、風花の横に座る。
「でも直垂となると、将軍の御前で使うので……何が良いのかわからなくなってしまって」
石流の無骨な顔を見すぎていたせいか、風花の美貌が一段と輝いて見えた。氷室は、その青い瞳に魅入っていた。黒い髪は柔らかく床に落ち、扇のように広がっている。陶器のように白い肌、紅を引いた唇。彼女の全てが美しく、光り輝く。例えるなら、月の姫という名前がふさわしい。氷室は、顎に手を当てながら、興味深く眺めていた。
また無表情で私の顔をじっと見て、本当に何を考えているのかわからない人だと、風花は困惑した。氷室は表情に感情が出ない。いや、氷室に感情はあるのだろうか。風花も、氷室のことをじっと見つめていた。
二人はしばらく見つめ合っていた、氷室は静かに息をつく。
「良かった」
「な、何がですか?」
「いや、何でもない」
氷室は安堵の息を吐く。こうして風花の顔を見ていると、先ほどの勝負に負けていた場合まで想像してしまう。一対一の手合わせだから良かったものの、実戦では石流の実力のほうが上に決まっている。氷室は、一つに集中して相対することに長けていた。だから、誰にも邪魔をされない一対一での手合わせには自信があった。相手の呼吸、動き、表情などを観察するのは得意だからだ。しかし、実際の戦場の戦いではそんな風に一つのことに注意を向け続けるのは難しい。石流のように、臨機応変に動くことができなければ。
「あの、直垂の件なのですが……」
「風花が考えたもので、頼む」
「そ、それが難しいのです。……少しで良いので何か希望などあったら、おっしゃってくださいませんか?」
「いや、風花が考えるものがいい」
風花が諦めて口を閉ざすと、氷室は手招いた。
「こちらへ」
風花は小首をかしげる。
「え、はい……?」
氷室は無表情のまま手招いた。
「どうかなさいましたか?」
困惑する彼女へ、もう一度手招いた。
「近くに来い」
やっと意味を理解して、風花の顔はみるみるうちに赤くなった。そんな突然にと、風花は肩を震わせた。本当に氷室はわからない男だ。今までのやりとりで、そんな雰囲気ではなかったはずだ。
氷室は淡々と「早く来い」と言う。
風花は、ためらいつつも氷室のそばに座った。
「私のことを知りたいのか?」
「は、はい……氷室様は夫なので、知りたいです」
「ならば、考えよ。私のことを」
答えになっていないではないか、と風花は苦笑いした。考えてもわからないから聞いているのに。
それにしてもと、風花は氷室の横顔を見つめる。相変わらず端正な横顔に、理知的な目元。やはり氷室は、美丈夫なのだろう。風花は異性と知り合う数も少なかったから比較ができないが、やはりこうして見ると、氷室の顔立ちは繊細な造りで色香すら漂っている。長い睫毛と細い首筋に浮かぶ喉仏が、そぐわない感じすらしていた。
「……どうした?」
「いえ、何でもありません!」
それにしても……と、氷室は低い声で言う。
「元気そうで何よりだ」
「え?」
「心配していたのだぞ。あの晩のことがあったから」
氷室は透き通るような聡明な瞳を、風花に向けた。風花は思わず目をそらす。
「私のことを一番の頼りにせよ」
氷室の瞳に風花の横顔が映っている。
「返事は?」
有無を言わさぬ言葉に、風花は熱っぽく頷いた。
庭先で控えている商人が持参したもので、珍しく氷室の許可が降りて談笑していた。
氷室が風花のために手配したものだった。風花の打掛と、新たに作る氷室の羽織のための反物を選んでいる。
「どれがいいかしら」
畳の上へ流れ落ちる絹は、まるで水面のようになめらかに光を返す。
深紅、若草、藤紫、浅葱、山吹――色とりどりの反物が次々と並べられていった。淡い春霞のような色もあれば、燃える紅葉を思わせる鮮やかな色もある。金糸で花鳥が織り込まれたものは、光を受けるたび、きらきらと輝いた。
「こちらは異国で織られた品にございます」
「この染めは新しい技法を取り入れておりまして……」
商人は侍女を介して説明する。
反物には、四季の草花や流水紋、鶴、蝶、雲霞などが繊細に描かれていた。桜を散らした小袖地は春の風のように軽やかで、濃藍の生地には銀糸で夜空の星々が刺繍されている。
背後に控えていた颯手はかしこまった。
「奥さまがお選びしたものが、一番よいかと」
颯手の横に控えている古株の侍女のたまも頷いた。
「なるべく、氷室様のお好みに合わせたいんです。私は氷室様に嫌がられているかもしれませんから」
たまは颯手と顔を見合わせながら苦笑いした。
「なぜそう思うんです? 私たちからはそんなふうには見えませんよ……」
たまはなるべく遠回しの言い方をした。
風花は、気落ちした様子で2人を見る。
「氷室様のことがよくわかりません。私に優しくしてくださるような、冷たく突き放されているような……」
たまは氷室の冷酷な顔を思い浮かべる。――それでも、風花には、柔らかく笑って接しているように見えていたが。二人が並んで書院の庭を定期的に歩く姿。以前の氷室では考えられなかった様子だ、女性とゆっくり時間を過ごすなんて。風花がここへ来るまでの氷室といえば、軍務のための書簡を屋敷に帰ってからも作成しているか、書物を読んで学問をしているか、布陣図を広げては盤面に駒を置いて思案してるかのどれかだった。ゆっくり庭散歩をする氷室ですら珍しいものを、ましてやひと回り年下の可愛らしいお姫様と仲良く並んで歩くなんて想像すらできなかった。
「奥さまはまだここへ来られて間もないでしょう? それに祖国のこともあって、大変な中、旦那様のことまで気にかけるなんて、疲れてしまいますよ」
風花はうつむく。高津の夢を見て取り乱してしまった夜のことを思い出していた。あの時、彼が風花を支えてくれなければ、こうして少し気持ちを持ち直して反物を選んでいる彼女はいなかったからだ。あの晩を境に、風花にとって氷室は敵国の軍師から、ほんの少しだけ家族の存在に近づいていた。この敵国でたった一人、少しだけでも信頼ができる人がいるということは、風花にとって大きな一歩だった。
「私にはもう氷室様しか、いないんです」
だからこそ、氷室は風花の心の中心に座しはじめている。
「そんな、奥さま……」
「知りたいんです。氷室様のこと」
颯手はいくらでも氷室のことを教えたくなったが、口を固く閉ざした。
「あの……お二人はここにいて長いのですよね。お二人から見て、氷室様は私のことをどう思っていると思いますか?」
「そ……そうですね」
たまと颯手は再び苦笑いする。――口止めされていなければどれだけ自分の主人に変化があったのか語りたいところだが、二人はわざとらしく微笑んだ。
「大切にされているかと……」
「婚儀の時は冷たかったし……夫婦らしいことは一度もありません」
風花は、顔を青ざめさせながら目を見開く。
「私はお飾りの妻で、だから距離を置いているんですね」
颯手は誰よりも氷室の心中を察していたので、吹き出してしまった。 その時、戸が開き、氷室が現れた。
「お帰りなさいませ、忠頼様」
いつになく疲れの色が見える。
「下がれ」
たまと颯手は辞去した。
風花は氷室と目が合うと、少し困惑しながら笑顔を浮かべた。
「あの……新しく、氷室様の直垂を仕立てるために、反物を選んでいまして」
氷室は膝を立て、風花の横に座る。
「でも直垂となると、将軍の御前で使うので……何が良いのかわからなくなってしまって」
石流の無骨な顔を見すぎていたせいか、風花の美貌が一段と輝いて見えた。氷室は、その青い瞳に魅入っていた。黒い髪は柔らかく床に落ち、扇のように広がっている。陶器のように白い肌、紅を引いた唇。彼女の全てが美しく、光り輝く。例えるなら、月の姫という名前がふさわしい。氷室は、顎に手を当てながら、興味深く眺めていた。
また無表情で私の顔をじっと見て、本当に何を考えているのかわからない人だと、風花は困惑した。氷室は表情に感情が出ない。いや、氷室に感情はあるのだろうか。風花も、氷室のことをじっと見つめていた。
二人はしばらく見つめ合っていた、氷室は静かに息をつく。
「良かった」
「な、何がですか?」
「いや、何でもない」
氷室は安堵の息を吐く。こうして風花の顔を見ていると、先ほどの勝負に負けていた場合まで想像してしまう。一対一の手合わせだから良かったものの、実戦では石流の実力のほうが上に決まっている。氷室は、一つに集中して相対することに長けていた。だから、誰にも邪魔をされない一対一での手合わせには自信があった。相手の呼吸、動き、表情などを観察するのは得意だからだ。しかし、実際の戦場の戦いではそんな風に一つのことに注意を向け続けるのは難しい。石流のように、臨機応変に動くことができなければ。
「あの、直垂の件なのですが……」
「風花が考えたもので、頼む」
「そ、それが難しいのです。……少しで良いので何か希望などあったら、おっしゃってくださいませんか?」
「いや、風花が考えるものがいい」
風花が諦めて口を閉ざすと、氷室は手招いた。
「こちらへ」
風花は小首をかしげる。
「え、はい……?」
氷室は無表情のまま手招いた。
「どうかなさいましたか?」
困惑する彼女へ、もう一度手招いた。
「近くに来い」
やっと意味を理解して、風花の顔はみるみるうちに赤くなった。そんな突然にと、風花は肩を震わせた。本当に氷室はわからない男だ。今までのやりとりで、そんな雰囲気ではなかったはずだ。
氷室は淡々と「早く来い」と言う。
風花は、ためらいつつも氷室のそばに座った。
「私のことを知りたいのか?」
「は、はい……氷室様は夫なので、知りたいです」
「ならば、考えよ。私のことを」
答えになっていないではないか、と風花は苦笑いした。考えてもわからないから聞いているのに。
それにしてもと、風花は氷室の横顔を見つめる。相変わらず端正な横顔に、理知的な目元。やはり氷室は、美丈夫なのだろう。風花は異性と知り合う数も少なかったから比較ができないが、やはりこうして見ると、氷室の顔立ちは繊細な造りで色香すら漂っている。長い睫毛と細い首筋に浮かぶ喉仏が、そぐわない感じすらしていた。
「……どうした?」
「いえ、何でもありません!」
それにしても……と、氷室は低い声で言う。
「元気そうで何よりだ」
「え?」
「心配していたのだぞ。あの晩のことがあったから」
氷室は透き通るような聡明な瞳を、風花に向けた。風花は思わず目をそらす。
「私のことを一番の頼りにせよ」
氷室の瞳に風花の横顔が映っている。
「返事は?」
有無を言わさぬ言葉に、風花は熱っぽく頷いた。
