冷徹軍師は敗国姫を手放さない

 夢から覚めた風花は、むくりと起き上がった。

 「兄上……父上……」

 涙が風花の頬を伝う。
 柔らかな記憶は灯火の中でゆらめいている。あの日の雪景色は遠く消えていく。幸福な日常は、戦火によって燃やされていった。転がる高津の兵士たちの遺体が目に焼きついて、離れない。石段にこびりついた血糊、黒煙をまきあげながら崩れ落ちる城。生まれ育った城が燃えて灰となっていった。家族や家臣と笑い合った日々は、他国の軍の進行により踏み荒らされる。白銀の大地に赤黒い染みが広がっている。

 (い、嫌―――!!)

 風花は絶叫した。
 そして、今ここはどこでいつなのか、一瞬だけ狼狽した。東雲国の戦利品となって、風花は敵国の軍師の妻になったのだ。――父のような武人と結婚したいとあどけなく笑う少女の面影は、もうない。

 「高津の国のみんなは、もう……」

 風花は、床を力強く叩いた。風花の手の平が赤らみ、血がにじむ。拳を強く握りしめすぎて、爪が食い込んだ昼から血がしたたり落ちる。

 「私だけ!!」

 肩を震わせながら、風花は大声で泣き叫んだ。

 「私だけ生き残るなんて!!」

 喚きながら、嗚咽をもらす。

 「死んじゃえばよかったのに!!」

 灯火は風花の青い瞳をほのかに照らしていた。涙が溢れて止まらない。
 敵国に来てから、身体の不調はあったものの、風花は落ち着いていた。いや、落ち着いていたように風花の頭が錯覚させていたに過ぎない。悲しい、苦しい、惨めだ――という感情が、身体の不調によって表現されていただけだ。

 (もう、何もかも……嫌)

 敵国の男と結婚し、日々の針仕事で気を紛らわせ、感情をごまかしていた。敵の国にいるという張り詰めていた緊張が、夢によって解けてしまったのだ。
 堰を切ったように奔流する感情に、風花は絶叫した。何度も床を叩いては、大声で泣き叫ぶ。――心が張り裂けてしまいそうだ。

 「姫様!!」

 風花の部屋の前で控えていた護衛の声がする。

 「い、いかがなさいましたか?! お待ちください、今、忠頼様を――」

 風花は、返答することもできず、その場で大絶叫を上げた。



 「風花」

 氷室が夜更けに訪れた側室の部屋の中は荒れていた。その部屋の片隅で、風花は膝を抱えて泣いている。

 「颯手、下がれ」
 「は」

 静かに風花の隣に座ると、彼女の小さな肩を抱いた。呼吸が乱れ、言葉にならない様子で、風花は小刻みに震えている。氷室は無表情のまま、彼女を抱きしめた。

 「殺して」

 彼女からやっと出た言葉に、氷室の瞳は揺らがない。

 「殺して!」

 氷室は、風花の顎を指先で持ち上げた。そして、涙に濡れた彼女の頬に手を添える。
 二人の目と目は合わさり、長い間見つめ合っていた。氷室の切れ長の瞳は、鋭く風花にそそがれている。その瞳は、戦場で敵を斬り捨てるような――無慈悲で残酷なものだった。

 (恐い)

 その視線の鋭さにたじろいだ風花は、沈黙する。――文官のような様子の氷室だが、やはり武人なのだ。人の生死がかかった戦場で、命のやり取りをしている。軍師の面持ちは達観(たっかん)していた。

 「死ぬということが、どういうことかわかっているのか?」

 氷室の瞳に力がこもる。

 「そなたを守るために、何人もの兵士は亡くなったのだぞ」

 彼のまっすぐな瞳の中に、無数の死者の亡霊が映った。

 (そうよね……私が生きることが、高津の供養……でも)

 風花は耐えきれずに目をそらし、再び涙を流す。家族を失った悲しみを、彼女の心では受け止めきることができない。現実を直視するたびに、風花の魂は張り裂けて血を流す。その苦痛に、風花は現実を生きることを手放したくなる。

 「し……死にたいの」
 「ならぬ」

 氷室は強く言い切った。

 幼子のように理由を説明できずに泣く風花を、見かねた氷室は抱きかかえて自らの寝所へ連れ帰った。淡々と風花を寝かせると、氷室は幼子を寝かしつけるように寄り添う。背中を一定の間隔で、優しく叩くのだった。
 氷室の優しさに触れ、風花はますます涙を流した。

 ――戦争は終わった。その現実を受け入れたくない。

 こうして敵国の軍師の側室になった今が夢で、高津の国の部屋で本当の自分は眠っているのかもしれない。そうでなければ、おかしい。あの父や兄、家臣たちがいっせいにこの世界からいなくなってしまっただなんて考えることもできない。出口のない長い悪夢を見ているに違いない。起きても起きても、夢から覚めることのない悪夢だ。そう考えなければ、風花の心が壊れてしまいそうになる。

 (もう疲れた……生きるのに、疲れたわ)

 氷室は、冷静に風花の様子を観察していた。自らの羽織りを脱ぎ、彼女の身体にそっとかけた。

 「……今宵はここで眠るといい」

 風花が泣き疲れて眠りに落ちるまで、そばに寄り添っていた。不思議と静かで安心する彼からは、ほのかな温かさが伝わってきていた。