誤差、或いは。

 半ばパニックになったクラスメイトに連れて来られたのは、生徒会室の前だった。普段立ち寄ることはない、他の教室よりもこぢんまりした空間だ。
 珍しそうにその扉を眺めている渉の横顔は、緑がかっている。今日の空は緑色になっているらしく、向かいにある廊下の窓から、緑の光が差し込んでいる。
「で、この生徒会室に山本がいるのか?」
「そうなんだよ」
「ふつーにドアあけたらー?」
 渉が猫の手で丸いドアノブを掴むも、がちゃがちゃと音が鳴るだけで開く気配はない。タコの足を巻き付けて回してみるが、結果は同じだ。悔し紛れなのかペンギンの翼で叩き出したので、肩を掴んで扉から引き剥がした。鉄製の扉を相手に、無茶をしすぎだ。
「生徒会室の鍵は? 職員室で借りられるだろ」
「先生たち職員会議でいないんだよ……」
 クラスメイトの話を整理すると、こうだ。
 彼らは同じ生徒会に所属していて、今日は放課後、二人で資料を整理していた。作業は滞りなく終わって、彼が先に生徒会室から出た――という瞬間、扉が勢い良くバタンと閉まった。
 彼は、山本のらしくない悪戯だと思ったという。しかし、廊下側から「鍵を開けてくれ」と「出てこい」と呼びかけてみたが、返事はなかった。それどころか、扉に耳を当ててみても一切の音がしない。そうなると、はじめこそ笑っていた彼も徐々に焦り出してくる。三十分ほどやっても返事がなく、パニックになりながら職員室に駆け込み、それから教室に戻ってきたという。
 クラスメイトは鳥肌が止まらないのか、しきりに自分の腕を擦っている。
「一応校庭も見たけど、窓から出たって形跡はなかったんだ」
「まっ、そりゃここ三階だからねー。落ちたらドーンで気付きそうだよ」
デリカシーのない渉の発言に、さらにクラスメイトの顔が青褪めた。渉の脇腹をつつくと「ごめん」と案外素直に頭を下げた。
「なら職員会議終わるまで待つとか」
 俺の出した代替案は「待てないよ!」と叫ぶ彼の声に遮られた。
「山本がどうなってるかも分からないのに! あいつ、律儀にスマホ持ち込み禁止の校則守ってるし!」
 山本がしっかり校則を守ってることに感動しつつも、悲痛に叫ぶ彼に同情する。無理もない。目の前で友人が閉じ込められて、状況も分からないのだから。
 校庭から、体育会系特有の掛け声が聞こえてくる。あれは多分、サッカー部の声だ。そろそろ期末テスト前の期間に入るので、それまでにしっかり練習をしておきたいのだろう。
渉の腕が、猫の前足になって、何かの植物の茎になって、それからタコの足になった頃。渉が「わかった!」とタコの足を持ち上げた。
「工具で扉壊しちゃえばいいんじゃね」
「なっ、なるほど!?」
「そういうのあるとしたら、技術室とかだよねー」
 渉がちらっと廊下の端へと目をやると、クラスメイトが慌ててそちらへ走り出した。何か役立ちそうな工具を持ってくる気らしい。緑の光に照らされた廊下をばたばた駆けて、階段の角で見えなくなった。
「……渉、けしかけただろ」
「まーね。パニックになってる奴にこれ見られると面倒だし」
 これ、というのは渉の足のことだろう。やはりわざと追い返したらしい。
 緑の光に照らされた俺たちふたりの影が、生徒会室の扉にかかっている。渉はタコの足を伸ばすと、べたりとドア横の隙間に這わせた。
「もしかして、その足って鍵にでも変形するのか?」
「いや無理無理。直人ってたまにボケたこと言うよな」
 失礼な言い草だ。言い返してやろうと言葉を探していると、タコの足がだんだんと細くなっていく。気付けば植物のツタのようなものになって、ぎちぎちとドアの隙間に無理やり入り込んでいく。
 気づけばサッカー部の声も聞こえず、廊下はしんと静まり返っていた。わざとらしいほどの静寂の中、鉄製のはずの扉が軋んで、ぎぎっと嫌な音を立てた。
 歪んだ扉の隙間にしゅるしゅるとツルが入り込んでいく。腕のはずなのに、伸びているのだろうか。部屋の中で何かを探るように、腕を上下に動かしている。
 生徒会室の扉にかかる俺たちの影が、ほんの一瞬だけ明滅する。切れかけの街灯みたいだ。
 次の瞬間、扉はばんと音を立てて開いた。その先から転がり出るように現れたのは、俺たちの探していた山本だった。