誤差、或いは。

 大英雄の子・ロメンナは、意気揚々とドラゴン退治に出発する。
 だが王族たるヴァルゲインに嵌められ、呪いの矢を足に受けてしまう。
 悲劇的なシーンのはずだったが、弓矢の代わりに飛んできた魚の勢いがとんでもなかったので、俺の足にぶつかったときには「ぐおっ」と呻いてしまった。普通に痛い。いや、かなり痛い。魚はぶつかって腹が立ったのか、何故か二度三度と俺の膝に頭突きをしてから去っていった。
「仕留めたぞ、ロメンナ! 貴様はもう歩けまい!」
 今度は王族の格好をした渉が、岩の後ろで高笑いをしている。猫の右腕にじゃらじゃらと金の腕輪を嵌めているのは、恐らく王族らしさの表現なのだろう。渉が隠れているその岩は、よく見ると巨大なカエルの背中だったが、気づかないふりをして先に進んだ。
「一体誰がこんなひどいことを! ああ、俺はドラゴンを倒さねばならないのに!」
 古典作品らしい、大袈裟な言い回しだ。足の痛みを何とか堪えて立ち上がる。
 ヴァルゲインたる渉が頷くと、ばたばたとはけていって、今度はシンプルなシャツを着て戻って来た。これは多分、村人の姿だ。
「なんと! 奇妙な呪いじゃ!」
 散々練習したからだろう、そのセリフだけは完璧だった。腕はタコになっていたが、さきほどの金の腕輪がついたままだった。
 上手からしゃーっとペンギンが滑ってきて、下手へはけていく。ついでに「ああ、ペンギンまでもが!」と謎のセリフを付け足しているが、全く意味が分からない。
 俺たちの劇は、妙なアドリブばかりが追加された。
 呪われた男と村を追い出されるときには、村人に加えて、何故か何匹かのラッコまでもがキュウキュウ鳴いて俺を糾弾していたし、汚い野良犬を救うというシーンは、何故かリアルな犬が十匹も舞台に現れた。一応ストーリーはなぞっているのだが、不思議な出来事が絡んでくるせいで、なんだか間の抜けたものになっている。突拍子もなさすぎたときには「渉!」と咄嗟に呼んでしまった場面もあったが、観客は喜んでいるのか、ぷるぷると黒い身体を震わせて、笑い声のような音を発している。
「ロメンナよ! 仲間もおらず、呪いを受けた足では歩けまい!」
「まだ道はある!」
 ヴァルゲインたる渉に、噛みつくように言い返す。
 あれだけ渉と練習をしたのだ。セリフは完璧に覚えていた。
 ロメンナは呪いのせいでドラゴン退治に行くことはできない。だが、助けた仲間たちがドラゴンを見事に討ち取ってくれたのだ。
「すべては、ロメンナ様がいたおかげです!」
 竜殺しの騎士の格好をした渉が、俺に跪く。孤独な老人役はペンギンが担っていたし、弓兵団の代わりに置いてあったのは、ベニヤ板でできたハリボテだ。助けたはずの野良犬はもう二十匹の子犬になって、俺の周りをきゃんきゃんと走り回っている。やりたい放題な彼らの旅も、そろそろフィナーレだ。
「ロメンナ様! すぐにドラゴンの肉をお持ちしましょう!」
「ああ、頼む」 
 そしてロメンナは、退治したドラゴンの肉を口にして、足に受けた呪いが解けるという大団円となる。治った足でしっかりと立ち「俺は、この正しい世界で生きるのだ!」という名ゼリフと共に、幕は下りる。多少のアドリブに飲まれたものの、ここまでは完璧だ。
「お待たせしました、ロメンナ様! こちらがドラゴンの肉です!」
 走ってきた渉は、カニのハサミを恭しくこちらに差し出した。
 ここにドラゴンの肉である小道具を置いているだろう――と思ったのだが、上には何も乗っていない。
「さあ、ロメンナ様!」
 ずいとカニのハサミが押し付けられるが、やはりドラゴンの肉らしきものは見当たらない。
「おい、何も乗ってないだろ」
 小声で伝えてみたが、渉は役になりきったままで「いえいえ」と首を振る。
「こちらですよ、食べるのは」
「こちらって……」
「呪いを解くのです、ロメンナ様」
 もしや、馬鹿には見えないドラゴンの肉とでも言うつもりだろうか。流石にこんな展開は台本にも書いていない。仲間の役を務めてくれている、ペンギンや子犬たちも期待をしたようにこちらを見つめていたが、俺にはどうすることもできない。
「ロメンナ様」
「だから」
 喉元につきつけられたハサミを見て、なんだか嫌な気配がした。顔を上げると、渉はいつものにんまりした笑みを浮かべている。
「ねえ。直人、これで呪いをとかないと」
 いつもの渉の空気だった。口元がわずかに震えた。
「お願いだよ」
「渉、お前」
「これで大団円だから。ね、お前カニ好物だって言ってたじゃん」
 口調だけは、すっかり役を下りた渉のものになっている。
 目の前にいる渉が、俺に言葉を続ける。
「オレ、間違ってるから。だから」
 尖ったハサミの先が俺の喉に押し付けられる。わずかに震えていた。
 動き回る照明が後ろから渉を照らしているので、逆光になって表情は分からない。
 ハサミはじりじりと俺の喉に食い込んでいく。気道をゆっくり押しつぶしながら、ぷつんと皮膚が切れる感触も伝わってきた。
 表情の見えない渉が、ふっと笑う気配があった。
「ちゃんとラストシーンに繋げようよ、直人」