誤差、或いは。

 ミミズが移動するのは、道なき道だった。茂みを突っ切って、木の間を抜けて、石を踏みしめながら、ミミズを追った。一応何度も振り返って、迷わないようにだけ気をつける。
 ミミズは、草むらの中をゲーミングな色合いで照らして、身体をくねらせて進んでいた。昼間でもこれだけ光量があるのだから、夜はさぞ綺麗なことだろう。
 ほとんど森のような道を、どれくらい歩いただろう。だんだんと空気が湿ってきて、水音まで聞こえてくるようになった。まさか、何かの化け物に誘い出されているのでは――と心配し出したところで、視界がぱっと晴れた。
 岩場だらけのそこには、浅い川が流れていた。透明度が高い水で、魚影までしっかり確認できるほどだった。光るミミズはするすると川に入ると、不思議とその光は消えてしまった。そのあたりでぱしゃん、と魚が跳ねる。食物連鎖の気配を感じたが――いや、今はそんなことはどうでもいい。
「お、直人だ。買い物終わった?」
「……渉っ! そこで何してるんだ!」
 渉は、川に両足を突っ込んで立っていた。少し小高くなった石の上には、彼の靴がご丁寧に置かれている。クマの手に変わった渉の右手が振り上げられ、ばしゃんと勢い良く水を掻いていた。クマが鮭を獲るシーンを思い出す。
「このへんすっごいいるからさ」
「魚捕まえるなら言ってから移動しろ」
「それはそう……おっ、いた!」
 またクマの手が動いたが、魚は捕れずに小さな小石を宙にばらまいただけだ。
「全然獲れてない」
「いやいや! 獲れてるから」
 頑なに言い張る彼と「獲れてる」「獲れてない」の言い合いをしたあとに、渉が川べりを指差した。そこにあるのは渉のバッグだった。何が言いたいのだろうとバッグを覗き込むと、ぎゃっと悲鳴を上げそうになった。
 渉のバッグの中には、蠢く黒っぽい塊があった。見た事のない化け物かと思ったが、よく見ればそれは小さな生き物だった。バッグを日の当たる位置にずらして、改めて中身を確認する。俺でも知っている。この生き物は――
「これ、サワガニ?」
「そーそー、大正解!」
 またクマの手が動いて、小石と水しぶきが飛ぶ。いや、この小石だと思っていたものはサワガニだったらしい。宙に浮いたサワガニを、渉がもう片方の手で器用にキャッチする。
「お前、色々間違ってるだろ……」
 そもそも勝手に川に来て、カニ獲りをするな。サワガニをバッグに詰めるな。クマだったら魚の一匹くらい獲ってくれ。……と山ほどのツッコミが頭をよぎったが、本人が楽しそうなのでまあいいとする。
 帰り道は、買い物の袋とバーベキューセット、それからサワガニの詰まったバッグを持っていたので、それだけでトレーニングのようだった。俺たちを励ますように、ぬるい追い風が吹いていたのだけが救いだった。
「オレさ、サワガニのバーベキューしてみたかったんだよね」
「確かにサワガニって、素揚げとか唐揚げに印象あるな」
「だろー? 網の上いっぱいのサワガニ……」
 それはちょっと気色悪い気もするが、そう言われるとバーベキューも少し楽しみな気持ちになってきた。野菜や包丁もいくつか買ったし、調味料も申し分ない。にぎやかなバーベキューパーティーになるだろう。肉が手に入らなかったのだけが、不服ではあるが。
「……なんとっ! 奇妙な呪いじゃ!」
 口癖のように、またセリフの練習が始まった。俺の練習合宿だというのに、渉のほうがセリフの完成度を上げているような気もする。
 だが俺もなんとなく気持ちが高揚していて、声を張り上げる。
「こんな間違った世界でも、俺は人の輝きを信じている!」
「おっ名ゼリフ」
 渉の腕は、毛に覆われた細長い腕をしていて、そこに紙袋がずらりと引っ掛けられている。先端にある尖った爪を見るに、あれはナマケモノの腕だろう。名前とは裏腹にしっかり働いている。
「そろそろ、練習も気合い入れないとな」
「いいねいいね。ロメンナ直人、やる気出てきたね」
「ここに来てから遊んでるだけだし」
 合宿の名目でやってきたのに、俺たちは食糧の調達だけで随分とエネルギーを使っている。しかも渉に至っては川遊びまでしているのだ。合宿というよりも、ただ夏休みを満喫してる男子高校生ふたりだ。重い紙袋を持ち直して、気持ちを引き締める。そうだ、俺には主役としての責任がある。
「まーまー、それはそれとしてさ」
 ナマケモノの腕は労働中なのだろう、人間の手のほうで、ぽんぽんと肩を叩かれた。同じクラスTシャツを着た渉が、わざとらしく人間の拳を突き上げた。
「今日はサワガニパーティーといきますかぁ!」
 渉が肩にかけたバッグは、不気味にがさがさと音を立てている。
 サワガニを並べた楽しいバーベキュー。
 きっと美味しいのだろうと思っていたが、大きくアテは外れることとなる。