道の途中にある小さな店は、木造の平屋を改造したもののようで、軒先には風鈴が吊るされていた。自動ドアなんて気の利いたものはなく、ただガラス張りの引き戸がふたつついているだけだ。看板に書かれた店名らしきものはすっかり錆びて読めなくなっているし、見たこともない色の公衆電話まで備え付けられている。昭和を舞台設定としている、国民的アニメの中に入ったみたいだ。
「……すごいな」
思わず感嘆が洩れたが、渉は気にした様子もない。カエルの手で引き戸に手をかけて、がたがた動かしている。どうやら戸は開かないらしい。
「いやー、駄目だ。直人やって」
「開かないなら、今日は営業してないんじゃないか?」
「この手だと力入らないんだよ」
だったら問題ははっきりしているというのに。呆れた視線を向けるが、渉は「けろっ」と鳴いてふざけるだけで、腕を別のものにする気はないらしい。
引き戸の取っ手は、心なしかきらりと光っている。多分これはカエルの粘液だ。一応そこをティッシュで拭ってから、指を引っ掛けて力を込める。確かに建て付けは悪いが、鍵はかかっていないようだ。ぐっと力を込めると、がたんと鈍い音を立てて戸が開いた。
「……すみませーん。やってますか」
狭い店内は埃っぽく、古い段ボールのような臭いが鼻についた。昔の駄菓子屋のような雰囲気ではあるが、置いてあるのは歯ブラシのような日用品や、缶詰が置いてある。常温ではあるが、最も必要だったミネラルウォーターも積んである。どれも埃を被っているが、見覚えのある菓子のパッケージあるので、賞味期限以内――であると信じたい。段ボールに入った野菜だけは新しいようなので、こちらは入れ替えられているのだろう。本当に何でもありだ。
「おっ、結構色々あるねー」
渉がカエルの手で触ろうとするので、肩を掴んで止めた。「粘液」と言うと、渉はああと頷いて、鳥の羽に変えた。翼を使って器用にほこりを取っている。自前の羽はたきだ。
ともあれ、食糧を変える場所があって良かった。トランクに着替えや食糧、念のための薬なんかも詰めてはきたが、二週間となれば限界はある。
店に買い物かごなんてものはないので、必要そうなものを集めて、店の一角に積んでいく。店の奥は店主の生活空間になっているようだが、こちらもしっかり引き戸が閉まっているので、姿は見えない。もし今日の営業をしていなかったらと頭によぎるが、その時はその時だ。頭を下げてでも商品を買わせてもらおう。
「なー、直人直人っ、これは?」
渉が、人間側の手と猫の前足で持って見せてきたのは、バーベキューセットだった。明らかにでかくて重いというのに、渉は目を輝かせている。
「……却下」
「なんで!? これでバーベキューしようよ!」
「それ持って帰りの1時間歩けるのかよ。他に水と食糧も持つのに」
渉は信じられないとばかりに目を見開いて、それからゆっくりと首を横に振った。こちらがおかしいみたいな顔はしないで欲しい。強請るようにタコの足が伸びてきたので、片手で払った。
それからも渉は、水鉄砲セットだの謎のタコの浮き輪だのを提案してきたが、冷静に却下を続けて、必要そうなものをまとめた。俺の手持ちの食糧と合わせて、これで一週間は持つだろう。あくまで死なないぎりぎりの程度のラインではあるが。
「……あのー、すみませーん」
奥の部屋に向かって呼び掛けてみるが、返事はない。
「これ、買いたいんですけどー!」
ここでなければ許されない声量で、二度目の呼び掛けをしてみる。声が出やすくなっているのは、朝から渉と散々遊んで騒いだからだろう。三度目の呼び掛けをしようと息を吸うと、奥の部屋に続く戸がカタカタと揺れた。ちゃんと人はいたらしい。それからじれったいほどの時間をかけて、引き戸が開かれる。
現れたのは、小さなおばあさんだった。老婆と呼ぶには可愛らしい印象の強い、やはり『おばあさん』がぴったりくる人だ。頭も真っ白で、ひらがなの『つ』のように腰も曲がっている。柱を掴んで体勢を整えながら、これまたゆっくりとサンダルに足をひっかけた。瞬きをするたびにしわくちゃの顔が波打って、見えているのか心配になるくらい両目が埋もれている。
絵に描いたようなおばあさんの登場に、おおと声が盛れそうになる。こういった古い店の店番をしているのは、こういう人と決まっている。
上がったテンションをごまかすように咳払いをして、「あの」と声をかける。
「これ、買いたいんですけど、いいですか」
耳が遠い可能性も考慮して、はっきりと発音する。よたよたと歩いてきたおばあさんは、こちらをじっと見詰めている。
「あのっ、これ買いたくて」
「聞こえてる」
掠れた低い声で、一蹴されてしまった。
彼女は、俺が積んだ商品をひとつひとつ手に取っては「五百円、二百円」と呟いて、メモ帳らしきものに鉛筆で書き入れをしている。非常にアナログだ。
この後、そろばんで計算したりして。
そう渉に話しかけようと振り返ったが、そこにあるのは商品の棚だけだった。見渡してみるが、彼の姿はない。店の外に顔を出してみるが、巨大な芋虫が電柱を登っているだけで、人の気配はなかった。
この短時間で、もう飽きてしまったのだろうか。堪え性がなさすぎる。
「あいつ、どこ行ったんだよ」
小声で吐き捨てると、金額を読み上げるおばあさんの呟きが止まった。まさか聞こえていたのだろうか。おばあさんが真っ直ぐこちらを見ているので、慌てて言葉を差し込んだ。
「ほんとは俺、友だちと来てたんです。でもどっか行っちゃったみたいで」
おばあさんはこちらを見て、それからまた商品に視線を移して、鉛筆を動かし始めた。
何か粗相があったのだろうかと慌てていると、「いちえー」とおばあさんが小声で言った。意味が理解できずに黙り込んでいると、おばあさんが俺を指差した。
『1-A最高』と書かれたTシャツだ。
羞恥で一気に体温が上がって、思わず文字を腕で隠してしまった。誰かに見られることは想定していなかった。揃いのTシャツを着た渉がいなくて良かったと心から思う。
それからやはりそろばんが登場して、商品の計算をしてもらった。全体的に動作はゆっくりであるのに、何故かそろばんを弾くのだけは速かった。算出された金額は、あとで渉と割り勘にするとしたって、小遣いから出すには少々手痛い。だが、ここで飢え死にするよりはずっとマシだ。
札での支払いを済ませて、商品は紙袋に入れてもらった。使い回している袋らしく、少々土で汚れていたが、気にするほどではない。恐らく普段は野菜を入れているのだろう。
「すみません、ありがとうございました」
七袋にもなった紙袋はぱんぱんで、いつ取っ手が千切れてもおかしくない状態だ。しかも何故か、バーベキューセットまで会計に入っていた。相手があのおばあさんだったので、説明が難しそうでキャンセルは諦めたのだった。
ひとまず商品を抱えて、店の外に避難した。きちんと店のガラス戸を閉じると、おばあさんはこちらをじっと眺めてから奥の部屋に引っ込んでしまった。久し振りの来客だっただろうに雑談ひとつないのは、ある意味でプロ根性を感じる。
大荷物を持ってきたというのに、相変わらず渉の姿はない。
「……おいっ、渉っ!」
大声で叫んでみると、近くにあったタンポポの綿毛がぱっと弾けるように散った。もう一度「渉!」と呼んでみると、ありえないほどエコーがかかって俺の声が響いた。ここに来てからいつも以上に不思議なことが起きているが、まあ面白いのでいいだろう。
とは言え、こんな場所でひとりきりになるのは困る。
困り果てていると、足元で光るものがするっと動いた。光る紐でもあるのかと思ったが、それは大きめのミミズだった。しかも、色を変えながら光っている。ゲーミングミミズだ。
虹色に色を変えるミミズは、頭を持ち上げて俺のほうを見た。目がないので見たかはわからないが、少なくとも俺は視線が合ったと思った。それから先導するように、くねくねと移動をはじめた。来た方向とは反対だ。
買ったものをどうするかと悩んだが、ゲーミングミミズが来てしまったら仕方がないだろう。ミネラルウォーターのペットボトルだけを持って、俺はその妙なミミズを追って歩き出した。
「……すごいな」
思わず感嘆が洩れたが、渉は気にした様子もない。カエルの手で引き戸に手をかけて、がたがた動かしている。どうやら戸は開かないらしい。
「いやー、駄目だ。直人やって」
「開かないなら、今日は営業してないんじゃないか?」
「この手だと力入らないんだよ」
だったら問題ははっきりしているというのに。呆れた視線を向けるが、渉は「けろっ」と鳴いてふざけるだけで、腕を別のものにする気はないらしい。
引き戸の取っ手は、心なしかきらりと光っている。多分これはカエルの粘液だ。一応そこをティッシュで拭ってから、指を引っ掛けて力を込める。確かに建て付けは悪いが、鍵はかかっていないようだ。ぐっと力を込めると、がたんと鈍い音を立てて戸が開いた。
「……すみませーん。やってますか」
狭い店内は埃っぽく、古い段ボールのような臭いが鼻についた。昔の駄菓子屋のような雰囲気ではあるが、置いてあるのは歯ブラシのような日用品や、缶詰が置いてある。常温ではあるが、最も必要だったミネラルウォーターも積んである。どれも埃を被っているが、見覚えのある菓子のパッケージあるので、賞味期限以内――であると信じたい。段ボールに入った野菜だけは新しいようなので、こちらは入れ替えられているのだろう。本当に何でもありだ。
「おっ、結構色々あるねー」
渉がカエルの手で触ろうとするので、肩を掴んで止めた。「粘液」と言うと、渉はああと頷いて、鳥の羽に変えた。翼を使って器用にほこりを取っている。自前の羽はたきだ。
ともあれ、食糧を変える場所があって良かった。トランクに着替えや食糧、念のための薬なんかも詰めてはきたが、二週間となれば限界はある。
店に買い物かごなんてものはないので、必要そうなものを集めて、店の一角に積んでいく。店の奥は店主の生活空間になっているようだが、こちらもしっかり引き戸が閉まっているので、姿は見えない。もし今日の営業をしていなかったらと頭によぎるが、その時はその時だ。頭を下げてでも商品を買わせてもらおう。
「なー、直人直人っ、これは?」
渉が、人間側の手と猫の前足で持って見せてきたのは、バーベキューセットだった。明らかにでかくて重いというのに、渉は目を輝かせている。
「……却下」
「なんで!? これでバーベキューしようよ!」
「それ持って帰りの1時間歩けるのかよ。他に水と食糧も持つのに」
渉は信じられないとばかりに目を見開いて、それからゆっくりと首を横に振った。こちらがおかしいみたいな顔はしないで欲しい。強請るようにタコの足が伸びてきたので、片手で払った。
それからも渉は、水鉄砲セットだの謎のタコの浮き輪だのを提案してきたが、冷静に却下を続けて、必要そうなものをまとめた。俺の手持ちの食糧と合わせて、これで一週間は持つだろう。あくまで死なないぎりぎりの程度のラインではあるが。
「……あのー、すみませーん」
奥の部屋に向かって呼び掛けてみるが、返事はない。
「これ、買いたいんですけどー!」
ここでなければ許されない声量で、二度目の呼び掛けをしてみる。声が出やすくなっているのは、朝から渉と散々遊んで騒いだからだろう。三度目の呼び掛けをしようと息を吸うと、奥の部屋に続く戸がカタカタと揺れた。ちゃんと人はいたらしい。それからじれったいほどの時間をかけて、引き戸が開かれる。
現れたのは、小さなおばあさんだった。老婆と呼ぶには可愛らしい印象の強い、やはり『おばあさん』がぴったりくる人だ。頭も真っ白で、ひらがなの『つ』のように腰も曲がっている。柱を掴んで体勢を整えながら、これまたゆっくりとサンダルに足をひっかけた。瞬きをするたびにしわくちゃの顔が波打って、見えているのか心配になるくらい両目が埋もれている。
絵に描いたようなおばあさんの登場に、おおと声が盛れそうになる。こういった古い店の店番をしているのは、こういう人と決まっている。
上がったテンションをごまかすように咳払いをして、「あの」と声をかける。
「これ、買いたいんですけど、いいですか」
耳が遠い可能性も考慮して、はっきりと発音する。よたよたと歩いてきたおばあさんは、こちらをじっと見詰めている。
「あのっ、これ買いたくて」
「聞こえてる」
掠れた低い声で、一蹴されてしまった。
彼女は、俺が積んだ商品をひとつひとつ手に取っては「五百円、二百円」と呟いて、メモ帳らしきものに鉛筆で書き入れをしている。非常にアナログだ。
この後、そろばんで計算したりして。
そう渉に話しかけようと振り返ったが、そこにあるのは商品の棚だけだった。見渡してみるが、彼の姿はない。店の外に顔を出してみるが、巨大な芋虫が電柱を登っているだけで、人の気配はなかった。
この短時間で、もう飽きてしまったのだろうか。堪え性がなさすぎる。
「あいつ、どこ行ったんだよ」
小声で吐き捨てると、金額を読み上げるおばあさんの呟きが止まった。まさか聞こえていたのだろうか。おばあさんが真っ直ぐこちらを見ているので、慌てて言葉を差し込んだ。
「ほんとは俺、友だちと来てたんです。でもどっか行っちゃったみたいで」
おばあさんはこちらを見て、それからまた商品に視線を移して、鉛筆を動かし始めた。
何か粗相があったのだろうかと慌てていると、「いちえー」とおばあさんが小声で言った。意味が理解できずに黙り込んでいると、おばあさんが俺を指差した。
『1-A最高』と書かれたTシャツだ。
羞恥で一気に体温が上がって、思わず文字を腕で隠してしまった。誰かに見られることは想定していなかった。揃いのTシャツを着た渉がいなくて良かったと心から思う。
それからやはりそろばんが登場して、商品の計算をしてもらった。全体的に動作はゆっくりであるのに、何故かそろばんを弾くのだけは速かった。算出された金額は、あとで渉と割り勘にするとしたって、小遣いから出すには少々手痛い。だが、ここで飢え死にするよりはずっとマシだ。
札での支払いを済ませて、商品は紙袋に入れてもらった。使い回している袋らしく、少々土で汚れていたが、気にするほどではない。恐らく普段は野菜を入れているのだろう。
「すみません、ありがとうございました」
七袋にもなった紙袋はぱんぱんで、いつ取っ手が千切れてもおかしくない状態だ。しかも何故か、バーベキューセットまで会計に入っていた。相手があのおばあさんだったので、説明が難しそうでキャンセルは諦めたのだった。
ひとまず商品を抱えて、店の外に避難した。きちんと店のガラス戸を閉じると、おばあさんはこちらをじっと眺めてから奥の部屋に引っ込んでしまった。久し振りの来客だっただろうに雑談ひとつないのは、ある意味でプロ根性を感じる。
大荷物を持ってきたというのに、相変わらず渉の姿はない。
「……おいっ、渉っ!」
大声で叫んでみると、近くにあったタンポポの綿毛がぱっと弾けるように散った。もう一度「渉!」と呼んでみると、ありえないほどエコーがかかって俺の声が響いた。ここに来てからいつも以上に不思議なことが起きているが、まあ面白いのでいいだろう。
とは言え、こんな場所でひとりきりになるのは困る。
困り果てていると、足元で光るものがするっと動いた。光る紐でもあるのかと思ったが、それは大きめのミミズだった。しかも、色を変えながら光っている。ゲーミングミミズだ。
虹色に色を変えるミミズは、頭を持ち上げて俺のほうを見た。目がないので見たかはわからないが、少なくとも俺は視線が合ったと思った。それから先導するように、くねくねと移動をはじめた。来た方向とは反対だ。
買ったものをどうするかと悩んだが、ゲーミングミミズが来てしまったら仕方がないだろう。ミネラルウォーターのペットボトルだけを持って、俺はその妙なミミズを追って歩き出した。
