夏休みが始まったから、授業はもうない。昼間、母さんには「ちょっと散歩」とか「家じゃ宿題に集中できないから」言って誤魔化して、毎日外出する。今日は図書館で調べ物をしてから、一人で儀式の山まで向かった。
一応、家からは小さなちりとりとタオルとゴミ袋を持ちだした。あそこに住むナニカが本当に僕に気づいたとしても、ゴミを拾いに来ましたよ、お手入れですよ、みたいな顔をしてれば平気なはずだ。
(……まあ、……やっぱり、ちょっと怖いけど)
心霊スポットで怖い思いをした人間が、何の対策もせずに二度そこを訪れるなんてことは漫画の中でも見かけない。いたとしたら、それはよほどの大馬鹿ものだろう。
でも、僕はその大馬鹿なことをしたいのだ。
自転車のハンドルを握り締める手が知らず汗ばむ。例の山に近づくたび、僕がシャツで手汗を拭う頻度は増えた。
でも、結論から言うと、それは杞憂だった。
神倉くんと一緒に来た時とは見違えるくらい、そこはありふれた、ただの山だったのだ。
「………」
遠目から見た時も、近づいても、なんの圧も感じない。
神倉くんと一緒に来た時は始終誰かに見つめられているかのような感覚があったのに、今日は夏の緑が目に眩しい。
(……自分のモノ以外は興味ないってことかな)
そう一瞬思って、すぐにふるふると首を横に振る。
(違う、神倉くんはモノじゃない。……そうさせないために情報を集めるんだから)
周囲に人気がないことを確認してから、自転車を同じ空き地に止め、入山する。よいしょ、と柵を乗り越えた。
(私有地……不法侵入……)
と言う言葉がちらっと頭をよぎるけれど、何か盗るわけじゃない、見るだけだから、と言い聞かせる。
階段を上ると、すぐに覆い屋に辿り着いた。黒い岩も、昼間の明るい陽射しの中では第一印象より小さく見える。
僕が横になったら多分足がはみ出てしまうだろう。しげしげと眺めてみると、黒っぽい花崗岩だった。
(……奈良県の明日香村にある、鬼のまな板……っていうか、石舞台に似てるかも)
ここ数週間は、暇さえあればインターネットでオカルト関連の情報を眺めていた。日本には巨石信仰があって、こういう大きな岩を神様が座る場所だといって神域にすることがあったらしい。
(明日香村のは、両方とも古墳の一部って話だったと思うけど、……ここにもなにかが葬られたりしてたのかな。あの公園も昔は古墳だったっていうし……この辺りには昔から人が住んでたってことだよね)
何か手がかりになるかもしれない、と思ってスマホで全体像を撮っておく。それから、何か書いてあったりしないか、と願いを込めて、タオルで石の全体を軽く撫でていった。もしも誰かが来ても、掃除を大人に頼まれたとかなんとかいって誤魔化したい。そんなことにならないのが一番良いのだが。
(……僕はここに掃除しにきただけですよー、綺麗にしていますよー)
見えないなにかに言い訳するみたいに内心で呟きながら、せっせと掃除をしていると、岩の東側に彫り込まれた漢字に気づいた。
(あ……! なんか書いてある)
地面と接するくらい低い位置だったので、僕は地面に膝をついて覗き込む。カメラを差し込んでも暗すぎて良く撮れず、フラッシュを焚いたら逆に反射して写らない。仕方なく、目や指先で一文字ずつ確認して、苦労して書き取った。
――奉遵古盟、以汝為宇礼豆玖云爾
(……なんだろ? 漢文、……かな? ……ん-と、……とりあえずメモしたけど)
地面にしゃがみこんだまま、首をひねってみる。
(……古の盟に従い、汝を以て、……宇礼豆玖と為す? 為さん? かな……? 書き下し文があればまだちょっと意味が解るんだけど。宇礼豆玖ってなんだろう、なんて読むんだろう? う、れい…ず…きゅう…?)
きっとこれは手がかりだ。そうあってほしい。これ以上はきっと見つからない。ここを出て調べてみよう。
そう思って立ち上がろうとした時。
「ねえ」
「ひゃあああっ」
急に声をかけられて情けない声が出た。
驚きすぎて前に倒れ込んでしまった。地面に手を着いたなさけない体制で振り返る返ると、痩せた男の人が立っている。派手な柄シャツと、明るい色のデニム。足元はスニーカーのカジュアルな格好だ。知らない人だった。
「こんにちはー」
「こ…………こんにちは」
なんだか人懐っこい人だ。でも、ここは立ち入り禁止のはず。ただの通行人のはずがない。
(ま、まあ……僕も人のこと言えないんだけど……)
「し、失礼しましたー……」
ばくばくする心臓を抱えながら、僕はそそくさとその場を立ち去ろうとした。
(どうしよう、見たことない人だけど、誰かに頼まれてここを掃除しにきた人とかかな)
このまますんなり帰れますように、と祈った瞬間、がしっ、と腕を掴まれた。
「ちょっと待って」
「う………は、離してください」
僕にしてははっきりと言えたと思う。振り払おうとしたけれど、案外力が強い。
「悪いんやけど、こっちも仕事や。おたくら、今年も八月八日にやるんであってる?」
「…………」
僕は抵抗を止めて、男の人をじっと見つめた。
(……儀式のことを知ってる。それに、僕が儀式をする側だと思ってる……?)
「あなた……誰なんですか」
不審を強めた僕が尋ねると、男は沈黙した。
「…………」
「…………」
しばらく、お互いに無言で牽制しあう。ふう、とため息をついたのは彼が先だった。
「……そんなに警戒せんといて」
にこ、と、愛想のよい笑顔が提供される。
「十六年前と同じ、見届けにきただけや。おたくらの邪魔はせーへんから」
「…………」
「下見してたら、アンタがここに入るの見えたからな。もう準備始めてるんかって思って」
(見届けに来ただけ……? この人、よその人なのに儀式のことを知ってるんだ。……どうして?)
深く考えている暇はなかった。
八月八日がどんどん近づいてきているのに、救いの糸口は見つからない。この人が何者であっても、聞きたいことは山ほどあった。
「ぼ……僕は、儀式を、止めたいん……です」
「………」
彼は、びっくりして目を見開いた。ベテランの商人みたいに僕を見る目が変わる。値踏みされてるんだ。僕は胸を張って、本気だって思ってもらえるように声に力を込めた。
「お願いします、……儀式を止めるために、あなたが知っていることがあったら、教えてください」
「……ちょっと場所変えよか」
ぱ、と手が話される。僕はこくこくと頷いた。
少し離れた道路わきに、見慣れない白い車が停められていた。
(乗れって言われたらどうしよう、どっかに連れていかれたりして、……それで、埋められたり……)
想像力が「危機感の足りない馬鹿な高校生の末路」を脚色する。
逃げ出したい、もういいですっていって自分の自転車に飛び乗ってここを離れたい、と思ったけれど、実行には移せなかった。
知らない人についていっちゃいけません、って昔っから言われてたっけ。
こんなのは蛮勇か、もしくはいいとこ下水溝の渦に自分から身を投げて巻き込まれに行くようなものなんだけど、でも、そんなのもう今更だ。
(……な、なにか、……教えてもらえるかもしれないんだから)
僕の緊張が伝わったのか、男の人は苦笑していた。
「あー、大丈夫やって。このへんで話そか」
いうなり、ガードレールに腰かける。車に連れ込まれたりはしないみたいだ。
僕はおずおずと、隣に陣取った。
「自分、名前は? 俺は國本」
「ひ、日野です」
「うんうん、なるほどなあ」
答えながら、僕はゆっくり國本さんを観察した。
(大学生……には見えないけど、そこまでおじさんじゃない。三十歳くらいかな)
「そんで、日野クンはあれなん? 迷信反対派?」
「え?」
「古臭い儀式を止めたいんやろ? 今どきめんどいわなあ、神さまへの秘密の儀式とか時代遅れやって」
「あ………」
決めつけられた言葉には、頷いてしまうのが一番楽だ。でも今は逃げるわけにはいかなくて、僕は地面を靴裏でこすりながらいった。
「あの……迷信じゃ、ないんです。あそこには……本当に、ナニカがいて……信じてくれなくても、いいんですけど」
「………」
「友達が、……巻き込まれてるんです。だから僕はあれを止めたくて、……情報を集めてます。信じてくれなくていいんですけど、國本さんが知ってることがあったら、あそこにいる神様……のこととか、なんでもいいので、教えてほしいんです」
ぺこりと頭を下げる。
「はー。そういうことか」
國本さんはしばらく時間を置いた。その間、僕はずっと頭を下げて待っていた。
「……今回のウレズクは、日野クンの友達なんやな」
「……え?」
ウレズク。
國本さんが呟いた聞きなれない単語が、ついさっき見た文字と結びつく。
――奉遵古盟、以汝為宇礼豆玖云爾。
宇礼豆玖。
「……汝を以て、ウレズクと為す……?」
「そ。そのウレズクや」
「ウレズクっていうのが、生贄っていう意味なんですか」
「ん-。ちょっとニュアンスは違くて、まあ、……代償、って感じやな」
「代償」
「アレをやります、もしうまくいったらコレを捧げます、っていうところまで神様に誓うやろ。そのとき捧げるモノって感じやね」
「………」
(それじゃ、生贄と変わらない。人身御供って意味じゃないか)
とは思ったけれど、少なくとも僕よりも國本さんのほうが詳しそうだ。
僕は期待をもって彼を見たが、彼の表情はずっと変わらなかった。
「他にも……何か知ってたら教えてください。なんでも、……あいつの弱点とか、……どうやったら逃げられるのか」
「あんな。さっきも言ったと思うんやけど、俺はここに見届けにきただけや。邪魔したらあかんことになってる」
後頭部を抑えながら、ちょっと恥ずかしいけど、と前置きして言う。
「俺はまあ、いわゆる……陰陽師、みたいな家系の人間でな」
「陰陽師」
「そ。傍流やけど。……それでこういうお役目がたまに巡ってくるんや。昔、人間は今より気軽にカミと誓いを交わしてた。その後処理がちゃんとされてるかを確認する、っつー」
「………」
「ちゃんと受け継がれてればよし、もし忘れられてたら、……カミがそこにもういなければスルーやけど、まだそこにいて、誓いが果たされないことに怒っとったら」
「怒ってたら……」
「俺一人の手には負えないってわけやな。本家の人間を呼ぶとかするんやけど」
「今呼んでもらえないんですか」
「無理や。基本的には俺等は地元に不介入、……予防じゃなくて、事後処理。火事が起きる前から消防隊がいたらおかしいやろ」
「………」
「その土地のことは、その土地の人間が決めるべき。手出しをするのは、責任を負う人間がいなくなったときだけ。それが絶対の方針で、……地元の人間がやることに関与はできん」
「わかりました。……全部、僕がやります」
僕は陰気な声で言った。頭の内側にしきりをつくって、情報を整理する。
「だから、神さまの殺し方を教えてください」
「………」
國本さんは僕の顔に真っ直ぐ手を伸ばしてきた。近づいてくる大人の男の人は大きくて、怖くて、でも、僕は瞬きもせずにそれを見つめる。
ぴんっ。
「いたっ」
額を指ではじかれる。僕が小さな声を漏らすと、彼はうっすら笑った。
「自分、思いつめすぎやって」
「本気なんです」
「本気だって解るから言ってる」
「………」
「カミ様を殺したり、無理矢理いう事聞かせたりするんは人間の領分を超えてることや」
國本さんは親切だった。叱りつけるようより、幼稚園児に言い聞かせるような優しい口調。それでも僕は噛みついた。
「でも、役小角が……」
「ああ、よく調べてるんやな」
彼は少し笑った。僕が連日、ネットや本で探してたどり着いた事例だった。
「飛鳥時代の人やろ、役小角って。なのに今でも名前が残ってるっつーのは伝説級ってことやな。そんな人でも、神さまを殺すんじゃなくて、葛木山にいる神様やらに呪術でいう事聞かせた、ってだけや。大天才でもできてそこまで、まして君には……無理な話やってわかるやろ」
言ってることはわかる。
僕は伝説級の天才じゃない。それどころか、普通の人間より出来ないことの方が多い。
運動音痴だし、歌だって下手だし。
それでも。
思い切ったことをしなければ、向こう見ずな行為に踏み込まなければ、待っているのは望まない未来だけだってわかっていた。
「でも、このまま放っておいたら友達が死んでしまうんです。僕にできることを探したいんです」
「………なるほどなあ。キミはすごく勇気がある子やね。それに優しい。力になってやりたいとは思うけど、……」
國本さんは口元に指を添えて、暫く考えた。そうしてぽつりと呟いた。
「……倒したり、無理矢理いう事をきかせたりじゃなくて、別の捧げものを準備したらええんちゃうかな。俺ならそうする」
「別の……?」
「ああ……、コメとか、酒とかな。約束したものが準備できへんかったから、代わりのもので勘弁してください、ってお願いするんや」
「米と酒……」
「お供えものっていうやろ。そんなんや」
米と酒は、嫌いな神さまはまあおらんで、と國本さんは付け加えた。
「でもまあ、なんでもええんや。価値があるものだとおもったら」
「………」
「たとえば、レストランに入るやろ。注文と違うもんが出てきたらこれやないって怒るやろ。でも、今ちょうどきらしてまして、かわりにこちらをどうぞ、って言われたら、まあ誠意は感じるし、出されるもんのよっては自分が注文したもんよりよかったかも、ってなる。人間も神様もその辺は同じやな。厄介なお客さんみたいなもんやから」
「クレーマーみたいに?」
「それはちょっと言いすぎ、って言わなあかんなあ、俺としては」
大して本気でもなさそうに言う彼は、神職とかそういうものには見えないけれど、一応はそういう人らしい。冗談めかして言うくせに、言葉の隅には神様への畏敬があった。
「……どうして真面目に話を聞いてくれるんですか、儀式が正しいかたちでおこなわれなくても、國本さんは困らないんですか」
「別に困らへん」
あっさりと言ってのける。
「言ったやろ、この土地でおこることは全部静観せいっていわれとる。あくまで見届けるだけ、……一応、今年も見とるで、って関係者に言わなあかんから日野クンがそうかと思って声かけたけど。だから……無責任な言い方にはなるけどな」
國本さんは目を細めて笑った。
「上手くいくとええな」
「……はい。ありがとうございます」
僕はぺこりと頭を下げた。



