数日後、僕は神倉くんの家に来ていた。
「今の時間なら、父さんがいないから」
と神倉くんが言うので、彼の家にあるという本だか巻物だかを見せて貰おうと思ったのだ。
(……友達の家に入るのってはじめてだ)
そんなことを言ってる場合じゃないってわかってるけど、緊張するし、ちょっと嬉しい。
義父さんが言ってた通り、神倉くんの家は立派だった。大きい、っていうより広いって感じ。壁と門で道から区切られて、外からは中が見えないようになってる。
「お父さんと二人で住んでるの?」
「ああ」
「そうなんだ……」
二世帯くらいなららくらく一緒に住めそうなのにな、と思ったけれど口にはしない。
「俺も自分の部屋くらいしか掃除しねえから、汚くて悪い」
「う、ううん! 全然」
(神倉くんの部屋ってどんな部屋なんだろ、入ってみたいな……)
と思ったけれど、今日はそのために来たんじゃない。
神倉くんのお父さんが仕事から帰ってくる前に済ませなきゃいけないんだ。
「か、神倉くんのお父さんって、お仕事何してるの?」
「知らねえ」
彼は即答した。あんまり即答したので僕がびっくりしていると、きまり悪そうに付け加えられる。
「……全然話さねえんだよな。最後に話したのいつだったっけな……」
「そうなの?」
「部屋も違えし、……月初めに金が部屋の前置いてあるから、それで一か月食いつないでる」
「そ、そうなんだ。長老会の会長さんしてる、って聞いたけど」
「へえ」
神倉くんの相槌はいつも通りで、好きでもなければ嫌いでもない、って感じだった。まるで興味のない芸能人のことを話してるみたいだ。
「……なんかあるとしたらこの部屋かなって思う」
彼が案内してくれたのは和室だった。広々としているはずなんだけど、立派な仏壇と大きなたんすが部屋を圧迫している。たんすの上には木箱が積み重なれていて、そのどれもに年季が入っていた。
「ここ、なんか古いものがたくさんあるんだよな。ガキのころ勝手に色々開けて、すげー怒られた覚えある」
「そうなんだ」
澱んだ空気に埃が混じって、古びた洞窟みたいだった。あんまり長居したい場所じゃないな。でも、今は電気が点くだけで感謝だ。
「じゃあ、さっそく探そうか」
「本を探すでいいのか?」
「うん。怪しいのがあったら先ずアプリで表紙だけ読んで、関係ありそうな本は全部写真撮ろう」
「アプリ?」
神倉くんが首をかしげる。
「崩し字とか、漢文とか読めるやつ片っ端からいれてきた」
「へえ。便利なもんがあるんだな」
「うん」
案の定、色んな木箱をひっくり返して見つけた本は全部崩し字だった。表紙を読むと昔の帳簿とか従業員名簿が多い。
「神倉くんちって、昔は何かお店やってたのかな」
「みたいだな。全然ぴんとこねえけど」
内容は普通に気になるけど、今はあの場所に関係なさそうな情報は無視する。
それでも、四日通わなければ部屋の全部の箱や引き出しを確かめることはできなかった。神倉くんのお父さんが帰ってくる前に綺麗に元に戻して、帰らなければならなかったし。
「父さん、昔から俺に友達ができると怒ったからさ。お前も見られない方がいいと思う」
「………」
友達がいなくて心配される僕とは正反対だな、とおもったけれど、それは口にはしなかった。
結局、見つけられた本は一冊だけ。「御神事次第」と表紙に書いてある本だった。仏壇の一番下の引き出しに、油紙にくるまれて大切そうにしまわれていたのだ。
表紙は深い緑色だったけれど、時が経って変色したものか、もともとその色だったかはわからない。右下には誰が押したのかもわからない朱印が書いてあり、その朱はまるで渇いた血の色だった。わずかに波打つ紙に触れれば指先にざらりとした感触が残る。まるで墨がまだ生きているみたいに。
ところどころ切れかけているとじ糸が完全に解けないように慎重に全頁を写真に収め、僕と神倉くんは学校の空き教室でそれを読むことにした。
(僕の部屋に来ない、って言ってみたんだけど……)
彼がそれを断った。遠慮しているんじゃないかと思ったけど、「どこで誰が見てるかわかんねえから」ということらしい。
確かに、僕の家はもともと人の出入りが多い。母さんも、母さんの友達もみんなお喋りだから、どこから神倉くんのお父さんに知られるかわからない。こそこそ何かを読んでいる、って思われるのがまずいのかも。
その点学校なら、僕がいても彼がいても不思議じゃない。なにより、みんなが僕たちに無関心なのが都合が良かった。
校庭で運動部が練習する声を聞き流しながら、二人でスマホの画面を覗き込む。アプリが表示してくれる文字を一文字ずつかきとって、それをまた別のサイトで現代文に翻訳する、というようなことをやっていると、まるで古文の勉強をしているみたいだ。
(友達と一緒に勉強、っていうのも憧れだったな)
「よーし、じゃあ早速探そっか」
絶対に一緒ではないんだけど、ちょっと似ているシチュエーションを味わっていると、神倉くんからの視線に気づいた。
「えっ、ど、どうしたの?」
不謹慎なことを考えているとか思われただろうか。顔に嬉しいのが出ちゃったとか。
頬のほてりは夏の暑さで誤魔化せると思ったんだけど。気持ち悪くにたにた笑ってしまってたかもしれない。神倉君が大変なのに、どうして嬉しそうだよ、って思ってるのかも。
焦る僕を見つめながら、神倉君は言った。
「……探すって何を」
「え? ええ、ああ、この本からさ、アイツの名前とか、せめて属性とか」
「属性?」
「そう」
僕は勘違いにほっとしながら頷いた。
「うん。火の神様だったら水に弱いとかあるだろうから、弱点がわかるかも。五行説って言って、自然にあるものを、火、土、金、水、木の五つの元素に分類する考えがあるんだ。それで五つの属性はそれぞれ関連してて、弱かったり、強かったりするんだ。相克って言うのはある属性が別の属性に強い、っていう意味でさ。わかりやすいのでいうと、水は火を消すから火につよいとか、土は水を吸収するから水に強いとか」
「へえ。なんかゲームみたいだな」
「うん、僕もそう思った」
きっちり体系化されているから余計そう思える。優位属性ならダメージ二倍とかよくある話だ。
「でも、こういうのって昔の人の知恵を一生懸命まとめたもので、、それを、ゲームが真似したんだと思うんだ」
実際に、ナニカを見た後じゃ余計にそう思える。いや、そう思いたくなる。
(昔から、ああいうものに立ち向かおうと、分析しようとしてた人がいて、……その人が見つけたものが、これなんだって)
今はそれしか縋るものがないから。僕は神倉くんの前では明るく振舞おうと思っていた。
「名前がわかれば、大体の属性がわかることもあるとおもうんだ。タカキムスビとかだったら木属性かも、とか」
「そうだな」
彼は頷いた。
「俺も、俺を食うかもしんないやつの名前くらいは知っておきたいな」
「神倉くん」
自分がこんなふうに人の名前を呼べるなんてしらなかった。
「食べられないよ。神倉くんは」
「そうだった。悪い」
「………」
神倉くんは僕にずっと協力してくれてるけど、やっぱりその表情にしみついた諦めは取れない。
これを本当の意味で剥がす時があるとしたら、それは儀式を失敗させたときなんだ。
僕は気合をいれて、崩し字アプリとにらめっこをはじめた。
此処ニ御神事之次第ヲ記ス。
十六年一度之祭、期ヲ違フコト無カレ。
天明六年ヨリ数エ十六回行フベシ。
若シ背キ、或ハ怠レバ、
祟リ必至ニシテ、村落悉ク乱ルベシ。
後ノ世ニテ忘レルコトナキヨウ子孫相伝シ語リ継グベシ。
御神事ハ捌月捌日、丑寅ノ刻ニ、此ノ儀ヲ行フベシ。期ヲ違フ時ハ、祟リ免レ難シ。
其処、八堂ノ黒巌ノ前ト定ム。
捧グル者ハ血ノ温ミ未ダ失ハザル者ヲ以テ充ルベシ。
神ノ姿何人モ見コトナカレ。
先ヅ明リ灯シ御名ヲ呼ブベシ。
………
文字は時々欠損していて、想像で補わなければならないことも多い。
でもそんなに難しい文章ではないのが助かった。
書かれた日付を見ると大体百年前に書き写されたものらしい。その前に使っていたものが古くなったので写本したようだった。
(十六年に一度、実施すること。絶対に忘れてはいけないこと。全部で十六回行うこと。八月八日の真夜中に儀式を行うこと。生贄を捧げること、……)
かなり詳しくどうしたらいいのかを書いてくれている本ではあったんだけど、肝心の「誰に捧げるか」「何故捧げるか」と言う処は書いていなかった。
(儀式のマニュアルみたいなものなんだな。初めてやる人でもできるように……)
読み切った後、僕はがっかりした。
せっかく見つけた本なのに、解決に直結するようなことは書いてない。
(……生贄にする人間が決まったら、氏名と住所を書いた紙を例の場所で燃やすこと、っていうのが儀式かあ。なんだか随分簡単だな……)
それだけで人間の運命が決まってしまうのか、と思うけれど、考えてみれば父さんと母さんが離婚するときだって紙切れ一枚の話なんだし、そんなものなのかもしれない。
「あのさ、……神倉くん」
「ん?」
僕と同じものを見ていたから、特に手がかりがなかったことはわかっているはずなのに、神倉くんは僕と違って全然がっかりした様子が無かった。平然としたまま、ペットボトルの水を飲んでいる。
「あの……いやな事聞いちゃうかもしれないんだけど」
「別にいいぜ」
「十年前に、初めてアレと出会った時のことって、他に何か覚えてる?」
手がかりがあるとしたら、あとは神倉くんの記憶に頼ってみたい。夏は日が暮れるのが早くて、僕たちの影は地面に長い染みを作っていた。
「…………」
ペットボトルの蓋を締めてから、神倉くんは遠くを見た。何かを懐かしむみたいに目が細くなる。
「……あんまり覚えてはないんだよな。この間言ったのが全部ってくらいで。夜中に連れ出されて、なんか大勢の大人がいたなって……」
「大勢の大人、って……知ってる人いた?」
「いや……じいさんとか婆さんばっかりだった気がする」
「そっか……」
なんでそんなことをきくのか、と視線で尋ねられてる気がして、僕は答えた。
「村落が祟られる、って書いてあるけど、昔の村ってどこからどこまでだったかわかんないからさ。もし、特定の地域にだけ住んでる人とかだったら、それが手がかりになるかもしれないなっておもって」
「そっか」
神倉くんは軽く頷いた後、視線を伏せた。昔のことを思い出そうとしているんだ、と思ったから、僕は息も潜めて、彼の邪魔をしないようにする。
「……暗かったしやっぱあんまり覚えてねえけど、なんか……なにかを燃やしてた。俺の目の前で」
「……うん」
本に書いてあった、生贄にする人間の氏名と住所を書いた紙を例の場所で燃やすこと、という内容と一致する。新しい情報ではなかったけれど、この本に書いてあった通りのことが行われているっていうことがわかっただけでも進歩だった。
(この本に書いてあることを信じて、……実施しようとしてる人たちがいる、ってことになるもんね)
神倉くんをナニカに捧げて、生贄にしようとする人たち。
この令和の世に信じられないけど、でも、あのナニカを体験してしまったあとでは信じるしかなくなる。
「……そういや、家に帰る時の話なんだけどさ」
「聞かせて」
「どうして俺が死ななきゃいけないの、って聞いたら、……父さんは、最後はうちだって、長老会で決まったことだ、って言ってた気がする」
「……最後……」
僕は本に視線を落とした。それからスマホで西暦を調べる。
(……ここに書いてある、天明六年って、江戸時代で、……西暦に直したら、えーと、一七八六年か。十六年に一度儀式をしたとしたら、十六回目は……)
「……今年だ」
江戸時代から続く生贄の儀式が、大正も明治も、昭和、平成さえ超えてきたんだ。
十六年に一度、全部で十六回行われる生贄の儀式が、今年終わる。
(……神倉くんが犠牲になれば終わるのか。でも、そんな終わらせ方、認められない)
他に方法があるはずだ。ぎゅ、と拳を握り締めた。
「……明日さ、僕、またあそこに行ってみるよ。この間はゆっくり見られなかったけど、何か手がかりがあるかも」
本を調べてわからなかったんだったら、次は実地だ。
「やめとけよ」
神倉くんが珍しく僕を止めた。
「祟られるかも」
「この間行って思ったんだけど、あのあたり、雑草もちゃんと抜かれてたし、建物もきれいだった。多分、誰かがまめに手入れしてるんだと思う」
「………」
「近づくだけで祟られるんだったらそんなことないよね。昼間に行くし、この辺りを掃除しに来ました、って顔でいくから大丈夫だよ」
僕はきっぱりと言った。
「神倉くんが行くから、アレが出てきちゃうのかも。だから僕一人で行くよ」
第一の儀式を経て、神倉くんはアレの獲物になった。自分の食べ物だって思ってるものが食卓に近づいてきたからつい指を伸ばしてしまっただけで。僕一人でいけばそんなことはないはずだ。根拠の薄い直観だったけど、神倉くんは頷いてくれた。
「でも、なんかあったら、直ぐ逃げろよ」
付け加えられた一言がどうしようもなく優しかった。自分の命日を宣告された人が、それなのに他人の僕のことを心配してくれるのは優しさだけじゃない。やっぱり諦めがあるんだと思ったから、僕は奮い立った。
(絶対、何かを見つけよう)
まだ、これだ、っていう必殺技は見つからないけど、でも、僕が大好きなゲームや漫画だって、起死回生の手は最後に見つかるものだ。僕は小さな勇気を握り締めて、絶対にあきらめないことを毎日毎夜誓っていた。



