八月八日に死ぬ君へ


 放課後に友達と寄り道をする。
 そう決まってから、僕は一日中そわそわしていた。テスト後の授業は消化試合みたいなもので先生もどこか気迫が無い。夏休みを目前に既に空気は緩み始めていたけれど、僕はその中でも群を抜いて浮かれていたといっていい。
(すごい、……実績解除だ)
 ゲームのトロフィーを得た気分。
 放課後が来た時、僕は野兎が跳ねるみたいな勢いで神倉くんの席に向かった。
「か、神倉くん」
「おー。行こうぜ」
 神倉くんはちょっと眉をしかめている。
(あ……)
 冷や水を浴びせられたみたいな気持ちになって、足が止まる。
「ご、ごめん。迷惑だった……?」
 楽しみにしていたのは僕だけで、神倉くんはこの思い付きを後悔しているのかも。それだったら突き合せるのは申し訳なさすぎて、確認のつもりで尋ねると、神倉くんは首を横に振った。
「ちげーよ。……なんか、思い出してみたらあんま似てなかったかも。お前がすげー楽しみにしてるけど……期待外れだと思うぜ」
「い、いいんだ」
 僕は声を張り上げた。
「いいんだ、……あの、……」
 推している作品の舞台になったかもしれない場所に行く、というのはもう僕にとってはおまけになっていた。大事なのは、「友達と放課後に寄り道をする」というところ。それを神倉くんに正しく伝えなきゃと思ったから、
「ほ、放課後に寄り道するっていうのが楽しみでさ。僕、いつもまっすぐ家に帰るだけだったから、だから……」
「………」
「それも、……」
 友達と二人で、っていう言葉を付け加えたくて、でもそこまでの勇気はでなかった。
(友達じゃない、って言われたら悲しいし、……重すぎてキモいかもしれないし……)
 嫌な予感ばかり際限なく湧いて出て、ぐるぐると僕の首の周りに巻き付いてくる。息苦しさが耐えきれないものになる前に、
「そっか、じゃあいいけどさ。違っても文句言うなよ」
 神倉くんが軽い一言で、僕の不安を吹き飛ばしてくれた。
「い、言わないよ。絶対言わない」
「じゃーいいけど」
 ほっと胸をなでおろしながら、僕たちは自転車に乗った。
 神倉くんの自転車は錆びもとっていない古びたママチャリで、やっぱりお金持ちの家には見えなかったけれど、僕だって別に最新モデルに乗ってるわけじゃない。物持ちがいい家なんだろうな、と納得させて、僕は好奇心を飲み込んだ。
 いつもとは違う道を、神倉くんの背中を見ながら走るのは楽しかった。神倉くんは僕がついてくるのか確認するために時々振り返ってくれたけれど、それが危なっかしく思えたから、僕は声を張ってどうでもいいことを話し続けた。昨日のアニメ化に対する他の人の反応とか、期待している声優は誰だ、とか。声がきこえれば、僕がついてくるというのがわかるだろう。
 神倉くんが選ぶ道は大抵、東の方に向かっていた。
 ずっと住んでいると思っていた町なのに、脇道に一本逸れただけでまるで知らない町になる。なんだか裏面を見つけたみたいな気分で、好奇心に負けて周囲をきょろきょろ眺めてしまいたくなる衝動を抑え、神倉くんの背中を見ていた。
 僕たちは、太陽に背を向けて走り続けた。神倉くんが案内してくれる場所は、方角で言えば東のほうにあるらしい。
(神倉くんちとは逆方向に行くんだな)
 とぼんやり考える。「いつも行く場所」と神倉君が言っていたから、なんとなく、神倉くんちの近くなんだと思っていた。義父さんの勘違いなのかもしれないとも思ったけれど、悟空なんて名前そうそうあるとは思わない。
 上り坂はちょっとキツかったけれど、すいすいのぼっていく神倉くんに置いて行かれまいと太腿に力をこめて、なんとかついていく。
「ここ」
 神倉くんがようやく自転車を止めてくれた。肩で息をしている僕を見て、
「……大丈夫か?」
 と声をかけてくれるけど、呆れている気がする。
「だ、だいじょうぶ……」
 へら、と笑った後、神倉くんが指さす方向に見て、「わあ」と僕は声をあげた。
 丘に張り付くみたいに蛇行する道路と住宅がある狭間には、見晴らしのいい、小さな公園があった。柵ぎりぎりまで近づいて左右を見回すと、確かに風景は告知動画に似た雰囲気を漂わせていた。
「ほんとに似てる」
 僕はスマホを取り出して、さっそく写真を撮った。それから、動画と目の前の光景と比べてみる。
(………)
 それでわかったんだけど、確かに似てる。
 でも、多分、モデルにはしてない。
 遠くに山が見えるのは同じだけど、稜線は全然重ならないし、右手側に高めのマンションはあるけど色は違うし。動画にある学校も、現実にはない。
 要素だけ取り出せば似てるけど、それだけ、って感じだ。
(たぶん、本当に偶然似ちゃったってだけなんだろうな)
 納得してから神倉くんを見ると、同じことを思ってるのか、ちょっとバツが悪そうな顔をしてた。
(神倉くん、僕ががっかりしてるって思ってるかな)
 それがわかったから、僕は自分が何か言わなきゃいけない、って思った。
「あ」
「……」
「ありがとう、神倉くん。……僕、ここ、はじめてきたよ。神倉君が誘ってくれなかったら、多分ずっと来なかったと思う」
「なにもない場所だから、来なくていいだろ」
「ううん」
 僕は断言した。自分でも驚くくらい、はっきりとした否定だった。
「来てよかった」
「………」
 君と来られて良かったんだ、と言う気持ちをいっぱい込めて言うと、神倉くんは時間をかけて頷いてくれた。
「そっか」
「うん」
「じゃあ、お前を連れてきて良かったよ」
「………」
 神倉くんが寄せてくれた共感の言葉が、僕たちを二人にさせてくれた。他人と同じ感情を共有しているという実感が、僕を足元から頭のてっぺんまでじんわりあったかくさせる。七月の夕方、風は生暖かくて、背中にはじっとり汗をかいていたけれど、ちっとも不快じゃなかった。
 古びた柵に手をついてパノラマの風景を楽しむ。
 車が走るエンジン音、どこかの家で遊ぶ子供の声。
 なにげないものが特別になっていく瞬間を味わったあと、僕は直ぐ近くに建ててある石板に気づいた。彫り込まれた文字を目で追うと、このあたりには古墳があって、ここはその記念公園らしい。青銅の剣が埋葬されており、豪族の墓とみられるという。
「へえ、ここって古墳あったんだ。昔から人が住んでたんだねえ」
「ん」
 神倉くんが頷いてくれて、それが会話の始まりになった。
「ここ、よく来るの?」
「ん。毎日」
「毎日?」
「時間潰すにはいいから。あんまり人来ねえし」
「そっか」
 確かに、おいてある遊具は滑り台とペンキのはげたパンダだけ。子供が遊ぶには物足りないし、坂を下ったところにブランコもあるもうちょっと立派な公園があったから、近所に住む人もそっちに流れてしまうのかもしれない。通りかかる人は犬の散歩をする人くらいで、僕たちのことは透明人間であるみたいに視線も合わない。
「………」
 風になびく神倉くんの髪を横目で確認して、僕はすう、と息を吸い込んだ。
 今なら言えるかもしれない。
 僕は、思い切って言った。
「あ、あのさ。夏休みが来たらさ。一緒に……遊びに、行かない? 今日みたいに」
「………」
「えっと、僕のお父さんが町内会の会長やってて、それで夏祭りの運営みたいなこともやるらしくて、それに、と、友達を誘って来たらどうだって」
 友達、という単語を口にするとき、今まで生きてきた中で一番緊張した。そして、怖れていたようなことにはならなかった。
「いつあんの」
「………」
 友達、と呼んでしまったことを否定されなかった。踊り出したい気分をぐっとこらえて、僕は答えた。
 神倉くんのお父さんも長老会の会長さんとしてかかわっているって聞いたから、もしかしたら知っているかもしれないと思ったけど、神倉くんはなんにも知らないみたいだ。
「八月の九日だよ」
 僕が教えると、彼は唇を奇妙に釣り上げた。まるで温かみのない、ゆがみとしか言えない笑みだった。
「無理だ。俺、もう死んでるよ」
「………」
 僕は絶句した。断られるにしたって、そんな断られ方をするなんて思っていなかった。
 夕焼けが、神倉くんの頬に赤みを与えている。いつもと変わらない口調で、彼は死を容易く口にした。
「言っただろ。俺、八月八日に死ぬんだよ」
「………」
 神倉くんは、嘘は言わない。僕は信じたい気持ちと信じがたい気持ちを半々に抱えたまま、
「そ、それ……本当なの?」
 思わずそう尋ねていた。
「信じなくていい」
 神倉くんの口調はいつも通りそっけなかったけど、そこには確かな失望の影があった。僕は挽回のために声を張り上げた。
「し、信じるよ。信じてる、神倉くんは嘘なんかつかない、って」
「………」
「で、でも……な、なんで?」
 僕の戸惑いをかたちにすれば、それはたった一言になる。
「病気……、とか、じゃ、ないよね?」
 もしそうだとして、日付までしっかり事前にわかるってことがあるだろうか。案の定、神倉くんはつんと尖らせた唇で答えた。
「ちがう」
「………」
 かたまりになった息をなんとか飲み込むと、胃のなかに大きな石がごろごろ転がっているような違和感から離れられなくなった。
(じゃ、じゃあ……病気じゃなくて、自分がいつ死ぬかわかってるって、それ、……それって)
 考えたくない。考えたくないけど、答えは一つだ。
 柵に頬杖をついて遠くを眺めている神倉くんが、そこから今にも飛び降りてしまう、そんな幻覚を見た。
 軽やかな足取りで死を恐れず、墜落していってしまう気なんじゃないか。
 そう思った時、僕は手を伸ばして、神倉くんの服の裾をぎゅうと掴んでいた。迷子の子供がようやく母親を見つけた時のような切実さを込めて。
「………」
「………ぼ、僕は、神倉くんがいなくなったら、いやだよ。だから、……あの、じ、自殺なんて」
「自殺なんかしねえよ」
 決死の覚悟でなんとか思いとどまらせようとする僕に、神倉くんは落ち着いた声で答えてくれる。僕はまだ彼の服を掴んだままだけど、骨が白く浮き出るくらい力がこもっている手をちらりと見下ろしただけで、なんとも思ってないみたいだった。
「じゃあ、なんで」
「………」
 神倉くんは遠くをみたまま、何度も繰り返し見て内容を覚えている映画を見ている時みたいな、退屈しきった声で言った。
「……言っても信じねえだろ」
「信じるよ」
 僕は同じ言葉を繰り返した。
「絶対信じる、……信じてる。神倉くんが言ったことなら、僕、……」
「………」
「ち、誓うよ。嘘だなんてぜったい言わないって。約束する」
 信じる。誓う。約束する。
 言葉で追いすがっても、神倉くんの態度は変わらなかった。いつも通り、他人を寄せ付けない飄々とした態度のまま、
「だめだ」
「なんで」
 責めたわけじゃなかった。なんで、っていう言葉は理由を問うていたけど、それはかたちだけで、僕はなんとなく神倉くんがそういうのがわかっていた気がする。
(……僕が、信じられる人間じゃないからだ)
 神倉くんに信じて貰えるような人間じゃないから。そんな価値も、能力もない人間だから。
(ぜんぶ、僕のせいだ)
 無力感が指先まで満ちていく。神倉くんの服から手を離した。ほんの一歩、大きく足を踏み出せばくっつけるくらい近くても、そんなことは絶対にできない。ここが僕の限界なんだろうな、と思うと悲しくて、目頭が熱くなる。
 僕が誰かに信じて貰えたりなんて、きっと一生叶わない。御伽噺なんだ。
「……ごめん」
 僕にできるのは、せめて周りの人を不快にさせないように謝って、身体をちっちゃく縮こまらせて、まるでここにいないみたいに振舞うことだけ。
 神倉くんの前でもそうしなければならないのは辛かったけど、でもそれが当然なんだ。そうじゃないかもっておもってたのは勘違いで。
 ああ、でも、せめてずっと勘違いしていたかったな。
 僕が俯くと、神倉くんが呟いた。
「なんでお前が謝るんだよ」
「だ、だって、……僕のこと信じてなんて、無茶な事言っちゃったから……」
「………」
「僕は、……び、ビビリだし、何もできなくて、みっともないばっかで、それなのに、……信じてなんて、無理だよね。ごめん」
 神倉くんは左手は柵においたまま、身体の正面を僕に向けた。
 風が制服を神倉くんに押し付けると、骨まで透けて見えるような体の輪郭が露わになる。その細い体のどこにそんな力があるんだろう、って思うくらいはっきりとした声だった。
「違う。お前のせいじゃない」
「……でも、」
「これは俺が、……俺が臆病だからだ」
 自分の弱さを吐き出す時でさえ、神倉くんは堂々としていた。それが謙遜でないことはひどく歪んだ眉毛が教えてくれた。言葉自体に苦みがあるみたいに苦しみながら、彼はゆっくりと言った。
「お前にうそつきって言われたら、死ぬのが怖くなる」
「……絶対言わないよ」
 僕は同じ言葉を繰り返した。説得力が必要だけど、僕にはその力が無いと思った時、ひときわつよい風が吹いた。神倉くんが男にしては長い髪をかき上げたけど、幾筋かの髪は指先から漏れて、それが顔にできた罅割れみたいに見えた。
(どうしよう、……何を言えば信じてもらえるんだろう)
 壊れかけている彼に届く言葉はなんだろうと考えた時、ポケットの硬い感触を思い出した。
 父さんからもらったキーホルダー。真鍮の短剣を取り出して、神倉くんに見せる。
「あ、あのさ、これ……覚えてる? 僕たちがはじめて話した時のこと」
「………」
 彼は、唇の動きだけで「覚えてる」と言った。
「これ、人に見せるの、はじめてだったんだ。だって、なんか、……おかしいよね、僕たちもう高校生なのに、こんなのが宝物だって言ったらさ、……僕だってそれはわかってるんだ」
「………」
「か、神倉くんは、僕がこれをみせたとき、……こどもっぽいとか、懐かしいとかって馬鹿にしないでいてくれたよね」
 人は人の大切なものを軽んじてしまうことができる。まだ大切にしておきたいと僕が思っていてもお構いなしに。
 キーホルダーを子供っぽいと言った同級生に悪意はなかった。父さんのものを捨てた母さんだって、そうしなきゃ未練が残ると思ったから、良かれと思ってそうやったんだ。
 そこに悪意が無いから、よかれとおもってのことだから、僕は誰にも文句を言ったりしちゃいけないんだと思ってた。
 でも本当は、いやだった。
「僕は、うれしかったんだ、……本当にうれしかった」
 神倉くんは、他人の感情と自分の感情の間に差があるということに直ぐ気づく。でも、そこに差があると思うだけで、評価したりしない。僕が感じたことを感じた時の大きさで認めてくれて、どうしてそう思ったんだ、って聞いてくれる。
 自分の考えが他人とは違うんじゃないか、浮いてるんじゃないかってことにいつも怯えてびくびくしてる僕にとっては、神倉くんみたいな人がいるっていうことが嬉しかったんだ。
 神倉くんのおかげで、僕はずっと息苦しかったんだ、ってことに気づけた。
 そんな人と友達になれて嬉しかった。
 彼の隣なら僕は深呼吸ができる。
「君のいうことを信じるよ、嘘だって言ってほしくないなら、絶対、絶対言わないよ。……だから、どうして、八月八日に死ぬって思ってるのか、教えてほしいんだ」
 おねがい、と僕は呟いた。
「………」
 神倉くんは僕を見据えた。本当だって信じてもらうために、僕も視線をそらさなかった。人と見つめ合うのは本当に苦手だ。他人の瞳に自分の姿を見つけると、直視してはいけないものを突き付けられている気分になる。でも、今はそこから目をそらしたいという衝動に耐えた。神倉くんがそう望んでくれているって思えたから。
「………じゃあ、見せてやるよ」
 僕にとっては永遠と思える長い沈黙だったけれど、実際は風が二つか三つ吹き終わる程度の時間だっただろう。
 神倉くんはぽつりと呟いた。そして、踵を返して歩き出す。
「え、えっ……」
(見せてやるって、何を?)
 そう尋ねたかったけれど、尋ねられる雰囲気じゃない。
「お前も見られるかはわかんねえけど。他のやつに見せたことないからさ」
「う、うん」
 わけもわからず僕は頷いた。自転車にまたがった彼のあとを追う。
 夏の日の入りはまだ遠かった。夕暮れの中を走る彼の横顔は張りつめていて、僕はごくりと唾をのんだ。