「ただいま」
「あ、おかえり、誠司!」
帰宅して母さんの声がするリビングに踏み込む。お客さんが来ていることに気づいた。母さんお気に入りのソファに座って、二人でお茶を飲んでいたらしい。いつものことだ。
僕の母親はかなり社交的な性格で、こうして友達と一緒に茶飲み話をするのが珍しくなかった。この人からどうして僕みたいな陰キャが生まれたのかって、間違いなく父さんの遺伝だと思う。一緒に暮らしている時、父さんが仕事以外で出かけてるところを見たことが無かった。
母さんの交際範囲は学生時代の友人から一瞬スーパーでパートをしていた時の同僚まで幅広いんだけど、今日来ているのはご近所さんだった。たまたま公園かなにかで意気投合したらしい。知らない人とすぐに打ち解けて、家に遊びに来あうような仲になるなんて、ほとんど特殊能力だ。素直に羨ましい。僕には一生できそうもない。
「学校どうだった? 今日も真っ直ぐ帰ってきたの? 友達できたの?」
矢継ぎ早に繰り出される質問に苦笑する。中学の時、僕に一人も友人が出来なかったことを誰よりも心配してくれたは母親だった。友達できたよ、といっても信じて貰えないらしくて、毎日同じことを聞かれている。
「やっぱりバスケ部とか入ったほうがよかったのじゃないの?」
どこからこたえるか考えているうちに、そんな提案までされて困ってしまった。
僕が体育会系の部活に入れるわけがない、ということくらいはわかって欲しいんだけど。
「だから、友達はいるよ、……今日も一緒におひるごはん食べたし」
お弁当を洗うのは僕の仕事だ。僕は母親の友人に会釈してからシンクに向かう。
「友達がいるんなら、たまには寄り道して帰ってきたらいいじゃない」
「えーと………」
まだ質問したりないらしい母親を、曖昧な笑顔でやり過ごす。母さんには結局、これが一番効く。真面目にこたえたところで、母さんが望む正解を言うまで質問は終わらないんだから。
すると、母さんはようやく目の前の友人の存在を思い出したらしく、姿勢を戻した。
「ごめんね、うちの子のこと心配で」
「いいのよー。誠司くん、いい子なのにねー」
「…………」
僕が知らない間に僕の知らない人に僕の話が伝わってる。いつものことだけど居心地は悪いので、急いでお弁当を洗った。
(たぶん、幼稚園の時に、母さんに折り紙で花束作ってあげた話とかしてるんだろうなあ……)
母さんお気に入りのエピソードは、何度も聞かされてきたせいで本当にそういうことがあったのか母さんからの刷り込みなのかわからなくなっている。
彼女たちの関心が直ぐ別に流れていくのは学習済みだから、苦笑しつつも息をひそめてやり過ごした。
「それで、予定日いつ?」
聞きなれない単語にちょっと横目で見ると、お客さんのお腹は大きく膨らんでいた。
(あ。赤ちゃんいるんだ……おめでとうございますくらい言っておけばよかったかな)
最初に気づいていればスムーズに口にできたかもしれないけど、今更だ。心に積み重なっていく小さな後悔のブロックがまた増えてしまった。
「来月。本当は、うちは一人で精いっぱいって思ってたんだけどねー。お義母さんがどうしてもっていうし、旦那もあと一人くらいいいじゃないかなんていってね。一人育てるのも二人育てるのも一緒だろって、大違いよね」
「そうよねえ。でも、あなた子ども好きじゃないの。きっと生まれたら楽しいわよ。男の子なんでしょ?」
「そうそう。息子育てるのは楽しみなのよねえ。従妹の子が今三歳だから、使わなくなったおもちゃとか色々譲ってくれるって」
「ああ、助かるわよねえ。うちのも残ってたらいいんだけど、もう捨てちゃったのよねえ」
「いいのよお、こうやって話聞いてくれるだけで。お義母さんがこの間出産祝い持って来てくれたのよ。新恵の時は名前は絶対これにしなさい! って言われたんだけど、今度の子はそんなことないみたい」
「あら、新恵ちゃんの名前っておばあちゃんが決めたの?」
「そうなのよお。画数がいいとか何とか言ってたし、旦那も良いんじゃないかっていうし、新しい恵み、って、まあいい意味じゃない? いいかなって思ったんだけど、この子は自分で名前考えたいって思ってたからよかったわあ」
世間話はいつまでも尽きることがない。僕はきれいになったお弁当箱を水きり台において、ぺこりと二人に頭を下げると、急いで自室に戻った。
いつもなら宿題をするんだけど、今日は鞄も机に置きっぱなしにして、僕はスマホを取り出した。
(……今日、「血契の双刃」の更新日だ)
いそいそと漫画アプリを起動する。
前から好きだった漫画だけど、登場人物のタニツグが神倉くんに似ていると気づいてから、余計熱心に応援するようになっていた。
特定の登場人物に入れ込んで読むタイプではなかったはずなんだけど、タニツグについては初めての「推し」っていうのか、そういうのを味わっている。
(先週、タニツグが戦場に乱入するところで終わってたんだよね。主人公と違ってタニツグは普通の人間なんだから、戦ったりできないはずなのに……)
初めての「推し」がピンチ、みたいなシチュエーションにどきどきしながら、溜めていたチケットを使って、最新話のサムネイルをタップした。
――――俺もお前と一緒に戦うって言っただろ?
(え、……え!)
驚いてしまって、読み進める指が止まる。
――――俺だって、お前と同じ場所に行けるんだ。
タニツグが異形と化した腕を振りかぶる。
自ら鬼の力を手に入れた親友を見て、愕然とする主人公が剣を取り落とすシーンで最新話は終わっていた。
(え、えー……! アツい……けど、でも、……これっていいの? よくないよ……ね?)
主人公は鬼の力を持つことで苦しんできた。異形の力を隠して、否定して、見ないふりをして、でも周囲がそれを許してくれなくて、仕方なく戦場に身を委ねて来た。何度見返しても、最後のコマは殺し合いに親友を巻き込んでしまったことに罪悪感を覚えたように読み取れる。
(うん、……そうだよね。だって、すごく大事な友達なんだったら、自分と同じひどい目には合ってほしくないって、……そう思うよね)
(えー、………でも、鬼になっちゃったらもう元には戻れないんだし………)
(これからどうなっちゃうんだろう?)
今後の話の展開に思いを巡らせてみる。戦いという意味では二人で戦うことになるのは良い事だと思うのだが、これから二人で戦おう! ありがとう! みたいな展開にはならないんだろうな、と思っていると、最終ページのあとに、さらに告知ページが続いていることに気づいた。
(……ん?)
なにげなくスワイプしてみると、「祝・アニメ化!」の文字が目に飛び込んでくる。
「えっ!」
今日二回目の驚きだ。リンクをタップすると、公式SNSアカウントがアップしたプロモーション動画が再生された。
舞台となる地方都市を高台から見下ろすアングルから始まり、遠くに見えていた学校を素早くズームインしていくと、屋上に主人公が立っている。隣にいるタニツグと談笑していた彼が、ふと自分の右手を見下ろすと、急に世界がモノクロになってしまう。色がついているのは手を汚す血の赤だけだ。主人公が顔を上げるとそこに目映い光がある、というところでタイトルロゴが表示される。
十五秒程度の短い動画だったけど、興奮した僕は五回は見た。
(うわー、……アニメかあ。すごい。今年の秋……絶対見なきゃ)
アニメから知って漫画を読むようになったことはあったけど、応援している漫画がアニメ化されるのは初めてかもしれない。
(すごいすごい。嬉しいな……)
なんだか自分事のように嬉しく感じてベッドの上を転がっていると、部屋の扉が、こんこん、と小さく二回たたかれた。
母さんなら、こんな遠慮がちになったりしない。
弾かれたみたいに立ち上がって、自らドアを開けに行った。
「はい」
「あ……誠司くん」
思った通り、そこに義父さんが立っていた。
浮かべられた笑みは温和だが、自然に湧き出たものではない。僕も似たことをやってしまうからわかるんだけど、それは「自分はあなたに敵意が無い」ということを示すシグナルに過ぎなかった。
「夕飯の支度が出来たから、呼びにきたんだ。……えーっと、宿題の邪魔しちゃったかな」
「ううん、あの、……ありがとう」
ありがとうございます、と言いたいところだが、敬語を使うと義父は寂しそうにするし、母親は他人行儀だと言って怒る。慎重に言葉を選んで答えた。心の距離と違う言葉を口にすると、窮屈な靴を履かされたみたいに苦しくなる。それを誤魔化すために笑って、二人でリビングに向かった。
「お母さんから聞いたんだけど、友達ができたんだって?」
「あ……、はい」
僕と彼の間には、圧倒的に日常会話が足りない。
見知らぬ他人同士から家族になってまだ一年なのだ。でも、義父さんが努力して関係性を築こうとしてくれているのはわかっていた。
(迷惑だ、……なんて、いっちゃいけないよね)
同じ家に暮らしてるんだし、これから家族になるんだし。そう理性ではわかっていたので、僕は真剣な顔をして頷いた。この人と一緒に暮らすようになって一年、いつまでこのぎこちなさを許してもらえるのかわからない。母さんはもっと僕を叱りつけたいはずだけど、それをこの人が庇ってくれているのを知っていた。だから、優しい人なんだ。僕は歩み寄る努力をしなければならない。息を吸い込んで、彼の言葉に意識を傾けた。
「神倉くんって言う子で、……僕と同じで部活には入ってない」
「神倉悟空くんか?」
「え。うん。知ってるの?」
僕が尋ね返すと、彼は嬉しそうに笑った。僕との会話が続いていることに喜びを感じる、そういう素朴な人だった。
「あれだろ。中三町のほうにおっきいお屋敷のある」
「ああ……」
僕は頷きながら、内心で首をひねった。
(大きいお屋敷……?)
僕の知ってる神倉くんは、いつもおひるごはんはパン一つだけで、やせっぽっちで。
学校に持ってくるものも最低限って感じのシャーペンとノートだけだったし、正直言ってあんまりお金のない家なのかな、って思っていたのだ。スマホも数年前の型で、カバーもつけてないし、ほとんど充電もしてないって言ってた。
だから、大きいお屋敷、っていうのがなんだか印象に合わない。
(……単純に小食なのかな?)
自分の考えにふける前に、義父さんが質問を重ねて来る。
「じゃあ、夏休みは神倉さんちの子とどこか遊びに行く約束でもしたのか?」
「え? えーと……それは……まだだけど」
今は七月。試験が終わって、そろそろ夏休みだ。
でも、僕と神倉くんの間には何の約束もなかった。
(友達と遊ぶって、……なにするんだろ? お買い物とか、……カラオケとか?)
普通の友達同士ならそういうこともあるんだろうな。
義父さんに言われるまで、そんなこと思いつきもしなかった自分にびっくりする。
(……いきたいな、神倉くんとなら、どこでも。……どこか好きな場所とかあるかな、映画とか……?)
映画館も買い物もカラオケも、電車に乗ってちょっと大きな町に行かないとない。だったら駅で待ち合わせして、二人で電車に乗って。そんなことを考えるだけで夢見心地になっている僕を引き戻したのは、義父さんの誘いだった。
「決まってないなら、来月の夏祭りに誘ってみるのはどうだ? お父さん、今町内会の会長やってるだろ。せっかく準備してるから」
「ああ……」
義父さんが町内会の会長をやっている、というのは母さんから聞いていた。持ち回りとはいうものの、ほとんど押し付けられたようなものらしい。なにせ、義父さんは母さんと再婚をして、一年前にこの街に引っ越してきたばかりなのだ。誰もやりたがらない面倒な仕事を断り切れなかったことに母親は憤慨していた。今どき連絡方法が回覧板で、住所録も手描きのノート。メールはおろか、オンライン会議もできないような町内会の会長なんて大変よ、と。でも彼は、この街に早くなじむには都合がいいよ、といって微笑んでいた。本当に母さんとは正反対な穏やかな人で、だからこそ上手くやっていけそうな人だな、と思ったのを覚えている。
(……父さんよりも優しいのかな)
時々そう考えてしまうことがある。
どうして本当の父さんのままじゃだめだったんだろう、って。
(……聞けるわけないんだけどさ)
ふう、とため息をつくと、彼は露骨に不安そうな顔になった。僕はあわてて笑顔を取り繕い、
「そうだよね。会長さんやってて、……すごいよね。大変そうだけど、……」
僕しては精いっぱいの褒め言葉を選んだつもりだった。義父さんは僕の気持ちを両手で掬いとるような笑顔で、
「いやあ」
と照れたあと、
「でも、別にすごくはないんだよ。町内会とは別に、長老会っていうのがあってね。そこで大事なことは色々決めてくれるから、実際の取りまとめしかやることはないんだ」
「それだけでも、すごく大変そうだよ」
「はは。ありがとう。今の長老会の会長は、神倉さんちなんだよ。なんだか縁があるね」
「そうなんだ」
町内会会長の息子の僕と、長老会会長の息子の神倉くん。確かにならべてみたら、なんだか縁があるのかも。僕が喜んだのがわかったんだろう、義父さんは自信のある声で誘いを重ねた。
「義父さんたちが色々頑張って準備しているから、誘って、一緒に来るといいよ」
「うん、……」
僕は、夏祭りの様子を想像してみた。
(二人で地元のお祭りに行って、たこ焼きか何かを食べたりして? 後は何だろ、……射的とかあるのかな? それも義父さんに聞いたら教えてもらえるんだろうな)
(……神倉くんって、そういうの、楽しいかな?)
その時ふと、
(僕って、神倉くんのことなにもしらないな)
灰色の不安が僕の胸を満たした。
(……大きなお屋敷に住んでるってのも知らなかったし。お父さんのこととかも、全然……)
母親には強がって「友達だ」と言っているが、はっきりと確認したことはないし、休みの日にでかけたこともない。
(友達だと思ってるの、僕だけだったらどうしよう)
学校の休み時間、どうしようもない空白を埋めるには都合の良い存在、としか思われていない可能性もある。大いにある。
「………」
「………」
自分の想像に自分で落ち込んでいると、義父さんが不安そうにこっちを見ていることに気づいた。
(あ……いけない)
「えっと、……うん。誘ってみるよ。夏祭りっていつだっけ?」
義父さんには弱いところを見せられない。そう思ったから、話を前向きに考えているということを示すために、具体的な質問をひねり出すとすぐに教えて貰えた。
「今年は、八月九日だよ」
「九日……」
――――俺、八月八日に死ぬんだよ。そう決まってんの。
僕はその時、初対面の時に神倉くんが言っていた、あやしげな「設定」を思い出した。
(いや、でも……あれは神倉くんの思い込みだもんね)
普段接していて、神倉くんが死に至るほど追い詰められていると感じたことはない。いつも飄々としているし、身体もいたって健康だ。
自分達くらいの年で、「若くして死ぬ」と言う妄想を抱くのはごくありふれたことだ。真面目に心配するようなことではない。そのはずだ。
(……そうだよね)
「わかった。今度、聞いてみるよ」
僕は明るく言って、親子のなりそこないの会話を終わらせた。



