神倉くんが目覚めたのは三日後だった。僕は夏休みであることをいいことに面会時間が許す限り病室に通っていたから、彼が目覚める瞬間に立ち会うことが出来た。
「………ん………」
「あ、……起きた?」
「俺………」
僕はベッドの隣に座った。お医者様を呼ばなくちゃいけない。でも、その前に彼が知りたいと思うことに答えなきゃいけない。そしてそれが出来るのは僕だけだ。
「………日野? ……俺、……食われて……」
「思い出さなくていいよ」
僕は、僕を突き飛ばして自分だけが死のうとした彼のことを、僕を独りぼっちにしようとした彼のことを、責めようとは思わなかった。あの時僕は彼の代わりに死んでもいいと思っていたし、僕たちは似た者同士だった。別に死にたいわけじゃないけど、相手が死ぬよりは自分が死ぬ方がマシだって思えちゃうところが。
だとしても、真実は僕だけの秘密にしておかなけばならない。その覚悟ができていたから、僕の心は凪いでいた。
「あの後……何が起きたんだ?」
「…………」
僕は黙って、ベッド脇の小さなサイドテーブル、その引き出しを開けた。中には、儀式の直前に僕が彼に渡したお守りたちが入っている。
「儀式は失敗したんだ」
「え?」
「君が飲み込まれた後、暫くして……あの黒い岩が光り輝いて……気づいたら、君が戻ってた。飲み込まれずに済んだんだよ。あたりにこのお守りが散らばってて……この中のどれかが効いたんじゃないかな。どれが効いたのかわからないけど………」
「………お前の言ってたみたいに……属性的に相性悪いのがあったってことか?」
「そう……なんじゃないかな。アイツにとって、毒に近いものがあったのかも」
「そっか………」
彼はまだ、自分が助かったという実感が薄いようだった。
「でも、……その代わりに、……町中で、行方不明者が出てる」
「え」
彼は目を見開いた。僕はスマホを取り出して、何通も届いている防災メールを見せた。
―――町内で行方不明の六十代男性………
―――町内で行方不明の八十代男性………
―――町内で行方不明の六十代女性………
八通くらいはあるだろうか。その数に彼は絶句していたが、僕はこれでも全部でないことを知っていた。
「………僕のお父さんが、町内会の会長してるって言ったよね。それで知ったんだけど、この人たちみんな、……長老会の人たちだったんだ」
「………それって………」
「ここから先は、推測なんだけど」
僕は、まるでショックを受けている人みたいに声を震わせて、彼に語り掛けた。
「きっとこの人たちは、……君に、生贄の呪いをかけた人たちなんじゃないかな。君にかけた呪いが弾かれて、……呪い返しをうけたんだ」
「じゃあ」
神倉くんは震える声で言った。
「……俺の代わりにこの人たちが……死んだのか?」
「たぶん……」
「………」
彼はうめき声をあげた。胸を締め上げられているかのように前かがみになり、目を瞑る。僕は、彼が動揺を噛みしめるのをじっと見つめていた。彼が喜ばないのはわかっていた気がした。言いにくいことは最初に言っておいたほうがいい。僕はよくよく考えた上での発言と印象付けるために少し間を取ってから呟いた。
「…………この中に、君のお父さんもいる」
「…………そうだよな、…………」
彼は苦しそうに言った。
「そりゃそうだよな、………そうだ、………」
彼は頭を抱えた。
出会ってから今までずっと彼が抱えていたある種のあきらめのようなものを手放して、その代わりに入り込んできたのが悲しみであるように見えるのがつらかった。だから、
「君のせいじゃない」
僕はきっぱりと言った。
「君のせいじゃない、……君は、最初から、呪われていただけの被害者なんだから。これは僕がやったことなんだ」
「ちがう」
彼は首を横に振った。
「それは違う、……俺が、助かりたいと思った、……死にたくないって。それでお前を巻き込んだんだ」
「君が巻き込んだんじゃなくて、僕が自分からまきこまれに行ったんだ。巻き込んでほしいってお願いしたから、……それに、死にたくないって思うのは悪い事じゃない」
彼の罪悪感が少しでも薄まるように、僕は繰り返した。
「………悪い」
彼は自分の苦しみを飲み込む前から、僕の心配をした。表情を歪ませたまま、申し訳なさそうに声を振り絞る。
「お前に、……お前のおかげで、……生きていられるんだよな。なのに、俺のせいで、死んだ人がいて……」
「………」
「これで、……これで良かったって、……思えなくて……」
苦しみを見つける技術のことを優しさと呼ぶのかもしれない、と僕は思った。僕の知りうる限り一番優しい人間である彼は、あらゆるところに苦しみを見出している。
自分の代わりに死んでしまった人たちの命に。自分が生きていることを喜べないことを僕に知られてしまったことに。
誰が一番悪いんだろう。彼を生贄にした人たちか。その人たちを全員生贄に捧げて彼を取り戻した僕か。そもそも、こんな契約を始めた大昔の人たちか。
でも少なくとも、彼ではないはずだ。
僕は根気強く語り掛けた。
「……僕が諦めてたら、何もしなかったら、……神倉くんは死んじゃってて……この人たちは生きていられたんだよね。もしかしたら……その方が正しかったのかな、って、僕も………ちょっとだけ思ってる。僕のしたことは、間違いなんだって……」
「…………」
ベッドの傍に寄せた椅子に座ったまま、僕は丸まった彼の背中に手を伸ばした。でも、触れる資格がない気がして、直ぐにその手をおろす。
「……でも、これだけははっきりわかってる。神倉くんは被害者だよ。ちっちゃいころに勝手に生贄にさせられて、自分が死ぬんだってことばっか考えて生きてこさせられて、……被害者のままでいられたら、君はきっと、……苦しまないでいられたんだよね」
わかっている、と僕は言った。わかってる。
優越感にひたって、人をゆるすのが大好きな偽善者だってこの世にはいる。一人ぼっちの僕に同情して、気紛れに話しかけて、それで自分が「いい人」になった気になって満足する。彼らはよく被害者になりたがる。そこには罪がないからだ。相手を敵だと言って安全な場所から責め立てるのにちょうどいい場所が欲しいからだ。
でも、神倉くんは違う。彼は真実、生まれながらの被害者だった。人身御供として生まれて、死ぬことを運命づけられて、そんな自分を受け入れてしまえていた。
そんな彼を、僕が引き留めてしまったんだ。
僕がいなければ、彼はきれいなままでいられたんだろうな。
でも。
「加害者になってでも、君に生きてほしかった」
僕は俯いた。僕の醜さをさらけ出すのは怖かったけれど、彼に許されたいという気持ちに勝てなかった。
「僕は、君がいなかったら独りぼっちだから」
「…………」
「僕と一緒に、間違えてほしかったんだ」
言うべきことを言ってしまうと、沈黙が長引くたび、血管の中で血が凍っていくのがわかった。
僕がしたことの全てを言うことはできない。それでも、彼の友達でいたい。
その途方もない願い事を捨てきれなかった。祈る相手を失った僕が視線で縋りつくと、僕の神様みたいな彼も僕を見つめた。
その唇に微笑みの幻が漂った気がした時、彼は手を伸ばして、僕の服の裾を掴んだ。
「……ここ」
「え?」
「ボタン取れてる。どうしたんだよ」
言われて初めて気が付いた。洗いざらしのシャツのボタンが、一つとれている。
「え? ……ほんとだ」
「縫ってやろうか」
「え、神倉くん、できるの?」
彼を侮ったわけではなくて、ただ、裁縫というのが僕にも縁遠いものだったから尋ねたのだ。彼はぼんやりとした口調で、
「わかんねえけど……」
と言った。
「……へたくそでも当然だって、お前が思ってくれるんだったら……」
「………」
「やったことないこととか、行けなかった場所とか、お前が一緒にやってくれるならさ……」
窓からまぶしい日差しが差し込み、彼を光輪の内側に囲んだ。僕の背中が作る薄い影も彼には届かない。光輝く輪郭の中で微笑んでいる彼は、ただ単純に幸福な少年には見えなかった。それでも、目は光輝いていて、そこには僕が写っていた。
「……ありがとな、日野、………」
僕たちの間には、とりとめもない予感と希望とがあった。
それは生まれたててで、つかめないほど遠くにあったけれど、でも確かに存在していた。
「………うん」
僕は頷いた。
僕たちは長い間見つめ合っていた。ふと正気に戻るタイミングも同じで、照れ恥ずかしそうに笑う彼が年相応に幼く見えることを僕は初めて知った。
「外、眩しいね。カーテン閉めるよ」
窓際に近寄ると、病室の真下に、國本さんがいた。彼は僕をまともに見据えた。鋼の刀を喉元に突きつけられるような鋭い視線だった。
僕はちょっと微笑んで、それからカーテンをぴしゃりと閉めた。



