八月八日に死ぬ君へ


 四月、新入生ばかりの教室はにぎやかだ。
 ただし、僕の周り以外は。
(ああ……どうしよう。もうグループできちゃってるみたい)
 昨日、話しかけてくれた上田くんのほうをちらりと見てみるけど、他のクラスメイトとのお喋りに夢中で見向きもされない。
(「一緒にバスケ部見に行こうぜ」……って誘ってくれたんだけどな。でも、……)
 昨日の体験入部で、運痴っぷりにほとほと呆れられてしまったらしい。今日はもう声を掛けても貰えないみたいだ。
(……未経験でもいいって言ってたのになあ)
 僕だって、自分が運動に向いてないことくらい知っている。昨日熱心に誘ってもらった時も、「運動できない」「したことない」って何度も言ったのに、日野は背が高いんだから、ゴール下で手を伸ばしてるだけでいいからとかなんとか言われて押し切られてしまった。ボールが飛んでくるだけで身がすくむ僕には向いてない、ってちゃんと具体的に説明すればよかった。確かに僕の身長は185センチあるけど、動けないから障害物以上のものにはなれないよ、ゲームしたりマンガ読んだりしてるだけのオタクだよ、って。
(でも、……友達になってくれるかも、って思っちゃって)
 断りきれなかった。そんな自分のことを、優しい人間だとは思えない。これはただの優柔不断だ。
(……でもどうしよう。結局仲良くなれなかったし……)
 僕に残ったのは、入学式から三日経ったのに、「おはよう」と気軽に言える相手すらまだできていない、という事実だ。
 膝の上で拳を握り締める。
 こんなはずじゃなかったのに。
 上田くんは多分もう友達になってもらえない。
 前の席の藤原くんは同じ中学の面子で早々に「俺たちは友達」感を出していて、今更話しかけるなんてことできない。
 隣の佐藤くんは別のクラスに遊びに行ってしまった。僕が座っている席を中心に、ぐるりと八つの席が空いている。無人島に取り残された人の気分。
(一人でいい、……友達が欲しい)
 このままじゃ、ずっと一人でいることになる。放っておいても事態がよくならないのは、中学で学習済みだ。
「………」
 考えるとどんどん怖くなってきた。冷たい風で撫でられたみたいに、背筋が震える。
 小学校でも中学校でも、僕はずっと一人だった。
 イジメられてたとか、そういうんじゃない。脅されたり殴られたり、そんなことは一回もなかった。
 ただ、どうしても同級生の輪にいれてもらえなかっただけ。
 僕と話してても、みんな退屈しちゃうみたいだ。
 頑張って話しかけても、お前は何かズレているんんだ、異物なんだぞ、っていう目で見つめられ続けるだけだし、それだったら一人でいるほうが誰にも迷惑かけずに済むから、って、ずっと黙ってるようになった。登校してから下校まで誰とも話さないなんてことはしょっちゅうだ。
(僕って本当、つまらないやつなんだろうな。……きっと覚えても貰えてない、……途中で二回、名字も変わっちゃったし)
 中一の時に両親が離婚して、中三の時に母さんが再婚した。
 二回も名字が変わるなんてあんまりないと思うんだけど、それすら全然目立たなかった。目立たないっていうか、気づかれてない、って感じかな。教室の空気と書いて日野誠司と読むんじゃないかって思えるくらい。
(……名字変わった時も、「大丈夫か」と言って気にかけてくれたのは先生だけだったしね。みんな、卒業アルバム見た時、僕のこと思い出してくれるかな、……日野なんていたっけ、って言われちゃうかな。あいつそんな名字だったっけ、違う名前じゃなかったっけ? って思って貰えたらまだ……ちょっとは嬉しいんだけど)
 その程度も望み薄だろうな、というのが自分でもわかってる。ひたすら惨めだ。
 きっと思い出してもらえない。
 だって、覚えてもらえたことがないんだから。
 だから、高校では友達を作りたい。あんな学校生活をもう送りたくない。
(……一人でいいんだ)
 友達は、魔法とかおばけみたいな空想とは違う。頑張れば手に入るものなんだ。
 たった一人でいい。友達が欲しいんだ。
(だから、高校ではやり直すんだ、って……。ちゃんと友達を作るんだ、って、そう決めてたのに……やっぱり駄目なのかな)
 誰とも連絡先の交換すらできてない。母さんは僕にスマホを買ってくれたけど、今のところアプリで漫画読むことにしか使ってない。
(……僕ってやっぱりどこかおかしいのかな? 自分じゃ、普通に話しているつもりなんだけど……)
 真剣に悩んでるから、こっそり「友達をつくる方法」というような本を読んでみたこともあるんだよね。
 その本で、ナントカカウンセラーの人は、「まず相手の話を聞こう」とか「相手の言葉を繰り返してみよう(相手に興味があるというアピールをする)」とか書いてくれてた。肝心の最初の一歩は「勇気を出して話しかけよう」って。その本に書いてあった通り、この数日は僕としてはかなり勇気を出した方だと思うんだけど、でも何の成果もないからもう負けちゃいそう。
(……一人の方が楽だよね)
 一瞬、楽な方向に思考が倒れかけた。
(だって、今までずっと一人だったんだし。慣れてるんだから、……一人で過ごしちゃいけないなんて法律もないし)
 机の下で爪先をこすり合わせる。暇の潰し方はたくさん知ってる。それを繰り返してれば、三年なんてあっという間かも。
(……でも)
 やっぱり、それは嘘だ。
(友達が欲しい)
 誰か、僕と友達になってくれる人はいないかな。
 二人組がいれば、一人くらい増やしてもらえるかも。
 そろりそろりと顔をあげて、ゆっくり教室を見回してみる。
(……あ)
 僕はその時、彼を見つけた。
 窓際の席で、つまらなそうに肘をついて外を眺めている。窓から飛び込む朝の太陽が大人びた顔立ちに影を落としていた。
(………えーっと、確か……神倉悟空くん、だっけ)
 最初のクラス紹介の時配られた席表と照らし合わせて、記憶に間違いないことを確認する。
 僕と違って背が低い。160センチないんじゃないかな? 痩せてるせいもあるのか、制服がぶかぶかだ。長い髪は伸ばしてるっていうより伸びちゃってるって感じで、雑に首の後ろでまとめている。あんまり身だしなみに頓着しないタイプなのかもしれない。切れ長の目は世界全部を見下ろしてるみたいに細められてて、なんだか超然としてるっていうか、「話しかけるな」オーラがすごい。入学してまだ三日だけど、彼が自己紹介の時以外で話してるところを見たことが無い。自己紹介も、確か「神倉悟空。部活に入る気ないんで、誘わないでください」だけだった。
(……うん、間違いない。そう言ってた)
 自己紹介の時間、クラスメイト一人一人の発言をこつこつメモしていたから間違いない。
(………うちの学校、部活はほとんど運動部だし、必須じゃないから僕も入る気がなかったけど、ていうか、入れる部活ないけど……でも、友達もいらないタイプなのかな?)
 今、クラスで孤立しているのは僕たち二人だけだ。後はなんとなく近くの席同士とか、同じ部活希望同士とかで話してる。
(……僕と友達になってくれないかな、……漫画とかゲームとか好きだったりしないかな?)
 悟空、という名前を指でなぞってみる。世界で一番有名な少年漫画の主人公の名前だから、少なくとも両親は漫画好きなのかも。
(それに、……な、なんか、……神倉くんって、ちょっと、タニツグに似てる? よね?)
 毎週金曜日に更新されるWEB漫画、「血契の双刃」は、現代日本を舞台にした異能バトルものだ。
 赤子の頃に鬼の血を移植されたことで異能を得、兵器としての未来が確定している主人公が、似た境遇の子供たちを生み出さないために暗躍する漫画。ちょっとマイナーだけど、僕は結構好きで更新を追いかけてるんだよね。その中の登場人物の一人、望まない戦いを続ける主人公のために、自ら進んで鬼の血を飲み干し、共に戦うことを選んでくれる親友、タニツグが、神倉くんによく似てる。
 スマホを出して確認したくなったけど、「登校中はOKだけど、学校でスマホを出すのはNG」っていうルールを思い出してやめた。このルールも二年生とか三年生になれば守らなくなるらしいけど、まだ入学三日目だからみんな律儀に守ってる。先陣を切ってしまって目立ちたくない。
(うーん……やっぱり似てるよね)
 記憶の中で漫画を再生して、神倉くんの横顔に重ねてみる。
 長めの黒髪を一つ結びにして、目はつり目気味。きゅっと引き結ばれた口唇と、無愛想なまなざしが作り出す男くさい印象。タニツグも小柄だし。
(……神倉くん、「血契の双刃」、読んでたりしないかな)
 話しかけるきっかけになるんじゃないか、って思うけど、いきなり読んだこともない漫画の話されて「君に似てるキャラが出てきてさ」なんて言われたらどうなんだろ? 僕は嬉しいけど、普通の人は喜ばないんじゃないかな?
 自分の都合のいい妄想ばっかして、相手に押し付けちゃうのはよくないコミュニケーションだ。
(……変なやつって思われちゃうよねえ、……)
 自制して、先ず、漫画のグッズとかが鞄にくっついていないかどうかを確認する。
 机にひっかけられたシンプルな黒いナップザックにはなにもついてない。出しっぱなしのシャープペンシルも、キャップが取れてなくなっちゃってる以外の特徴はなかった。
(うーん……)
 これでもしも、なんでもいいから、漫画とかゲームのグッズを使ってくれてたらだいぶ勇気が増すんだけどな。共通の趣味があった、って思えて。
(………どうしよう)
 迷ってる間に一時間目が始まってしまった。
 あっという間に、二時間目、三時間目、四時間目が過ぎる。
 その間、僕が発した言葉は「ありがとう」だけ。前の席に座っていた藤原くんがプリントを回してくれた時にそう言えた。返事はなかったけど。
(ど、どうしよう……! 本当に全然友達できない)
 昼休み、弁当を持った真新しい友人同士が磁石のように引き寄せ合っていく中で、ぽつんと取り残される空気に耐えられなくなった僕は、勢い任せに立ち上がった。
(……考えててもだめだ、……うん、やってみよう!)
 目指すのは神倉くんの席だ。 
 ほんの数歩の距離だったけれど、弾力のある見えない壁に阻まれているかのような抵抗を感じる。
 それでも、「友達をつくる」って決めた自分の決意を嘘にしないためだけに、震える声で言った。
「あ、あの……!」
「………」
 神倉くんは、視線だけを動かして僕を見た。その目は眠った爬虫類のように暗い。
(う……!)
 その目に宿る無関心に僕は怯んだ。けど、言いたい言葉は決めていたから、なんとか形にすることが出来た。
「あ、あの……僕、ひ、日野誠司。えっとさ、あの、か、神倉くんさ。良かったら、……い、一緒にお昼……食べない?」
「…………」
「い、いやじゃなければ…………なんだけど……ほんと、むりにとかは思ってなくて……」
「…………」
「あの……」
 続く沈黙に耐えられない。
 僕は緊張しすぎてわけがわからなくなってきた。もしかして、ちゃんと言葉を話せてると思っているのは僕だけで、実際は僕が話してるのは宇宙人の言葉だったりするのかな? それくらい、伝わってるって感じがしない。
(え、……え、……だ、駄目だった? かな?)
(なんで……なんでなんだろ。みんなどうやって話しかけてるんだろう。こういう感じじゃないの?)
(僕って、やっぱりおかしいのかな、……話しかけた瞬間、わかっちゃうくらいに……)
 反射的に目頭が熱くなって、ぐ、と力を混めてなんとか堪える。ここで泣きだしたりなんかしたら恥ずかしい。十五歳にもなって人前で泣きたくない。
 他のクラスメイトは僕たちのやり取りのことなんて気にも留めてない。だから、「ごめん」とかなんとか言って後ずさって席に戻って、一人でお弁当を食べた方がいいんだろうな。昨日もそうしたみたいに。まるで話しかけたこと自体がなかったことみたいに。
(………だめ、全然だめ。やっぱり僕に友達なんて、……)
 せめてみっともなくないように、笑って「ごめん」と言おう。
 そう思って深呼吸をした時、ふと、窓の外の風景が目に入った。
 神倉くんがずっと見つめていた風景。
 見慣れた田舎町の向こうに見える、幾層にも重なった山並みの青い影。
「……遠くの山を見てるとさ、どっかに熊とかいるのかなぁって思って、怖くならない?」
 どんぐりの不作かなにかで山を下りて来た熊が人間を襲った、という事件が、最近ニュースをにぎわせていた。
 僕たちの住む町では熊の目撃があったことはないらしいんだけど、でも川だか山だかを二つ三つ越えたところでは昔熊に食い殺されてしまった人もいるらしい。そう言って、母さんがクマよけの鈴を買ってきて僕の鞄につけようとしたのをなんとか退けたばかりだ。
(……鈴をつけて歩くなんて、そんな子供っぽい事したくないし)
 世間的には高校一年生はまだまだ子供なのかもしれないけど、当事者としてはそこまで子どもだとは思っていない。母さんが買って来たクマよけの鈴は、今頃玄関に置きっぱなしになってるんだろう。
 その記憶が目の前の風景とふと結びついてしまったんだけど、言った次の瞬間には後悔していた。
(何言ってるんだろ、僕、……どうせ無視されるのに。ああ、また思い付きで言っちゃった)
 無邪気に笑っている同級生たちは、その笑顔の裏でクラスメイトを値踏みしあっている。
 誰を馬鹿にしてよくて、誰を持ち上げないといけないのか。
 スクールカーストなんて言葉もあるし、人間を四十人も狭い空間に集めたら、そこには群れと序列が生まれる。
 僕は、そこを一緒に生き抜く仲間が欲しかった。一人ぼっちで戦うのではなくて、誰か一人でもいいから、自分を気にかけてくれる存在が欲しかった。
 でも、それは高望みだったんだろうな。
 僕は人とのコミュニケーションというものが根本的にわからない。上手くやろうとしても、他人だって友達を選ぶ権利がある。僕に友達なんてできっこないんだ。
「ごめん、……」
 振り絞った勇気の残骸をかき集める余裕もなく、俯いて立ち去ろうとしたその時だった。
「………熊よりヤバいのがいるぜ」
 返事が返って来た。
 僕の目を見て、見た目よりも低い声で、神倉くんがそう言ったのだ。
「………!」
(わ、……わ! え、返事、……返って来た!)
 僕は飛び上がるほど驚いた。思わず後ろを振り返る。誰もいない。間違いなく僕に言ったんだ。
 焦りながら、大騒ぎする脳内の中で、言葉をつなぎ合わせる。
「え、え? く、熊より? 怖いの? それって……えーっと、い、イノシシとか?」
「………」
 話を広げるためには、相手の言葉を繰り返して、それから疑問文で終えること。相手に関心があることを伝えよう。
 コミュニケーションの本に書いてあった言葉を思い出して、なんとか正解と思える返答をひねり出したのだが、神倉はまた石のように口を噤んでしまった。
「………」
「えっと………」
 今のは違ったのだろうか。僕の頭は洗濯機みたいにフル回転する。
(……イノシシが駄目だった? センスないと思われたかな?)
「じゃあ……じゃあ、不審者………だったりして」
「………」
 なんとか神倉くんの思考をトレースしたい。
 面白い奴だとか、センスがあるやつだとかって思われたい。
 ここで、彼の気に入る言葉を出せれば、きっと相手にしてもらえるはずなのだ。良いきっかけになるはず。
 千載一遇のチャンスを逃せなくて、僕は必死に言った。
「違ったかな、えーっと、だったら、……だったら……」
 手を無意味にわさわさ動かしながら一生懸命正解を探すと、神倉くんは頬杖をついたまま、ふう、とため息を吐いた。
(えっ……ま、また呆れさせちゃった?)
 いつもそうだ。僕と話していると、みんな呆れだす。飽きるよりも怒るよりも、呆れのほうが怖い。それはどうしようもなく僕と世間がズレているっていう証拠だから。
「………」
 びくっと肩を震わせている僕を見上げながら、神倉くんが呟いた。
「お前さ。日野……だっけ」
「あ……うん」
「友達つくりてえの?」
「………え、う、……うん」
 素直に頷いた。
 図星をつかれて恥ずかしいけど、ここで「そんなんじゃないよ」って言うのも無理があるし。
「ふうん」
 神倉くんは面倒くさそうに続けた。
「じゃあ、俺は止めとけよ」
 視線は窓の外に戻っていく。僕とはもう話す気が無い、取り付く島も無い、っていう感じ。
「え、な、……なんで?」
 会話の余韻が残っている間に、僕は思わず素朴な疑問を口にしてしまっていた。
 神倉くんは「俺は止めとけよ」って言ったけど、それじゃまるで、僕じゃなくて彼のほうに原因があるみたいじゃないか。
 返事を待っていると、彼はごく平坦な声で、気だるげに、
「俺、八月八日に死ぬんだよ。そう決まってんの」
 と呟いた。
「…………」
 僕がキモいからでも、キショいからでもなくて。
 八月八日に死ぬから、だって。
 思ってもいない言葉だった。
(え……あ、……そういう?)
 その時、僕の頭に浮かんだのは、中二病、という言葉だった。
 自分は短命だ、若くして死ぬんだ、と、そう思い込むのは結構ありふれた妄想だ。街中で歌を歌ってたらスカウトされて人気者になるとか、教室をテロリストが襲ってきて自分が倒して英雄にとか、いきなり街中でかわいい子に見初められるとか、日本中の人から一円ずつもらえたらとか、そういう「ありえっこないけど、でも、こんなことが起きる確率ってゼロじゃないよな」って思っちゃうような類の妄想。
 僕だって、ホンモノの父親が出ていった時に、あまりにも寂しくなって、「もうじき自分は死ぬんだ。十三年もよく生きた」って思ってたことがある。父さんが残していった小難しい本を、意味もわからないのにぺらぺら捲って空想の世界に浸った。そこで知ったことなんだけど、哲学者のキルケゴールは自分がキリストと同じ年に死ぬと思っていたし、作家のエドガー・アラン・ポーも自分は長く生きられないと言っていたらしい。自分が抱えている苦しみも、これしかないと思い詰めていた悲劇も、古今東西、誰でも思いつくものなんだ、って知って、僕は孤独感を紛らわせてきた。
 そういう根拠のない妄想を、彼もまだ抱いているんだ。
(………そっか)
 胸の奥がじんわりあったかくなる。はじめて同種に巡り合った深海魚ってこんな気持ちなのかもしれない。暗闇を泳ぎ続けて、このまま生涯一人なのかもしれないと思って、でも確かに仲間はいたんだ、って実感できた時の喜びは、親近感と言う言葉じゃ足りない。
「えー……えっと、神倉くん、あのさ」
「………」
「あの……あの、僕もね………」
 これを打ち明けるのには躊躇があった。
 だって、今まで誰にも言ったことが無い。
 でも、僕だってばかじゃない。僕と同じ親近感を彼が持っていないということはわかっていたから、彼の前で証明する必要があった。僕と君は同じなんだって。
「僕も昔、そういうこと、思ってたことあって、……」
「………」
「それで……その時は、……これがきっと僕を守ってくれるって、何があっても大丈夫って、そう思って……、それで、平気になったんだよ」
 僕はポケットから短剣のキーホルダーを取り出して掌の上に乗せ、彼に向かって差し出した。
 真鍮製で青くて小さなビジューが埋まっているそれは、安っぽい輝きを放っている。観光地のお土産物屋さんによくあるチープなもの、っていうか、実際、僕もそれをパーキングエリアで買ってもらったんだし。
 三年前、ホンモノの父さんと母親が離婚する直前のことだった。
 父さんは僕だけを連れて、ドライブに出かけた。
 目的地は父曰く、「美味いと評判のハンバーグ屋」だ。「誠司、一緒に食べに行こう」と言う父さんの目は思いつめていて、僕は黙ってうなずいた。両親仲が良くないことを二人はかくしていなかったから、これが「親子の最後の思い出」になることをお互い言葉に出さなくても理解していた。そんなドライブだった。
 父さんと何を話したかは覚えていない、っていうか、僕たちは似た者同士だったから、会話の糸口を探り当てられずに、ほとんど会話は生まれなかった。肉汁たっぷりのハンバーグは美味しくて、食べている時に「おいしいね」って言いあうくらいのことはしたと思うけど。
 その日、帰り道に立ち寄ったパーキングエリアで、父親が、「誠司、これ買ってやろうか。お前、こういうの好きだったな」って言って買ってくれた。その時からずっと、肌身離さず持ち歩いている。
(……正直、もうそこまで子供じゃないよ、って思ったけどさ)
 ハンバーグ屋を選んだのも、僕がそれが好きだと思っていたからなんだろうな。仕事が忙しくてあんまり家に帰ってこなかった父さんの中では、僕はいつまでも成長していない。幼い子供のままだった。
 でも、レジでお金を払って受け取った後、「ほら」と言って父さんが自分に押し付けた掌。僕を見て少しだけ微笑んだ、父さんの寂しそうな笑顔。
 ひんやりとしたキーホルダーをだれにも気づかれないよう握り締めるたび、あの時渡されたものがこれだけではないことを思い出すことが出来た。
 父さんは僕が学校に行っている間に出て行って、それきりだ。一度も連絡していない。母さんにいつか聞いてみようと思って、勇気が出ないでいるうち、母さんは「新しいお父さん」だといって他人を連れて来た。僕にできたのは、ただ曖昧に頷くことだけだ。反対も賛成もしていないずるい態度だと自分でも思う。でも、自分を守るためにそうするしかなかった。
 自分が自分でなくなるような不安を感じた夜も、死んだら全部解決するんだこの苦しみはなくなるんだと気づいた時も、この短剣を握り締めて、「この短剣はドラゴンも倒せる魔法の剣」だとか、「伝説の暗殺者が使っていた短剣で、数多の歴史的人物を葬って来た」とか、そういう他愛もない空想にふけっている間になんとか眠ることが出来たんだ。
「だからさ、……神倉くんも、こういうお守りとか、ない?」
「………」
 にこ、と笑うと、彼は薄い茶色の目で、僕とキーホルダーを交互に見つめた。ゆっくりと口唇が開いていく。返事をどきどきと待っていると、
「え、何それ。懐かしい~」
 僕の後ろにいつのまにか同級生が近寄って来ていて、手元を覗き込んできた。
「あ……あ」
 いきなり話しかけられて、僕は対応できない。意味のない母音を吐き出すだけの僕の手から、彼はキーホルダーをひょい、と奪い取った。
「こういうの、昔持ってたわ~。ガチで懐かしい。俺が持ってたのはドラゴンとか巻き付いててさ~」
「う……」
 想定外の事態に固まってしまう。
 しどろもどろになって、言葉が出てこない。
(どうしよう、……この人誰だっけ、えーっと、確か、サッカー部の、いや……それより、……返してほしい、けど……)
 キーリングに指を通して、くるりと軽快に回す。それを見ているだけで辛くて、僕はぎゅっと目を瞑った。そんな風に扱ってほしくなかった。もし飛んで行ってしまって、壊れちゃったりしたらと思うと怖すぎる。
「か、……返し、」
 それなのに、返して、っていう四文字の言葉さえ、最後まで言えなかった。同級生の目は無邪気で、悪意に満ちたからかいとまでは断言できない。単純に懐かしいって、そう思っているだけなんだろうな。そう信じて、軽く受け止めるだけのことがどうしてもできない。
(か、返してよなんて言ったら、いやな気持ちにさせちゃうかもしれない。せっかく話しかけてくれたのに、……盗られたわけでもないのに、……)
(……な、懐かしいよねって言って、話を合わせるべきなのかな)
(でも、……でも)
「…………」
 その時、神倉くんが立ち上がった。彼はやっぱり背が低かった。でも、胸を張って、顎を持ち上げているせいか、二十センチ以上は身長が高いだろう猫背気味の僕よりも大きく見える。
「……それ」
 彼はすっと手を伸ばすと、同級生が持ったままのキーホルダーを指さした。
「え」
「日野に返してやれよ」
「………」
 彼の静かな声には確かな迫力のようなものがあった。サッカー部は大人しく、キーホルダーを僕に返してくれた。
「えー……別に盗ったとかじゃねえし」
 付け加えられた言い訳は、僕というより、僕たちのやり取りを見ている周囲に対するアピールなんだろう。僕は慌てて、
「うん、大丈夫」
 と言った。何が大丈夫なのかは僕にもわかっていなかったが、同級生はきっと悪気はなかった。懐かしいものをみて、自分でも触りたくなっただけなんだ。
 キーホルダーをあるべき場所に、つまり自分のポケットの中にしまい込むと、僕はすっかり安心してしまった。さっきまでは心臓が別の場所で動いていたみたいだったのに、今は落ち着いている。
「………」
 僕の様子を一瞥してから、神倉くんはポケットに手を突っ込んだまま、教室の出口に向かいはじめた。
「あ……ま、待って」
 僕は弁当箱を持ったまま、彼を追う。
「ど、……どこ行くの?」
「メシ買いに行く」
 彼は短く言った。
「あ、……注文した?」
 この学校に食堂はないが、朝十時までに玄関ホールにあるタブレットから登録しておけば、弁当が注文できる。そうすれば、あとは昼に取りに行くだけなのだ。だが、彼は首を横に振った。
「してねえ」
「え」
「外」
「でも、……」
(……昼休みに校外に出るのって、いいんだっけ?)
(確か、「やめましょう」って書いてあった気が……)
(する、んだけど………)
(………)
 廊下の大きな窓から差し込む光が、神倉くんの輪郭を縁取るように輝かせている。
 ゴムでまとめられた長い髪が、動物のしっぽみたいにぴょこぴょこ左右に揺れる。
 それを見ていると、小さなことなど気にならなくなっていった。
「お前は戻ってそれ食えば」
 玄関までたどりつき、振り向きもせず靴を履き替えている彼はそっけない。けど、たとえ視線はこっちを向いてなくても、僕の方を見てくれているのがわかる。慌てて首を横に振った。
「う、ううん。あの……僕も行きたい。それで、……君と一緒にご飯食べたいんだ」
「………」
「だ、……だめ?」
「ダメって言ったら止めんの?」
「え」
 質問に質問で返されて、まるで会話のドッジボールだ。僕は言葉を詰まらせた。
「そ、それは、……人がいやがることは、やめなきゃって、……でも、……あの」
「……」
「じゃ、じゃあ、お礼だけ、……お礼だけ言わせてほしい」
「お礼?」 
 四月を過ぎて、校門近くの桜はもう散りかけていた。最後まで枝にしがみついていた花弁が、風ににほんのわずかな桃色を添えている。それも明日までだろう。僕は桜を見つめて、恥ずかしさや緊張を一緒に散らしながら、やっとのことで言った。
「さ、さっきは、ありがとう、……ほんとに」
「何が」
「あの、……えっと、……あの、キーホルダー。人から見たらさ、みっともないってわかってるんだ。でも、……僕にはお守りだから。大事で、……お、おかしいんだけど」
「………」
「父さんが買ってくれたやつなんだ、いなくなる前に……」
 母さんは父さんが出て行ったあと、手際の良い忍者みたいにその痕跡を消してしまった。靴も、服も、食器も、写真の一枚でさえも残さなかった。彼女の毅然とした背中が、半分空になったクローゼットや靴箱を寂しがっているのは僕だけなんだと教えてくれた。
 空いた場所には、新しい父親がもう滑り込んでしまったから、僕は空白を懐かしむこともできない。
(……今の「父さん」は、悪い人じゃない、むしろいい人だ)
 新しい父さんは穏やかで、優しい人だった。一度だって怒られたことはない。「実のお父さんだと思ってなんでも相談してほしい。好きな大学に行っていいんだからな」と言ってくれた。母親も毎日上機嫌だ。
 だからこそ、今更、「お父さんのものって全部捨てちゃったの?」なんて聞けるわけがない。父さんの面影さえ僕の記憶からは薄れ始めていて、僕に残されているのは、この安っぽい短剣のキーホルダーだけだった。これを買ってもらったことは打ち明けていないし、これからも教えたりしないだろう。母さんは許してくれるかもしれないけれど、もしかしたら傷つけてしまうかもしれないから。そういう思い出でこの宝物を汚したくない。これだけは僕のものだった。
「………」
 今までも何度となく囚われて来たことを頭の中で再生していると、神倉くんのことを思い出した。彼はポケットに手を突っ込んで、僕を見上げている。身長は僕の方が高いからそういう角度になるんだけど、見上げているのに見下ろしているみたいな、そんな余裕のある視線だった。
「あっ、あ………」
 人と話しているのに、自分のことだけ考えて黙ってるなんて、失礼だ。僕はへらっと笑って自分の失敗を誤魔化し、
「ごめん、……あの、変な話して」
 ほとんど口癖のように謝罪を口にすると、
「別に、変な話じゃねーだろ」
 硬直がほどけるような、予想外に優しい言葉が返って来た。
「ものを大事にするのはいいことだろ」
「あ、……」
 思わず、という風に笑顔がこぼれる。
「………ありがと、……」
 ずっと誰かにそう言ってもらいたかった気がする。
 手の中で、きゅ、と偽物の短剣を握り締めた。
「………で、どうすんの」
「え?」
 神倉くんは僕を見ていない。でも、声は僕に向けられている。
「俺はコンビニでメシ買ってその辺で食うけど、お前は弁当だろ。教室で食ったほうがいいんじゃねえの」
 机とかねえぞ。
「………」
 添えられた言葉の意味を、ゆっくりとかみしめる。
(え。……あれ。もしかして、……僕がお弁当だから、気を使ってくれてるの?)
「へ、……平気! お弁当、多分サンドイッチだから……」
 ご飯よりもパンが好きな僕のために、母さんはいつもサンドイッチを作ってくれていた。
「ふうん。じゃあ来れば」
「う……うん!」
 僕は勢いよく頷いた。ばさばさっと前髪が上下に揺れる。
「大袈裟」
 そう呟いて、神倉くんは笑った。玄関ホールは僕たち以外に人はいなくて、僕だけが見られた笑顔だった。口の端を非対称に歪ませただけの笑みだったが、それがなんだかとてつもなく暖かいものである気がして、僕はぎゅうと胸を抑えた。