俺の三番目の人生

 あれ以来、安野は突然教室で話しかけてくることはなくなった。
 卑屈は言いすぎだと思うけれど、事実なので否定もできない。
俺たちがそれなりに仲良くしていることを、どれくらいの人が知っているのだろう。誰が誰と過ごそうが自由だと思うけれど、ときどき昼休みにいなくなる安野を「付き合いが悪い」という目で見ているやつもいるかもしれない。
 安野を見ていて気付いたことは、ああいうデキる人間は純粋に体力がある、ということだ。普段人と喋らない生活をしている俺は、ちょっと授業で当てられただけで、ものすごく疲れてしまう。
 舞台で四分間喋り続けるには、面白さと記憶力だけじゃない、体力が要る。歌を歌うみたいなものだ。肺活量だって要る。ナチュラルに声がでかいのはメリットだ。
 そう考えると、俺のいいところってなんだろう。
 安野の致命的な欠点は、ネタが書けないことだ。こういう芸人は時々いる。ネタの作成を完全にできる側に任せているコンビ。自分で生み出せなくても、めちゃくちゃ相性のいい人間と出会えればプロになれる、ということだ。
お笑いだけ見ていても、お笑いは作れない。観察力と独創性。それから、掛け合いの相性。俺が安野に自分の有用性を示せるとしたら、そんなところか。

「早坂くん、ちょっといい?」
 俺は授業終了後のホームルームが終わった後、誰よりも早く帰ることを得意としている。席は一番後ろだし、誰とも雑談しないし、誰かを待つこともないし、挨拶もしない。万が一誰かが俺に用事があっても、話しかけられることのないように。本当に大切な用事なら、学校からのメールで来るから問題ない。
 話しかけてきたのは、同じクラスの女子二人組だった。名前も知らないし、喋ったこともない。今こいつらの相手をしていたら、15分に一本の電車をひとつ逃すだろう。既に苛立ちが顔に出ていたので、相手も嫌そうな顔をしていた。
 嫌なら話しかけんかったらいいやん。
「何?」
 なけなしの社交性を振り絞って返事をする。
「ここだとちょっとアレだから、」
 人気のないところで、と言いたいのだろうが、俺はそこまでお人よしではない。
「塾だから、歩きながらでいい?」
 予定していたよりは優しい言い方になったが、嘘である。毎日直帰の俺は、週五で塾に通っていると思われていてもおかしくない。成績に反映されていないだけで。
「ああ、うん。ちょっと待って、準備してくるから」
 もう片方の女子は喋らない。どうやら、用事があるのは片方だけらしい。なぜ女子はこうやって徒党を組むのだろう。
 正直俺は自分を気持ち悪い側の人間だと思っているので、普通に教室から一緒に歩いて帰ろうとする女子に若干の恐怖を感じていた。安野が変な顔でこちらを見ていたけれど、俺もどうしたらいいかわからないので、アイコンタクトを送っておいた。眼鏡と前髪で顔が半分隠れているので、俺のアイコンタクトに大した意味はない。
 俺と、女子二人。俺も大きくないけれど、女の子って小さくないか?と思う。多分、安野から見た俺もこれくらい。安野も俺のことを小さくないか?と思っているのだろうか。隣にいると、普通につむじって見えるんだな。俺はそっと自分の頭頂部を触って確認した。
 いや、自分から話しかけたんだからなんか言えよ。
 何も喋らないまま昇降口まで来てしまった。そんなに聞かれたくない話だったのなら、時間も悪いし、場所も悪いし、相手も悪い。
 靴を履いて、外で待つ。
靴を揃える、靴を履く、スカートを整える、忘れ物がないか見渡す、前髪を整える、スマホのインカメでそれを確認する。動作が多い。自分の下駄箱をそっと確認すると、適当に突っ込まれた上履きが乱れている。
「お待たせ」
 女子と喋るのが久しぶりなので、なんと返すべきなのかわからなくて、黙って頷いた。
 駅までのそんなに長くない道を、三人で並んで歩く。百歩譲って待たされるのは仕方ないけれど、自分から話しかけておいて全く喋らないのは困る。
「安野くんのことなんだけど」
 まあ、そうだよな。
 安心したような、それでいて少しがっかりしたような。もう一人の女子はやっぱり何も喋らない。感じが悪い。
「彼女とかいるのかな、知らない?」
「聞く相手が間違ってると思うけど」
「仲いいでしょ?」
「普通だよ。てか、他にいるでしょ、もっと詳しそうな人」
「早坂くんがいちばん口が堅そうだから」
「それは、俺のどの部分を見てそう思ったん?」
 喋らない方の女子をみると、ふふっ、と笑っていた。
「もの静かだから?」
 静か、というのはたぶん根暗の言い換えだ。根暗と口が堅いを結びつけるのは、いくらなんでも浅はかである。口が堅いのは誠実さと結び付けられるべきだ。俺は確かに教室では口を開かないけれど、誠実かと言われると、それは根暗を舐めている。安野と二択なら、安野の方が上だ。
 何かを勘違いされているみたいなので、ここで取り繕って、勘違いを重ねさせていらぬ心労を増やすのか。素の自分で対応して諦めてもらい、その代わり嫌われるのか。俺は後者をとることにした。
「んー、それは先入観と言うか、偏見がすごいな。だって自分、俺と喋ったことないやん」
「早坂くんて、関西弁なんだね」
「せやで。それも知らんかったやん?俺、喋るか喋らんかで言ったらめっちゃ喋るで。まあ学校で喋らん理由はいろいろあるけど、性格の悪さが露呈するのが嫌やから黙ってんねん。って言ったらどうするん?」
 黙って聞いていたもう一人の女子が笑いだした。
「だから、聞く相手違うって言ったじゃん」
「えー、私ミスった?えー、どうしよ」
「べつにいちいちこんなこと本人に報告したりせんよ。でもさ、彼女いるかどうかってわりと個人情報じゃない?それを初対面の女に聞かれてペラペラ喋る男、そっちの方が信用できんくない?そもそも、彼女おったらライバル一人で済むけど、おらんかったら世界中が敵になるんやで。あんなんどう見たってモテるんやから」
「超喋るじゃん」
「しかも理屈っぽい」
 そうこうしてる間に、駅が見えてきた。
「で、どうなの?」
 付き添いの方の女子が言う。
「知らん、本人に聞いて」
「ほらやっぱ、聞いても意味ないって」
 そう思うなら暴挙に出る前に止めればいいのに。これが女子ってやつか。なんで群れると強気になれるんだ。
「安野のことで俺に探り入れるの禁止な。俺めっちゃ口軽いから。次は号外書いて校門前で配るで」
「もう、わかったよ。聞かなかったことにして」
 これくらいけちょんけちょんに言えば諦めるだろう。二人の電車は反対方向だと言うので、改札をくぐったところで別れた。付き添いの方は「早坂おもろー。また話そ」と言っていた。俺はそこでやっと、自分が緊張していたことに気付いた。いつも乗っている電車は行ってしまった後だった。
 向かいのホームを見ると、ちょうどさっきの女子二人が階段を上ってきている。俺はホームのベンチに腰掛けて、息を整えつつ参考書を開くことにした。
「何の話だったの?」
 荷物置きにリュックをドンと置かれたので見上げると、安野がニヤニヤしながら立っている。
「なんでもない」
 向かいのホームを見ると、こちらを見ている二人組と目が合った。片方は手をブンブン振って、「言うな」のジェスチャーをしている。俺は満面の笑みで手を振り返してあげた。
「え、告白?」
「本気でそう思ってる?」
「思ってない」
 安野が隣の席に腰を下ろす。次の電車まで、まだあと十分近くある。
「後ろついてきてたん?話しかけてくれたらよかったのに」
「いやー、女子と帰ってるとこなんて初めて見たからさ。邪魔しちゃ悪いと思って」
「俺も初めて帰ったわ」
 安野も俺の視線の先に目をやって、女子に手を振った。二人は嬉しそうにキャッキャしている。俺とずいぶん対応が違う。
「で、何の話してたの?」
「なんやっけな、俺体育祭出番ないやん。学祭も暇そうやから、準備手伝ってほしいことあるんやけど、みたいな?」
「へぇ、いいじゃん」
「やらんよ」
「なんで?せっかくの女子からのお誘いなのに?」
「俺のキャパは勉強と漫才でカツカツやねん。安野みたいにあれもこれもはできん」
「ふうん?」
 向かいのホームに、先に電車が入ってきた。
「てか、すごい喋ってなかった?早口で」
「聞いてたん」
「いや、何話してるのかはわかんなかったけど。盛り上がってたから」
「盛り上がってた?」
「女子、楽しそうだったじゃん」
 そうかもしれない。女子はちょっとしたことで大げさに笑うから。箸が転がっても面白いらしいから、仕方ない。
「えーどうしよう、早坂が人気者になったら」
「なんや、喋らんかったら卑屈とか言う癖に喋ったら文句かい」
「それとこれとは別」
 電車がホームに入ってきたので、立ち上がってホームドアの脇に並ぶ。この時間の鈍行は空いている。
 そういえば、安野と一緒に教室から帰ったことはあまりない。安野は塾があるし、体育祭の練習もあるし、俺は一目散に帰ってしまうから、機会がない。俺たちは家が近いのだから、休みの日だって会えるのだけど。
「そいや、安野くんて彼女いるのかなーって言ってたわ」
「え、なんて答えたの?」
「いないし募集してません、あいつは俺の相手で手一杯です、ゆうといた」
「えぇ~?」
 そう答えた安野は、満更でもなさそうただった。