俺の三番目の人生

 安野は、男女問わず人気がある。
 同じ教室で過ごしていれば、話さなくてもわかる。嫌味のない外見、清潔感のある髪型。上位だけ張り出される校内の試験結果では、だいたいいつもランクインしている。体育はそこそこで、比較的足が速い方。声がでかい。球技は苦手、を自称しているが、背が高く全体的な能力が高いがゆえに、相対的な自己評価が低いだけ。球技大会ではそれなりに、女子に黄色い声援を送られている。
 彼女ができたりしたら、あっさり漫才と俺を捨ててそちらに夢中になるんだろうな。本人曰く、「今忙しくて、それどころじゃないから」という断り方をしているらしい。
 ポテトのLサイズが安いから、と駅前のマックに誘われて来た。ポテトにはあまり興味がない、とアイスコーヒーを飲んでいたら、信じられない、という目をされた。お願いするとケチャップがもらえる、ということを安野のおかげで今初めて知った。ケチャップにも興味ないけど。
「これでサッカー部とかやったら、後輩からもモテモテなんやろなぁ」
「あ、後輩から告白されたことあるよ」
「あるんや」
「知らない子だから断った」
 信じられない、という目をお返ししてあげたら、ケタケタと笑っていた。「そういう顔もできるんだ」と。なので、無表情に戻した。
「だって知らない人に好かれるの、怖くない?」
「怖いよな。俺なんか知らない人にコンビ誘われて漫才考えてるもん」
「え、てことは俺、怖い?」
「慣れたわ」
 本当はコーラにするはずだった。間違えた。ミルクもガムシロップも、入れるタイミングを逃してブラックで飲んでいる。安野は「すごいな、俺ブラック飲めない」と感心している。彼には、こういう素直さがある。素直さは、才能だ。
「てかさ、気付いてなかったかもしれないけど、通学電車、よく一緒になってるよ」
「え、そう?」
 電車が混むのが嫌だから、俺は校門が開く7時半を狙って家を出ている。7時台でも座れない場合の方が多い。同じ電車に同じ学校の生徒は多分何人か乗っているけれど、俺は安野を見たことがない。と思う。いつも下を向いているから、わからない。
「冷たいなー。早坂って、あんま他人に興味がないよな」
「そういうつもりはないけどな」
 本当にそういうつもりはなかった。昔からずっとこんなふうに、下を向いて生きてきたわけじゃない。ただ、ずっと当たり前にクラスメイトだった人間や家族が、突然いなくなることを俺は知っている。だから、必要以上に近づかないだけだ。

 学校祭にはやっぱり、オリジナルのネタで出たいよな。
 安野にそう言われるのは想定の範囲内だったし、実際、考えてはいた。とはいえ、一人で考えても面白いネタができなくて、焦っていた。
 学校祭は二日間に分けて行われる。体育祭と、文化祭。
 自由参加とかではない。一応、全員何かしらはしなくてはならないことになっている。
 一年の時俺は、クラスの展示物の見張りをやっていた。写真とかイラストとか、やりたい人間がやるタイプの展示だったと思う。客がふざけてパネルが転倒したり、展示物が壊れる可能性がゼロではないので、一応見張るだけ、という地味な係である。部活にも委員会にも入っておらず、文化祭を回る予定もない俺は真っ先に立候補した。他に誰もいなかったので、自動的に決まった。
 二年の時は、クラスで演劇をやった。俺は消去法で大道具係になった。それも、指示待ちタイプの。言われた通りに段ボールに色を塗った。誰とも喋らず黙々と塗るだけだったので、俺に向いていたと思う。衣装係も演じる係もいたけれど、どういう采配で決まったのか、本当に知らない。
 こんなに人を集めて、ここで感染者が出てパニックになったらどうするんだろう。
 袖から舞台を眺めながら、体育館裏の動線と脱出経路を確認した。体育館の用具入れは鍵がかかるし、扉が重くて鍵が頑丈だ。しかし、袋小路でもある。窓もかなり小さいから、追い詰められたら裏から脱出できない。跳び箱の中に隠れよう。
 そんなことを考えているうちに終わった。
 こういう場面で何もしない、というのは逆に目立つ。ただでさえ根暗でネガティブな印象を与えているのだから、積極的でないにしろ、ほどよく参加する。これが俺なりの処世術だ。
 もちろん、体育祭と文化祭両方活躍する人間もいる。安野みたいなやつだ。
 教室の後ろの黒板に、希望のポジションがあれば名前を書いていく。ホームルームの時間を使うのは最小限。合理的でいい。
 クラスの出し物も、いい提案があれば書いていく。そして中心人物たちが「これはナシだろー」「これよくね?」みたいなことを言い合って勝手に消したり、花丸を書いたりしていく。この方法で揉めないあたりが、なるほど一応受験を通って入ってくる高校の生徒だよな、と思う。
 とはいえ、結果的に声のでかい人間の意見が優先されることに変わりはない。決定内容に不満はないし、反対意見もない。でも、これが正しいと信じて疑わない声のでかい奴にも、これでうまく運営で来ていると思っている担任にも、うんざりする。
 俺と安野の漫才は「その他出し物」だ。クラスの活動としてはカウントされないけれど、俺はこれで一応「学校祭に参加した人間」になれるので一安心だった。教師に必要以上に目を付けられるのはごめんだ。
 体育祭の競技の方は、それこそ得意な奴とやりたい奴、騒ぎたい奴だけで十分だ。俺は、人数が足りなければ障害物リレーの隅っこに入れてもらおう、くらいに思っていたが、そんな需要もないみたいだった。
「スウェーデンリレーってなに」
 安野の家のリビングには、ちょっといい椅子が置いてある。彼の母親が仕事で使う用の椅子だ。家に誰もいないときは、ここで安野に勉強を教えてもらっている。
 今日確認したら、黒板の体育祭の競技メンバーの中に、安野の名前が三個あった。俺はゼロだけど、それは別にいい。
「知らない?四人で100m、200m、300m、400mって分けて、後の人がだんだん長くなっていく、ってやつ」
「400mの負担、でかない」
「だからじゃん。400m速かったらヒーローだろ」
「安野は何メートル走るん?」
「俺?100m」
 200mと300mは女子らしい。安野曰く「俺より速いやついっぱいいるからねー」らしいけれど、俺はリレーの選手なんてなったことがないから、なんかすごいな、としか思わない。
 小学生の頃、足の速い奴はそれだけで、なんだかかっこいいみたいな扱いを受けていた。「中学になると頭のいい奴の方がモテる」と聞いていたけれど、実際のところ、足の速い奴はだいたい成績もいい。安野みたいなやつのことだ。天は何物も与える。俺みたいなやつもいる。不公平な話だが、配られたカードで生きていくしかない。
「楽しい?体育祭。俺たぶん、このままなんも出んけど」
「俺と二人三脚でもする?」
「せん。速い奴らだけでやったらいい」
「俺お祭り人間だからな。あと、純粋に役に立つ、ってのが嬉しい」
「わからへんわ」
 安野の家に来ると、いつもおやつが用意されている。母親が買って、常備しておくのだろうか。きっと俺が食べなければ安野の妹が食べるのだろうけれど、だいたい毎回ありがたく頂いている。。シュークリームが載っているのは北欧だかイギリスだかのブランドの皿だ。
「数学はまだいいわ、その場で考えたらいいやん。歴史とかほんまわからん、漢字も覚えられへんし、カタカナはもっと覚えられへん」
 シュークリームは、クッキー生地のやつだ。すごく久しぶりに食べた気がする。俺の両親もかつて、よく買ってきてくれた。俺たちの最寄り駅には売ってない。
「んーとね、歴史って流れがあるんだよ。暗記しようと思うからダメなんだよね。いや、暗記はしないといけないんだけど」
 歴史とは人の営みの記録なのだから、まず人に興味を持て、というのが安野の主張だ。
「歴史の中に数学も物理学もあるだろ。感染症にも歴史があるだろ。ちょっと前まで手洗いで感染症を防ぐ、なんてのは異端の発想だったんだから」
 俺らがあのウィルスに感染せずにいられるのも、歴史のおかげなんだから。敬意を払って、人に興味を持とうよ。らしい。どこまでも育ちのいいやつだ
「歴史に名なんて残すもんちゃうな、って思わへん?こうやっていいとこだけピックアップされてさ、後世の俺みたいなクソガキに『名前似てるし漢字難しいねん』とか言われんの、俺嫌やもん」
「えーなんで?俺は漫才史に歴史を残すぜ」
「もう漫才史にそんな余地ないと思う、俺は」
「夢のない奴だな」
 俺は歴史のためじゃない。安野の相方は今のところ、俺にしか務まりそうにないからやるだけだ。こぼれたクッキー生地のかけらを寄せ集めていると、安野が台拭きを持ってきてテーブルを拭いてくれた。

 安野は週三で塾に行っている。そこに、週二で体育祭の練習を入れると、必然的に俺と会う時間はほぼなくなる。
 朝は七時半から校庭で、バトンパスの練習をしているらしい。運動が苦手な俺でもだいたい想像はつく。リレーでは、どんなに足が速くてもバトンで息が合わないとタイムロスになる。
 教室のベランダ越しに校庭を見下ろすと、各クラスが各々の練習をしているのが見えた。あの中のどこかに、安野もいるのだろう。どんな競技があるのか把握していないけれど、なるほど、二人三脚には練習が必要そうだ。
 教室の後ろの黒板を確認する。安野はスウェーデンリレー以外にも、借り物競争と綱引きにエントリーされていた。綱引きって、全員参加じゃないんだ。去年まではあまりちゃんと見ていなかったから、知らなかった。
 しかし、この感じで漫才の練習なんて間に合うのだろうか。
 応援用の衣装の制作に、合唱。みんな各々やることがあって、誰もが活気づいている。俺はと言うと、模試の成績があまり芳しくない。皆が青春している間に、人よりも勉強しなくてはならない。
 出し物の方にエントリーするには、ネタもだけれど、コンビ名を考える必要がある。普通に、二人の名前をくっつけたみたいなのでいいんだけどな。俺がネタを考えるんだから、安野が考えてくれたっていいじゃないか。
 朝の練習が終わって教室に戻ってきた安野は、既に汗をかいている。400mの担当は陸上部の男だ。後二人の女子は、名前を知らない。

 文化祭の申請の期限はそろそろだし、申請してからやっぱりできません、では困る。自分たちにどれくらいの練習が必要かなんて、想像もつかない。
 だいたい、紙に書いてみて面白かったからと言って、安野とリズム良くやり取りできなければ面白くはならない。やはり、一旦土台ができたら見せて、読み合わせしてみるべきなんじゃないか。
そう思って、昼は一緒に食べようと約束していた。放課後は、会う時間がないから。
「早坂はどう見ても人間だろうが」
 待ち合わせの教室から、安野の声がした。
 学校祭の準備のために、使われていない教室を使ってもいい、と言われている。空き教室にはエアコンが入らないので、待ち合わせギリギリについたつもりだった。
 それで、この状況だ。

 叔父の出勤時間はバラバラだ。朝早い日、叔父はリビングで準備しながらニュース番組を見ているから、家を出る前にそれを眺めて、最終的にテレビを消すのが俺の役割になる。
今朝は、関東から田舎に疎開する人が増えた、というニュースをやっていた。
 もちろん、盛られている部分もあるだろう。みんながそんな簡単に疎開なんてできるわけじゃないし、どこにいたって完全に安全な場所はない。少なくとも俺たちのクラスでは今のところ、転校していくやつがいるなんて話は聞かない。高校三年生の途中に転校なんて、進学を考えればどう考えたって現実的じゃない。
 しかし、進学と身の安全を天秤にかけたら。
 少なくとも俺は、アレがきっかけでこちらに移住してきた。なんとなく、この期に及んでまだ俺は、「あれはもう終わった出来事」なのだと思っていた。記憶の片隅に追いやった、遠い昔に解決した、過去の事件。今は新しい土地で学校に通い、放課後はファストフード屋で他愛もない話をし、勉強を教えあい、学校祭のステージに立って、漫才をやろうなんて友達と盛り上がっているのが、本当の俺なのだと。
「関西弁だから怪しいとか、ないだろ」
「でもさ、怖くない?」
 今月に入って神奈川で一回、東京で二回、感染者が現れた、と聞いている。少なくともこの二年はそんなこと、なかったのに。
 関西から移動している人間の中に、自覚のないウィルスの媒介者がいるのではないか?
 関西から移住してるやつがいたら、怪しい。
 ネット上で、そんな噂が広まるまで一瞬だった。
 安野の声に対して、女子の声がする。少なくとも女子が二人。ここからは見えないけれど、もう何人かいる気配がする。
 教室の入り口で気付いて助かった。そのまま音を立てず後退して、5メートルほど引き返す。後ろ向きのまま曲がり角を曲がる。今日のお昼はメロンパンだ。叔父は食べ盛りにパンばっかじゃダメだろう、と言うが、現実問題俺にも叔父にも、弁当を作る時間はない。
 みんなと同じものを食べて生きていても、やっぱ疑われるんだな。仕方ない。みんな安全が欲しいし、信じたいものを信じる。
 手に持ったメロンパンが、脳みそに見えてきた。
「おう、こっちいた」
 角から安野が顔を出したので、さも今歩いてきました、みたいな風を装った。
「トイレ行っててん」
「天気いいから、外で食べよう」
 安野に続いて、階段を下りる。校舎の裏の日陰は、天気がいい日も少しじめっとしている。そのぶん人気がないのでお気に入りスポットだった。俺だって、騒がしい昼休みの教室を一人で過ごすのはそんなに好きではない。
 初めてここに安野を連れてきたとき「もうちょっと陽当たりのいいところにいかない?」と言われた。みんな、中庭の方に行ってしまうからあちらは賑わっている。ここが俺の定位置だから、と言うと「強情だよな~」とぶつぶつ言っていたけれど、コンクリートのひんやりした感覚が意外と気に入ったらしい。
 風通しのいいところや、木漏れ日の気持ちいいベンチみたいな場所に一人でいると、必ず複数人のグループが来る。そして、一人でベンチ使うなよ、という目で見てくる。普段安野が感じることがないタイプの視線だ。
 考えすぎだ、と言われるかもしれないから、言わない。自分の中の些細なわだかまりを声に出して、考えすぎだと切って捨てられたら、俺はきっとまた少し、世界に失望する。

「俺といたら安野の株がさがるー、とか思ってる?」
「思ってない。自己評価高すぎるやろ」
 安野はだいたい弁当持参だ。それも、けっこうでかいやつ。運動部でもないのに。肉、卵焼き、その他彩を考えられたお弁当。きっと、あの母親が毎朝作ってくれるんだろう。ウィンナーがタコさんになっているから。
 俺が最後に母親の弁当を食べたのは、小六の遠足だったと思う。低学年までは、土曜日の午前中は学童に行って、弁当を食べてからスイミングに行っていたと思う。
 正直、家にいる時間が短くないか、とは感じていた。本当は家で転がってゲームをしていたい。両親と過ごす時間ももっとほしい。
 高学年になって一人で留守番ができるようになると、毎週の弁当はなくなった。俺はそのときになって初めて、弁当を楽しみにしていたことに気付いた。特にバリエーションのない、ごく普通の弁当。
「いいな、弁当」
「パン派じゃないの?」
「最初自分で作ってたけど、時間なくて。どうせうまくできんし」
「あー、そっか」
「パンってすぐ腹減るわ」
 シャツの裾ををスラックスから出して、風を入れる。見つかると怒られるやつだ。
「その髪、切らないの。暑くない?」
 こちらに引っ越してきてから、髪を切る頻度が減った。意識的に伸ばしているわけではない。前髪が眼鏡にかかっていて本格的に邪魔だ。なにより暑い。
「気に入ってるから」
 箸にも棒にもかからないレベルで売れていない芸人は、ネタの面白さ以前にまず前髪が長い。短時間の会話だけでなにかを表現しようというときに、表情が隠れるレベルの前髪は邪魔でしかない。眼鏡にかかっていれば鬱陶しいし、いちいち払いのける仕草はノイズだ。
 でも、今の俺は、髪で顔が隠れている方が、安心する。
「その眼鏡も伊達だろ」
 安野がポッキーの小袋を開け、「ぜんぶくっついてる」と言いながら箱に戻した。
「なんでわかったん?次はトッポにしとき」
「屈折してないもん。見たらわかるよ。トッポ苦手なんだよね」
「こわっ」
「受験生だし、それくらい」
 その頭の良さでネタも書いてくれ、と思ったけれど、安野曰く「試したけど無理だった」らしい。人には向き不向きがある。
「早坂は前髪あげた方がモテると思うけどな」
 そう言いながら安野は、自分の前髪をかきあげた。
「俺はいいわ。そもそもモテたかったら漫才じゃなくてバンドやったほうがいい」
「俺別にモテたくて漫才やるわけじゃないもん」
「どっちやねん」
 偏見だけど、大体の芸人は、モテたいけど歌もダンスも芝居もできないからお笑いに走る。俺はそれくらいの認識でいる。
「めっちゃ基本的なこと聞くけど、ボケとツッコミどっちやりたいん」
「そりゃツッコミっしょ」
「なんで?」
「えだって、ツッコミの方がかっこいいじゃん」
「その理屈はわからんけど、希望があるなら一旦それでいこか」
 俺としては、関西弁であることを理由にスカウトされたのだから、当然自分がツッコミだと思っていた。ボケの難しさとツッコミの難しさは質が違う。ツッコミはタイミングが重要だ。慣れと技術がいる。賢くて要領のいい安野ならきっと、すぐできるようになるけれど。
「漫才と一口に言っても、いろんなパターンがあるんよ」
「たとえば?」
「んー、オーソドックスなのが、安野の好きなタイプのしゃべくり漫才やん。あとコント漫才な。それから、無限にいろんなパターンがあると思うけど…ボケがひたすらギャグやるやつとか、ツッコミがめっちゃ長いやつとかさ。でも俺はいきなりそんな突飛なやつ思いつかんから」
「早坂、漫才詳しいよな」
「大阪人なら普通や」
「俺も、いきなり奇をてらったことがやりたいとかじゃなくて、こう……仲のいいコンビって、喋ってるだけでも漫才みたいな感じするじゃん。ああいうのに憧れるっていうか」
「それは、俺も同意見やわ。コンビは夫婦っていうしな」
「夫婦かー。俺、早坂のことよく知らないもんな」
「詳しくなる必要はないんちゃう」
 少し突き放しすぎたか、と思って安野の顔を盗み見たけれど、気にしてないみたいだった。夫婦か。そもそも俺は夫婦をよく知らない。喧嘩しているように見えたのに翌日は普通に会話してるとか、子供がいるから別れられないとか?
「せや、進路調査票明日までや」
「俺もう出した」
「早いな。あれ親のサイン要るよな」
「早坂は、進学どうすんの」
 はっきりと決めてはいなかった。安野みたいに、いや、俺も安野のことをよく知っているわけじゃないけど、成績が良くて、教師からの評価も高くて、首都圏に実家があって、お弁当を作ってくれるような親が健在なら、やりたいこともできることもたくさんあるのだろう。お互い、金銭的にも学力的にも、手の届く範囲に自動的に決まっていくだけだ。
「東京で、感染者でてるやん」
「うん」
「なんか、俺の叔父さんも元々関西出身やから、独身なのに子供引き取って住んでんのは、関西のパンデミックで亡くなった身内の子供なんちゃうか、とか言われてるらしくて」
「合ってるよな」
「うん、合ってるから嫌やねん。やから、卒業したら出ていきたいけど、奨学金とか寮とか、えー、なんやろ。年金とか?住民票とか?考えてると頭パンクしそうなるわ」
 メロンパンを食べ終わって、外袋を小さく畳む。安野は食べるのが早い。あのサイズの弁当箱を、もう包んで片付けている。
「ポッキー、エアコンの近くおいといたら固まるかな」
「巨大なひとつのポッキーになるやろね」
「卒業したら俺と住む?」
「俺が?お前と?」
「うん、ルームシェア」
「自分実家首都圏やん。家出る理由ないやろ」
「その自分ってやつ、いいよな。真似していい?」
「やめとき」
 安野は指定校推薦を狙っているから、冬になる前に決まるだろう。そうなると、ただでさえ少なめの俺の選択肢の中から、更に安野の大学の通学圏内に絞り込むことになる。
 不可能ではないな。
「まだ受かるかわかんないけど。一人暮らししたいなーって思ってたし。うちの親も、早坂と一緒なら許可出るかも。ルームシェアしたら安くなるじゃん」
「そう、なんかな」
 金銭的な制限のことを考えると、そんなに悪く無い提案かもしれない。
 元々、浪人や留年を繰り返さなければ大学に行ける程度の学費は親が積み立ててくれていた。金額的にはそんなに大きくない遺産から、叔父に生活費として定額を渡している。その他、俺の高校生活代で少しずつ減ってはいるけれど、贅沢せず、バイトもすれば、進学はできる予定だ。
 一人暮らしとなると家賃や光熱費がネックだし、生活力に自信はない。寮のあるところも視野に入れるべきか。
 と思っていたけれど、折半となると、生活できるかもしれない。
「安野の親、いいって言うかな」
「お、珍しく乗り気じゃん」
「珍しいかな」
「いつもだいたい、否定から入るから」
「そうかも」
 この二年の生活が、俺を後ろ向きに変えさせたのだと思う。
「……、なんか、希望見えてきたから」