俺の三番目の人生

 眼鏡は前髪に干渉するし、マスクも曇る。なにもいいことがない。
 あえて縁が少し太めの、そのくせ大してお洒落でもない眼鏡をかけている。視界が遮られていると、緊張せずに済むから。俺は人に顔を見られるのが嫌いだ。
 高校三年生ともなると、みんなコンタクトにするんだな、と教室を見渡して思う。毎日のケアにかかる時間、目への負担、視力低下への影響、ランニングコストを考えれば、受験生は眼鏡一択だと思っていたのに。
 二年半。こちらに引っ越してきて、それくらいが経つ。愛着はないけれど、毎日学校まで通っていれば、さすがに多少の土地勘は沸く。家から駅までの道、駅から学校までの道。郵便局、ドラッグストア、コンビニ、本屋。あとは駅の中のスーパーと、駅前のファストフード。把握しているのはそれくらいだ。これだけあれば生活は回る。
だいたい毎朝、この駅前のコンビニで昼食用のパンを買う。似たような生活をしている人は意外といる。パンは腹持ちが悪い、帰るころにはお腹が空く。だから、部活には入ってない。授業が終わったら、すぐ帰る。よく噛んで食べればなんだって一緒だ、どうせ、食べるときは一人だし。

 新しいクラスは、全部で三十六人だった。男子が二十人、女子が十六人。男女混合で五十音順に並んでいる。中学校までは、男女一列ずつ交互になっていたと思う。土地柄だろうか、時代の問題だろうか。
 俺の席は、廊下側から数えて四列目の一番後ろ。もっと端っこ、欲を言えば窓際が良かったけれど、悪くない。
 そのうち言われるのかもしれない。眼鏡なら目悪いだろ?前の方がいいんじゃない?俺と代わってよ、みたいな。ちょうどあの辺にいる、やたら元気な、ああいうやつらに。
「アンノ、だと出席番号一番の時と、二番の時があるんだよな」
 教室の真ん中では既に、ちょっとしたグループができている。これまで同じクラスだった人間や、同じ部活のメンバーなんかで固まっているのだろう。たぶん、二年生の時に同じクラスだった人もいるけれど、ほとんど顔と名前が一致していないのでわからない。この二年間、極力人と関わらないようにして過ごしてきたから。
「今年は一番だから嬉しい」
 出席番号一番で嬉しいことあるんだ。
 なったことがないからわからないが、彼のことは知っている。一年生の時に同じクラスだった。向こうは覚えていないかもしれないけれど。背が高くて声がでかくて、いつも笑っている。運動部に頻繁にスカウトされて、よく突っぱねていた。ああいうやつらは態度もでかい。世界は俺を中心に回っていると、信じて疑わないみたいな顔をしている。
 背が高いやつはそれだけで恵まれている。幼い頃は、大きくなりたかった。背が伸びた自分を想像して、目線の高い生活はどんなものかと楽しみにしていた。今となっては、中肉中背な自分も悪く無いと思っている。目立たずに済むから。
「でもさ、一番っていつも窓側だった気がすんだよな。廊下側寒いんだけど」
 声がでかい。いつも窓側だった人間がいるように、いつも廊下側だった人間だっているだろう。
「はやく席替えしようぜ」
 まだ始業式も始まってないのに、なんでそんなに元気なんだ。
 彼のことを覚えているのにはもうひとつ、理由がある。一年生の学校祭でステージに立っていたのを見た。クラスの代表とかでもなく、自由に参加できるステージだった。
興味はなかったけれど、俺は体育館の入り口付近に座っていたのでよく見えた。来場客が専用のカードを首から下げているか確認する、という地味で不人気な仕事をしていたから。バンドだのダンスだのをやっているグループが多い中、彼は漫才をやっていた。
 正直、びっくりするくらい面白くなかった。M-1なら確実に一回戦敗退だ。隣のやつもなんだか、サッカー部だかバスケ部だかにいそうな、高身長で日焼けしていて、元気とノリの良さが取り柄です!みたいな男だった。前の方には明らかに身内というか、お友達が集まっていて、笑い声自体そのものはでかかったと思う。陽気同士で漫才なんてやってどうする。漫才の面白さってのは、負のエネルギーから発せられるものなのだ。
 第一俺は、関東弁の漫才は好かん。

 最寄り駅について、改札を抜けて、ため息をつく。わざわざ家から少し離れたところにある学校を選んだ甲斐あって、ここではあまり同じ高校の生徒と出会わない。
 主に学校の図書室ではなく、家から自転車圏内にある図書館の自習室を使っている。予約もとりやすいので気に入っている。部活にも入ってないし、塾は週一しか行ってない。大体の高校生はもっと帰りが遅い。
だから、油断していた。
「わかった、ほな、先食べときます。うん、気ぃつけて。先寝ときます」
 電話を切った瞬間、ポン、と後ろから右肩を叩かれて、飛び上がった。
「そんなびっくりしなくても。不審者かと思った?」
「なに、誰」
「俺だよ俺、安野。同じクラスだろ」
 背の高い人間は、自分より大きい人間に背後から触られる恐怖なんて、感じたことがないに違いない。そもそも、同じクラスであっても友達ではない。
「駅ここなの」
「うん、知らなかった?一年の時も同じクラスだったのに」
「それは覚えてるけど」
「おっ、覚えててくれたかー」
 彼が悪人でないことはなんとなく知っている。人当たりが良く、社交的。成績もよく、教師からの評価も多分高い。俺から見た彼はそんな感じだ。でも、喋ったことはない。
「西口?」
「いや、東……だけど、今日は図書館の自習室」
「ふーん。俺も行っていい?」
「嫌だよ。ってかなんだよ、ほぼ初対面の相手に」
「初対面じゃないじゃん、クラスメイトは友達だろ。ってか今、関西弁喋ってたよね?」
 二年間、極力沈黙を貫いてきたというのに。
「……あんまり人に、言わないでほしいんだけど」
「ああ、強請ろうとかそういうんじゃなくて、お願いがあるんだよ」
 安野は一歩下がり、頭を九十度下げると、こう言った。
「俺とコンビ組んでください!」