アヤカシ太夫♂とイロオトコ

 


 時雨止マヌ穐ノ夕
 餌附キ止マラヌ太夫ノ元ヘ

 參リマシタル或ル男
 白キ衣ノ蔭陽師

 常ニ廻ル運命(サダメ)ノ環ハ
 渦卷ク風ヲモ飛バシ去リ

 殘酷ナガラ美シキ
 慘劇ヘト相成リ候

 


 

 ……管狐は取れたと言うに。
 桶へ顔を突っ込んだまま、し乃雪は思う。

 あの管狐の仕業であれば、もう快方に向かっている筈。……しかし快方どころか、寝て起きる程に悪化し、白磁の如く白い肌が青く染まっているのが分かる。
 そして相変わらず、あの『夢』…… 詰まる所、同じ『何か』は未だし乃雪から離れて居ない、と言う事。
 呪術ならず、只の病か?なればいよいよ潮時かえ……そう、思いつつ。

 ぜぇぜぇと息を切らすし乃雪の背後より眞鶴が心配そうに近付き、丸まった背中を擦る。
 落ち着いた所でし乃雪は少し顔を上げ、消え入る様な声で呟いた。

「……済まぬな、」
「良いよ、可愛い弟分の為だもの。
 ……其れにしても、本当に大丈夫かえ?」
「さてね…………っ、」

 再び桶へ突っ伏し、込み上げて来る物をひたすら吐き出し。しかし元より腹の中には何も入っておらず、収縮する痛みに只耐えるのみ。
 戻る度に冷たい空気が腹まで逆戻りし、更なる吐き気を催した。


「……雪、今日は何も考えず休みな。わっちが身の回りの事やるからさ」
「さすれば眞鶴、お前さんの仕事が」
「どうせ今宵はこの雨……お客さんも少ないさ、」
「…………否、やはり気持ちだけ戴こう」
「んもう、雪ったら!頑固!」

 丸まった背中をパンと軽く叩かれ、むせる。

「……其の体で、お客さんでも来たら如何するんだい……」
「流行り病の類では無さそう故に……流石に客は無いとは思うが、仕事は仕事じゃ」
「……雪、あんたは金は要らないだろうて?あんたもわっちも旦那に気に入られて生かされておるんだし」
「詰まる所、使い物にならねば消される……そうは思わぬかえ?」


 其処まで言った所で、突然木戸ががらりと開き、廊下より軽く息を切らした眞鶴の新造が入って来る。し乃雪の辛そうな顔を見て彼女は一瞬言葉を失ったが、しかし戸惑いつつ直ぐ口を開いた。

「キツネ兄さん、」
「これ麻知!!兄さんに何て事を、」
「良い。何じゃ」
「……お客さん。"茶屋"の方に、兄さんが良いって」

 其処まで言い、麻知と呼ばれた新造は不機嫌そうな表情を零しつつ、パシンと強く木戸を閉めた。

「……雪、行くのかえ?この体で」

 不安気な面持ちで、眞鶴が問う。

「何、無理はせぬ……適当にあしらって来るさ」
「でも……心配だよ。雪が死んじまったら、」
「そう簡単に俺を殺めるなよ……案ずるなって」

 そうは言うものの、如何にも足腰に力が入らない。
 石の如く重くなってしまった体を無理矢理立ち上がらせ、なるべく何時もの様に振る舞いながら、し乃雪は笑う。
 と。

「キツネ、おい」

 木戸が勢い良く開き、顔を出すは客寄せの白狼。
 若干慌てた様な仕草で、軽く弾んだ息を整える様に口を開く。

「何だキツネ、まだ行って無いのかい?
 麻知に聞いたろ、お客だ!其れもお偉い方だぞ、」
「分かった分かった、そう急かすな……俺にも準備がある」

 ふらり、廊下の方へ歩くし乃雪。

「後片付けはわっちがやっとくよ、」

 白狼が出、し乃雪も又行こうとした所で背後より声がし、ひらりと手だけで返事をする。
 しかし其の返事だけでは心許なかったのだろう、し乃雪の細い腰に腕が回され。

「……どうか、無理はしないでおくれ」
「案ずるなって。そう簡単にくたばるものか」

 其の言葉に、名残惜しそうに腕が離れ。
 し乃雪は振り返る事無く、其の部屋を後にした。

 ……今の眞鶴の顔を見たら、其の言葉に甘えてしまいそうだった。
 今のし乃雪には、其れが一番怖い。


 時雨れる、等と言う美しき言葉は凡そ似つかわしくない。
 時折強い風が吹き、隙間から漏れる冷たき吐息が、薄暗い廊下を急ぐし乃雪の体をいとも簡単に冷やす。
 身支度をし逢瀬の間の前へ立った頃には、手足から感覚がすっかり消え失せてしまっていた。

 陰間は遊女とは違う。
『色恋』を売る遊女とは違い、陰間が売るものは「体」。"太夫"と言う、男では殊更特異な地位であるし乃雪もまた根本は変わらず、顔を合わせた其の日が逢瀬となる。
  ……女の太夫と変わらぬは、金の額のみ。

 逢瀬の間は、金の装飾を張り巡らされた豪華絢爛な襖。
 何時もの部屋とはまるで違う其の襖の前にて、すぅ…と一呼吸置き。
 正座をし、頭を下げ。
「失礼致します、」と声を掛け。
 音を立てず、開ける。

 目前の客を見る事無く、しかしはっきりと伝わる気配。
 窓の傍にて佇んでいるのは、どうやら明るい色の着物を纏っておるらしい、男。

「し乃雪で御座います。今宵はどうぞ良しなに」

 言った所で、男はゆるりと振り向く。

「…… 蘭樹(らんき)、」
「……蘭……?」

 胸を強く叩く、言の葉。
 し乃雪は思わず顔を上げた。

 端正な、優しい顔立ちの男が、涙ぐみながら自分を見詰めている。
 剣の様な銀色の瞳が、まるで人らしからぬ色で自分を捉える。

 ……遠く、既視感。


「嗚呼、やはり蘭樹、…… 嗚呼、……良かった、」
「……?」
「……覚えておらぬも無理はないか…… 昔は"総次郎"と名乗っていたよ」

 其の名に覚えは無い……
 だが、……何かが胸の奥で引っかかる。

 膝の上の手が、無意識に脛の辺りへ動く。


 …… 脚に、温かな腕。
 必死にしがみつく、小さな手の感触。

 ――― 蘭樹!!

 脳裏を掠め消えていく、断片的な声。

 "…… 主命、(アルジ)守護……"

 ――― 蘭、樹……!!

 嗚呼、……あの声は。
 あの、"声"、は。


「……総、次郎……?」

 記憶が、まるで糸に引かれるかの様。
 …… 笑ってくれた、撫でてくれた、…… 止めてくれた、あの。
 そして、"壊してしまった"と思い込んでいた、あの。


「………… 総ちゃ……ん……!」
「…… 思い出してくれたかい?
 そうだよ、総次郎だよ……蘭樹、」

 次の一言よりも先に涙が溢れ、其れ以上何か言葉を話す事が出来ない。
 奥底に固く封印されていた記憶が怒涛の如く押し寄せ、しかし其の傍らに彼がいた事を、思い出す。
 其の様子に驚いた総次郎は彼の体をあやし、落ち着かせんと其の頭を撫で。
 ……こうされる事が一番好きである事を、総次郎は知っている。

「驚かせてしまったな、」
「総ちゃん……総ちゃんっ……っごめ……御免なさ……」
「……何を謝る事がある?」
「だって……俺、あの、時、」
「あれは、きみのせいじゃないよ……大丈夫、大丈夫だから」

 か細い声で漸く言葉を紡ぎながら、し乃雪の涙は止まらない。
 崩れた体を胸に抱き締められ、じわり染み入る体温が酷く心地良く、殊更涙を誘う。
 其の大きくなった背を、総次郎は優しく微笑みながらさする。
 ……昔と変わらぬ仕草が、懐かしい。


「あの時別れて、……もう十三年か。元気だった、」
「うん」
「ずっと……此処で?」
「…………うん」
「そう、か…… 生きていてくれて良かった、本当に。
 ちゃんと"人としていてくれた"のだね……
 案じていたのだよ、ずっと」
「…………」

 し乃雪の従兄であり幼馴染。其れが、この総次郎である。
 幼き頃、忌まれていたし乃雪を誰よりも……彼の両親よりも大切に想い慕った唯一の人間であり、十一程年上である総次郎は実の兄に近い存在であった。
 ……彼がこの地へ来て以来、一番逢いたかった……しかし、一方で一番逢いたくなかった相手だ。


「……実は、あの後陰陽寮本所に籍を移してね……土御門 清慈(つちみかど せいじ)と名を改めたんだよ」
「土御門……、清慈。……分所総代の名であったか、」
「そう。今は米沢に仕えている」
「米沢の?上杉治憲か、」
「嗚呼。大名様のお膝元だ」
「…………出世したんじゃな、」

 ぽつり。寂しそうに呟いたし乃雪の細い体を、清慈は抱いたまま。
 やはり何処か寂しそうにしながらも、次いで問う。

「蘭も……大変であったろうに。この様な所で」
「否?案外俺の性に合って楽しいわえ……
 あの頃は皆に忌み嫌われておったこの身形も、此処では"受け"が良い。あらゆる意味で、のぉ」
「…………受け?」
「おいおい、此処がどの様な場所か知らぬ訳では無かろうて?
 高い金を払ってまで此処へ来た癖……」
「嗚呼。 ……そう、だな……済まない」
「? 何を謝る、」
「……、」

 清慈の表情が、幾許か固く。
 背の腕に、力がこもる感覚。

「……蘭」
「…………」
「俺を見て、」

 そっと頬に触れた手が、熱い。
 先刻の言葉とは何処か見合わぬ、今にも涙が零れそうな瞳が、清慈を見上げる。

 柔らかな呼吸を感じられる程近くに、清慈の顔。
 行燈のみの薄暗い部屋の中でも、銀色の瞳が昔より変わらぬ事に気付く。
 ……清慈の目尻がほんの少し下がり、微笑む。

「其れでも……俺は、きみに逢いに来たよ?」

 心の臓を貫くかの如き、言葉。
 柔らかく、甘い、言霊。

 し乃雪は、微笑んだ。
 其れこそ、あの時には無かった美しい笑顔で。


 ――― 嗚呼…… 成程。
 "俺"の事を。……


 し乃雪の手がゆるり頬に触れ、首に手が回り。
 其の耳元に、小さく囁く。

「…… なれば、この身で応えねばならぬの…… "総ちゃん"、」


 背に回された手が、……震えた。





 * * * * * * * * * *



 ず

 ずず

 ずずず



 明かり一つ無い、闇の中。
 何時も訪れる、夜。

 丑三つ時。
 腹の中をゆっくりともがき回る、複数の鱗の感触。


 胸、喉、そして。
 口より無理矢理割って出て来た蛇が、俺の顔を覗く。


 痛みは無い。
 只、締め付けられ。息が出来ず。
 そして……酷く、無様で。


 じっと顔を覗いていた蛇が、笑った。

「…… 覚えていやがるかえ?
 俺の事を……

 なぁ。"────" 、」

 そう言い、血に塗れた白い蛇は、笑った。

「……否……未だ、……遠いか」


 ─── …… 雪……

 ─── ………… 雪、



 ……遠くより、懐かしい声。

 ギリギリと締め付ける蛇共は、其の声を痛みで遮ろうと力を込め。


 ─── ゆ……き……


 嗚呼……
 駄目だ


 行かないで、くれ…… ───



 * * * * * * * * * *



「蘭樹!!」


 自分を呼ぶ激しい声に意識が一気に浮上し、暗がりの中で目が見開かれる。
 途端、締め付ける様な激しい痛みがぎりぎりと全身を襲い、し乃雪はとっさに身を竦ませ悲鳴を上げた。


「うぐあぁぁぁッッ……!?」
「蘭樹!蘭、落ち着け、私を見ろ!!」

 両手で顔を掴まれ半ば強引に向けられ。

「大きく息を吸うんだ、さあ!」
「…………っ、」

 涙ぐんだ瞳は漸く焦点が動き、清慈を捉える。途端にぽろぽろと涙が頬を伝い溢れ、し乃雪は細くも硬い清慈の腰にしがみついた。


「……総……ちゃ……総ちゃん、総ちゃん……!」
「大丈夫……もう大丈夫だから」

 逢った時とは違う肌の温もりが、し乃雪の冷たい肌をじわりと温める。
 ……昔と変わらぬ彼独特の薫り。
 荒く上下する肩と流れる冷や汗を残し、漸く落ち着きを取り戻す。


「……済まぬ、」

 少し恥ずかしそうに、し乃雪は体を離れ。
 良い、と言いつつ、しかし清慈は酷く深刻な面持ちにてし乃雪の体を見詰めている。
 其れに気付き、弱々しく笑いながらもし乃雪は寂しげに呟く。

「これかえ?」
「嗚呼……」

 先刻……清慈が脱がせた時には無かった、蛇が這うかの様な紫色の痣。
 今宵は殊更鮮やかに浮き出ており、良く見れば鱗の痕までもくっきりと浮き出ている。
 清慈の表情が物語るは嫌悪や恐怖では無く、もっと別の何かだ。

「……何時からだ?」
「もう一月(ひとつき)経つかのぉ……管狐が憑いておった故に其れは払って貰うたのじゃが、これは酷くなるばかりじゃ」
「君は陰陽道も蘭学もかじっておる筈、」
「十三年も前故、忘れたわ……元々長生きする気も無い」
「…………」

 ふと、口の中が酷く鉄臭い事に気付く。(うな)されている間に喀血していたらしく、枕の傍に血がべっとりと染み着いていた。
 し乃雪は笑む。其れは弱々しく、彼らしからぬ程に生気の失せた顔で。

「…… ふふ……、悪名高い"妖太夫"も、此処いらが潮時か。
 お前さんとこうして逢うたのも、往生際の偶然なのかのぉ……」
「やめてくれ」

 制止の言葉。しかし小さく震えた其の声が、切ない。

 冷えた部屋の中、頬に触れた手が染み入る。
「……冷たいな、」とぼやいた清慈は涙ぐんでいる様にも見え、し乃雪の心がぴきりと音を立てた様に感じた。


 ふと窓の方へ目を向ければ、木戸の隙間より少しずつ漏れ始める藍色の光。遠く烏の叫び声が響き、やがて朝が来るであろう事を知らせている。


「……ねぇ、総ちゃん」
「ん……、」
「もう一度だけ」
「……其の体でか?」
「だって、……なれば、次は何時会えるのかえ?」
「……」
「ねぇ、…遊ぼ?」

 言い詰まった清慈の顔が、先刻と変わり酷く紅潮し狼狽を見せる。
 そう……昔もそうであった。意地悪く問えば必ずこうして戸惑いを見せる。
 あの頃の幼い蘭樹は其れが面白くて仕方が無かった。
 ……今は、複雑な感情が、其の狼狽の中に入り混じっている様で。

「君は何時もそうして……意地が悪いぞ、分かっている癖に」

 し乃雪の心中は、細波すら立たぬ湖の如く穏やかで。
 目を瞑り、今だけは過去を総て忘れ、今の自分を形作ってくれたこの男に身を預ける。
 其れは無言の言葉であり、温もりと言う名の愛情であり。


「……蘭樹、」
「ん……」
「………… 済まない」

 漏らされた其の静かな言葉の意味を深く考える間も、彼には無かった。
 金色に色を変えつつある朝日をほんの少し受けた肌を、彼等はまた重ね、お互いに身を委ねた。


 * * * * * * * * * *


「……全く、お前は莫迦か!!」

 其の様な怒声が辺りに響いたのは、太陽が天辺へ近付いた頃。
 し乃雪に『客』が来ていると聞き一度出直して来た源三郎が、其の後結局倒れ寝込んでしまったし乃雪を前に発したものだ。

「……何も、叫ぶ事は無いだろうて……」
「なぁ、もう少し俺の気持ちを考えてくれ……雪、お前は自分の事等如何でも良いだろうが、眞鶴や俺がどれだけ心配しておるか考えた事あるのか?」
「……何じゃ?お前さん、俺の事を心配してくれておるのか?」
「当たり前だ!!」

 消え入りそうな弱々しい声のし乃雪にはお構い無しに、源三郎は目尻を吊り上げ声を荒らげ続ける。落ち掛けた意識は其の怒声にて大分浮上し、漸くゆっくりと体を起こす。

「ふふ……お前さんも暇人だな、」
「本当にな。全く、近頃は自分でもそう思うぜ……」

 言いつつ、源三郎は懐より小さな紙包みを取り出す。
 ……飲み薬の包みの様。
 しかしし乃雪へ直ぐ渡す様な事はせず、数瞬思案した後、口を開く。


「…… ところで。
 先日お前が魘されておった夢は、まさか此処最近ずっとか?」
「ん?何故に問う、」
「良いから答えろ」
「……嗚呼」
「具合が悪くなり始めた時期と良からぬ夢を見る様になった時期は同じなのか?」
「嗚呼……」
「百足か?其れとも……蛇とか、」
「…………何故に其れを、」

 戸惑いを見せるし乃雪であるが、源三郎は容赦の欠片も見せず。
 其の様は仕事であるかの様に淡々と。

「……もし俺の憶測が正しければ……少々厄介な事になりそうだ」
「又もや厄介事かえ……面倒じゃの、」

 ふぅ、と溜め息を漏らし、此度のし乃雪はやはり気乗りしなさそうな面持ち。
 其れでもさも当然の様に、源三郎へ問う。

「……で?お前さんは一体何を知り得たのじゃ、」
「ふむ……」

 腕を組み口は開くが、数瞬の空白を置き。

「お前の症状に見合った薬を探し薬屋を回っておったらな、城下の薬問屋にて小耳に挟んだのだ。
『近頃、城下の金持ち達が次々と似た症状で倒れた』とな。
 良く良く訊いたら、どの金持ちも毎夜悪夢に魘され、結局皆全身に紫色の痣を残して死んでいったと言う。金持ち病、等と名付けられておった」
「ふふ、良い名じゃの」
「しかし原因は分からぬ。医者も文字通り(さじ)を投げた。
 其処でだ。ある事を思い出し、別の方向より調べて見たら……あったんだよ、似た様なものが。
 其れが、」
「……陰陽道呪詛(おんみょうどうじゅそ)

 不意に、小さく零すし乃雪。
 源三郎は表情を曇らせ、呟く。

「…………雪、お前。知っておったのか、」
「否?知らぬよ」
「言うた癖に直ぐ嘘かよ、」
「お前さんはあれであろう?言うなれば総てはあの『金の成る壷』に繋がっており、俺は被害者の一人だと言いたいのかえ、」
「否、総てを繋げるにどうも腑に落ちぬ……
 どちらにしろ、お前の病を治す術は……この通り。見付けたぜ」

 手にしていた小さな紙包みを軽く掲げた後、漸くし乃雪へ手渡す。彼は少し怪訝な表情で手に取り、口を尖らせた。

「……薬は不味うて嫌いじゃ」
「文句を言うな、美味い薬等聞いた事も無いぞ」
「材料は何じゃ?」
「飲んでからな、」
「訳も分からぬ物を飲めと、」
「飲んで欲しく無くば渡さぬて」
「渡されても飲みとう無いて」
「飲め」
「どうせ治らぬて、」
「飲ぉーめ!」

 子供を叱る父親の様に睨む源三郎に、し乃雪は結局根負けしたらしい。「……嫌な予感がするのじゃが……」と小さく漏らしつつ、手を差し出し水を求める。
 予め急須に用意していた水を湯呑みへ注ぎ渡せば、包み紙を開き出て来た得体も知れぬ黒い粉を前に、し乃雪は「うぇぇ…」と顔をくしゃくしゃにした。


「…………飲んでも治らなくば?」
「仕方無ぇ、俺が添い寝してやろう」
「なれば飲む」

 さも嫌そうにそう言ったが、しかし上目遣いで不安そうに源三郎を見。涙が零れそうになった所で、し乃雪は覚悟を決めたらしい。ぐいと一気に黒い粉を口へと流し込んだ。
 直ぐ様手を振り水をせがむし乃雪に湯呑みを渡せば、其れを一気飲みし顔を上げた彼は酷く顔を歪ませ、呟く。

「……うぇ……()()……」
「其れ程不味いのか?」
「今まで食うたどの珍味にも似ぬ、何とも言えぬエグ味じゃ……其れに、酷く血生……臭………… ?」

 其処まで言い掛けたし乃雪であったが、ふと其の顔より表情が消え、動きが止まる。

「ん………… 雪?」

 其の異変に源三郎が気付き、訝しげに声を掛けた時には、其の顔が見る間に青冷めていき。
 やがて自らの胸を掴み口元を押さえ、額よりぼたぼたと冷や汗を流し苦しみ始めた。

「……………!!?」
「おい、雪!?如何した、雪!!」

 目を見開き息を荒らげるし乃雪の背を擦るが、まるで効かぬ。其の体はガタガタと震え、冷たい。
 込み上げて来る物に耐え切れなくなったのであろう。ぎゅうと目を瞑ったし乃雪は、背を丸め、どす黒い液体を吐き出した。
 血だ。しかし、墨汁でも混ぜられているかの如く、黒い。
 口を手で押さえる意味も既に無く、其れは湧き水の如く吹き出し、布団を黒く染め上げていく。
 為す術無く、源三郎は誰かを呼ぼうと立ち上がり掛け……が、ふと冷静にし乃雪を見、気付く。

 赤黒く染まったし乃雪の口より、何かがはみ出て来ている。
 初めは舌かと思った源三郎だが、其れは細かい鱗を表面に持ち、し乃雪の意志とは無関係に動いている。蜥蜴か、蛇か……何か、其れ等の"尾"の様な。
 ……まさか。我が目を疑った源三郎であったが、考えている余地は無い。
 尚も吐血し続けるし乃雪の髪を掴み無理矢理顔を上げさせ、口に手を突っ込んで尾を掴み、言う。

「苦しかろうが、我慢だ!!」

 涙に濡れた紅玉の瞳が、一瞬だけ源三郎を見る。其れを合図に、源三郎は尾を掴んだ手に力を込め、尾を一気に引いた。
 初め其れは酷く抵抗し、全く抜けようとしない。し乃雪の吐く(おびただ)しい黒血に源三郎もまた染まり出し、手がぬるぬると滑る。

「このッ……」

 埒が明かぬ。
 両手で掴み、目一杯引っ張り。
 "ずるぅぅぅ……り……"
 音を立てて、其れは漸く、抜けた。

 どすんと尻餅を付いた源三郎は手を緩め、掴んでいた其れは其の重さ故に手より離れる。
 ビタン!と血の海を叩き、其れは転がった。

「だ……」

 大丈夫か、とし乃雪へ声を掛けんとし上体を起こした源三郎は、しかし異様な物が視界に飛び込み、言葉を失う。
 し乃雪も又、血溜まりの中に倒れ体を震わせたまま、虚ろな視線だけを向けていた。

 自分等の背丈程も長い、大きな蛇。
 ……否、蛇と言って良いのであろうか。
 赤黒の中から見える生白い胴より生えるは無数の虫の脚。
 其れがわさわさ…わさわさ…と、おぞましく動いている。

「……、」

 肌を総毛立たせ、言葉出ぬ源三郎。
 腹を見せ暫くビタンビタンと暴れていた、異形の蛇。……やがて動かなくなり、細かな灰となってさらさらと崩れていった。


「……何であったのだ、あれは……?」

 呆気に取られていた源三郎。其処で漸く我に返り、し乃雪の方を見る。
 ……彼は、黒血の中に倒れたままであった。ひくりとも動こうとせぬが、辛うじて呼吸と瞬きはしている様子。

「雪、雪!大丈夫か、」

 其の体に手を当て、改めて声を掛ける。し乃雪の虚ろな目が源三郎へ向けられる事は無かったが、しかし口は直ぐに開いた。

「……あー……腹が減ったわえ」
「なっ…………お……お前、平気なのか?これ程血を吐いて置いて」
「否?酷く疲れたわ……其れに、今まで食わなかったツケが回って来た様な感覚じゃ」

 良く見れば、乾き掛けた血潮より垣間見える肌は、何時もの桜色がかった白磁色……あの病的な青みは無い。
 恐らく、今し方吐き出した汚血と蛇が総ての原因であったのだろう。
 源三郎の心中に、安堵感が湧いてくる。
 やがて其れは涙となり頬を伝おうとしたが、其れより先に漏れたのは乾いた笑い声。

「……は……っ、は は……」
「んー……源、お前さんとうとう壊れおったか?」
「嗚呼……嗚呼そうだ、お前のせいで俺が死ぬかと思うたわ!
 全く……全くよぉ!」

 怒声にも聞こえるが、顔が笑みと涙でくしゃくしゃになっており、覇気が無い。
 其れを見たし乃雪は久々に大口を開けて笑おうとしたが、口内に残っていた汚血が喉へ流れ噎せ返り、不発に終わってしまった。


 * * * * * * * * * *


 遊女達は朝に風呂へ入る為、日が東へある内はまだ湯船が温かい。
 男衆の一人に今一度風呂を沸かして貰えば、然程時間も掛からずお呼びが掛かり、二人はぱりぱりに乾いた全身の血糊をゆっくり洗い落とした。


「……しっかし、まさかあの様な魍魎(もうりょう)が、この細っそいし乃雪の腹ん中になぁ……」

 湯船にてし乃雪が体を洗う様子をじっと見詰めていた源三郎が、何気に漏らす。其の声と視線に気付き振り向いたし乃雪は、にやりと笑みを漏らし言う。

「俺は結構食うからのぉ、」
「否々、ありゃあ食う食わぬの問題では無いだろう?」
「そうか?
 嗚呼、そう言えば源。あの粉……」
「ん?嗚呼……」
百足(むかで)であろう?」
「!」

 ぱしゃんと湯が跳ねる程に驚く源三郎。
 湯船の中だと言うに顔を青くする様子が滑稽で、し乃雪は体ごと源三郎の方を向き、フフンと笑う。

「如何したえ、源三郎?当てられたのが悔しいか、」
「……まさか、其処まで見透かされておったとはな」
「んふふ、俺を誰と思うておる?……まぁ、俺もあの蛇を見て初めて分かったのじゃがの」

 ざ、と湯を掛けシャボンを洗い流し、湯船の縁へ座る。
 脚だけを湯に浸けぱしゃぱしゃ跳ねさせながら、浅黒く堅い肩に張り付いた黒髪をつるりとなぞり。
 ばつの悪そうな源三郎、口開く事無く。

「お前さんの予想が外れておったら、俺は今頃地獄行きかえ……」
「…………すまん」
「謝るなて!
 俺はな源三郎、お前さんに感謝しておるのじゃ。
 ……まっこと、良くぞ此処まで調べてくれたよ。蛇蠱(じゃこ)百足蠱(むかでこ)にて相殺するなど、普通は思い付かぬよ」
「……蛇蠱、百足蠱?」
「ん?お前さん、よもや何も知らずに蠱毒(こどく)の粉等飲ませた訳ではあるまい?」

 聞き慣れぬ言葉であったのだろう、無意識に聞き返した源三郎に、し乃雪は少々苦笑混じりに問う。

「ふむ……作り方だけ訊いて、そう言えば正体は訊かなんだ」
「何じゃ?源三郎にしては珍しい」
「雪を助けたい一心でな……どうも俺は慌てると向こう見ずになるらしいのだ、」

 顎を擦りつつそう漏らす源三郎の様子で其れが真であると悟り、し乃雪は大きく溜め息を零した。

「そうかえ……そう言えばお前さんは狛虎と対峙した時もそうであったのぉ、首を突っ込んだ挙句腹に大穴を開けおって」
「だろう?此度もつい……な」
「全く…… あのな、」

 改めて源三郎へと向き直り、白い其の脚を組む。
 源三郎には少しばかり刺激が強いらしく、ほんの少しだけ目が泳いだ。

「蠱毒と言うものは、先にも言った陰陽道呪詛の一つじゃ。……まぁ作り方が単純な割に酷く厄介な物故、陰陽道に詳しき者であればある程用いる事が無い様じゃがの」
「作りが単純ならば誰でも用いそうだが?」
「素人はそうして安直に使うのさ。
 嗚呼、あの粉はお前さんが作ったのかえ?先刻も言うたがあれも蠱毒じゃ。……良う呪い返しに遭わずに作る事が出来たの、」
「……っじゃあつまり俺は知らずにお前に呪詛を、」
「否。実は蠱毒には種類があってな、俺に憑いておった蛇を始め、百足、蜘蛛、蚕、狐、猫、狗……これらは陰陽五行に割り振る事が出来てな、水克火(すいこくか)……水が火を抹する様に、蠱毒も属の相違う蠱毒で打ち消す事が出来るのじゃ」
「…… 良く分からぬが、毒を以て毒を制す……と言う事か」
「左様、」

 苦笑。

「にしても、なぁ雪。お前さんは何故に其処まで詳しいんだい?」
「俺は源の字が何処で蠱毒を知り得たのか……の方が不思議じゃがの?」
「知り合いに詳しき者が偶々おった故にな、取り急ぎあの粉の作り方だけ訊いたのだ」
「ほぉ……お前さんの知り合いとやら殿は凄いのぉ」
「だが雪、お前は最初から蠱毒の事を知り得ておったのだろう、」
「存在はな。症状は知らなんだ」
「ふぅん……」

 一頻り喋り終えた所で、体が冷えたのであろう。し乃雪はたぷんと頭まで湯へ落ち、源三郎の横へふわりと浮かぶ。
 頭を縁へ置いてふぅと一息付けば、溢れる湯の流れに乗って広がった白銀の髪の毛が美しく波打った。

「蘭学を学んでおった時、薬では治らぬ病もあると聞いてな。其の一環で呪詛を調べた事があるのじゃ」
「ほぉ、」
「症例は知らなかった故、知識だけな……呪詛等と言う物騒な物、試そうとも思わぬわえ」

 眉をしかめそう吐き捨てるし乃雪は、先刻まで血塗れで苦しんでいたとは思えぬ程の口振り。
 未だに心配していた源三郎、丸出しにされたし乃雪の丸い額を指で小突く。
「痛てっ、」と小さく悲鳴を上げたし乃雪、赤く染まった其処を撫でながら仕返しに源三郎の脇腹を突付いた。


「…… なぁ源」
「ん、」
「お前さん、調べるつもりかえ?」

 ふと声色が変わった事に気付き、数瞬ほぅと意識を浮かせていた源三郎は声の方へと振り向く。
 し乃雪は、何処か虚ろな瞳で天井を見上げており。其の瞳が不意に源三郎へ向いたが、しかし焦点は合わぬまま。
 対し、問われた源三郎の表情は固い。

「嗚呼」
「辞めぬか?」
「……嫌なのか、」
「嗚呼……怖いのじゃ」
「何が、」
「…… 分からぬ」

「俺も、気が乗らぬさ。其れは先に言った通りだ。
 だが雪、お前が巻き込まれ殺されそうになったのだ……再び襲われるとも限らぬ故、調べねばならぬ」
「……、」

 じっと源三郎を見詰めていた瞳が、瞼の下へ隠れ。桜色に染まった唇を軽く咬んだし乃雪は、やがて伏し目がちに呟く。

「……一つ、約束して欲しい」
「何だ、」
「何があろうと……俺を、嫌わないでおくれ」

 其の言葉……声には、何の感情も含まれていない。
 酷く虚を思わせ、源三郎の胸を締め付ける。

 源三郎は、只一言「……嗚呼」とだけ言った。
 ……し乃雪の顔に、柔らかな微笑みが、灯った。

「……有難う、源三郎。本当に」

「…………。
 仮にもお前は病み上がり故、俺だけで動こう。お前はもう暫し休め」
「ん? 否、」

 今し方の事を特に気にする様子も無い源三郎。拍子抜けしたし乃雪は戸惑い、ざばりと起き上がる。

「取り敢えず、お前さんの知り得た事を教えておくれよ。決めるのは其れからじゃ」
「ふむ、……まぁ、其れもそうか」

 ……まるで、先刻の事が無かったかの如く。


「雪、」

 そろそろ上がろうと立ち上がったし乃雪に、源三郎は声を掛け。

「何だ、」
「余り焦るなよ……世とは、成るようにしか成らぬもんだ」
「…… 良う言うな、」

 笑みを湛え見上げている源三郎に、し乃雪は只笑い返す。

 ――― この男は……。

 し乃雪はふと振り返り、ぱしゃんと湯を掛け。
「お前、」と、源三郎は只笑った。


 * * * * * * * * * *


 血に塗れた部屋の布団と畳は、事情を知る眞鶴の厚意で、風呂より戻った時にはすっかり新しい物へ変えられていた。「お前はまっこと得な人間よな、」と源三郎は笑う。

 丁度、日が天辺へ差し掛かった昼時。冬近く、あれほど白かった吐息は少し薄れ、小春日和の日光はちりちりと肌を微かに焼く。
 心底腹が減っていたし乃雪は、何時も以上の量の白飯をかっ食らっていた。
 さも旨そうに食う其の様子に「余り急ぐと詰まるぞ」と笑いながら、源三郎もまたゆっくり飯を頬張る。


「んで…………源は何処まで知ったのじゃ?」
「ふむ。お前さんが食い終わってからな、」
「構わぬよ、もう少し時間が掛かる故」
「……未だ食う気か、もう三杯目だぞ」

 言いつつ、しかしし乃雪のそんな姿に源三郎は嬉しそうに笑う。
 其の源三郎にぴっと箸先を向け、し乃雪は

「お前さんもたんと食えよ、只飯故にのぉ。腹が減っては仕事も出来ぬよ?」

 と片眉を上げ不敵に笑った。


「で、件の」
「嗚呼。金の成る壷か、」

 出された膳を空にした源三郎は、箸を置き、茶飲みを片手に口を開く。自分で飯を装い再びかっ食らい始めたし乃雪は、手は止めず耳だけを源三郎へと向けた。


「先ず、壷の噂が広まったと同時に増え始めた病……金持ち病。これの正体だな」
「嗚呼」
「どうも、話を聞くにやはり蠱毒であるらしい。どの病も症状はお前さんとほぼ同じだ。……ほぼ、な」
「と、言うと」
「幾つか違う所があるのさ。
 先ず、お前さんは此処ひと月で急に容態を悪くしたが、他の人間は三月、長くて半年掛けてじわじわと削れ、死んで行った。
 もう一つは……痣だ」
「俺の体に出た痣の事、知り得ておったのかえ?」
「これも知り合いからな。材料は痣の形により変わると聞かされ、故に夜中に見させて貰った。雪、お前の痣は蛇であったろう?故に百足蠱を用いたのさ」
「ふぅん……俺が蛇であるとすれば、皆は」
「蜘蛛だ」
「蜘蛛、」
「嗚呼。(てのひら)程もあるでかい蜘蛛の痣が、全身至る所を何匹も這い回っておったのだとよ」
「何とも……悪趣味じゃのぉ」

 言いつつ、しかしし乃雪の箸と口は一向に止まる気配が無い。
 ……これ程度で動じぬ男と知り得ども、流石の源三郎も少々呆れ顔。
 苦笑気味に、源三郎は小さく溜め息を付いた。

「なあ雪、可笑しいとは思わねぇか?
 もしこれが皆と同じく『金持ち病』であれば、お前さんの痣も又蜘蛛であった筈」
「……皆を狙うた者と俺を狙うた者が違う、」
「若しくは、お前に対しのみ強い殺意がある……とか、な」
「……」

 し乃雪の箸が、一瞬のみ止まる。
 顔を青くする其の様子を、源三郎は見逃さない。

「雪?……何か疚しい事でも」
「ん?…んふふ、さてねぇ」

 含み笑いと共にさらりと返された其の時には既に元のし乃雪に戻っており。
 源三郎は眉をしかめながらも、しかしこれ以上問わず、続ける。

「まぁ此処まで来れば、犯人等分かった様なものだな。
 恐らく、武家屋敷を出入りしておると言うあの陰陽師……」
「しかし源の字よ?蠱毒は素人でも用いる事の出来る簡単な呪詛じゃ。寧ろあの呪詛を知る者程乱用はせぬ……断言は出来ぬよ」
「……そうか、そうさな……」

 腕を組み、じっと考えに耽る源三郎。
 し乃雪もまた一頻り飯を頬張り満たされたのであろう、漸く箸を置いて同じく腕を組んだ。

「あの陰陽師含め、屋敷が富んで得をする者……若しくは、屋敷を肥やし最後に根こそぎ奪い取るつもりか。お前さんと関わりのある人間なれば、よもや尚更」
「どちらにせよ、あの屋敷の内部におる者であろうな……
 俺は樋口様とは面識無いのじゃが……とは言え、調べるなれば、先ずは『金の成る壷』かえ」
「其れの"正体"、其れと"持ち主が誰か"、に寄るな。
 樋口ならば其の周り、あの陰陽師なれば……厄介になるが」
「よもや陰陽寮が、と言う事になるが、其方は流石にお手上げじゃ……」

 食後の茶を淹れながら、はぁと溜息零すし乃雪。

「だよなぁ…… もしそうなら、単独犯である事を祈るしかねぇな」
「あの左近とか言う狐の線は、」
「…… 武家屋敷を肥やす理由、金を搔っ攫う理由が、今は思い付かねぇな」
「金の流れを追えれば分かりそうでもあるが。……なぁ、源の字?」

 茶を差し出しながらも、し乃雪は源三郎へすすすと寄り。
 少女の様な上目遣いにて源三郎を見詰める。
 ……何を求められたのか、察した源三郎の顔が俄かに歪んだ。

「あぁ?……弥次は駄目だ、また舌打ちされちまう」
「其処を何とか、……な?源さん、ねぇ」
「………… 分かった分かったよ!寄るな撫でるな見上げるな!!
 何となく情報だけ流しておくが、あいつが動くかは分からんからな!」
「流石は源さん、色男じゃの?」
「るせぇ!」

 一通り話が終わり、茶を啜る間。
 ……どちらからとも無く溜息が漏れ、其れは湯気と共に流れ消えていく。

「……其れにしても、嫌なものじゃ」

 零れる、言の葉。

「お?し乃雪太夫の口から珍しい言葉よな、」
「前も言ったであろう、恐ろしいのは人の業じゃ。
 其処までして金を欲する奴の気が知れぬ」

 何と無く、そう発したし乃雪の声に苛立ちを見出し。
 源三郎は其れが自分のせいである事に気付くものの、どの言葉が原因であるのかまでは分からず。


「源三郎、」
「ん?」
「……やはり、俺に調べさせてはくれぬかえ?」
「……、」

 源三郎は、深く問う事をしなかった。
 しかし、今回は源三郎自身もまたし乃雪に任せられぬ事情がある。

「独りでは駄目だ」
「しかし、」
「案ずるなよ雪。お前さんは先程言ったであろう、『自分を嫌わないでくれ』と。
 何があろうと俺がお前を嫌う事は無いし、お前の内に土足にて上がる様な事はせぬ」
「…………、」
「故、二人、だ」

 はっきりと、源三郎は言い切る。
 し乃雪は俯いてほんの少し笑みを浮かべた後、小さく……聴こえぬ程に、小さく呟いた。


「…………有難う」