───行きは良い良い、帰りは怖い
怖いながらも
城下の見慣れた街並みを山を降りる途中の道より眺めれば、今朝方まで居たあの村がどれ程寂れていたかが身に染みて感じる。
日が頭の真上に来た辺り、其処は何時もと変わらず沢山の人々で活気付き、空気が其れだけでほんの少し暖かく感じた。
早良は焦っていた。
奉行への土産が無い事では無い。弥次郎の安否が気になっている故だ。
あの時、あの様な状態の弥次郎を放って置くべきでは無かった……そう悔いながら、足取りは重く、速い。
忍が言っていた飲み屋……『藤雅』。
指定された店が、まさか奉行所へ通う途中の道にある唯一の飲み屋だとは。
早良は酒に弱かったが、其処は付き合いで偶に足を運ぶ所であったし、此処の看板娘であるお松は、そんな時に気を利かせて水や茶を持って来る程度に早良の事を知っている。
所謂近所付き合いに近い感覚で、其の飲み屋とは縁があった。
真昼でも暖簾が掛かっている事を、早良は知っている。昼は飯屋も兼ねており、しかし今日は時間が少々押した故、人気は疎らだ。
無意識に、戸を開けようとする手が汗ばみ、震えた。
この先に何が待ち受けているのであろうか……何時もとは全く違った緊張で、早良は生唾を飲み込む。
そっと、木戸に手を掛けた其の時だ。
突然思いも寄らぬ力が掛かり、戸が開く。恐らく誰か中に居た客が出ようとしたのだろう、其の木戸は早良の視界を急に変え、目前に現れた男に言葉を失った。
「…… あぁぁぁぁ!!おっお前……!?」
「!!? 貴っ様、奈々尾の……!!!」
お互いがお互いを指差し、間の抜けた声をあげる。
あろう事か、現れた其れは自分を陥れた挙げ句幼馴染みの母に牙を向けた憎き化猫、狛虎であったのだ。
「此処でも悪さをするか化猫が!!」
怒りに任せて刀に手を掛ければ、狛虎も隠れていた牙を剥き出しにして威嚇する。
「お前こそこんな所でも化け物退治からに!?悪い事してない奴らにもそうやって斬りつけるんだろう田舎侍め!!」
「ほざけ化猫!!大体貴様が……」
「まぁまぁまぁ、二人共落ち着かぬか……他人様が見ておるぞ、」
不意に、何処か聞き慣れた声が早良の耳に入る。全く以て違和感を感じない其の声に一瞬で怒りが吹き飛ばされ、彼は……否、狛虎も共に振り向いた。
飲み屋の隅にてちびりと一口酒を含み顔を上げた其の男。涼しげな垂れ目に黒い肌、女物の羽織を着た色男だ。……何処か見覚えのある顔立ちだが、知り合いに素浪人も遊び人もおらず、早良は首を傾げた。
其れを後目に、狛虎は情けない表情を男に向け、子供の様に嘆く。
「だぁって源、こいつったらあん時から事ある毎に……」
「事情は分かるが、先ず落ち着け。何なら、一緒に話を聞くか?」
「ん?じゃあもしかして今日の待ち人って、」
「そう言うこった。
待っておったぞ、早良」
……己の名を知っておる……
こやつか。早良の体の芯に再び緊張が走る。が、男は険しい顔の早良に苦笑気味に笑いかけ、
「まぁそう睨みなさんな、座られよ」
と早良を促し。
はたと周囲の空気を察した早良は、眉根を寄せたまま男の前の席へ腰を下ろした。
「源ー、つまんないから外いるさー」
「おお、行ってこい」
……やはり、何処かで見覚えが。
あの化猫へ手を振っているこの男……漂わせる甘い香りであったり、何処か掴み辛い雰囲気であったり……酷い既視感が顔に出てしまったのであろう。男は少し眉根を寄せて早良の顔を覗き込むと、嗚呼、と声を上げ。
「ん?何だ早良、俺の事が分からぬか?」
「……元より道楽者に知り合いは居らぬ」
「随分な言い種じゃねぇの……なぁ、"眼鏡"を持っておるだろう?貸して見ろ」
何故に此処で"其れ"の名が出るのか。早良は訝しみつつも渋々懐より眼鏡を取り出し、渡す。
男は戸惑う事無く其れを受け取り、すと掛け、早良へと顔を向けた。
「…これで分かるか?早良」
「……おめぇ……!!?」
途端に目を丸くし、言葉を失う早良。
無理も無い、眉間に皴を寄せた其の顔…其処に居たのは"藤原弥次郎"本人であった。
「ふはは、其の驚いた顔!堪らん、」
「あ……えっ、まさかおめぇ……じゃああの忍は」
「あれも"俺"、だ。
名は鴉獄。まぁ此処いらじゃ"源三郎"で通っておる故、そう呼んでくれや」
聞いて暫くは驚きを隠せぬ様子の早良。
見れば見る程、あの"弥次郎"がこの男である…あの"忍"であるとは思えず、眩暈がしてくる。
「……分からぬな、」
「俺が弥次郎だと信じられぬか?」
「全く……何故に己を殺さず正体を明かした?」
「嗚呼そうそう、忘れる所だったな……早良、酒は?」
源三郎の問いに不機嫌な声で要らんと唸れば、残念そうに軽く俯く。
後、「美味いぞ?」と蒸した枝豆が載った皿と茶を代わりに早良へ寄越し、顔を上げた源三郎。其の表情が今までの其れとは打って変わり、鋭い眼光を湛えた仕事人の顔となった。
……其の瞳。色は違えど、確かにあの忍が見せた、研ぎ澄まされた刃の瞳と同じものだ。
「お前なら信じられそう故にな……あの村の正体、知りたくは無いか?」
「…… やはり只の村では無かったのか、」
「但し条件付き、だが」
「……」
ひくりと目元が揺れた事を察し、源三郎は笑う。
「いやいや、そう難しい条件では無い。
お前が命をなげうってまで拘る理由……興味深いのさ。
酒の肴程度で良い、聞かせてはくれぬか、」
「人の半生を酒の肴にする、か……」
じっ、と、早良は俯き、思案する。
今軽く思い返せば、余りにもくだらぬ半生。今まで只一人……幼馴染みにしか話した事の無い其れを話した所で、果たしてあの村の正体と見合うに値するのであろうか?
……否、迷うのは止そう。
自分が生きる一番の『目的』に繋がる尻尾の切れ端でも、掴めるかも知れぬ。
「……分かった。
ならばおめぇが先じゃ」
「……駄目か?」
「おめぇは易々と逃げられるだろうが、己は逃げてもおめぇが直ぐ捕まえるであろう?
おめぇが先じゃ」
「ふむ、成る程な……食えぬ奴め。
ならば、もう一つ条件だ!俺の酒に付き合えよ」
「……ちっ。あいわかった」
よし来た!笑いながら、源三郎は膝を叩く。
「……ふむ、聞かれると不味いな。少し寄ってくれ」
「嗚呼……」
言われる通り寄れば、ふわり甘い麝香が鼻を擽る。
……弥次郎が持つ檜の如き凛とした香とは全く違う、其れは間違いなく"別人"たるもので。
軽く、惑う。
「……。 で?あの村は、」
「あすこは村なんかじゃねぇ。 ……子供の預かり所さ」
「……何?」
そう呟いた早良の表情が険しくなり、ほんの少し上気した様。
「金に困った親は裏で子を売ると言う話を聞いた事は無いか?」
"ひく…"
早良の湯呑を握る手が、揺れる。
「小作人にとってはなかなかの大金で"子売り"に売られるのさ。
……だが余り幼いと使い物にならぬ故、あの場所で一時的に育てられる訳だ」
「……"子売り"、」
猪口に酒を注ぎながらも、言葉は止める事無く。
「左様。
上物の子は遊郭か江戸城本丸、そうでなければ子の居らぬ金持ちや働き手の足らぬ所へ。
世とは不憫よ、人は平等には行き渡らぬ故にな」
「……、」
早良の顔は、明らかに強張っている。…胸元をぎゅうと握り締め、其の様子は何かに怯えている様にも見え。
少々不敵な微笑みを湛える源三郎。酒を飲み、早良に問う。
「早良よ、お前さんは其れを気に食わぬと申しておったな」
"コトリ……"
かき入れ時の店内。其の一瞬のみ音が消え、猪口を置く音が響いた。
「例えば、売った親が子を育てられぬ程苦しんでおったとしても、其れを否と言えるのか?」
「……」
「子を生かす為に、我が子の為にと売られたとしても……お前さんの答えは否か?」
「……」
早良の顔が更に紅潮し、其の目は潤んでいる様で。
早良の目から涙が零れそうになった所で、源三郎は紡ぐ。
「俺はな、気に食わん」
「……何、」
くん、と涙目で顔を上げた早良を、やはりにやにやしながら見る源三郎。
「何をきょとんとしておる?気に食わん、と言うたのだ」
「……何故に」
「お前さんと同じ考え故にな」
また一口、酒を口に含む。後、壁へ寄り掛かり、源三郎は腕を組んで虚空を見た。
まるで悟ったかの様な寂しい瞳が、向かいで顔を上げた早良の其れに映る。
「ならば……何故に幕府の配下におるのだ、」
「何かと都合が良い。生きるも潰すも、懐の中に居れば自由だろう?」
左手で、何かを転がす仕草。後、「……な?」と零す。
「詰まる所、貴様は」
「……そう言う事さ」
とん、と猪口を置く源三郎。
今まで紡がれた言葉を反芻しつつ眉間の皴を増やす早良に、言を続ける。
「まぁ信じる信じぬはお前さんの自由だがな?
……これだけは申して置こう」
自分を映す涼しげな鳶色の瞳が、……其の一瞬、"金色"に光った。
「もし俺がお前を潰す為にこの様な事をするのであれば、既に其の首を無くしておろう。
俺はお前一人に長々と時間を潰す程、暇でも阿呆でも無い」
地を這う様な"其れ"は、あの時…あの社で対峙した"忍"の声色。
ぞ…と、早良の肌が粟立った。
あの時感じた"あの殺気"。 ……彼の肝を刺し、喉を鳴らす。
……しかし直ぐに元の"源三郎"へと戻り、すぅと殺気は消え失せ。代わり、にこ…と彼は笑んだ。
「……成る程な、」
少々乱暴な言葉だが、今の一言は恐らく源三郎の本音だろう。
確かに先の忍の実力を持ってすれば何時でも自分の首は飛ぶであろうし、今の所自分が幕府にとって重要な情報を握っているとは思えない。
まだ不安ではあったが、同時にほんのりと安堵を感じ、自然と溜め息が漏れる。
「安心したか、」
「……第一、何故に己に近付いた?」
「知りたいか、」
「……」
「いやいや……そう睨みなさんな、冗談の通じぬ奴め」
「己に冗談が通じぬのは分かっておろうが」
ふん、と不意に視線を逸らす仕草はは、弥次郎其のもの。
…弥次郎と居る時の苛立ちを寸での所で呑み込む。
――― この男は弥次郎ではないのだ。
「まぁ、理由と言って良い程のものか如何か、な……
言うなれば、」
「……」
「なぁ早良。お前さんの目指すものが何か、今の俺には到底知り得ぬ。
だが、……如何だ、二人いれば"事"は早く進むと思わぬか?」
「……、」
薄々思っていた事を言われ、早良は腕を組んだままじっと考える。
「……組め、と?」
「嗚呼。如何だ?」
「嫌だと言ったら、」
「駄々こねて悔しがるさ」
「……おめぇは、」
首が飛ぶ、生かしては置けぬ……其の様な言葉が来るのかと思えば。余りにも拍子抜けし、早良は眉をハの字に曲げ、呆れる。
初めて早良がほんの少しだけ笑った様な気がし、源三郎はにんまりと満面で笑んだ。
「お前さんが知りたい事を伝えてくれれば、俺は調べよう。違った観点で思わぬ収穫があるやも知れぬからな。
其の代わり、早良には俺の仕事をほんの少し手伝って貰おう。
……何、難しい仕事は任せぬ。最近内に外に忙しい故、雑用で軽く走って貰う程度だ」
「最初から其れが目的か、」
「だが悪い話ではあるまい?得る物の方が大きいのだからな、」
じっと、源三郎は終始早良の目を見ていた。其れは海原の水平線の如く真っ直ぐで、曇りが無い。
また少し早良は思考を巡らせていたが、彼が返事をしようとする間も与えず、源三郎は立ち上がる。
「まぁ、迷う所もあろう……返事は後日で良い。
弥次郎はまた奉行所に居るし、『俺』は三日に一度程度は此処で飲んでおる。また酒に付き合ってくれよ」
「……分かった」
小さく頷いた早良の様子を見届け、源三郎はまたにこりと笑い。
机に金を置き、其のまま何事も無かった様に外へと出て行った。
「…… 不思議な男だ」
ぽつり、零す。
思えば、弥次郎も終始変わった男であった。何の素性も知らぬまま、あの男は勘定所で空気の如くおり、聞けば必ず正確な答えを……
「……あっ、」
其処まで思い、ふと肝心な事を聞き逃していた事に気付く。
『姥捨て』の所以だ。
……これは、嫌でも再度奴に会わねばいかぬな……
はぁと溜め息を零し、早良もまた重そうに立ち上がった。
* * * * * * * * * *
「……良かったのか?あんな形で。
早良め、逃げるやも知れぬさね」
少年の姿となり隣を歩く狛虎が、脇でにこにこと笑みを絶やさぬ源三郎を横から突付く。
「逃げぬよ」
「何故にさ、」
「あの男は嘘と卑怯が嫌いだ」
「源、ちょっと信頼し過ぎじゃあないからに?仮にもあのガキは俺に刃を」
「なぁ狛虎、お前は余程早良が嫌いなのだなぁ……」
はぁ……と溜め息を漏らしながら、しかし予想通りであったらしく。
さほど驚く様子も無く、まだ残暑の熱残る澄み渡った空を見上げた。
「俺の"上司"は御上ではない故にな」
「良いからに?」
「何、辻褄だけ合わせて適当に報告すれば良い事。
一々裏付けを取る事等、彼奴等には出来ぬさ」
「源、お前は余程御上が嫌いなのだなぁ……からにな」
「おっ、俺の真似か?」
まるで兄弟の如く二人は軽くじゃれ合い、やがて顔を見合わせ、笑った。
何時も自身を取り巻く乾いた空気が少し流された気がした源三郎は、ほぅと息を付き、元来た道を振り返る。
「……なぁ狛虎。
お前はこの島、好きか?」
「ん?何故に聞くさ?」
「俺は、この様な美しき島は他に無いと思うのだがな……しかし、どうも最近血生臭くてならぬ」
「でも、俺は源や奈々尾が居るこの地が好きからに」
「……そうか」
そんなものか。
「お前さん方が羨ましいな、」
ぽろりとそう呟けば、
「源もこっち側来れば良いさ」
と、狛虎がにかっと笑いながら言った。
「そうだな……お前達が傍に居てくれるのなら考えようか、」
其れは冗談では無く、紛れも無い本音。
源三郎は微笑み、高く澄み渡った空をまた見上げるのであった。
通りゃんせ、通りゃんせ
此処は何処の細道じゃ
天神様の細道じゃ
ちぃと通して下しゃんせ
御用の無い者通しゃせぬ
この子の七つの御祝いに
御札を納めに参ります
「……行きは良い良い、帰りは怖い……か。」
童歌 通りゃんせ 完
