アヤカシ太夫♂とイロオトコ

 

 

オゾマシキ百話目ト
之ヨリ起コリシ怪異ヘノ
心亂レニ言ノ葉無シ

蝋燭總テ消ヘシ時
果タシテ起コルハ
怪異カ、平穩カ


 


 辺りが、静まり返る。
 し乃雪の話に固唾を呑んで聞き入っていた皆、其の余りのおぞましさに、言葉も無い。

「……阿弥の正体は、幸信が助けた女郎蜘蛛であった。
 阿弥は健気にも恩返しをしようとしておったが、彼の者は蜘蛛……結果的には仇で返してしまった……と言う事じゃ。
 其の後、幸信は気が狂い……やがて命を絶った」

 誰もがじっと手を握り締め、恐怖の表情を浮かべている。
 一様に顔青く、し乃雪の客である四人を除き、身動きも取れぬまま。


「なかなか良く出来た話ではあるまいか、し乃雪太夫よ」

 静寂を打ち破るかの様に、朧が不気味な笑みを浮かべながら口を開く。

「其の話、百物語の最後にしてしもうて良かったのか?
 如何なっても知らぬぞ」
「んふふ……、」

 妖しく美しき表情にて零れる笑みが、其の場の空気をざわりと奇妙に揺らす。

 ざぁ……

 外で生温い風が吹き上がり、隙間風が青い紙を張った行灯の炎を僅か揺らす。
 其れを見計らった様に、し乃雪は幽霊の如くゆぅるりと立ち上がった。


「さあ…… 覚悟は良いな? 消して来ようぞ」

 音も無く、襖の向こうへと消えるし乃雪。
 不思議な事に、其の動きに空気は揺れず、皆の肌が総毛立つ。


 物音は、只鼓動のみ。


 と。

 襖の向こうで何やら気配。
 小さな呻き声が聞こえ、同時にもがく様な音。

「……雪?」

 其れまで目を閉じていた源三郎が物音に目を開け、小さくそう呟く。
 皆一斉に源三郎を見た時、彼は立ち上がり他の客を押し退け、一目散に襖を開けた。
 何事かと客の数人が源三郎に続き、後ろから襖の奥を覗き見。

 居る筈のし乃雪が、居ない。
 最奥の蝋燭は既に消えており、しかし其処に気配は……無い。

「雪!?何処だ雪!!」

 血相を変え叫ぶ源三郎に対し、覗いていた客共は怯えつつ、其の襖から離れた。
 起こるとは思っていなかった……起こってしまった怪異に、ぞっと身の毛を振るわせ。

 刹那。


 “ゴトン“


 客達が源三郎の様子に耳を(そばだ)てている中、突如部屋の中心に何かが落ちる。
 皆が一斉に其方へ目をくばせた時、一番に上がったのは眞鶴の悲鳴だ。

 其処に転がっていたのは、
 血に塗れた―――

 白い、腕。


「イヤアアアア!!!」
「ギャアア!!」
「ヒィィィ!!!」
「何じゃあぁぁぁ!!!?」

 一瞬の阿鼻叫喚と共に、其の場の者共が一斉に後ずさり、障子を開け。
 まるで蜘蛛の子を散らすかの如く、殆どの者は其のまま外へと逃げて行ってしまった。



「…………」

 ……部屋に残ったのは、源三郎、朧、霞……そして腰を抜かし動けないで居る眞鶴の四人。


「……雪、もう良いぞ」

 襖に手を掛け寄り掛かり、源三郎は呆れ顔で小さく呟く。
 途端、蝋燭がある部屋の箪笥の中から、げらげらと大笑いしながらし乃雪が這い出して来た。


「成る程……お前の気持ち、何と無く分かって来た気がするぜ……雪」
「で、あろ?
 毎年毎年、全く良う引っ掛かってくれおるわえ……!」

 笑い止まらぬし乃雪を呆れつつ見ていた三人、しかし其の顔に浮かぶは笑み。
 笑いを堪えていた朧がとうとう破顔し、続き源三郎も、そして最後には霞も、上品ながら笑いに混ざった。
 ……が、只一人。
 眞鶴だけは、相変わらず動けぬまま。


「嗚呼、可笑しい!
 太夫もお人が悪い、仰って頂ければもっと其れらしい山芋を掘って参りましたのに」

 先刻天井から落ちてきた、血に塗れた腕……否、食紅に塗れた山芋を拾い上げ、霞が言う。
 久しく見なかった其の愉しげな姿に、朧もまた笑いながら言を紡ぐ。

「余り本物らしいと我は良い気がせぬがな」
「あら、随分弱気ではありませぬこと?」
「戯け、闇に住まう者の出番が無くなるであろうが」
「嗚呼、そう言えば私も朧も住まいは闇でありましたかえ?」
「…………主と言う奴は、」

 呆れ笑いにてそう零した傍ら、天板を外された天井よりストンと狛虎が降り立つ。
 天井の穴より見物していたのであろう、其の顔もニコニコと笑顔だ。

「ぬぁはははは!人間みんな見事に引っ掛かったからになー!」
「狛虎、御苦労様であったのぉ。良い頃合いであったよ、」
「おちゃのこさいさーい!」

 もっと誉めろ、と言わんばかりにニカニカ笑い、し乃雪と源三郎の間にて胸を張る狛虎。

 ……源三郎は其れを見遣りつつも、しかし未だ身動き取れぬままの眞鶴が気になるらしい。
 放心したままの眞鶴を抱き留めれば、彼女は漸く涙目にて源三郎を見上げ、とうとう泣き出してしまった。

「……何なのよぉ、もぉぉ!!」

 まるで街娘の様で、初々しい。
 美しくも可愛らしく、源三郎へと縋り付き泣きじゃくる其の姿……
 少しだけ、し乃雪の心を揺らしたらしい。

「…何じゃ、仲が良いのぉお前さん達は」
「雪、お前が驚かせたんだぞ?」
「この姿は思うても見なかったわえ。眞鶴姉さんはもっと気丈な女かと」
「分かっておらぬな、女心をよ?」
「おぉ?男に抱かれた事も無き男に言われとう無いわえ!」

 口論が始まろうとした辺り、じぃっと様子を見詰めていた狛虎の身がぴくん!と跳ね、すぅと顔色が変わった。
 真っ青となった其れをし乃雪達へと向け、駆け寄って握り締めた手が、震えている。

「おお狛猫よ、お前さんが縋り付くも可愛いのぉ、」
「ちちち違……太夫!後ろ、」

 ――― 後ろ?

 言われて何の気無しに振り向いた、刹那。

「うわあああ!!?」

 其処に佇むは―――
 人よりも大きな、百足の変化。

 カチカチカチと鳴らした虫の大顎が黒く光り、今度は身を飛び上がらせ悲鳴を上げたし乃雪が狛虎へしがみつく番であった。

「何……なッ、何……!?」

 青褪めたし乃雪、今にも泣き出しそうな潤み眼を泳がせた辺り。
 大百足は途端に身を揺らし、聞き覚えある声にて高らかに笑い出す。

「はははは!妖太夫が飛び跳ねおった!!」

 其の身がぐにゃと歪み、戻った姿は朧の其れ。
 笑う彼を始め、狛虎、源三郎、霞も、楽しそうにし乃雪の姿を笑った。

「お前さんも、人の事はもう言えねぇぞ?」
「太夫も可愛いからになー、何時もそんなのの方が好きさね!」
「左様に、」
「……お前等ァ…… このし乃雪太夫を嵌めやがったのかえ!?」

 激怒の後に式神・赤猫を呼び、其の場がさながら妖の戦場(いくさば)と化した、宵も夜更けの丑三つ時。

 只一つ。
 大百足に驚いて白目向き気を失ってしまった眞鶴の、顔向いた方向…青い行灯の陰にて、手拭いを噛み音立てず地団駄を踏む姿。
 其処に居る鬼女……妖・青行燈(アオアンドン)が、すっかり出番を奪われ。
 酷く恨めしい顔にて、すぅ…と姿を消した事を、其処に居る誰一人とて気付く事は無かった。


 夏の夜―――
 一時の涼であった。



 蒼行燈 完