アヤカシ太夫♂とイロオトコ

 

季節外レノ金木犀ガ
夕日ニ搖ラレサラサラリ

短イ尻尾ヲ震ワセテ
小サナ猫ハ呟イタ

今日コソ守ル大亊ナ其レハ
人モ妖モ 変ハラヌモノト
螢ノ色シタ瞳ヲ搖ラシ
今一度向カウ アノ場所ヘ

季節外レノ金木犀ガ
夕日ニ搖ラレユラユラリ


 


 宵の騒動より二日後。


「全く、心配を掛けないで下さい!!」

 弱い体を押して駆け寄って来た奈々尾の第一声が、其れであった。
 目に涙まで浮かべ其の胸にすがり付く奈々尾に、藍の着流し姿の悟兵衛は何時もの調子で顔を赤くし戸惑う。
 其の姿に、あの夜見せた凛々しき面影は無い。

「あいや……あの時はつい出来心で……ご心配をお掛け致しました、」
「今の悟兵衛さん、幽霊じゃないですよね?足、ありますよね!? ……本当に、良かった……」

 きゅうと胸元を掴まれ、痛みに顔をしかめる悟兵衛。
 しかし悪い気はせず、只々照れるばかり。

「あの様な大怪我をしたのに、今日はまさか仕事をする訳では無いでしょうね?」
「いえ、流石にこの身では……
 今日はご挨拶と……若様に、お会いしたいと申す者がおりまして」
「俺に?」
「ええ、」

 其処まで言い、悟兵衛は奈々尾の耳元へ何かしら囁き。
 奈々尾は血相を変え、悟兵衛を見上げる。

「……本当に?」
「ええ。さ、裏庭へ」

 にこりと笑い促せば、奈々尾は一度悟兵衛へ振り向き。

「悟兵衛さん……」
「はい」
「本当に、有難う御座います」

 潤んだ目でそう言うと、奈々尾はいそいそと屋敷の中へと入って行った。
 其れを確認したのち、悟兵衛も安心した様にゆっくりと屋敷の門を潜り、外へと出た。



「……全く、お前さんもお人好しじゃのお……源の字よ」

 外の壁に寄り掛かり待っていたし乃雪が、明るい笑顔で出て来た彼に少々機嫌悪げな声を掛ける。
 何時もの女物の羽織を受け取り、其れを羽織りながら向けた笑顔は、源三郎の其れであった。

「かような所で働いておったとはの、」
「ヒトは誰であれ稼がねばならんもんだろう?」
「思うておったより堅実な仕事よのぉ?と、な……
 ……其れにしても。何も、自分を刺した妖の肩なぞ持つ事は無いであろうて」
「正せる世は正すってぇのは、俺の信条でな」
「死に掛けて尚、かえ?
 お前さんの其の怪我、普通なれば時置かずして死す程のものじゃ、」
「お前の治療が神業だったんだよ、雪。
 流石、蘭方医の勉強をしたと言う話は伊達では無かったな」
「違うよ。奇跡じゃて、あれは。もう二度と御免じゃ」

 時雨屋で狛虎と源三郎が会話した後、彼は黒町屋に居た。
 失血し、今にも事切れそうな状態で窓から転がり込み、気配に気付き飛び起きたし乃雪を大層驚かせたのであった。
 医者の真似事をしていたし乃雪は、知識と道具を掻き集め治療したが、幸いな事に治療方法が適切であったらしく、源三郎は見事一命を取り留めたのである。

 何より驚いたのは、傷の位置そのものは致命を避けていた事、またし乃雪が診た時点で其の傷が早くも塞がり始めていた事だ。
 もしあのまま傷から血をだだ漏れにしていたら……。
 し乃雪は其れを「奇跡」と呼んだのであった。

「だから、済まなかったと言っておるだろう」

 拝み倒すかの様に手を合わせ謝り続ける源三郎に、し乃雪のわざとらしい怒り顔が少しずつ和らいで行く。
 ……否。見た目通り、半分はわざと膨れ面をしていたのだが。

 ちらり、と彼を見、し乃雪は

「……ま、其処がお前さんの良い所でもあるのだがな、」

 と、漸く笑みを見せてくれた。 ……少々寂しそうに。

 消えかかった朝霧の中、漸く陽が地上を暖め始める。
 ぢくぢくと響く傷の痛みも、今は大分薄れつつあった。


「雪、」
「ん、」
「あの後、咲様ご自身が話してくれた」
「ほぉ、……やはり、猫の崖落としは子の病だけが原因では無かったかえ?」
「嗚呼」

 山裾より顔を出したお天道様を仰ぎ見ながら、源三郎が言葉を紡ぐ。

「柏木に嫁ぐ前、前の旦那が三味線の皮を作る職人であったのだと」
「ほお、」
「捕まえて剥いだ猫が産んでいた子を一匹、咲様がこっそり育てておったのだそうだ」
「咲とやらは、狛虎が母の敵として何時か祟るとでも思うたのかえ、」
「若様が胸を患った時に思ってしまったのだとさ」

 目を数度瞬かせる、し乃雪。
 少し眩しそうに、しかし源三郎をふと見遣る。

「して、狛虎は」
「咲様と若様への詫びと心配を何度も口にしておった。育ててくれた恩もな。
 ……親猫の行方を知らぬのか否か、其の件に恨みは無い様子であった」
「……世知辛いのぉ」

 燕が一羽、鳴きながらつぅいと空を泳ぎ行く。
 霧消えた青空に心地良さげで、しかし二人の胸の内は少しばかり影が落ちたまま。

 ふと源三郎が横を見れば、し乃雪の今にも泣き出しそうな顔。
 初めて見せる……先日死に掛けていた時にすら見せてくれなかった表情に、彼はにぃと意地悪めいた笑みで横腹を突付いた。

「何綺麗な顔をしていやがるんだ?雪、」
「猫とは言えど、真に良い子じゃ…と、のぉ。
 別に、お前さんの事等何も考えておらぬよ?其のままくたばるもお前さんの物語であったのじゃ」
「だから、悪かったと」
「はて?何の話やら」
「…………、」

 もう一言何かを言おうとしたし乃雪であったが、不意に背をぽんぽんと撫でられ。
 じわり……其の手より源三郎の体温が沁みる様に感じ、彼は目を丸くしたまま、言葉が詰まる。

「心配、掛けたな」

 落ち着いた声。
 何時もの源三郎の、香り。
 訳も無く胸が締め付けられ、し乃雪は酷く身を(よじ)らせた挙げ句、照れ臭そうに離れた。

「離し遣れよ、遊び人め。未だに俺を女と間違えておるのかえ?」
「言葉の裏にて俺を案じてくれたのかと。まんざらでも無い顔をしていやがるが?」
「食い物も話も、土産が無くなるが残念なだけじゃ」
「おいおい、勝手に殺すなよ……、」
「お前さんこそ、俺に惚れられたく無くば柄に無き事をするな」
「…… ん?其れは詰まり」
「男に惚れられたいかえ?ほれほれ、着物を剥ぎ遣ろうかえ?」
「……済まぬ」

 言いながら、今度は大きく溜息を漏らす源三郎であった。


「……あ、なぁ雪」
「何じゃ?」
「俺が名を変えて吉原で遊んでおる事は…くれぐれも…」
「んーーー?んふふ……」
「……頼むから……な?な??」
「さて、ねぇ……?ふふ……」


 * * * * * * * * * *


 其の頃。
 奈々尾が裏庭へ駆けつけた時、其処は修羅場と化していた。
 狛虎とあの幼馴染の侍が、あろう事か鉢合わせしてしまった様子。

「貴様、のこのこと何しに来た!?この化け猫が!!」
「お前こそまたやられに来たのか!?人間の癖にでしゃばりやがって!!」
「樹様性懲りも無く奈々尾を狙いに来たのであろう!!この命に代えても喰わせてなるものか!!」
「喰わねぇよ!!!」
「ちょっと……二人とも、何やってるんだよ!?」

 酷くたじろぎながら、奈々尾が割って入る。
 二人は漸く状況を察した様で、侍は刀を納め、狛虎は長く伸びた鉤爪を引っ込める。

 慌てて奈々尾が侍を促し、小声で数言囁くと、

「良いか!?この決着は何時か必ず着けてやる……覚悟しておけ、化け猫!!」

 と侍は威勢の良い啖呵を切り、渋々屋敷の奥へと消えていった。


「何度来たって妖にゃ敵わんからに!!」

 べぇ、と鋭い牙と長い舌を見せる狛虎。

「相変わらずで良かったよ、狛虎兄さんってば」

 奈々尾がくすくすと笑い掛ければ、漸く狛虎も落ち着き、続き酷く狼狽を見せた。


「あ……えっと。
  何だか面と向かうと恥ずかしいな……」
「兄さん、」
「ん?」

 呼ばれ、顔を上げた途端。
 奈々尾が、少々背の高い狛虎の腰に手を回し、ぎゅうと抱き締めた。

「……あ、金木犀の匂い……」
「あ……うん、香で……使ってるのさ」
「懐かしい……すっと忘れていなかったんだね。
 あの、金木犀の花畑」
「…………、」

 お帰り、と騒ぐでも無く。
 何処へ、と怒るでも無く。
 凍り付いた心を溶かすかの様な、柔らかな言葉。

 まだ小さな……否、あの頃より随分逞しくなった、奈々尾の背。
 回した手に力が入り、何時しか狛虎は奈々尾にしがみ付き、ポロポロと泣いていた。


「……御免な。奈々……」
「ううん、良いんだ……兄さんの所為じゃない。
 兄さんが戻って来てくれた……俺は、其れだけで良い」

 優しい其の声は、同じく震えていた。
 甘い香りの胸元に抱かれ、暫し泣いた。


 さわり、空気が二人を撫でた辺り。
 狛虎は奈々尾の身体を引き剥がし、其の肩からずり落ちた羽織をそっと掛け直す。

「奈々…… 御免、もう行かなきゃ」
「……帰って、来られないのかな?」
「大丈夫。狛虎は生きているのだから。江戸からは離れないしね。
 ……また、何度でも遊びに来るさ。猫の姿で」
「本当に、」
「嗚呼。そうしたら又、外の話を一杯してやるさ。
 時々お土産も持って来るからにな、美味いもの一杯知ったからさ」
「うん……うん!」

 嬉しそうな、顔を真っ赤にして必死に頷く奈々尾の笑顔が、狛虎には一番嬉しい事であった。
 其の顔に、何かを思い出したのであろうか。
 ふと顔を上げた狛虎、懐よりあの鈴を取り出し、そっと自分の首に結ぶ。

「これ、又来る約束な。
 指切りげんまん鈴、な」

 そう言うと、奈々尾の顔が酷く綻んだ。

「うん、嘘吐いたら針千本ね」
「あ、千本は…じ 十本じゃあ駄目からにか?」
「駄目ー」
「堪忍からに、逃げるさね!」

 其れに何か言おうとした所で、狛虎は茶虎の猫へと変わった。

「兄さん!」
「?」
「絶対だよ、」

 猫は、只一言。
 にゃん、と小さく鳴き、旋風の如く塀を上り、直ぐに居なくなってしまった。


「…… あの化け猫が、お前が言っておった『兄』だったのかよ……奈々」

 廊下の陰にて寄り掛かり、事の始終を見守っていた侍が口を開く。

「うん。 ……血も繋がっていないし、人間じゃないけど…… 人間以上に人間臭い。
 俺の……兄さんだよ」
(オレ)にはにわかには信じられぬ、」
「信じなくても良い。其れが、俺達だから」

 再び見上げた其の空は、真っ青だ。
 穢れの無い心地良き其の空に、微かに残った金木犀の甘い香りを見出して。

「必ず……だよ」

 遠くで鈴の音が、まるで猫の声の様に囁いた気がした。



 猫叉 完