アヤカシ太夫♂とイロオトコ

 

天女ノ如ク儚ゲナ
麗シキ白ノ君

綿ノ如ク柔ラカナ
穢レ無キ白ノ君

手屆カヌ高キ其處デ
何ヲ待ツ?
何ヲ見ル?

貴方ニ逢イトフ御座ヒマス
其ノ目デ射拔ヒテ下シャンセ


 
 


 紫色の空。
 星見えぬ、甘き夜。

 其の人を、見付けた。


 漆黒に溶けそうな振袖から、
 ほっそりと伸びる、白い手首で

 銀の煙管を艶かしく弄び

 鮮血の如き唇で、銜えて

 紅玉の瞳に憂いを篭めて
 長い睫を震わせる

 雪の如き髪の毛を柔らかく流し
 雪の如き肌が闇夜に浮かぶ


 まるで――― (つるぎ)の天女。


 紫煙に見え隠れする其の姿を、ただ見詰め。
 気付けば、溜息だけが零れていた。


 * * * * * * * * * *


「………… 何だ。
 妙に濃ゆい顔ばかりが揃っていやがるな」

 し乃雪の部屋の襖を開け、源三郎は開口一番に漏らす。
 無理も無い。襖を開けて目に飛び込んできたものは、朧・霞・狛虎の三人……と言って良いものであろうか……が、仲良く茶を啜り、冷奴をつつきながら談笑する姿なのである。

「よっ、源!遅かったからにな、」
「ほんにな。我等はほとほと待ち草臥れていた所だ。
 (ぬし)が居らぬと盛り上がらぬであろうに。
 此処の冷奴は美味い、共に如何だ?」
「さ、源三郎樣。お茶をお入れします故、お座り下さいませ」
「……何処へ座れと?」

 其の余りにも濃ゆい光景に只々たじろぎながら、霞に促される通り輪の中に座り。
 ……しかし皆に気付かれぬ様、そっと一人分後ろへ下がる。

 朧と狛虎が話に花を咲かせてはげらげらと笑い、にこにこと笑う霞が皆へ茶と土産の漬け物を出し回った後、源三郎の隣へと座った。

「太夫が「今度遊びに来い」と仰っておりましたのを思い出しまして、偶にはと参りました所、お狛ちゃんが貴方様にお会いする為先にいらしておった様で」
「……お、狛……ちゃん?」
「お互い人ならぬ者であると分かった途端、あの二人ったらすっかり打ち解けてしまって。
 ずぅっとあの調子なのですよ」
「へぇ……」

 ……鵺と猫又が。
 何気にそう過らせれば、良く考えぬでもとんでもない絵になっている事に気付き、源三郎の身の毛がよだった。

 実の所、此処数年来の知り合い(無論、祭りの時にしか顔を合わせなかったのだが)である朧と霞が、あの夜に暴れ回った鵺、そして河童の木乃伊であったとし乃雪から聞かされて以来、源三郎は彼等に対する接し方が分からなくなってしまっている。
 特に朧は源三郎が苦手とする雷の化身"鵺"と来た……其れこそ、くわばらくわばらと手を合わせたくなる程である。


「ところで、肝心の太夫はなかなか来ぬな……」

 ぽつり。朧が面白く無さそうにそう漏らした所で、源三郎と狛虎があっさりと応える。

「嗚呼。今宵は、」
「多分帰らないさね」
「…何と」

 驚いた様子にて低く唸る朧に、機嫌を損ねたのかとビクリ身体を震わせる源三郎。
 しかし狛虎は其の様子に怯む事無く続ける。

「し乃雪太夫、どうもお客が付いたらしいのさね。
 何でも、数ヶ月前から此処に出入りしている何処かの色男に負けぬ、美しくて身なりもきちんとした男だとか」
「……誰の事だよ、」
「しかも、城下でも有名な反物商の若旦那と聞いたからに」
「其の様な有名な若旦那が、陰間茶屋に?」
「からに」
「…………、」

 狛虎がもたらした情報はどれも源三郎が聞いた事の無いものばかりで、眉をしかめる。
 ……が、其れ以上に反応した者は言わずもがな、朧だ。

「真か?真に今宵は太夫に会えぬのか?」
「んー……まぁ、此処の『裏』の逢瀬部屋に今居るからに、邪魔覚悟で乗り込めば顔を拝む事位は……」
「やめぬか狛虎」
「……うぅ……」

 本人に悪気は無かったらしく、源三郎の一言にしゅんとしょ気る狛虎。
 どうやら源三郎の機嫌が余り宜しくない様子だが、朧もまた少々機嫌を損ねた様子で。

「……何ぞ、何時でも来いと言うたのはあの男ぞ?
 なあ、其の耳で聞いたよな霞?」
「まぁまぁ、誰にでも用事で留守にする事はあろうて……」

 どうどうとなだめるも、朧の機嫌はそうそう簡単に直る訳では無く、二言三言似た様な問答が続く。

 ――― 居辛いな……余りに……。

 呆れた面持ちの源三郎が小さく溜息を漏らし、立ち上がる。

「ん?源よ、何処へ行く?」

 ぴたり問答を止め、真っ先に問う朧。
 源三郎の顔は冴えぬまま、面白く無さ気に漏らす。

「別に……俺は狛虎に用があっただけ故にな。其れも先刻聞いた故、もう用は無い」
「で、何処へ行くのだ?」
「酒を浴びに行く」
「ほぉ、ならば我も行くぞ」
「嗚呼…… え!?」
「んじゃ俺も付いて行くからにな!」
「なれば私も」
「………… 勝手にしろ」

 すわ準備を、と楽しそうな様子の三体。
 源三郎は額に手を当てて大きく溜息を零した。
 今宵繰り広げられる宴会さながらの光景が目に浮かんだ故だ。


 源三郎は、此処数日間ずっとこの調子だ。
 自覚はないらしいが、狛虎曰く

「仕事の時以外、源ったら魂が抜けっぱなしさ」

 し乃雪がとんと姿を見せなくなった故だ。

 最近は特に、用も無くし乃雪の部屋へ寄っては帰っていく、を繰り返している。
 し乃雪の立場上、寧ろ客を取らなかった今までの数月の方が珍しかった筈。
 ……分かってはいる。
 しかし、何日経てど寂しさは消えず。

 日が沈めば其れはあからさまに顔に滲み、日を追う毎に増していく。

 何もする気の無さそうな、寂しそうな目。
 四人で酒を飲んでいるこの瞬間も、話に頷きながらも時折虚空を見上げ、焦点合わぬまま放心を繰り返している。
 けらけらと談笑する三人の中、特に朧は源三郎の仕草がどうも気になる様子。
 狛虎や霞と喋りながら、ちらちらと源三郎へと目が向かう。


「もう随分夜が更けたな」

 朧が切り出せば、霞も狛虎もふと顔を上げ。

「あら、ほんに」
「んー……狛虎めは未だ未だ飲み足らぬからにィ」
「飲み足らぬ位が丁度良いのだ。 ……霞、」
「御意に。さ、お狛ちゃん……今宵は私と一緒に眠ろうかえ、」

 酔っているのか、顔を赤くしぽんやりとしている狛虎の身を引き、霞は外へと出て行った。…朧と霞は、何も言わずとも話が通ずるらしい。

 客も少なくなり、飲み屋の活気が下火になる。
 ちらちらと揺れる明かりが二人の顔を揺らし、窓から吹き込む風がほんのり上気した頬を冷まし、酒の匂いと共に抜けていく。

 先刻の霞と狛虎に辛うじて手を振る仕草は見せたものの、其れ以降まただんまりを決め込んでしまった源三郎に、朧はさも詰まらなさそうに眉を顰めながらも。

「源三郎よ、」
「…………」
「源!」
「ん! ……嗚呼、何だ。お前さんも帰ったかと思ったぜ」
「先刻からずっと此処に居るぞ……ったく。
 少し身を引き締めろ、だらし無い」
「ん……済まぬ」

 其の時はにへらと笑顔を見せるが、溜息と共にまた放心。
 朧は耐え切れず、其の顔を下から覗き、眉を吊り上げ呟いた。

「たかが人一人に、主らしく無い醜態だ」
「ふむ…………」

 一口、酒で口内を潤した源三郎だが、相変わらず表情は冴えぬまま。

「……仕事とは言え。
 知った顔が何処かの誰かに抱かれてるってぇのは……
 気分良いモンじゃあ無ぇな」
「其れで其の様か?」
「否……ちょっと、仕事で色々とあった故な。
 鬱憤が溜まっておるのさ」
「ふぅん。我であれば何時でも聞いたものを」
「何を言う朧、祭りから今日まで会わなかったじゃあ無えかよ」
「……嗚呼、そうであったな」

 真顔にて返す朧に、漸く声を出して笑う源三郎。

「鬱憤ならば、主等人間なれば遊廓にて晴らせるだろうて、何故せぬ?」
「……狛虎から聞かなかったのか?
 吉原じゃあ俺は二度も騙されておるのだ。
 花魁はもう懲り懲りだぜ……」
「ならば狛虎に化けて貰い相手して貰えば良い」
「嗚呼??何で、」
「初めから分かっておれば怖くないであろう?」
「……勿論冗談であろうな?」
「ん?」
「……否、何でも無ぇ」

 ――― はぁ。
 大きな溜息を付き、月無き今宵の夜空を見上げ。
 やはり心の下方でぽっかり穴が空いたかの様な心持ちは晴れる事無く。
 其の心境は……何なのか、この時の彼は分からぬまま。


「…… 下手すりゃあ、もうまともに逢う事も出来ねぇのかねぇ……」
 ――― 否、そんな訳は無ぇだろうが……恐らく。

 いたたまれぬ不安をぽつりと口に出しながら、しかし源三郎はこの時思っていた。

 初めて言葉を交わしたあの夜以降、ほぼ毎日と言って良い程共に時を過ごしていた毎日。
 あれは、偶々お互いが空いていたと言う大きな偶然の産物。
 ……好い加減、俺はし乃雪と言う幻に寄り添い過ぎていたのだ……と。