ざばり。
二人分の湯が盛大な湯気を立てて風呂の枠より溢れ出し、薄暗い風呂場の視界を奪う。
先日に引き続き使ったシャボンの粉臭い香りと桧の香りが混じり、この湯は随分贅沢だ……と、源三郎は大きく息を吐く。
「色男との風呂は、良いのぉ」
隣の美人が笑う。
「お前さんの体は美しい。
女達のぽてぽてした身や若衆の肉付きは見飽きたわえ」
「お前、女と入るのか?」
「普段はそうじゃの、女達の中に放り込まれておるのぉ。
男共が俺と共に入るは気が引けるのだと」
詰まらなさそうに漏らすし乃雪に、成程、源三郎は妙な納得を感じた。
「ところで、なぁ。し乃雪」
暫し無言が流れた後。
源三郎はぽろり言葉を漏らす。
「さっきの事だが。
お前は、凄いな」
「何がじゃ、」
「あんな妖や幽霊を目の前にしても顔色一つ変えねぇ」
「物心付いた頃より関わっておればこうもなるわえ」
物心付いた頃より?
源三郎が、聞き返す。
し乃雪は彼の方を向かぬまま、ゆっくりと宙を仰ぐ。
さら、…と、銀の髪が絹を晒したかの如く湯に流れ、ほんのり透けている。
……ふぅ。と小さく漏れた吐息に、憂い。
「……昔話をしよう」
「あ?…嗚呼、」
ゆっくり、紅い眼が瞼に隠れる。
充血した唇が牡丹色に染まり、小振りな其れはぽつり、ぽつりと言葉を紡ぎ始める。
「……昔ぁし昔、北の国に若い夫婦が居た。
何であったか、幕府膝元にて吉凶を占う役目をする寮の、其処は分所だと聞いたな。
其の夫婦は、其の中でもとある祠を奉る役目を担う家系であったそうじゃ」
「ふん、で」
「其の祠にて祀るは、鬼であったのだと。
しかし、ある日、御神体が消えた」
「ふん」
「一番に其れを知ったのは、日課の掃除に参じた、夫婦の、妻の方であったそうだ。
必死で探す妻の目前に、其の鬼は現れた」
「……、」
「鬼は言うたそうじゃ。
「今まで大事にしてくれた礼だ」、と。
其の手が妻の腹に触れた。
妻の腹は見る間に膨らみ、たったの十日後。
白い髪に紅い目の赤子が、生まれたそうじゃ」
沈黙の間に、湯気が流れる。
頬を伝う汗が何のものか分からぬまま、ゴクリと喉を鳴らす源三郎。
其れを横目で見た、其の瞳が、殊更紅く思えた。
「……つまり、何だ。
お前さんは、」
「さあ?分からぬ。
幼き頃立ち聞きしたこの話も、嘘か真か」
「……」
「しかし、この眼は真じゃ」
「、」
「この眼は、人の世はぼぉんやりとぼけて見える。
光も、人より眩しく感じるらしい。
が、"妖"の姿には酷く敏い。
故か否か、妖に懐かれ易いらしゅうての……」
「………」
「よもやこの俺すらも、人の世の者では無いのやも知れぬよ?」
にこ、と、微笑む、し乃雪。
美しい笑みが、しかし途端に遥か遠退いて見え、源三郎は思わず其の二の腕をぐいと掴んだ。
「雪」
「ん、」
「何故に言わなかった?」
「聞かれなかった」
「言わねば良いと言うものでは無い。
なぁし乃雪、」
両の手にてし乃雪の肩を持ち、自分の方へ向かせる。
華奢な肩だ。
呼吸と共にゆっくりと息衝く感触が、伝わり来る。
し乃雪の眼は少々の驚きに見開かれ、其処に源三郎の真っ直ぐな眼差しが映った。
「真面目な顔して、如何した?」
「お前が心配なんだよ。
もう妖沙汰を持ち込むのはよそうぜ、お前も余り関わらぬ様にしろ」
「お前さん、何を申す?
其れは妖達に言うた方が早いわえ……。
向こうより飛び込んで来おる故、俺一人引き籠もったとて変わらぬ。
……のお、そうは思わぬか?」
だが、…と言い掛けた源三郎の肌を、し乃雪の指がそろぉり、撫でた。
ぞ、と肌が粟立った源三郎、反射的に身を離す。
「なんッ、」
「のぉ、まっこと良い体をしておるのぉ……」
見れば、向けられたのはあの美しき太夫の表情。
化粧無き其の顔でもまっこと美しい、しかし其の首より下が優男の華奢な体。
源三郎には少々気味が悪いらしく、其の顔よりすぅと血の気が引く。
「やめろって、」
「世辞は言わぬぞ?」
「そうじゃあ無くだ、男に言われるは気分良いモンじゃ無えよ」
「おお!俺を男と宣うかえ!?」
「男だろうが!!」
其処まで言い合った後、やがてどちらからとも無く笑みが零れた。
ひとしきり笑い合い、またふんわり漂う湯気へと視線が流れ。
「お前さんがおると心強いわえ…」
独り言の如く、し乃雪は言う。
「心配と言うなれば、もっと心配しておくれ。何度でも此処へ足を運んでおくれ」
「お前な、」
「面白きこの現、楽しまねば損、損」
歌う様にそう言ったし乃雪の、其の表情が、少しばかり寂しそうに、源三郎には映った。
察した源三郎の顔もふっと曇ったが、両手にて頬を抓られ。
「…お前と言う男は!」
源三郎は又、呆れ笑った。
