アヤカシ太夫♂とイロオトコ

 
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 ぐちゃぐちゃと足元がぬかるみ、軒から数歩出た所で足がすっかり泥に染まった。
 笑うしかない程に、桶をひっくり返したかの様な雨は降り続く。
 まっこと、着流しに替えて良かった…が、番傘では無く蓑と笠にしておけば良かったか。
 久々に男物を着たし乃雪は、しかしすっかり重くなった袖を軽く絞り思う。

 雨の中を一苦労、辿り着いた(くだん)の神社境内に特に変わった様子は無い。
 鼠色と化した縁日に昨日の活気は全く見えず、しかし自分達を越し行く野次馬衆は其の奥へと次々に走る。……どうやら、先刻雷が落ちたのは此処では無く、もっと奥の様子。

「……凶兆で無ければ良いのだが」

 ぽつり呟いた源三郎に、「如何だか、」と不安気に返すし乃雪。


 やがて辿り着いた、雷が落ちたと思われる場所。見覚えがある場所だ。
 雨だと言うのにぶすぶすと燃える音と焦げた臭いが立ち込め、辺りの木々までもが黒く変色している……其処は、あの見世物小屋がある筈の場所であった。

 建物は潰され、倒れたまま動かぬ黒焦げの人間や奇怪な動物が物々しい。
 化け物が描かれた看板すら焦げ壊れ、女の首だけとなった蛇女の絵はしかし漸く人と戻れたかの様にも見えた。


「見事に直撃したのだな……」
「……惨い」

 漏らす源三郎、惨劇を目の当たりにして口元を押さえるし乃雪。

 其れにしても。
 たかが雷一つで、此処まで潰れるものなのか…独り言ちたし乃雪は、横殴りに吹き付ける雨粒をもう気にする事も無く、持っていた番傘を捨て、瓦礫と屍の山へと足を踏み入れた。

「お…おい雪」
「…源、来て見ろ」

 丁度真上が未だごろごろと轟く中、仕方無しと源三郎も恐る恐る足を踏み入れる。
 源三郎が怖いのは祟りや屍、炎ではない。
 天辺に雷神様が鎮座する状態でへらへらと動き回りたくないだけ……が、其れを知る由も無いし乃雪は構わず「ほら、此処じゃ」と源三郎を呼び続けた。

 歩くにも面倒な瓦礫を踏み締め、漸くし乃雪の傍へ辿り着く。
 間近に見た彼の顔は、雨雫を滴らせた色気を漂わせながら、少々浮かぬ様に見える。
 ……何故に此処までむすりとしている?ひくり眉根を震わせた時、し乃雪は顎にて自らの足元を指し。

「見た事のある奴がおるわえ」
「あん?」
「ほれ、ちっこくて汚いのがおる」

 ガラ…と、焦げた板を足にて避ける。源三郎からも見える広さとなった瓦礫の下部に、小さく丸いものが見えた。……良く見れば、背中の様。

「ん?…
 嗚呼!こりゃぁ……」

 更に覗き見、漸く其れの正体に気付き、源三郎は慌てて周囲の瓦礫を避け始め。
 暫し後に引き上げられたものは、あの濁声の呼び込み男である。
 し乃雪が余り良い顔をしなかったのも無理は無い…思うも、しかし人の命に代わりは無い。
 どうやら単に気を失っているだけの様子。小さな其の身を抱えた源三郎、し乃雪は其れを後目に瓦礫の更なる下方をじっと見詰めている。

「雪、一度見世へ戻ろう。手当てをせねばいかん」
「…… のぉ、源の字」
「何だ、」
「"あの箱"、は……意味深長じゃの?」

 言われ、焦りの表情を湛えつつ彼も又覗き見る。
 確かに、其の暗がりには男と同じ背丈程の木箱が静かに横たわり、雨雫に叩かれバタバタと音を立てている。
 薄汚れた其れは、しかし妙な気配に満ち満ちており、し乃雪の横顔がほんのり笑んでいる事に源三郎は気付く。

「…し乃雪、」
「ん?」
「其の、只の箱が気になるか?」
「嗚呼、気になるわえ…昨日河童の木乃伊が入っておったものに似ておる。
 其の小さな男が大事に大事に抱えておった箱じゃて、中身ははてさて何の木乃伊か……」
「お前さんの頭には木乃伊しか無ぇのかよ、」
「嗚呼、其れしか無かろうて?其の男が抱えておったものじゃ……
 其れに、源の字よ。お前さん、やたら埃臭いぞ?」

 鼻を摘みながらわざとらしく宙を仰ぐ、し乃雪。其れにはたと気付いた源三郎、改めてくんかと自身を嗅ぎ。

「…臭っせ!?」
「で、あろう?」
「何だこりゃぁ!? 腐った肉と(かび)の臭いか、」

 源三郎のゆがんだ顔が心底面白いらしい。げらげらと笑いながら、し乃雪は両手の親指人差し指にてそっと箱を摘み上げ。
 どうやら然程重くないのであろうか、其れを源三郎へと差し出す。
 …… 源三郎にこびり付いた臭いの元か。其れは雨に晒された腐肉の如き臭いを漂わせ、吐き気をも感じる。

「背負え」
「何で俺が、」
「其処まで汚れればこれ以上汚れても同じ、じゃて?のぉ?ほれ」

 ニヤニヤ笑むし乃雪の、其の押しは避けられるものにあらず。
 はぁ、と溜息を漏らした源三郎、仕方無し。
 恐る恐る、濁声の男の背を差し出すのであった。


 ざあざあざあ、ぼたぼたぼた。
 雨は楽しく降り続く。
 雲の合間にちらちら見える、不穏な黒影に気付く事無きまま、二人はやがて大きなくしゃみをしながら、元来た道を戻り始めた。


 "ゴロゴロ、ゴロゴロ……"

 立ち込めた暗雲の向こうから、其の様を見詰める眼。
 ……怒りに 唸りながら、其れは空に稲妻を走らせ続けていた。