今日のし乃雪は、お気に入りの菖蒲柄の着物に小花文様の巾着、遊郭ならぬ場所故に化粧は抑え目。
……しかし、そもそも女形にて揃えたのがどうも裏目に出たらしい。
「よお、別嬪さん!」
「綺麗だねぇ!何処へ行くんだい、」
ちらりとだけ目が合った男より声を掛けられ、し乃雪は又溜息を漏らした。
これでもう五度目…間違い無く、周囲の目にはまごう事無く女と見えている様子。
数歩歩く毎にこれでは一向に境内へ辿り着けぬ。
不服ながらもやはり野郎帽子を着けてくれば良かったかえ……思いながらも無視すれば、男達は大抵憤慨して其の白く細い手を掴みに掛かる。
し乃雪は其処に指二本にて目潰しを食らわせ、転げ回る男を後目に何事も無く歩き出す。 ……しかし、又少し歩けば同じ事の繰り返し。
流石の彼もとうとう疲れ果て、狛犬像の足下にへなり座り込んでしまった。
――― 嗚呼、詰まらぬ。
膨れ面にてゆるり周りを見渡し、溜息。
歩く事すら億劫になってしまい、暫し周囲を眺める。
源三郎が暇であればもう少し面白かったのであろう……友人の不在を悔やんでいた其の時、遠くよりしゃんしゃんと軽快な音が聞こえ、し乃雪は顔を上げた。
人混みの向こうよりちらりちらり見得る、唐草緑。
し乃雪の視界にはぼんやりとだけ其の様が見えたが、やがて人ごみを割って現れるは、法被と鉢巻の男数人に連れ添われた、見事な獅子舞である。
時折子供に睨みを利かせ大泣きさせつつ、しかし其れはゆっくり、ゆっくり、此方へ。
この狛犬の側を通り境内へ向かうのだろう……直ぐに通り過ぎる筈。
そう、特段気にもせずに居たが、どうやら少し違うらしい。
気付けば、獅子舞は自分へと向かって来る。
ガチンガチンと歯を鳴らしながら、金箔にて飾られた目はし乃雪の紅玉の如き瞳とかち合った。
おいおい、この姿は獅子舞まで呼びおったかえ……半ば無視しつつも見ていれば、獅子はし乃雪の目と鼻の先。
其れはガバリと口を開け、避ける間も無くし乃雪の頭をすっぽりと飲み込んだ。
「よぉ、し乃雪太夫」
闇の中に、見慣れた顔があった。
源三郎だ。
「……源の字!」
鉢巻を締め、酷く酒臭いが、どうやら然程酔ってもいない様子。ニッ、と笑った彼に、し乃雪は再び心が躍ったらしい。
離れようとした獅子頭の歯をぐいと手繰り寄せ、其の唇に自分の其れを重ねた。
彼にとっては挨拶に過ぎぬものであったが、驚いたらしき獅子は慌て、し乃雪の丸い額をがこんと噛んでしまった。
「痛って!……」
色気の欠片も無い悲鳴。星飛んだ眼を再び獅子へと向ければ、足のみ見得る彼は既に背を向け、ゆっくり、ゆっくり、し乃雪より離れて行く。
ほんのり桜色に染まった額をさすりつつ、し乃雪には笑顔が戻っていた。
