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普通なれば仲ノ町(吉原中央の大通り)の茶屋に上がり、ひと通り相談した後で目当てに会いに行くもの。
だが、 し乃雪太夫を指名する時は何故か其れが無く、真っ直ぐ座敷へと通される。
無論、彼女独り、ああして居座っている故、この茶屋へ向かう花魁道中はある筈も無い。
何故に……、と其れを考えている内に廊下を通り抜け、通された部屋……其処は何時もの宴会場でも期待していた逢瀬の間でも無く、見世の隅にある小さな茶室だ。
す、と音も無く開かれた襖の向こう、まるで先刻と同じ姿形にて、窓辺に腰を下ろし頬杖着く背を見つけた。
二階に上った記憶も無く、そして意外な程に近い其の距離。
胸が、弾む。
「!?」
漏れそうになった声を呑んだ所で襖がすぅと閉まり、しんと静まり返る空気。
憧れの、あの後ろ姿。白銀の髪がゆるりと揺れ動き、やがて其れは嬉しそうな笑顔を源三郎へと向けた。
「……あー、 えっと、…」
……六度も通っていた筈だが。
そう言えば、まともに顔を合わせるのは初めてだ。
何か、言葉を。
しかし何も思い付かぬ。
ゆるり差し出された手は、座布団を指した。
慌て其処に座り顔を上げれば、彼女の手がするりと源三郎の頬を撫でる。
近い。
白く細い手が、温かい。
微かな吐息が、触れる。
濡れた瞳が、じっと自分の其れを見詰めている。
……胸の音が聞かれてしまう。照れと緊張が限界近い。
真っ赤に塗られた彼女の唇が、耳元にて言葉を紡ぐ。
「…… 思うた通り、良い男じゃのぉ……」
「? えっ」
「"俺"の為につぎ込んだ金は、確か十と九両であったか」
目が、点となった。
無理も無い。今し方紅く色めいた唇より紡ぎ出された声は、心地良く響く低い男の声であった故だ。
狼狽零れる其の様をニヤニヤと鑑賞する姿は、先刻の儚き雪の如き美しさとは掛け離れている。
「良いのぉ、其の驚いた顔……堪らぬわえ」
「……え、おい、じゃあまさか」
「左様、其の"まさか"じゃ。"俺"は、」
「嗚呼あああぁまずちょっと待ってくれ!!」
必死に其の口を塞ごうと身を乗り出す。
慌てた拍子にし乃雪の体に体重を掛け、ぐらりとよろける二人の身。
どさり。
し乃雪の細い身を源三郎の身が押し倒し、
時が止まった。
沈黙。
目前に、夢にまで見ていた美しき人。
触れ混ざる、甘い吐息。伝わる体温。
外から差し込む月光に照らされた其の姿は、……どう見ても、女。
「許すよ、」
艶めかしく美しいまま、紅い唇よりあっけらかんと紡がれる。
「脱がせて見遣れ。
触れて確かめるも良し」
「………… 、」
震える手で、源三郎はし乃雪の両肩を掴んだ。
其のまま、蜜柑の皮を剥く様にするりと女物の着物を剥くと……
其処に現れたのは、豊満な乳房……ではなく。
少々薄いが、しっかりと形を成した筋肉質の胸板であった。
「野郎かよぉぉぉぉぉぉ!!!!!」
断末魔に似た源三郎の悲鳴、そしてし乃雪の色気の欠片もない男勝りの笑い声が、黒町屋周辺に轟いたのは言うまでも無い。
嗚呼。
し乃雪が「妖太夫」、と言われている所以は其処にあったのか……
愕然と頭を垂れる源三郎の脳裏に、そんな言葉が浮かんだ。
こうやって、何人もの男が騙されたのだ……この雄狐野郎に。
