* * * * * * * * * *
し乃雪が何時も暇を持て余しているあの茶屋の、後ろに位置する建物。
この黒町屋と言う見世は他の見世とは少々勝手が違い、見世より茶屋へ花魁が迎えに行く時は待たせずに済むが、代わりに黒町屋が抱える花魁の花魁道中は見かける事が少ない。
其れは建物が内部で繋がっている故であり、此度も茶屋の玄関を潜ったし乃雪は絢爛豪華な廊下をすすすと歩み、奥へ奥へ。
其の後ろを着いて歩く源三郎、装飾の美しさに暫し事件を忘れていたが、やがて立ち止まったし乃雪の身に軽くぶつかり、我に返った。
「おっと!」
「何じゃ、呆けたか?眠たいか、」
「じゃ無ぇよ。お前にゃこの派手な廊下が似合うなぁと」
「褒め言葉じゃの?」
ふふ、と笑み零した男姿のし乃雪も又、美麗。
見惚れ掛けたが、否々と首を軽く振る。
そう言えば、し乃雪が立ち止まった其処は鳥居の如き赤漆の柱と金の装飾で囲まれた木戸があり、夕霧の間、と彫られた木板が上部に掛けられている。
いかにも花魁の逢瀬部屋…好奇心が、源三郎を僅かに戸惑わせる。
「……この部屋か?」
「そうじゃ」
「そう言えば、夕凪は散茶であったよな。黒町屋で上の方か、」
「"花魁"だけ、なれば二番じゃな。一番には眞鶴が居る」
「花魁だけじゃ無ければ、」
「太夫と呼ばれるこのわっちに言わせる気かえ?」
向けられた笑みが僅かに恐ろしい。
コホン、と咳払いにて場を濁しつつ、彼はし乃雪を押し遣って木戸へ手を掛け、開いた。
金銀錦にて彩られた、眩しい部屋。木彫りの龍が天井を飾り、屏風より鳳凰が溢れ、贅を極めた部屋だ。
源三郎には少しばかり馴染みある其の光景、しかし部屋に敷かれた布団が乱れており、逢瀬の生々しさが垣間見える。
二人はそうしてぐるり見渡した後、異変に気付き同じ方を見た。
襖だ。
「…おお…、」
し乃雪が、嬉しそうに声を上げる。
「見事じゃのぉ…これなれば噂にもなるわえ」
其処にあったのは、し乃雪の背程もある大きなシミだ。
成る程、噂通り。
まるで戸板に張付け川に流されたお岩の如く、ざんばらに撒いた黒髪から悶え苦しむような表情、顔貌、そして着物の柄まではっきりと見て取れる。
間違い無く、見るものが見れば先日に死んだたえ葉に見える。
し乃雪は其の濃く浮き立ったシミへと近付き、細くしなやかな指でするり撫でる。
不気味にて妖艶な其の仕草に怯えたのだろうか、そう言えば源三郎の背後にねねは隠れ、彼の帯を引っ掴んでぷるぷると震えている。
「ん?…ふふ、おねね。怖いかえ?」
気付いたし乃雪が声を掛ければ、ねねはちらとだけ源三郎の影より顔を出した。が、直ぐに引っ込む。
