何時もは疲れ等微塵も見せぬ白き天人が、ぐっすりと眠っている。
少しばかり瞼の下に隈がある。
この数日の事、顔に出さぬまでも酷く疲れているのだろう。
音立てず静かに傍にて見詰めている彼は、其の頬にそっと、触れる。
月明かりがほんの少し木戸の隙間より差し込み、雪の如き肌が淡く輝いている様にも見え、幻の如く思えた故だ。
彼の口より、溜息。
美しさに、否。其れのみならず。
思い出されるは、つい昨日、西の隠れ里にて受けた命の内容。
― 其れで。
其の"紅蓮"が、"村正"無き今、鬼を討てる刀であるやも知れぬと?
「は…… そもそも、村正を討つ為に作られた刀でありました様子」
― 成る程、そうですか。
で、今何処に?
「本差し・脇差し共に早良乱丸が所持しております」
― 早良……
"鬼の角"を持つあの早良乱丸が、刀までも……ですか。
― 二十年程前に居ましたよ、確か幕府が最も信頼する剣豪……
早良"一閃斎"疾風でしたか
「御存知だったのですか、早良疾風を」
― ええ。名のある剣豪でしたから。
彼は"子狩り"に巻き込まれ、夫婦共に殺害されたのでしたっけ……
そして、母親はあの陰陽寮分所より"異物"……"鬼の角"を持ち出し逃げた犯人、
「楓」であったと記憶しています。
― 詰まる所、其の両方が……何の因果でしょうね……。
「……
"鬼"の名が何故に又浮上しているのか、分かりかねます。
…まさか、」
― 陰陽寮よりの"命"故です。
「……陰陽寮?
我等氷雨衆は幕府管轄の筈、」
― 左様。
幕府でも一部の者しか知らぬ「氷雨衆」の情報を陰陽寮が入手した経緯は調査中です。
……まぁ、大方見当は付きますが。
しかし、其れを知りながらも尚、陰陽寮は式神を通じ接触してきました。
― 陰陽寮は、"依代"とは別の鬼神も恐れています。
"依代"出生の元凶、"朔天童子"を。
鬼斬り刀を探すは、恐らく其方が目的でしょう。
「なれば妖太夫はもう、無関係とはなりませぬか?」
― 本音は、……そうしたい所ですがね。
帝…陰陽寮は、どうやら我々氷雨衆を暗殺組織だと勘違いしておる様子……
― 私としても、害の気配無き彼を手に掛ける事、気が乗りませんが。
― ……排除の必要が浮上した場合、判断は現場の貴方に委ねます。
命が下るまで、太夫の元にて待機を。
「…… 御意」
「………」
懇々と眠り続ける其の姿が、余りに無防備に見え、彼の手がゆっくり、首へ。
細い。
吸い付く様な手触りが、心地良い。
――― 事と次第によっては……か。
其の意味を知る彼の手が、ほんの少しだけ力を入れた。
何れ、死なねばならぬのなれば…… 俺が………
否。
震える其の手は、額へ触れた。
殺める事等、……無理だ。
漆塗りの角箱に、あの簪が置かれている。
絹の風呂敷を敷いた上に、其れは大事そうに。
何故に殺めねばならぬ?こやつは……
陰陽師共が知っている様な……"角無き鬼神"等では、決して無い。
其れを伝えるに、未だ時は満ちておらぬと。
其の、経験にて知る事実が、今は酷くもどかしく。
鴉獄は木戸を開け、窓辺より飛び立った。
嗚呼、月の光が。
この黒き体に染みて、まるであの太夫の様だ。
続
