春向カフ穩ヤカナ
陽沈ミ訪レシ宵闇ニ
浮カブ星屑ノ
無弍ノ友ハ何處ニヤラ
手ニ持チタ弌振リノ刀ハ
唯無言ニテ
男ヘト笑ヒ掛ケ
「我ハ何時モ共ニ在リ」
この日、焔屋は眠らなかった。
皆が……あの虎猫までも寝静まった小屋の中、炎絶えぬ炉の前。
焔屋は只一人、何時も炉に向かう時以上に真剣な面持ちにて、其れを見詰めていた。
彼が何を考えているのか……焔屋本人と、今手中にある一振りの刀のみが知り得る事。
其れは炉の灯りを反射させ眩く輝き、焔屋の紅玉の如き瞳が鮮やかに浮き立った。
「いよいよか」
背後より、声。
懐かしき声色にて振り向けば、其処に座り此方を見詰めるはし乃雪であった。
……が、其の浮かぶ表情も、先刻の声も……し乃雪のものでは無く。
焔屋は特段驚く事も無く、居間の縁……彼が座る隣へ移動し、腰を下ろした。
「驚かないのだな、」
「………… そろそろ化けて出やがるだろうと思っていたからな」
「偶々さ。この者が私が居る世に通ずる者故だ」
「……」
「明日、動くのだろう?」
「嗚呼」
「……気を付けろよ。
十五年前ではあるが、私とお前二人掛かりでも倒せなかった奴だ」
「フン……お前は息子の心配でもしていれば良いんだよ」
「言うなよ、これでもお前の事だって案じているのだ」
「なぁ、"疾風"」
「ん、」
「……怒ってねぇのか?」
「乱丸の件か、」
「其れもある。
其れと……
……腕の事も」
「どちらにしろ、お前の所為ではなかろう?
尚更……奴が憎くなっただけさ」
「………………」
「ふふ……暴れん坊が、随分寡黙な男になったものだ」
柔らかく、彼は笑う。
少し顔を右下へ逸らす仕草が昔の彼と変わらず、焔屋もまた昔の様に微笑む。
一瞬だけであったが、其の笑みには優しさが垣間見えた。
「……明日。
私も共に戦うよ」
焔屋の瞳を真っ直ぐ見、"疾風"は言う。
「此度こそ、黒き輪廻を断ち切ろう」
「…… 済まねぇな。巻き込んじまって」
「謝るなよ、気持ち悪いだろう」
再びお互いより漏れた笑みは、懐かしさを含みながら穏やかな空気を湛え。
……まるで、其れは負け戦と分かりながらも前夜を過ごす武士にも見え、途中目を覚ましじっと様子を見守っている虎猫の目が朧気に揺らめいた。
* * * * * * * * * *
良く考えれば、此処数日雪も雨もろくに降らぬ……。
何の気無しにそう考えながら、今日も真っ青な空を見上げ、大分色薄れた白の吐息をふわと浮かべた。
どうも、焔屋は綺麗好きらしい。
朝…… し乃雪が起きる少し前辺りより小屋の裏にて風呂に浸かっており、朝餉の支度が終わった今も未だ裏より上がる気配が無い。
火を焚くのに薪の要らぬ加具土の民はまこと便利な一族よの……と独り言ちた後、し乃雪も又裏へと回った。
桧の柱と左右二枚の仕切り、藁葺きの屋根があるだけの風呂場に、石にて組まれ塗られた土が須恵器の如く焼き固められた風呂。
人三人程余裕にて浸かれる程に大きな其の浴槽にて、焔屋は大抵大きく開けた海の方へ向き遠くを眺めつつ湯気に包まれている。
崖ぎりぎりにある其の風呂がし乃雪は少々苦手ではあったが、こうして見れば何と贅沢な風呂であろう……と、湯より半分だけ出た焔屋の逞しき背を見詰めつつ思う。
「背中を流そうか、」
声を掛ければ、真っ白な空気の中でぱしゃりと少しだけ動く気配。
次いで、低く小さな声にて焔屋が言う。
「……嗚呼」
「そう来なくてはな!」
「寒みぃ。
"お前"が入って来い」
「……ん?」
予期せぬ言葉にし乃雪は一瞬呆気に取られ、後聞き返す。
言葉自体もそうであったが、彼を呼ぶ『言葉』も又、し乃雪の目を点にする要因の一つであった。
「二度は言わねぇぞ」
「あ……嗚呼」
言われ、慌ててし乃雪は左の方へ駆ける。
其処には申し訳程度の脱衣所があり、木の板のみで仕切られた其処にて焔屋も翠蓮もちゃんと服を脱ぐらしい。
彼も其れに習い、服を脱いで篭へ入れ置き、湯にて軽く身体を流した後、焔屋の横にてゆっくりと身体を沈めた。
……今日の湯は違う。
何処から集めて来たのだろう……冬椿の花が浮かべられており、無骨な外見の風呂にはらしからぬ風流な湯だ。
「椿か……良き薫りじゃ」
「……流石に、オレじゃなく"お前"の方が似合うな」
また、『お前』。
今までは『アンタ』と呼ばれていた故、ピリと走る違和感がくすぐったい。
……親近感が沸いた者に対し無意識の内に呼び方を変えるは、彼の癖なのだろうか。
し乃雪は僅かはにかんだ様な表情を浮かべた後、隣人の顔を見遣る。
彼もまた真っ赤な瞳にてじっと此方の目を見ており、驚いた彼は顔を赤らめて顔を逆方へと逸らした。
「んな……ッ」
「流石だな」
「何が……、」
「綺麗だ」
「……褒めても何も出ぬぞ」
「別に褒めてんじゃねぇよ」
ククッ、と笑い、焔屋は再び正面を見た。
真っ青な空。穏やかな春の海。
其の単調な景色をぼぅっと見詰める焔屋の姿は、やはり海に同じく穏やかで。
荒々しき外見を作る紅い髪も黒い肌も、まるで彼の仮初めであるかの様な心持ちさえしてくる。
其の姿を……景色を眺めながら、し乃雪はゆっくりと言葉を紡いだ。
「…………昨夜、夢を見た」
「……」
「俺は若き侍でな、やはり若い迦具土の男と共に何かと戦っておった。
俺の持つは紅の炎を纏った刀。
迦具土の男は炎を纏った拳にて……相手は、蒼き炎を纏う刀を持った、夜叉の如き男じゃ。
長き戦いであった……野山を駆けながら二日戦い続け、俺は……」
「左腕を斬られた」
「!」
「………… そう言やぁ、今日は三日目だったな」
パシャリ。
水面の椿が滑らかに揺れ、焔屋の肌に一枚の花弁が張り付く。
焔屋は、浴槽の縁に頭を委ね、上を向いたままじっと目を瞑っている。
まるで今の話が彼をそうさせたかの様で、ふぅ……と胸中の空気を大きく吐いた後、再び其の目が見開かれた。
「……なぁ、し乃雪」
「ん……」
「お前、何で他人の揉め事に首ィ突っ込むんだ?」
「…………」
「首ィ突っ込んだら、夢ン中に出てきた其の侍みてェになっちまうかも知れねェんだぜ?」
「……
確かに、自分でも最初は享楽にて首を突っ込んだものと思うておったさ。
だが……妖でも人間でも、恨み辛みを抱え生きるのは嫌じゃろうて。
其れを僅かでも減らせれば良いと……思うておるのやも知れぬな」
「偽善か、」
「否?俺自身がそう故に、じゃ」
「…………、」
「今回は、お前でも如何にもなンねェよ」
ざ。
意を決した様に、焔屋は立ち上がった。
もうもうと立ち込める湯気の中、花の薫りを湛えた滑らかな湯は焔屋の逞しき筋肉を流れ伝い、花弁と共に湯船へと戻る。
し乃雪を残し湯船を出た彼の身体を、一瞬炎が包み込み、身に付いた水分がジュゥと音を立てて蒸発した。
「逆上せる前に上がれよ、今夜は忙しくなるぜ」
「ん?嗚呼……、」
「……でもな。
其の仁義……嫌いじゃねェよ、し乃雪」
大きな背とちらり見えた横顔が、小さく笑う。
湯気の向こうへと出て行った焔屋を見送り、しかしし乃雪は只呆然と湯船に浸されたままであった。
* * * * * * * * * *
今日の焔屋の様子が何処と無くおかしい事を、どうやら翠蓮も早良も口に出さぬながら感じ取っている様であった。
小屋の中の空気が、少々重い。
其の所為か、風呂で時間を費やした分冷えてしまった朝餉が、殊更冷たく感じる。
朝餉の後は、洗濯。
大変なのはこの洗濯だ。
此処より少し離れた場所に、焔屋の為にと常連客達が親切にも引いてくれた水路があり、其処まで洗濯用の諸々を持って行って洗濯をするのである。
……が、今は雪溶け切れぬ春。
其の水は身を切る様に冷たい上、凍り付いている箇所もあり水量が少ない。
あの小屋より離れる為飛び出してきたとは言え、翠蓮を連れて来なかったのは間違いであったか……
思いながら、し乃雪は手を真っ赤にしながらごしごしと着物を擦っていた。
後ろにてじっと其れを見守っているは、虎猫・狛虎。
どうやらし乃雪の姿が痛々しいらしい、やがて少年の姿となって其の隣に並び、着物を奪い取る。
「俺がやるさ」
「狛虎、」
「手、辛そうからに……っちめてっ!」
予期せぬ冷たさに飛び上がる狛虎。
結局の所は狛虎に任せても同じ結果になりそうで、し乃雪は笑いつつも其の手より洗濯物をそっと取り返した。
「無理をするなよ、お前さんは寒さが苦手であろうて。
小屋に戻った方が良いぞ?」
「太夫の傍が良いさ」
「ふふ……ならばそうしな、」
言えば、狛虎はニカリと笑った。
久々だ。
其れは、『生』に対する感覚。
普段に於いてし乃雪に一番欠如しているものであり、しかし何故に今もたらされたのかは分からぬ。
生きるも死ぬも理に任せるもの……。
そう、思っていた。
こと自分自身は、"生きる事"を望んではいかぬ存在であると。
……この身は、"何者でも無い"が故、尚更。
「太夫、」
し乃雪に寄り掛かったままじっと手元を見詰めていた狛虎が、洗濯が終わり掛けた頃に口を開く。
「ん?」
「このまま遊郭には戻らぬからに?」
「何を言い出すかと思えば。何故にじゃ、」
「太夫……あの男とおると嬉しそうさ。
前に源三郎と逢った時に見た顔と同じ顔するさ」
「はぁ?」
「源の字の事嫌いになったからに?」
莫迦をお言い……言おうとしたが、しかし狛虎の真っ直ぐに揺れる蛍色の目は、其れが本気である事を表している。
言葉に詰まり、其のまま水面へと目を落とす。
「嫌ってなどおらぬよ、」
「じゃあ何さ?」
「元々、源の字とはお前さんの思うておる様な仲では無いよ。
お互いの距離が漸く分かってきた……其れのみじゃ」
其れ以上の詮索を、狛虎はしようとしなかった。
しかし只一言「源の字め、」とだけ吐き捨て、直ぐに猫の姿へと戻り、し乃雪の懐へと潜り込んだ。
背後より近付いて来る気配にいち早く気付いた故であった。
「雪さん!」
白く息を舞い上げながら駆け寄って来たのは翠蓮だ。
「おぉ、」
「冷たいだろう?ごめんよ、気付かなくて……
其れより、親方が呼んでる」
「焔屋が?」
……わざわざ、あの焔屋が。
手元の洗濯物を桶へと詰め、し乃雪は立ち上がる。
自分が焔屋にて奉公している理由を忘れていた彼……今朝焔屋が呟いた一言が不意に頭の裏を掠め、思い出す。
"今日は三日目だったな……"
そう。
今日こそ、追っていた『村正』の糸口を知り得られる日だ。
「洗濯は俺がやるから」
「否、終わった所じゃ。参ろう」
ひょっこりと虎猫が懐より顔を出し、不安そうにし乃雪を見上げる。
しかしし乃雪が其の頭を撫でようとするより早く、翠蓮が「こんな所に居た!」と彼を取り上げ、抱き締め。
其のまま連れて帰らんと踵を返した翠蓮、そして尾を引く鳴き方にて助けを求める狛虎の後を、彼はくすくす笑いながら付いて行くのであった。
丁度、昼時。
嗚呼もしや腹減ったとでも言い出すのか……そう思いつつも小屋へ帰って来れば、焔屋は居間の真中に座り、何か考え事をしている様子であった。
やはり背中故に詳しい姿は分からぬ、しかし二人の気配を察し顔だけがふと振り向く。
「俺に用があると聞いたが」
「嗚呼。
翠、魚を取ってこい。狛猫連れて行って馳走してやれ。
ダイコン、肩揉め肩」
し乃雪の口元が少しだけ引き吊る。
しかし翠蓮が嬉しそうに釣具と猫を手に出て行った辺りを見計らい、不満気なし乃雪に焔屋が苦笑を零しつつ声を掛け。
「そう怪訝な顔をすんな。最後の奉公だ」
「! ……ん……」
最後……と言われ、し乃雪の表情に複雑な色が混ざる。
躊躇いを見せた彼に、背を向いたままの焔屋は自らの肩を指差し、「ほら」と促す。
漸くし乃雪は其の背の前にて跪き、そっと両手をあてがった。
普段疲れなど一切見せぬ焔屋だが、どうやら身体は誤魔化せないらしい。
首筋から肩にかけて着いた太く逞しい筋肉は酷く硬く、始め戸惑いながら優しく揉んでいた手が、気付けば体重まで掛けている始末。
「このっ……」
「そうそう。やるじゃねェか、」
「翠蓮は揉んでくれぬのか?」
「あのガキは力が無ぇ。未だ鉄も打てねェよ」
「俺も打てぬが、」
「重いだけ翠よりァマシだ」
「そうかい、」
呆れつつ、ふと焔屋の目前に置いてある物に目が行く。
……初めて此処を訪れた時に源三郎が気にしていたあの刀なのであろうか。
藍の風呂敷が開かれた上に古びた金欄の刀袋、其の上には赤漆塗りの鞘に収められた本差しが一振り。
其の佇まい、只其処にあるだけで静かな威圧感がある。
「其の刀……、」
ぽつり、何気無くし乃雪が漏らす。
其れより先を口にしようとした矢先、続き焔屋が同じく独り言の如く呟いた。
「丸の、親の形見……お前の予想通りのモンだ」
「なれば、」
「言っただろ?他人の揉め事だってな。
……また死人が出ちまったンだ、もう他人事じゃあ済まなくなって来たンだがよ」
「…………」
無意識に手が止まれば、「おら止めんな」と笑いながら促され、慌てて再び手を動かす。
焔屋は気持ち良さ気に瞼を閉じ頭を垂れ、声に成り得ぬ掠れ声にて続けた。
「……良いか、二度は話さねェぞ」
「嗚呼。……あっ、済まぬ!悟兵衛を、」
「ヤツァ嫌ェだ。お前だから話すンだ」
「……」
し乃雪は身を引き締め、ごくりと喉を鳴らす。
良しの合図と捉えたのか、焔屋は僅かに口角を上げた後、口を開いた。
「……昔ァし昔、村正の後を継いだ男が居たンだと。
三代目・千子村正……初代程じゃあ無ェが、鍛冶の腕は確かなモンだ。
同時期、其の三代目の弟子として若ェ加具土の男が居た。名を……蒼蓮と言う」
「蒼蓮…… 青か、」
「嗚呼。
今一抜きん出た作品を造れず頭ァ抱えていた村正は、其の蒼蓮の炎に目を着けた。
真っ青な、熱い炎だ。
加具土ン中でもヤツは力があり、宗家の後継ぎ候補としても名が上がっていた。
やがて自分を心底慕っていた蒼蓮を生涯の相棒とし傍に置き、三代目は初代を超える銘刀を造ろうと躍起になり始めた。
其の折、噂を聞きつけ動き出したのが……当時全国統一を叶え勢い付いていやがった徳川だ」
「噂……?」
「関ヶ原の合戦を知ってるだろ?
あの合戦で徳川が勝った要因の一つが、其れまで徳川に付き纏っていた“徳川殺しの刀"村正を一掃したからだってェ話だ。
其処で村正を排除し全国統一を果たした徳川の耳に入った噂……千子村正の弟子や分派が、戦国末に人知れず行われた村正狩りを交い潜り、細々と刀を作っていると……しかも、至高の炎を手に入れて、な。
無論、徳川は驚愕しおののいた。
折角掴み取った天下を、たかだか刀如きに奪われて堪るか……ッてな」
傍らにある其の刀を焔屋は手に取り、鞘に収めたまま膝に乗せる。
動物を愛でるかの如く其れを撫で、しかし表情は全く変わる事が無い。
「蒼蓮と三代目は真っ先に狙われ、殺された。
あっと言う間の出来事だったそうだ……何せ鉄砲で撃ち抜かれたそうだからなァ。
しかし、徳川は知らなかった。奴等が殺される直前、最後に造られた刀が……偶然にも、村正流派の中で最高の銘刀だった事をな。
其れは一度賊の手に渡った後、忽然と姿を消した……
で、大体百年後だったか……"村正"は、人を襲い始めた。
明暦三年、明和九年、他に二回程江戸で大火があっただろう?
特に明暦の大火事は三カ所から火が上がった。あれこそが村正の仕業だ。
……今村正流派を継ぐ刀鍛冶共は、妖刀と化した其れを絶つ刀をこさえる為に刀を打ってるのさ。
出来上がれば自らが選んだ剣豪に刀を託し、村正を討ち取らん……とな。
オレの場合は……お前がさっき話した、夢の通りだ」
焔屋は目を伏せ、小さく息を吐く。
何かを後悔している様で、彼の総てに今、覇気が無い。
「……ならば、何故に村正は其の……紅蓮を狙うのじゃ?」
「…… 、
自慢じゃねェが、唯一村正を追い詰めたのがオレ達だからさ。
オレはこの刀を友に託し、二人で奴を討とうと動いた。
この刀はオレの炎以外では溶けもしねぇ。
……村正も、蒼蓮の炎でなければ傷も着かねェがな。
故に三日三晩戦い刀同士炎同士殴り続け、相討ち覚悟で折れ落ちるのを狙った。
……予想通り、奴は切っ先を折り落とした。デカい犠牲と共にな。
……だから、だ。
村正は自分を傷付けた『紅蓮』が憎くてしょうがないのさ」
ふぅ……ともう一度、今度は大きく息を吐く。
虚空を見上げ、しかし天井では無い何処か遠い所を見遣り……突如、刀を掴んで彼は立ち上がった。
手が止まっていたし乃雪、驚いて見上げれば、此方を見据えた焔屋は僅かに口角を上げ。
「随分ぶちまけちまったな……
そろそろ行くぜ」
そうとだけ言い背を向け、し乃雪の横をすり抜けて木戸へと向かう焔屋。
其の背に、し乃雪は慌てて声を投げ掛ける。
「何処へ、」
「言ったろうが?『今夜』は忙しくなると。
如何する?顛末を見届けてぇか、」
「嗚呼」
「なら来な。……但し、巻き込まれても文句は言うなよ?」
にやり。
焔屋が意地の悪い笑顔を向け、手を差し伸べる。
其の手を取れば、強い力でぐいと引かれ。
一瞬だけ、息が触れる程近くに、焔屋の顔。
どくん、と胸が脈打ち、しかし直ぐに彼は視線を逸らし木戸へと向かう。
「来い」
――― ……何を意識しておるのだ俺は……
今は其の様な時では無かろうに。
高鳴る胸が、これから繰り広げられるであろう物語への期待や不安の所為だけでは無い事に、し乃雪は心中にて毒づく。
小屋を出て彼の体温を奪わんと吹いた風に、し乃雪は其の総てを流さんと大きく息を吸い込んだ。
真っ青な、空。
自分の気持ちに相反する様な爽やかな空の中、二人は無言にて歩く。
何処へ向かうのやら……検討が付かぬまま、其の背を見詰めながら続く。
「……此処いらで良いか、」
焔屋が突然立ち止まった其処は、あの林の中。
まるで先にあった化け物との騒動を知り得ているかの如く、其処は源三郎の蹴り跡を残した木の直ぐ近くであった。
「焔屋、」
「何だ」
「……何をするのじゃ」
「呼ぶのさ、」
取り出した、刀。
鞘より抜けば、鏡の様に辺りの光を総て反射し、輝く。
其れを焔屋は両手で自らの目前にザキンと突き立て、仁王立ちとなり。
「お前は下がってろ。……身は自分で守れよ」
横目にて向けられた瞳が仄かに光を放った様に見え、し乃雪は只無言にて数歩下がる。
其れを見届け、焔屋は目を閉じてすぅと一つ大きく深呼吸をし。
か、と目を見開いた時、彼は力強く啖呵を切った。
「我こそは火神迦具土の民・焔 紅蓮、我が造りし刀・紅蓮と共に推して参った!!
村正ァ!!永年の因縁、決着を着けようぜ!!」
――― 焔 紅蓮、だと!?
其の声にし乃雪は驚き、息を呑む。
……"焔 紅蓮"、其れが彼の名前だと言うのだ。
彼が先刻話した内容、村正の求めるもの。
其の総てが覆され、混乱と共に声を上げようとしたし乃雪であったが、しかし其れより数瞬早く辺りが暗くなり行き。
ビョウ……と刺さる様に冷たい風が唸りを上げ、遠くより蒼く冷たい光。
彼方からでも聞こえ来る、不気味な……声。
― みぃつけた……
みぃつけたぞぉ……
にっくき炎が……
にっくき炎がぁ……!!
酷く、不気味な。
沢山の妖と接して来たし乃雪でさえ、其の声を耳にした途端にぞくりと身を震わせ、過ぎる予感に冷や汗が図らずも流れ落ちる。
しかし、其の空気の中でも焔屋は変わらず佇み、寧ろ其の背は笑ってすらいるかの様で。
ゆぅるり、ゆぅるり……。
遠くよりゆっくりと姿を現した其れは、見覚えのある少年。 ……早良が、怒りと哀しみを混ぜ合わせた鬼の形相にて、其処に居た。
……一歩、し乃雪は後退る。意識したものでは無く負の覇気に圧された故の。
「……久々だなぁ……紅蓮よ」
村正が、早良の顔にてにぃと笑う。
何時の間にか地を這う様な其の声は肉声になっており、しかし全身を覆う蒼い炎がゴゥと勢いを増し、牽制する。
焔屋は只じっと動かず、目前の怨霊を見据える。
其の顔に表情は無いが、其れが逆に憂いか怨みかを含んでいる様。
……其の、噤まれていた唇が動き、低くはっきりと言葉を紡いだ。
「……よォ。
曾々祖父さんに大師匠さんよ」
「むざむざ儂等に殺される為に出て来おったか?忘れたとは言わすまい……あの屈辱を」
「知らねェよ。俺の目的はアンタ等の尻拭いさ」
「貴様も徳川が憎くは無いのか?親を殺され家を失い、其れでもか!?」
「………… まぁ、腹立たねぇっちゃあ嘘だがな。
だが……」
目前に差された刀を引き抜き、構える。
途端、両の手より夕日の如く紅い炎が立ち上がり、色味を増しながら刀身を勢い良く駆け抜け。
酷く低い、落ち着いた声にて……言った。
「今は……アンタが其の顔でいる事の方が、腹ァ立つんだよ」
"ドンっ!!"
焔屋と村正が、同時に地を蹴る。
お互い炎にて加速を付け、衝撃によりザッと草木が揺れ、雪が溶け飛ぶ。
ギィンと耳をつんざく金属音。
紅と蒼の刀が刃を交え、金色の火花が散る。
弾き飛ばされたお互いの体が数尺だけ距離を置き、再び交わる刃。
ギリリ擦れ、顔と顔が睨み合う。
「猪口才な……わざわざ儂等を呼び出し、死にに来たと言うか」
「……オレァ、あん時一度死んだ。
アンタ等を始末出来ンなら命なんざ惜しくも無ェ」
村正の身より空を弾く衝撃。ズンと響いた其れは焔屋を弾き、地に着いた足がザザザと地面を擦る。
間髪入れず横へ転がれば、彼が今居た其の場を蒼の一閃が走り。立ち上がった彼を其れは横より襲い、飛び退いた焔屋の腹を熱いものが走った。
「っぐ、」
呻き、腹を押さえる焔屋。深く裂かれたのだろうか、ボタタと生々しい音を立てて鮮血が溢れ落ちる。
其れは良く見れば其の左腕からも流れ、着物を髪と同じ色へと染め上げていた。
焔屋の表情が歪む。しかし、刀の炎は小さくなるどころか勢いを増し、殊更周囲を明々と照らす。
痛みに耐え切れず立ち止まった所、既に目前に村正の影。
――― 速い!!
一度鞘に納められた刀が速度を増して抜き上げられ、空気の刃と共に焔屋の太股を斬る。
寸での所で交わすも見えぬ刃が皮膚を裂き。
残る右足にて踏み留まるも其れ以上動く事がままならず、体躯がよろけ、跪いた。
「…………居合い抜きまで真似やがって、」
悔しそうに吐き捨てた焔屋の苦痛に歪む顔を、村正は酷く気味の悪い笑顔にて見下ろし。
ゆっくりと彼に近付きながら、垂れ流す様に声を漏らす。
「まこと弱し……脆いなぁ紅蓮よ……
やはり『風』が無くば只の炎じゃ」
「……」
見る間に青褪めて行く焔屋の顎を取り、村正は瞳を覗き見る。
吐息が重なる程に近付き、炎同士が混ざり合った辺り、紫炎の中にてちりちりと肌を焼かれつつ……
しかし表情を変える事無い焔屋は、幼さ残る其の顔を睨め上げ、口を開いた。
「一つ、聞くが。
アンタ、其の『体』が誰か……知ってんのか?」
村正は、にぃぃと笑んだまま。
「知り得ておるぞ……炎と風が大切に大切にしておる御子じゃ……
この体は良いなぁ……軽うて速い……"風"よりも心地が良いぞ……!」
「気に入ってんのァ見りゃ分からァ。
……しっかし、アンタもつくづく堕ちたモンだな、」
村正の挑発に乗り体を震わせるどころか、焔屋ははぁ……と大きく息を吐きながら漏らし。
無論、村正が其の言葉に逆上する事は無く、くつくつと笑い、好奇の目を向け、刀を振り下ろす。
呻きと共にブシュリと音がし、肩口より血が吹き出した。
「未だ曰うか小僧……」
「良いじゃねぇか……今々死ぬんだからよ……」
「ククっ……負けを認めるのか?加具土の民の誇りを先に亡くしたか、」
「…………面倒臭くなってきちまったのさ。
いっそ一息に殺ってくれや」
目を細める、村正。
嬉しそうに舌舐め擦りし、跪いたまま頭を垂れる焔屋の首に刀があてがわれる。
蒼炎にてぢり……と髪が焼かれ、僅かに焦げた臭いが辺りを漂う。
「なれば……
其の首だけは綺麗に残してやろうか」
「…… 殺れるモンならな?」
と。
一瞬村正の表情が曇り、振り返る。
途端、高速にて駆け寄って来た『風』が村正を捉え、向かい来る何かを防がんと構えた刀がギンと音を立てて束縛された。
「っな……にィ!?」
驚愕の目に映ったもの。
其れは、先刻焔屋が投げ出した刀『紅蓮』にて『村正』を打つ、あの少年侍……早良であった。
同じ顔がせめぎ合い、しかし圧倒的な力にて、徐々に村正が圧される。
……『紅蓮』を覆うは、白く輝く退魔の炎。
其れはこの場に居る村正も……炎使いである焔屋すらも見た事の無い程に美しく、無垢であった。
「来やがったのかよ、丸」
掠れた、しかしはっきりとした声にて、焔屋が笑う。
さすれば、刃を交えたまま早良は浅黒い顔にて爽やかな笑顔を向け、言った。
「待たせたな」
「……何だ、何時もと違ぇじゃ無ぇか」
「嗚呼、」
続きを言おうとした所で再び村正の炎の波。
軽やかに飛び退いた早良は焔屋の隣へと降り立ち、もう一度チンと仕舞った刀が勢い良く抜かれ。
激しい突風となって村正の炎を一瞬掻き消し、同じ顔をした体を押し遣る。
焔屋さえも驚きと共に顔を庇った。
「……何時の間にそんな技ァ使える様になったンだ?」
よろりと立ち上がりつつ感嘆の声を上げる焔屋。
刀を収め其の肩を持ち、早良が余裕の笑みを浮かべる。
……一瞬垣間見た、其の笑みは。
「昨晩、言うたであろう?「私も共に戦う」と」
「!
……成る程な、鬼に金棒ってぇ訳だ」
昨晩疾風が焔屋の後ろに立った時は、意識無きし乃雪の体を借りた。
此度も同じく、今度は『息子の身を借りた』……と言う事。
総てを察した時、漸く焔屋の顔が明るくなった。
……少なくとも、し乃雪が彼に逢ってからの四日間、一度たりとも見せる事の無かった笑顔である。
「動けるか?紅蓮」
「嗚呼」
ズン、と炎が彼を覆い、斬られた傷が総て炙られ血が止まる。
同じくゆるりと立ち上がり此方を睨み付けた村正の顔に、驚愕と怒気、そして少しの恐怖が浮かんだ。
「…………貴様ァ……黄泉より這い上がったか!!」
「元より向こうには居らぬ。そなたを連れ逝くまでな」
振り向きざま収めていた刀が抜かれ、風を斬り村正を捉える。
村正も又高速にて抜き、同じ顔同じ居合いの真空がぶつかり合い、互いの頬を掠め、髪が数本はらりと落ちる。
頬をひくつかせた村正が地を蹴り、駆け寄る疾風に高速にて寄り懐へ入らんと身を屈めれば、再び刃がギンとぶつかり合い、火花が散った。
間髪入れず、疾風の背後より焔屋の炎の拳。唸りを上げて振り下ろされ、「チィッ」と舌打ちした村正が飛び退き、距離を置く。
「小癪なァァ!!!」
村正が、吼える。刹那、
"チリ…"
空気が、鳴動し、
"ブワ……!!"
突如冷気が流れ込み、真っ白な蒸気となって村正を包み込んだ。
蒸気が目眩ましとなり辺りまでも白く染め上げたのは、一瞬。
中心よりズォンと蒼炎が舞い上がり、
"オオオオオオオオオ!!!!"
巨大な牛鬼が、地響きにも似た雄叫びを上げた。
蜘蛛の胴に付いた牛の如き頭、八本もの刀の手足が絡繰の如く器用に動き、地面深くに刺さった。
……二人は、知っている。
此処からが正念場であると。
「来るぜ!!」
言う間に、高速で這い寄った牛鬼が前四本を振り上げ、二人を襲う。
ギュンと空を斬り裂き、しかし避けた疾風の右腹を掠め、鮮血が舞った。
「疾風!」
「深くは無い、案ずるな!」
疾風が叫ぶ。焔屋の顔が少し明るみを増すが、人の背程の刃が唸りを上げ焔屋を襲う。
寸での所で交わし、しかし怪我を負った疾風へと駆け寄り、彼の軽い体を抱き上げ。
闇へと紛れ、太い木の裏へ隠れた。
「何を、」
驚く疾風。
焔屋は息を潜め、身を隠している木の向こうへ目を配せた後、疾風へと目を向け。
「駄目だ、やっぱりお前は引っ込んでろ」
「やめてくれ、紅蓮。これは"己"も望んでいる事……戦わせてくれ」
「お前ェ等よ……又腕が無くなったら如何するんだ?」
「しかし!」
す……と、傷にまみれた頬を紅蓮の大きな手が撫でる。
温かい……其の温もりが妙にはっきりと其処より染み入り、侍の目が不安気に揺れる。
「なぁ、よォ。
前の話、覚えてるか?」
「…… 紅蓮。其れは」
「なァ、丸。
俺ァな、お前の親父が腕ェ無くした時よ、話したんだぜ」
「…………あの話か、」
「嗚呼よ。
例え、お前の息子が敵討ちに立ち上がったとしても、絶対死なせねェ。
姿眩ましても絶対見付け出して、守って見せる……と、よ」
疾風は何も言わず、ほんの少し視線を落とす。
以前、あの牛鬼と戦った後。
腕を無くし暫く寝込んでいたあの時を思い出していた。
「何処だぁぁ!!隠れても無駄ぞぉぉォ!!」
空を揺るがす咆哮。
ゆっくりではあるが、其れは確実に二人が身を隠す木へと近付いて来ている。
出て行こうとする焔屋。
其の腕を、疾風は掴む。
「疾風、」
焔屋の大柄な体躯を包み込む、細い少年の腕。
温かな其れは、ほんの一時のみ彼をしっかと抱き留め。
只一言……其の、耳元に。
「…… 其の"約束"を果たして貰うに、死なれては困る」
「……フン……」
震えながらも捕らえて離さぬ、其の腕。
十何年か振りに確かめ合った、お互いの思い。
二人は一瞬だけ時を忘れ……
「………… 約束は、出来ねェよ」
彼の体が……そっと、離れた。
蒼い炎が周囲を焼き尽くし、肌を焼く熱風が陽炎の如く景色を揺らす。
村正は、笑っていた。
何時振りであろうか、自分達に屈辱を味わせた相手をじわじわと追い詰めている故の。
……ひくり、
牛鬼がある匂いに気付く。
焼けた血の匂いだ。
「……紅蓮ンン……みいつけたぞぉ……!!」
血相を変え、巨体が右へと振り向く。
複眼の如き六つの目がギョロリと其の方向を捉えた時、映ったものは木の陰よりちらちらと見え隠れする紅き炎の端。
四本の刀が同時に振られ、木が一つの切り株と四つの丸太となり、崩れ去る。
が、其の奥にあったものは――― 燃える焔屋の着物であった。
「何……」
「ど阿呆、」
背後より、嘲笑うかの如き声。
振り向き様に蒼炎を放射すれど、飛び退いた焔屋が牛鬼の腹の下へと潜り込み、炎弾を数発当てる。
焦げもせぬ腹はしかし少々痛みを感じたらしく、ズン、と腹が地面を擦る。
右へと転がり出た焔屋は再び暗がりへと隠れようとしたが、村正は速い。
高く飛び上がったかと思えば、背を向け逃げようとした彼の目前へズゥンと地響きを立て降り立った。
「逃がすかァァ!!」
蒼炎に焼かれた刀の腕が振り上げられる。
しかし、焔屋は煤と血にまみれた顔にてニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「其の言葉、其のまま返すぜ」
"ギィィィン!!"
響く金属音と共に、牛鬼の体がガクンと前進を止める。
同時、背後……蜘蛛の腹部に痛みが走り、堪らず背後へ目を遣った。
二体の巨大な妖だ。
三つ目の人魚が巨大な氷にて右を凍り止め、炎に覆われた二足の獅子が左より噛み付き、のし掛かっている。
「ぐぅッ……式神か!?」
もがけど足掻けど、動く事無く。
目前にて佇む焔屋に数寸足りず、必死に振り回す刀が彼の鼻先を掠る事も無い。
「……恩に着るぜ、し乃雪」
小さな声で近くにて潜む彼へ呟き、焔屋は改めて正面へと向き直った。
目前に居るは、少しでも前進しようと足掻く牛鬼。 ……最早、生前の誇りどころか其の姿形すらも無くし、只の化物でしか無い。
「……なぁ、蒼蓮」
低いが、はっきりとした、声。
「何時の間に、加具土の誇りを無くしちまったんだ?
なぁ……アンタは宗家の跡取りだったのによ。
同じ加具土の民として……玄孫として、情け無ぇよ」
其の声が牛鬼の心へ響いている様子は、無い。
其れどころか、ビリビリと空気を揺らし上げ続けている怒声は既に言葉に有らず、悲鳴となって木霊しており。
"ミシ……ミシ、"
牛鬼の身が軋む。其れに焔屋が気付いた其の瞬間、ブチィと音。
余りにもがく故に胸部と腹部の境目が千切れ、再び蒼い炎の刀が焔屋を襲った。
が。
振り下ろされた刀の前足二本を、焔屋の手ががっしと掴み取る。
人間とは思えぬ、凄まじい力だ。びくともしない。
牛鬼は一瞬呆気に取られ、次に牛鬼を襲ったものは、えもいわれぬ恐怖であった。
"ズォ……!!"
焔屋の全身が、真っ白な炎に包まれているのである。
先刻、疾風が手にしていた刀と同じ……否。
其れ以上に熱く、眩しく。
「貴っ様……紅蓮!!ぐれぇぇん!!!」
「そりゃァ俺への怨み……其れとも恐怖かィ?」
あれ程焼けど煤一つ付かなかった刀の腕が、焔屋の手中にてあっと言う間に蒸発し、消えた。
蒼蓮の特殊な炎にて焼成された鋼……熔ける等、あり得ぬ筈。
「ひッ……」
牛鬼が、引き吊った様な声を上げる。
後退る化物に、焔屋は高く飛び上がった。
其の姿は、まるで昼間に頭上を照らす太陽の如く。
「好い加減……目を覚ましやがれ!!」
振り下ろされた拳が、真っ直ぐに牛の頭を捉えた。
鋭い二本の角、堅い鋼の頭蓋、六つの黒き複眼、そして顎。
一直線に貫通し、人の背程もあった牛鬼の頭は瞬時に真っ二つに裂かれ。
"ズ……"
悲鳴を上げさせる余裕も、彼は与えなかった。
それぞれが地面へと転がる直前……焼け爛れた鉄の真っ赤な液体がドロリと地面へ広がり、黒く沈黙する。
二体の妖に掴まれもがいていた腹も赤く熔け、発熱に悲鳴を上げた式神達は霧と消えた。
……其の中央に降り立つ、焔屋。
未だあの白い炎が消えぬまま、しかし己が身すらも焼き始めているのだろう。
ブスブスと全身より黒煙が上がり始め、皮膚を焼く臭いが入り混じる。
よろり、其の体がよろけたと同時。
溶け流れた鋼鉄の中心がめこりと音を立てて小さな山を作り、其の中より這い出て来るは、見慣れぬ一人の青年。
否、其の身は少年の色を未だ湛え、細い。
酷く深手を負っている……熔け無くした右半身を左手にて庇いつつ、未だ怨みの篭った瞳を焔屋へと向けた。
……赤と黒の入り混じった髪、白い肌に茜色の力無き眼光。
人の子と加具土の民が不思議に入り混じる其の姿は、妖刀・村正……否、三代目千子村正と焔蒼蓮の念が成した、混沌たる融合の末路であった。
「…… 紅蓮……紅蓮ェン…… っ……」
低く呪念を唱え続ける口より、ボタボタと真っ赤に焼けた鉄が流れ落ちる。
息も絶え絶えながら、ゆっくりと振り向いた焔屋の顔は……少しずつ焼け爛れながら、酷く切なげで。
「……なぁ。もう、良いだろうがよ?
充分苦しんだじゃねぇか……」
「紅蓮……紅蓮…… 紅、蓮……!」
一歩、一歩。村正は、動かぬ右足を引き摺り焔屋へと近付いて行く。
彼の名を呼び続ける其の声は、……次第に呪念から啜り泣きに変わり行き、髪や姿も加具土の民の其れへと変化していく。
やがて焔屋の胸に縋り付き、見上げた顔は、翠蓮に……否、若き日の焔屋に似たものとなり、紅く戻った目より大粒の涙を流していた。
「紅蓮……頼む……
御師匠を……葬ってやって、くれ……」
「…………、」
白き炎に焼け行くも気にする事無く、懇願する蒼蓮。
焔屋は、表情を変える事無く。
そして、涙を流し此方を見上げる蒼蓮の身体を、大きな体躯は抱き締めた。
「……しょうが無ぇな」
「……有り、難う……」
其の言葉が、遠く見守る疾風とし乃雪の耳に届いたのか否か。
疾風が木の陰より慌てて飛び出し、涙と共に名を叫んだ時、彼等の身体は目が潰れん程に眩い炎に包まれていった。
……不思議な事に、其の炎は周囲をちりとも焦がす事は無く、只柔らかな温もりを残すのみであった。
