アヤカシ太夫♂とイロオトコ

 



 一刻だけ、話を別の所へ向けるとする。


 雪消えぬ早春の今と言えど、耳を澄ませば細波の水飛沫が寒々しく耳元を擽る場所。
 しかし男が炉の傍に居る時だけは、鉄が鉄を叩く音にて掻き消され、身を潜める。


 (すす)で黒くなった木戸が躊躇無く開けられ、顔を出したのは若い少年侍。
 小屋の奥にある炉の傍にて鉄を叩く男の大きな背を見やれば、其の傍にて男の手元を覗き見ていた別の少年が、煤に塗れた褐色の顔に笑みを作り、声を上げた。


「あっ、兄ちゃんいらっしゃい」

 声に気付き、男もちらと背後へ目を配せ、「よぉ」とだけ言う。
 侍は二人に一礼し、炉の手前へと歩み寄り、真っ直ぐに座った。


 男も少年も、常人には見られぬ程に紅い髪をしていた。
 侍はとうに其の姿を見慣れており、見てくれにも男の手元にも特に関心を寄せる事は無く。


「又欠けちまったのか、」

 手を休める事無く、男が低い声にて言う。
 水へ落とされた鋼がジュウと大量の湯気を立たせ、辺りが一気に湿気を帯び。
 次に上がった侍の声は、音に掻き消されそうな程に弱々しい。


「……かたじけない」
「良いけどよ……
 こいつァちっとやそっとじゃ欠けたりァしねぇ。
 ……疾風(はやて)はこんな使い方しなかったぜ」

 侍の表情は、この小屋へ入った時よりずっと寂しげなまま。
 もう一度、深く頭を下げる。


「止めろ、頭なんか下げんな。
 ……其処に置いとけ」


 少し間を置き、ゴトンと音。


「……宜しくお願い申す」
「明日取りに来い」


 自分の隣で、少年が侍へ向かって手を振る。
 再び木戸が静かに開閉する気配を感じ、代わり侍の気配が消え。


 男は手を止め、部屋の中心に残された刀を見遣り。
 一言だけ、呟いた。


「……荒んだモンだな。
 アンタの息子ァよ……」



 * * * * * * * * * *


 翌日。


 暫く天を覆っていたあの重く垂れ込めた雲は殆ど見受けられず、久々に青く突き抜けた様な空が頭上に広がった。
 これは良き散歩日和だな……し乃雪は少々眠い目を上方へと向け、目映(まばゆ)い陽の光を全身へ受けた。


「気持ちの良い空だな、」

 源三郎の笑顔と明るい声がし乃雪の心を浮き立たせ、笑みが漏れる。

「まっこと良き天気じゃ……少々眩し過ぎるがの。
 隣がお前さんで良かったわ」
「何を言うかと思えば、」

 苦笑気味に源三郎が漏らす。

 日が山より少し離れた辺りより歩き、しかし未だ頭上迄には達しておらず。
 右側のなだらかな川を駆ける風の中に潮の香りを見出し、目的地が近い事を悟った。


「槇島殿の話では確かもう直ぐか、」
「見れば分かる、とか言うておったが……この先の松林の更に先であったかえ」

 確かに、直ぐに松林に入り。
 さほど大きな林では無く、ものの数刻もせず抜ければ、目前に広がった海原の片隅に小さな小屋を見付ける事が出来た。
 ……崖の上にある其の古びた小屋は、しかし農具らしき包みを手にした数人の農民が入口近くにて(たむろ)し、賑やかだ。

「……あそこ……か、」
「何とも、分かり易い。
 しかしあれに並ばねばならぬのかえ?のぉ源、」

 少々眉をしかめたし乃雪は、久々に長く歩いた故に疲れたのだろう。
 女物の着物よりはだけ漏れた膝で体重を支え、うんざりとした目にて源三郎を見上げる。
 其の目に慣れていたつもりの源三郎、しかしものの数瞬で音を上げ、溜め息と共に漏らした。

「……其の様な目で見るな。
 分かった分かった、訊いてくるから」
「んふふ……済まぬの、」

 手を合わせ申し訳無さそうにそう言ったし乃雪を余所に、少し不満気な顔で場を離れ。
 何やら話し込んでいた農民達に源三郎は駆け寄り、何かしら語り掛ける様子をじっと見ていたし乃雪であったが、思いの外話が長い。
 結局源三郎が呼ぶまで待てず、痺れを切らしたし乃雪は彼等へと駆け寄り、軽い会釈の後源三郎に声を掛けた。


「源、」
「嗚呼、済まぬ……
 間違い無い、此処が焔屋だ。彼等は最後の一本の完成待ちなのだとよ」

 結局、もう少し待つのか……そう問おうとした辺り、まるで図ったかの様に丁度良く、小屋の戸が開く。

「はいよ勘介さん、出来たぜ!」

 開いた戸の隙間より姿を現したのは、齢十五程の少年。
 金混じりの真っ赤な頭髪に褐色の肌。
 し乃雪に似た紅い瞳が印象的だが、荒々しい見た目とは裏腹に、浮かべる表情は年相応の人なつこい笑顔だ。

 すまねぇな、と差し出された(すき)を受け取った農民の隣にて、し乃雪と源三郎は少し驚いた様子で少年を見詰めた。

「……まさか、この子供かえ?」

 小さく漏らしたし乃雪の存在に気付き、少年がふとし乃雪を見遣る。
 眉をしかめ何度かの瞬きの後、今度は少年が感嘆の声を上げた。

「……うっわー……別嬪さん!
 あれ?もしかしてお姉さん、早良兄ちゃんの姉さんかい?」
「早良?誰じゃ、」
「ん、いや勘違いだな、御免よ……ちょいと似た顔だったからさ。
 にしても如何したんだい?こんな綺麗なお姉さんがこんな所に」

 綺麗なお姉さん、と言われ、気を良くした様子のし乃雪。
 しかし彼が次に口を開こうとした直前、源三郎が前へ出、少年へ声を掛ける。

「なぁ、此処はかの有名な焔屋さんかい?」
「有名か如何かは知らないけれど、そうだよ。でも刀はやってないぜ、お侍さん」
「否、刀では無い。これをご主人に見せて来てはくれぬか?」

 言いながら少年へ手渡した物は、腕程の長さの紙包み。少年は包みと源三郎を交互に見遣り、やがて「待ってて、」とだけ呟き、戸を閉めた。


「源三郎、あれは?」

 問えば、源三郎はニッと笑い。

「徳川の家紋入りの大苦無だ。使えるかと思い、弥次郎伝てでちょいと失敬して来てな」
「人遣いが荒いのぉ?
 其の様な事をせぬでも逢えるだろうて、」
「客を外に待たせておると言う事は、余程の事が無い限り人には逢わぬと言う事だろう?
 ……まぁそうで無くとも、弥次に頼まれて調べねばならぬのだがな」
「成る程……」

 言う間に、再び木戸がカラリと開き、中よりあの少年が顔を出し。
 先刻よりもほんの少し強張った様子の笑顔で、二人を見上げた。

「…… 親方が呼んでいるぜ。入って、」



 紅い少年に促され、し乃雪と源三郎が足を踏み入れた其処は、小さな居間の直ぐ向こうに鍛冶場のある小屋だ。

 キィン、キィン……と目が覚める様な鋼を打つ音。
 ジュウ、と舞い上がる湯気。
 温かい湿気と共に強い鉄と硫黄の臭いが鼻腔を刺激したが、其れよりも。
 奥の鍛冶場にて此方に背を向け仕事をしている一人の男へ、目が釘付けとなった。


「…………何だ、あれは」
「あれがウチの親方」

 漸く絞り出された源三郎の声に、少年は当たり前の様に軽く言い放つ。

 真っ赤な頭髪、黒い肌、筋肉質で大柄な体格。
 屈み込み止める事の無い其の手には、真っ赤に焼けた鉄が直接握られていた。
 其れも、火傷どころか手より炎が上がっている様にも見受けられる。

「親方!お客さんを入れたぜ」

 少年が声を上げれば、ほんの少しだけ彼が振り向く。
 一瞬だけ口より炎が漏れる様が見え、見間違いかと二人は目を凝らしたが、

「……待たせとけ」

 と低く発せられた言葉と共に、ボウと口より吹き出た火は見間違いでは無く。
 二人は目を点にしたまま、促されるままに居間に座り、様子を見詰めた。


「二人共、名前聞いてなかった」

 会話無き空気を払拭する様に、少年が口を開く。

「オイラは翠蓮(すいれん)って言うんだ。緑色の蓮で翠蓮」
「丹原悟兵衛と申す。此方は」
「し乃雪と申します。よしなに」

 女形を気取る時の裏声にて(うやうや)しく言うし乃雪。
 源三郎は其の滑稽さに吹き出しそうになった顔を抑えつつ。

「親方殿の御名は、」
「嗚呼、焔屋で良いよ。親方、本名嫌いだから」
「一言余計だ、(すい)

 油断していた所で焔屋の声が割り入る。
 三人は驚き顔を上げ、途端に「ほらよ、」と源三郎に苦無が投げ渡された。
 見れば、胴の真中にある傷は其のままであったが、刃の部分が新品同様に打ち直され、心無しか生き生きとしている。

「……これは、」
「そいつがな、傷は消すな……とよ」
「農具直すついで。お代は要らないってさ」

 言葉少なの焔屋に、翠蓮が付け加える。
 傍ら、腰を上げた焔屋は隅に置いてある大きな(かめ)へとゆっくり近付き、並々と湛えられた水で手を洗い始め。

「……ンで?
 ()を消そうとした幕府が、今更何の用だ」

 ぴくり、源三郎の眉が小さく動く。其の間を察し、焔屋は手を止め、初めて正面にて二人を見据えた。
 ……鋭く紅い眼光。
 無精髭に覆われた顔には、酸いも甘いも潜り抜けた男の憂いを湛えている。

「ふん……若僧が、知らねェみてェだな」
「かたじけない……今は幕府も」
「如何だか……
 で?」
(それがし)、名を」
「聞いた。聞きてェのは用件だ」
「…………
 実は、此処ひと月前後の事です。
 次々と人が闇討ちに遭っており、其のどれもが不可解な言葉を残し刀にてなぶり殺し……。
 噂に聞く言葉の中に『紅蓮』とありました故、名のある鍛冶屋である焔屋殿は何か存じてお出でであろうかと」
「……存じてお出でじゃァ無ェな」

 ふぅと小さく吐息を漏らしながら、焔屋が呟く。

「大体、オレぁ"刀"はやってねェ。
 こんな辺鄙な小屋よりゃ鍛冶屋街で嗅ぎ回った方が早いンじゃ無ェのかィ?」
「ふむ……ならば何故に『紅蓮』が刀であると存じてお出でなのです?
 我々でも散々調べ回り漸く知り得たのですが」
「じゃあアンタ等は其の情報を何処で知ったんだ、どっかの鍛冶屋で知ったから鍛冶屋で聞き回ってんじゃ無ェのかィ?」

 其れは、遠回しに「誰も知らぬ刀では無い」と言う事。
 ……どうやら歳嵩だけでは無く問答についても上手を行っている様子。
 源三郎がしてやられ押し黙る様を初めて目の当たりにしたし乃雪は、顔に出さぬも心でほくそ笑んだ。

「お願い致します、何かご存知なれば」
「知らねェよ。興味も無ェや」

 食い気味に其処まで言い、再び顔を洗い始める焔屋。
 源三郎は未だ何か言いたげな顔をしていたが、し乃雪は其れ以上は徒労に終わるであろう事を悟ったらしい。
 ちらと源三郎へ目配せし首を小さく横へ振り、二人は立ち上がり。

「……失礼をば致した。御免」

 木戸の前へ立ち、源三郎は深く頭を下げる。
 焔屋は変わらず顔を洗っていたが、先に外へ出たし乃雪に付いて源三郎も又外へ出ようとした時。
 不意に、声が掛けられた。


「悟兵衛……ッつったか、なァゴボウ」

 源三郎の首だけが、背後を向く。
 焔屋は瓶に両手を着いたまま、炎の如き逆毛の髪を微かに揺らし、目だけで源三郎を捉え。

「アンタ、ちと詰めが甘ェな。
 忍ならもうちっと自分を隠し通せ」
「何を仰る、某は只の」
「苦無で刀受け止めるなんざ、忍にしか出来ねェよ」

 外までは到底聴こえる事の無い、小さな声であった。
 恐らく、し乃雪に配慮してくれたのであろう。
 だが其の小さな気配りすら小莫迦にされた様な心持ちがし、源三郎の胸中は久々に荒れ。

 其れ以上何も言えず、彼は只一度ヒクリと頬をひくつかせた後、強く木戸を閉めた。



「……親方、意地悪だな」

 ポツリ呟く翠蓮に対し、焔屋は虚ろな目を宙へと向け、笑う。

「……言って村正が如何かなるなら言ってたさ」
「そうじゃ無くて、何であのお侍さんをチクチク苛めたんだよ?」
「……デコ突っ付かれてムキになって向かって来るガキって、愉しく無ェか?」
「親方って……案外子供だよな、」

 言われ、焔屋の笑みが苦笑へと変わり。
 顔に付いた水滴がジュッと蒸発する音と共に、肩を揺らして一言零した。

「違え無ェや」


 * * * * * * * * * *


「……源?」
「ん、」

 数歩程小屋より離れた辺り、し乃雪が源三郎へ神妙な面持ちで声を掛ける。
 振り向いた其の顔は何時もと大差無いものの、しかし目の奥に酷い苛立ちを湛えている様に見え、し乃雪は小さく呟いた。

「中にて何か言われたか?」
「否……只、悔しゅうてな」
「何がじゃ、」
「この俺の策でも折れる事が無かった故にな……
 流石は加具土(カグツチ)の民、久々にてこずりおるわ」
「加具土の民?」

 聞き慣れぬ言葉。

「加具土と言えば……加具土命(かぐつちのみこと)かえ?」
「俺も今日(こんにち)まで信じておらなんだが……焔屋の言葉で先程思い出してな。
 加具土の民と言うのは、赤髪赤目に色黒で、炎を自在に操る一族だ。
 元々然程人数も居なかった上、如何なる炎をも制す力にて火消し屋や花火師として重宝されておったが……幕府が徳川となってから暫くして『街を燃やし尽くす妖怪変化』と散々狩られ、其の数も両手で収まる程にまで減ったと聞いた」
「…………生き残り。と言う訳じゃの、」
「若しくは、其の子孫とか、な。
 何れにせよ、あの赤鬼の如き見てくれや奇っ怪な鍛冶姿は民達にとって馴染みが薄い故、ああして愛想の良い翠蓮が取り次いでおるのだろう」

 其処まで話した後、腕を組んで思考を巡らせ、独り言の様に呟く。

「…… 間違い無い、あの男。何か知っておる筈なんだが」
「確証はあるのかえ?」
「否、勘だ。只……鍛冶場の隅に気になる物があってな」
「はて。何かあったか、」
「気付かなかったか?刀らしき包みがあったんだがよ」
「……嗚呼!瓶の傍にあった、」

 言われて見れば、し乃雪の記憶の片隅に僅かに残っていた其れ。
 確かに、藍染の布にて包まれた細長い其れは刀の如き反りがあり、ひっそりと息を潜め其処に佇んでいたのであった。

「焔屋は鍛冶屋故、帯刀は許されていねぇ筈だ。しかし刀鍛冶はやって無ェよと本人が其の口で言うておった」
「……なれば、もしお前さんの読みが正しければ」
「さてねぇ……
 其れより前に、あの男の口を割らせる自信が欠片も無ぇんだがよ……」

 珍しく、落ち込み気味にそう笑う源三郎。
 其の言動にて先刻の問答が余程彼の自信を挫かせたのであろう事を察し、し乃雪は優しく笑み、漏らす。

「偶にはああ言う人間もおるさ」
「ふむ……」
「少し位落ち込まぬと、上へは行けぬであろう?
 其れに、源。其の顔も良い」
「良く言う、……」

 ぽん、とし乃雪の薄い背を叩き、笑う。
 笑みの中に何時もの明るさがほんの少し戻り、し乃雪も又心中にて胸を撫で下ろしたが、……しかし、其れだけで。

「……雪、」
「何じゃ?」
「否……お前さん、最近変わったな。
 人に優しくなったと言うか……丸くなったと言うか」

 何時もと変わらず振る舞わんとするし乃雪の何処かに違和感を感じたのであろうか、源三郎が問う。
 しかし

「色々あった故にのぉ」

 と笑って一言呟いただけで、其れ以上何も言わなかった。



 そうしてのんびり帰路を歩く中、ふとある事に気付き、顔を上げる。
 共に歩くし乃雪を何気無く見れば、彼も違和感に気付いていたらしく、此方へ目を配せ、お互いの視線がぶつかった。


「気付いたかえ、」

 し乃雪が低く呟く。

「…………俺達が入ったのは小さな林であったよな?」
「嗚呼。
 直ぐに抜ける筈が、歩き始めてもう大分経っておる」

 そう。
 先刻焔屋へ向かった時は然程掛からず抜けた筈の松林。
 ……しかし、今居るこの地は先が見えぬ程に深い森と化しており、振り返れば背後すらも夜の如く暗く、深い。

「……神隠しか?」
「似て非なる、じゃ。
 恐らく、近くにて妖が化かしておるのであろう」

 少々不安気な源三郎。
 対し、し乃雪は疼く体を押さえ笑顔を浮かべる。

 見上げれば、天辺を少し過ぎた程度であった太陽が既に沈み掛けており、赤い空が目に見える程早く群青へと染まり行く。
 ぞっと肌が粟立つ源三郎の背をし乃雪はぽんと叩き、しかし眼はまっすぐ森の奥へと向いていた。

「……聞こえる。
 鉄の……打つ音かえ?」

 物音が、する。
 何か鉄を打ち付ける様な音が、遠くより、二回……三回。


「…………、」

 其れに気付いた源三郎は、一呼吸にて先刻の恐怖を忘れ、耳をそばだて。
 ひくりと瞼を震わせると、突然其の音へ向かって走り出した。

「あっ……おい源三郎!?」

 驚き後に続くし乃雪。
 しかし源三郎の足は止まらず、し乃雪を言にて制す。

「雪、お前は来るな!」
「何故じゃ、」
「分からねぇか、これは……刀の音だ!!」

 言うが早く、源三郎は腰の本差しと脇差し二本を抜き、両手に持ちつつ。
 只ならぬ源三郎の剣幕と周囲の異様な威圧に、し乃雪も又源三郎の背後を必死で追いつつ、懐より形代を一枚取り出した。
 お前は来るな……案じてくれた源三郎の身の方が危険であるやも知れぬ故だ。


 * * * * * * * * * *


 ギィン、と耳をつんざく金属音と共に、青白い火花が瞬く間だけ辺りを照らす。
 しかし人ならぬ圧倒的な力は早良の脇差をいとも簡単に弾き、よろめく彼の頬を切っ先が滑った。

「っぐ!」

 皮膚が裂かれ、焼ける様な痛覚。
 元あった古傷と交差し十字を描いた其れは紅い液体を吐き出し、至る所に作られた傷口に同じくボタボタと垂れ落ちる。

 ――― …… 何なのだ、この男は!

 全く以て、歯が立たぬ。
 偶々脇差し一本しか持ち得ておらぬ早良であれど、其の腕は並の剣豪をも唸らせる程である筈。
 しかし、目前にて血の涙を流し続けるこの異形の男は、まるで刀にしか実体が無いかの様な感触で。
 何度腕を斬ろうと、何度胴を突こうと、するり刀身がすり抜けていく。
 唯一手応えを感じる"刀"を弾き飛ばそうとも、只自らが握る脇差の刃が零れるだけであり、びくともせぬ。

 息荒く、全身を染める血と共に力が失われて行き、其の場に力無く跪く。
 遠退き始めた意識の中、霞んだ瞳に映った其の姿……まるでこの世の者とは思えぬ程に朧気で、陽炎の如くゆるりゆるりと揺れながら青白い光を放ち。


 ― 我を追い立てた徳川のにおいじゃ……
  我を追い立てた紅蓮のにおいじゃ……

  殺してしまえ……
  消してしまえ……!!


 刀が、振り上げられる。
 背後の闇すら透き通った顔に流れる血の涙と、裂けんばかりに吊り上がった三日月の口元が、じりと脳裏に焼き付き。

 早良は、薄れ行く感覚に身を任せ、目を閉じた。


 と。

「早良!!」

 聞き覚えのある声。
 途端、今度は聞き慣れぬ声にて「赫天(かくてん)!!」と聞こえ、刀を振り下ろそうとした男の身を紅い炎が包み込む。
 間髪入れず、両手に刀を持った男が飛び込み、両刀が異形の刀を受け止めた。

 其の姿……源三郎の頼もしい背を認識した所で、恐らく安堵を覚えたのであろう。
 ふつりと緊張の糸が途切れ、早良は――― 沈んだ。


 絡み合った三本の刃がギチチと音を立て、細かい銀色の破片が飛び散る。
 人並みならぬ力は源三郎を押し始め、震える二本の刀が彼の目前まで迫り、表情が緊張から苦痛へと色を変えた。

「源!こやつ、」
「……"村正"か……!」

 し乃雪の声に、源三郎は只一言返す。

 間違い無い。
 この男……先日死んだ本間真天斎と同じ顔を上げ目を見開いた、"この異形"こそ。

 ふと朧色の刃より力が抜けたかと思えば、交差された二刀を薙ぎ払うかの様に高速で振られ。
 刹那、ヂィン!!と澄んだ音を響かせ折られるは、源三郎が握っていた両の刀。

「っ!?」

 息を呑むも、とっさの判断にて傍の木を力一杯蹴り上げる。
 ズン、と重い音がし、再び刀を振り上げた異形の頭上より氷塊と化した雪の塊が落ち、一瞬で其の姿が埋もれた。

「雪!」
「嗚呼!」

 持っていた形代を、し乃雪は胸に当てる。
 チリ、と瞬時に燃え消えたところで、両の手にて印を組み。

「……出でや。
 白影(びゃくえい)

 途端。

 "ブワ…"

 し乃雪の背後に、淡く光る五本の白い尾が揺れた。
 ……其の尾、し乃雪の身より前方へぬるりと現れた獣のものだ。
 まるで彼を護る様に佇んだ、"獣"。其れは二足で立つ、五尾の白狐である。

 白影と呼ばれた式神は、四足の体制に身を屈め。
 "バン!!"
 韋駄天の如く駈け出した。
 組印より僅か数瞬である。

 雪塊を弾き起き上がった異形、白影が体当たりにて飛ばす。
 幹へ衝突すると共に振り上げられた切っ先、斬り裂くは幻。
 白い体毛に覆われた人の手が素早く印を組み、白影は何か低く呟いた様子。
 途端バチィと青白い稲妻が踊り、異形を強か殴った。

 ……異形の気が、逸れる。

 澱んでいた空気が流れ始めた其の隙を突き、源三郎は折れた刀を鞘へ収め、早良の力無い体を抱き上げる。
 し乃雪も其の背に続き、二人は元来た道を全力で走った。


「……行けるか!?」

 延々続く森の奥を見、息を切らしつつし乃雪が言う。

「分からねぇ……しかし、行かねばならん」

 源三郎が呟く。

 と。
 何時の間にやら追い付いた白影が、抱えていた早良ごと源三郎を抱えた。

「おぉぉ!?」

 驚き頓狂な声を上げる源三郎。
 白影はもう片腕にし乃雪をも抱え、其のまま速度を上げ、走った。


 あの異形がいた筈の場所は、既に暗闇の遠く奥。
 ……深淵より、深く恨み籠もった声が響く。


 ― 徳川の、狐が一匹……
  徳川の、鴉が一匹……

  忘れぬぞ……
  徳川と紅蓮の、におい……
  貴様等……の……



 白影が立ち止まり三人を降ろした時、振り向くも既に森は消え去っており。
 其処は、あの小さな林の傍であった。

 空は、いまだ夕暮れ。
 明々と照らされた遠くの海が、今し方を夢見の先に思わせる。

 昼間に変わらず鍛冶の煙を上げ続ける焔屋の小屋を見付け、二人の表情が漸く少しだけ弛んだ。


「……雪、助かった」

 溜息交じりに言うも、……ふと、源三郎は其の式神を見上げた。
 自分の身より五寸程度大きな、五尾の白い狐人……剣の様な銀色の瞳が、ちらりとだけ此方を見遣る。

「……如何したえ?」
「否、…… 初めて見る式神だな、とよ」
「力は持たぬが、健脚の賢き子じゃ」
「……名は?」
「白影」
「……」

 淡々と返される、返答。

 ――― ……こいつの、"銀の瞳"……まさかよ、

 問おうと口を開きかけたが、遮る様に「愛いであろう?」と微笑みを向けられ。

「……そう、だな」

 只一言、今はそうとだけ返した。

 今は、怪我人を運ばねばならぬ。
 遠くに見える灯り目指し、二人は無言のまま急いだ。



 * * * * * * * * * *



「…………、」

 焔屋は、居間の真中にてじっと考え事をしていた。

 其の手に握られ、見詰めるは……刀。
 血の脂曇りすら無い澄んだ銀色をし、鍛冶場の炎を鏡の如く映す其の刀身には、刃零れ。

 白い紙を咥えたまま。
 布越しに冷たき身を掴み。
 二、三度左右に回し引き抜く。

 カツン、と小さな音と共に鍔と柄が離れ、中に仕込まれていた小さな紙切れを、彼はすと引き抜いた。
 其処にあったのは。


『乱丸の事をお頼み申し候。 早良 疾風』


 懐かしい、文字。
 右上がりにて少々せせこましい字を書くのが、あいつの癖であった……


 と。
 俄かに外が騒がしく感じ、焔屋はくると木戸の方へと振り向く。

「頼もう!」

 つい先刻聞いた、あの声。
 焔屋の眉が嫌そうに歪んだが、翠蓮は裏にて風呂を焚いている故に今は自分しかおらず、しかし居留守を決め込む訳にも行かぬ。
 一先ず刀を適当に布で包んだ後、ボリボリと頭を掻き毟りつつ木戸を開けた。


「ったく……しつけェぞ、何考……」

 声が詰まる。
 必死な形相をした悟兵衛の次に目に飛び込んで来たものが、血塗れにてぐったりと其の胸に抱かれている早良の姿であった故だ。

「……其の子、如何した?」
「某の友人にござる。
 先刻、こやつが妖に襲われておりました所に遭遇し、助けた次第で」
「…………、」

 怪訝そうな目で、悟兵衛と早良を交互に見。
 悟兵衛の(まなこ)は真っ直ぐに焔屋を捉え、曇りは一点も無い。

 やがて、焔屋はゆっくりと一つ瞬きをし、溜め息と共に小さく呟いた。


「…………入れ」




 外は、この季節最後であろう雪がちらりちらりと降り始め。
 しかし、炎消えぬ小屋の中は暖かく、常に薄着で居る焔屋の格好に納得すら覚える。


 敷かれた大きな布団に着物を脱がせた早良を寝せ、し乃雪は彼の傷の手当てを始めた。
 古傷の上に出来た無数の傷達は、……どれも刀傷にしては、浅い。

 ――― ……あの"村正"にしては"甘い"。
 手を抜いたとは考えられぬな……となれば。

 訝しみ、し乃雪は早良の額に触れ、目を閉じる。
 詰まる所、早良に何かが"居る"……?

 一人は、……嗚呼、暖かな……一陣の風の如き魂が見えた。
 彼を護る強き意思……恐らく、村正より刀を弾いていたは、この魂か。

 そして、もう一つ……奥底に居る、黒いものを探ろうとした……
 刹那。


<  よォ、"息子"ォ。 >


 咄嗟に手を離し、身を震わせた。
 聞き覚えのある、声……
 蛇蟲に喰われかけたあの夢……
 あの時の、白い蛇の"声"に相違無く。

 脱がせた着物より、首飾りの様なものが見えている。
 翡翠の勾玉に囲まれた、象牙色の……。

 ……見ない様、し乃雪はそっと着物を被せた。


 焔屋が持っていた蘭引(らんびき)があった故、傷口を洗い流し、手当ては進む。
 貰いものであるらしいが、焔屋は呑まないのだと言う。

「……お前さんの知り合いなのかえ、このお侍」

 鍛冶場の焔屋には聞こえぬ様、し乃雪が小声にて尋ねる。

「嗚呼……狛虎の飼い主の親友だ。軽く剣を教えている相手でもある」
「嗚呼、話の……。しかし、この顔」
「似ておるだろう?俺も初めて見た時驚いたぞ……色黒の男臭ぇし乃雪がおる、とな」
「全くじゃ」

 そう。
 人形の如く身動き一つせぬ顔は、良く見れば美しく整った其れ。
 瓜二つとはいかぬもののし乃雪の顔に似ており、しかし色黒の肌は古い刀傷にまみれている。
 ……まるで、違う道を生きる自分を見せ付けられている様な心持ちがし、し乃雪は余り良い気分ではない様子。

「其れより源三郎。これなれば数日で動けるとは思うが……如何するえ?」
「ふむ……あの頑固者の事だ、早良をも追い出すやも……」
「置いてきゃ良いだろ、コイツァ知り合いだ」

 土間の縁に座っていた焔屋が突然声を上げ、悟兵衛とし乃雪の身がびくんと震える。


「聞こえてンだよ、ど阿呆」
「……失礼を、」

 申し訳無さそうにそう言った後。
 悟兵衛は改めて真っ直ぐに座り直し、寂しそうに丸まった焔屋の背へと向かい、畏まった。


「…… 相手は、先にもお話したあの妖でありました」
「……」
「罪無き人が次々に斬られており、犠牲は増え続けています。
 やがては焔屋殿、翠蓮殿にまで手が及ぶやも知れませぬ。
 お願い致します……この通り」
「…………」

 焔屋が振り向けば、其処にあったのは深々と土下座をする悟兵衛の姿。
 眉間寄せそっぽを向いた焔屋であったが、暫しの沈黙の後。

 チッ……と舌打ちを投げた後、さも重そうに口を開いた。

「…………んじゃァよ、こっちの条件も呑んで貰わねェとな」

 漸く掴んだ好機に、悟兵衛の顔がほんのり明るくなる。

「……条件、」
「不満か?」
「否……」
「どうせ断ったッて食い下がって来るンだろうが?
 まァよ、簡単なモンさ」

 くるり振り向き、しかし表情無きまま。
 焔屋の目が真っ直ぐし乃雪を捉え、指を差す。
 妙な空気となった空間に彼も又気付き、辺りを見回した。

「……ん?」
「し乃雪っつったか?なぁダイコン。
 アンタ、明日ッから三日間此処で働け」
「………んん??」

 ほんの一瞬、訪れる沈黙。
 目を点にし呆気に取られた二人……其の沈黙を、焔屋が鼻で笑う。

「何だァ?其のツラ、」
「……否……しかし、」

 漸く悟兵衛も声を絞り出し、しかし混乱が収まった訳では無いらしい。し乃雪へ目を遣る。

 し乃雪は冷静であった。
 少々狼狽えていた視線が悟兵衛に気付き、苦笑気味ではあるが頷く。

「宜しいのですか?こやつは……其の、」
「まァ女じゃねェのは残念だがな。
 が、コイツの看病が要るだろ?
 三日間の住み込みは次いでだ」

 一番の心配事が其の言葉にて吹き飛び、安堵を覚える二人。
 自分が男である事を隠す必要も無くなり、改めてし乃雪が地声にて口を開く。

「……存じてお出ででしたか、」
「フン。
 で、如何する?強要はしねェよ、コイツが死んでオレが口ィ噤むだけだ」
「…… 、」

 ふ、と目を伏せ、し乃雪は意を決した様に小さく頷き。

「呑みましょう」

 紅玉の眼を真っ直ぐ焔屋へ向け、答えた。

「おい、雪……」
「案ずるなよ、殺されやしないわえ」

 不安気な目でし乃雪を見る悟兵衛に、彼はにこり笑む。
 悟兵衛には何故か其の笑みが酷く美しく見え……言葉を呑み込み、漸く頷いた。

「……分かった」


 其の様を、やはり何も言わずに見ていた焔屋。
 何時もの面白く無さ気な目にてし乃雪を見遣り。

「決まりだな、」

 と膝を叩いた。