「で、まさかたえ葉が描いた墨絵と言う訳ではあるまいて?」
「ん、…たえ葉の襖は分からぬがな、話はこれのみでは終わらぬ。
たえ葉の死より三日後の事だ、今度は京町二丁目にある乱菊楼と言う見世の淡雪と言う花魁がお歯黒溝に投げ込まれておった。…で、其の淡雪が使っておった部屋の襖には」
「襖には、」
「シミがあった。……但し、死んだたえ葉の顔をした幽霊のシミがな」
其処まで口にした後、そっと横目にてし乃雪を見遣る。
美しい人の、興奮にておぞましい程に歪んだ笑顔…が、直ぐに元の澄まし顔へと戻り視線が逸れる。
「成る程ねェ、しかしシミかえ?」
「お気に召さなかったかい、」
「否、面白い。其の様な事もあるのかえ、」
少々安っぽい話じゃがな?と付け足しつつも、煙管の紫煙と共に漏らした溜息は充足感を湛え、ふくよか。
其れに少しばかり安堵を覚え、しかし苦笑気味に源三郎が返す。
「安っぽいと言われてもな。俺は噂通りの話をしたまでぞ」
「そうじゃのぉ、なれば巷が安っぽいと言う事じゃの?」
「安っぽいとは言うておられぬぞ?
実の所、このシミと花魁の死は伏見町、京町二丁目と来て、其の後江戸町一丁目、京町一丁目、角町と続いておる。……この意味が分かるか?」
「吉原の手前と奥よりじわじわと中央…此方へ近付いておる訳か、」
「しかも狙われ死んだはどの女も其の町で一・二を争う花魁よ」
「ほぉ…、」
言えば言う程、し乃雪の表情が嬉しさを含んでいく。
塩をまぶしたふきのとうの天麩羅を一口かじり茶を含み、瞳は中空にて綻んだ。
「よもや、其のシミ幽霊が女に嫉妬しておるとでも言うのかえ?」
「さてねぇ、」
「しかし、のぉ源の字。其の話、狙われておるは"花魁"ぞ。俺は花魁かえ?」
「あ、……」
しまった、とばつの悪い顔を浮かべる源三郎。
其れが又面白いらしい、くつくつくつ、と笑いながらも再びし乃雪の身は彼の肩へと寄り掛かり、徳利を差し出し。
源三郎の差し出した猪口に注がれた酒は、恥ずかしそうに直ぐ消えた。
「其れにしたって、お前さんが狙われる事は充分有り得る話だぞ?この源三郎さえ騙される美人だ」
「褒め言葉かえ、」
「他に何がある?」
「否、さてねぇ。
……この色町に幽霊話とは、何とも興のある話じゃのぉ」
源三郎より猪口を差し出され、注がれた酒はやはり一口にて消える。
「なぁし乃雪太夫。お前さんは物の怪やら幽霊沙汰やらが好きか?」
「嗚呼、好きじゃ。
妖話は人の業…知れば心の闇ぞ見る、と…な。
お前さんもそう思わぬかえ?」
「詰まる所何だ、此度も人の業が生んだまやかしと」
「続け様に起こる死は殺しか否かは与り知らぬ。
しかし、其処に尾鰭が付いた"噂"と言う魚が、お前さんをも惑わせておる…。
きっと大きな大きな、美しい金魚の姿をしておろうて」
細い指にて源三郎の眼前にくるくると渦を描き、ころころと笑う。
其の様子に、源三郎は苦笑いを零し。
「…吉原きっての妖太夫にゃ、噂の金魚も尻尾を巻いて逃げ出すな」
「其れは金魚と死神に聞いてみねば分からぬわえ。
死んだ女の恨み辛みか、患った恋の成れの果てか…何れにせよ、俺が其処に居るのか否か。
のぉ源?このし乃雪が死ぬか否か賭けてみるかえ、」
莫迦を言え!と咄嗟に声を荒らげた源三郎、しかし次に出たのは「…無ぇよな、」と漏れる一言と大きな溜息。
其れを見遣ったし乃雪、大きな声で笑った。
女をからかう男の如き、軽快で意地悪な青年の笑い声で、だ。
そんな男の笑い声響く吉原、此処は揚屋町の黒町屋。
……"其れ"は、遠く宵闇の向こう側より、じっ…と見詰め続けていた。
