戯陀跋扈の埋葬

 虫が背中を這っている。
 細く長く、節ばったおびたただしい数の足を持つ虫が、皮膚のすぐ下をうごめいている。足が俺の背を引っ掻く度に体が底冷えする寒気に襲われる。
 ──そんな内側から削られるような不快感に、俺は意識を強制的に引き戻された。
「友志、ゆーし。また意識飛ばしてた?」
 横から小突かれ、俺は微かに肩を震わせて振り向いた。丹部(にべ)がいつものいたずらっぽい笑みを浮かべて立っている。
「ほら、ちゃんと聞いておかないと」
 彼が促す視線の先、体育館の壇上を一人の男子生徒が進んでいく。ネクタイは鮮やかな青。今年の新入生だ。
「改めまして。一年生代表、勾白叶(まがしろ かない)と申します。創立百周年という節目の年に、この樹良(きら)高等学校の一員となれたことを、心より誇りに思います」
 マイク越しに響くその声は驚くほど澄んでいて、それでいて聴く者の鼓膜に優しく寄り添うような響きを持っていた。色素の薄い柔らかな茶髪に、絵画のように整った顔立ち。なだらかに下がった眉が、彼にどこか儚げな王子の印象を与えている。
 平々凡々を地で行き、野暮ったい黒髪に、陰気な性格が顔にまで滲み出ている俺とは、文字通り住む世界が違う。全校生徒の視線を一身に浴びながら、微塵も臆することのないその立ち振る舞うなんて、俺には絶対無理だ。
 こんな完璧なやつ、いるんだな。初めて見た。そう思った。
 それなのに。

 俺はその完璧な新入生に、どうしようもない既視感を覚えた。

(……なんだ、この感覚は)
 記憶をかき回すが、やはりあんな知り合い一人もいない。鼻につくとも取れそうな完璧な笑顔は、俺のような人間にとって軽蔑と忌避の対象でしかないはず。一度見れば嫌でも脳裏に焼き付くような顔だ。
「……これからご指導、ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。ありがとうございました」
 勾白が深々と頭を下げ、挨拶を終える。
 いったい何の懐かしさだったのか。単なる思い違いだろうか。
「……!」
 顔を上げた勾白と、視線がぶつかった。
 およそ千人もの生徒がひしめくこの体育館で、そんなはずはない。そう思うのに、確かに俺を見据えているとしか思えなかった。その薄い唇が、獲物を見つけた子供のように、わずかに弧を描いた気がした。
 唐突に、猛烈な吐き気がせり上がる。
 内臓の奥底に冷たい手を突っ込まれ、無理やりかき乱されているような感覚。俺は反射的に口を抑え、膝を折りそうになるのを必死に堪えた。どうせ俺のような空気が蹲ったところで誰も気にしやしないが、それでもこれ以上の無様を晒す勇気はなかった。
 進行役の生徒が生徒会長の登壇を告げる。勾白と入れ替わるように、マイクの前に立ったのは劔さんだった。スクエア眼鏡が照明を反射している。
「生徒会室の(つるぎ)だ。新学期だというのにすでに遅刻が八名いる。各々休み気分から早急に脱却し、心を入れ替えてもらいたい」
「相変わらず、堅苦しいよなあ、会長」と、周囲から忍び笑いが漏れる。
「机の上のノートがミリ単位でずれてるだけでキレるらしいよ」「定規で私物の距離を全部測ってるって噂、マジかな」
 そんな囁き声が遠く聞こえる。確かに劔さんは規律に厳格な人だ。一年の頃はまだもう少し柔和な雰囲気だった気がするのだが、今は常に何かに追い詰められているような気迫を背負っている。
「どうしたの、友志。顔色が真っ青だよ」
 丹部が心配そうに声をかけてくれるが、今の俺には返事をする余裕すらなかった。
 勾白と目が合った――そう確信した瞬間から、心臓の鼓動が不自然なほど冷たくなり、歯の根が合わないほどの寒気が止まらない。
 壇上を降りた勾白はどこへ行ったのか。一年生の列に戻ったのだろうか。
 あいつには、近づいてはいけない。本能がそう警鐘を鳴らしていた。どうせ俺みたいな根暗が、あんな光り輝く新入生代表と関わる機会なんて、万に一つもないはずなのに。
「──僕の友人になっていただけませんか?」
 耳元で、甘い毒のような声がした。
 弾かれたように振り返ると、そこには、いつの間にかこちらの列まで移動してきた勾白が立っていた。
「ええと……二年生の方ですよね。さっき熱心にこちらを見てくださっていた」
 勾白は一歩、また一歩と、境界線を踏みにじるように近づいてくる。一歩近づかれるごとに、背中の虫たちが狂ったようにうごめく感覚がした。
「面白いなあ。それ、ご自分で維持されているんですか? いや、違うか。誰に、どんなふうに弄ばれたら、そんなふうになるんです?」
「な、何を……言って……」
 勾白は、微笑を絶やさないまま、わずかに首を傾げた。
「すみません、声が小さすぎて。もごもごせずに、もっとはっきり話してもらえませんか?」
 頭の中が真っ白になる。王子のような顔で、なんて酷いことを言うんだこいつは。
「まあいいか。正体は追々教えてもらうとして。僕の友人になっていただけると嬉しいのですが」
「い、嫌に決まってんだろ。お前みたいなやつ」
「あれ」
 勾白は再び頭を傾ける。
「すみません、やっぱり声が聞こえにくくて。今、嫌って聞こえたような気が」
「合ってるよ。い、いくらなんでも言っていいことと悪いことが──」
「そこ」壇上から劔さんの声が飛んできた。「列を乱して何を話している!」
 最悪だ。劔さんの鋭い視線を感じる。眼鏡の奥の瞳は、明らかな怒りがあった。
 千の視線が、無遠慮に俺を突き刺す。喉がひゅっと狭まり、肺が空気を拒絶した。
「いいところなのに、困ったな」
 勾白が舌打ちめいた声を漏らす。
「すっ、すみません、俺、ええと……」
 視界の端で、黄色や紫色の光の粒が火花のように飛び交う。背中の虫はいまや数千匹に膨れ上がり、俺の神経を食い破ろうとしていた。
「落ち着いて、友志。深く息を吸って」
 丹部の声が、遠い霧の向こうから聞こえる。
佐島(さとう)? お前、顔色が……」
 劔さんの不審と驚愕が混じった声を最後に、俺の意識はぷつりと途切れた。

 瞼の裏側を、刺すような白が透過していく。
 ゆっくりと目を開くと、視界に飛び込んできたのは、無機質に塗り固められた青白い天井だった。
「……お、気がついた! よかったぁ」
 安堵の混じった溜息とともに、丹部が顔を覗き込んできた。状況が掴めぬまま上体を起こすと、古びたパイプベッドのフレームが、悲鳴のような軋み声を上げた。
「軽い貧血だから少し寝かせておけば大丈夫、って先生は言ってたけど。このまま永遠に目が覚めなかったらどうしようかと思った」
「……どうするつもりだったんだ」
「んー、お姫様みたいに目覚めのキスでも贈る?」
「キモいこと言うなよ……」
 力なく笑いながらも、胸の奥では微かな温もりを感じていた。俺のような、誰の記憶にも留まらない空気のような男を、丹部はいつもこうして冗談で繋ぎ止めてくれる。
「ここ、保健室だよな」
「そう。覚えてる? 全校集会の最中に、派手にぶっ倒れたんだよ」
 記憶が急速に色を帯びて蘇る。あの恐ろしく整った新入生、勾白。あいつと目が合った瞬間に全身を駆け抜けた、あの凍りつくような寒気。そして劔さんの鋭い叱咤。
「今三時間目が終わったとこ。保健室の先生は起きたら戻っていいって言ってたよ」
「じゃあ全校生徒での掃除も終わったのか。そんなに寝てたとは……」
 樹良高では新学期ごとに生徒総出で中庭の掃除を行う。桜の木が何十本も植わっていて、ちょうどこの時期は桜の花が一斉に舞い散る壮大な景色が見られるのだが、如何せん手入れが大変だった。正直業者に頼んた方がいいのではないかと思うが、生徒たちで枝を切り、手入れをして、互いの交流を深めようという目的もあるらしい。
 それに参加できず、他の生徒に俺の分の仕事を押し付けてしまったなんて申し訳がない。
「大丈夫。俺が友志の分まで心を込めてやっといたから」
「そうか……助かるよ」
「しっかし気持ちよさそうだったよ。寝不足だった?」
「いや、そういうわけじゃ……ただあの勾白ってやつが、ちょっと」
 あいつと目が合っただけで、内臓をかき混ぜられるような悪寒がした。そんな、呪いじみた話を丹部が信じてくれるだろうか。冷静になればなるほど、自分の体調不良を下級生のせいにする卑屈な被害妄想に思えてくる。
「あの新入生、薄情だよなー。友志が倒れた時、自分は何も関係ありませんって顔でどっか行っちゃってさ」
「……正直そっちの方がありがたいよ。よく分からないやつだったし」
「周りも遠巻きにするばっかで何もしようとしなくて……俺、腹立っちゃってさあ」
「悪いな、迷惑をかけて」
「いやいや、俺だって結局、運んでくれた先生たちの後をついてきただけだし」
 丹部は顔の前で手を振る。謙遜ではなく本気で否定しているようだが、目が覚めた時そばにいてくれたのがどれほど嬉しかったか。
「もうちょい寝とく? 無理しない方がいいよ」
「いや、もう大丈夫。寝すぎたくらいだ」
 まだうっすら寒気がするが、集会の頃よりかなりマシになっていた。そろそろ起きないとズル休みをしている気になってしまう。
 上履きを履こうとしたとき、薄いカーテンを乱暴に引いて、白髪混じりの女性教諭が入ってきた。
「あら、起きたのね……ええと……全校集会で倒れた子だったかしら」
 保健医の視線には、心配よりも先に事務的な確認をする淡白さがあった。
「朝食を抜くからそうなるのよ。規則正しい生活をしないと、中身までスカスカになるわよ」
「……食べましたよ、朝ごはんなら」
「どうせ菓子パン一個でしょう。そんなの食べたうちに入らないわ。次はもっと、栄養のあるものを摂りなさい」
 言い捨てると、彼女はデスクの書類を整理し始めた。俺の安否など、彼女にとっては数ある事案の一つに過ぎないのだろう。
「……なんだかさ、みんな少し冷たすぎない?」
 丹部は唇を尖らせ、小声で囁いた。
「俺みたいな根暗を構うメリットなんて、誰にもないだろ」
「またそうやって自分を卑下する。暗い顔してると、幸せの代わりに死神が寄ってくるよ?」
「生まれつきだよ、この不吉な顔は」
「いンや! 友志はきりっとしたら、結構いいセンいくと思うんだけどなあ」
 そんなはずはない。鏡を見るたびに映る、あの湿った影を宿した瞳を俺は知っている。
 保健室を出て廊下を歩く。二年C組の教室の扉を開けると、クラスメイトたちの視線が一斉に突き刺さった。慌てて頭を下げる。
「あ、その……新学期から迷惑かけて、すみませんでした」
 顔を上げると、皆はもうこちらを見ていなかった。いつものことだ。正直、悪口の一つや二つ言ってくれた方がよっぽどいい。
 一番後ろの自分の席につく。丹部が「大丈夫だって」と言ってくれるが、心は晴れなかった。
「はーい、四時間目始めるよォ。今日はこれだけで終わりだから頑張っていこうね」
 国語担当の埜百利(やももり)先生が入ってくる。無精髭に緩い口調、無造作に伸びた天然パーマ。ちゃらんぽらんなおじさんといった出で立ちだが、生徒からの人気は高い。
「いやァしかし、こんな先生がクラスの担任だなんてねェ。連絡の手紙とか配り忘れたらごめんね」
 埜百利先生は俺に目を向ける。
「おおっ、佐島ちゃんだ。気分は大丈夫?」
「あ、はい。なんとか……」
「そっかァ。それはよかった。皆、健康には気を付けなね。今は良くても先生みたいに四十手前になるとすーぐガタが来るから」
 溜め息混じりに肩を回す。生徒たちから笑い声が上がった。埜百利先生はこんな俺を気にかけてくれる数少ない存在の一人だ。丹部や先生のおかげで、俺はまだここにいていい存在なんだと思える。
 先生の声を聞きながら、俺は真新しい教科書を開いた。

 新学期から二週間が経った。中庭の桜はもうほとんど散り落ち、緑の葉がところどころ覗いている。樹良高はこの中庭を中心にして、ぐるりとU字で囲むように校舎が建っている。校舎のどこにいても窓から中庭が見られるし、逆もまた然りだ。
 俺は廊下で足を止め、中途半端になった桜をなんとなく眺めていた。他の生徒は山場を越えた桜を見向きもしていない。
 なんとなく、桜に共感めいたものを感じてしまう。俺には人生の山場なんてないけども。
「この学校、なかなか面白いですね」
 自嘲していると、ふとそんな声がした。
「……あなたに話しかけているんですけど」
「え、俺?」
 振り向くと、あいつが……勾白が俺に手を振っていた。思わずうげ、と声が漏れそうになる。空気扱いは悲しいが、こういう輩に絡まれるのも嫌だった。我ながら我が儘だと思う。背筋の気持ち悪さが起きなかったことが救いだ。
「楽しいオカルト話がたくさんあります。噂に怪談、都市伝説……そういう校風なんですかね」
「いや、知らないよ」
 勾白は勝手に話し始める。
「例えば夢幻回廊。テストの補習で遅くまで残っていた生徒が一人帰ろうとした時、見知った廊下が歩いても歩いても終わらないことに気付く。どれだけ走っても出口には辿り着かない。その生徒は今も永遠に学校をさまよっているという……オーソドックスといえば、そうですけど」
 はあ。俺は相槌とも溜め息ともつかない返事をしてしまう。
「こんなのもありましたよ。実は校長室には学校創設者の遺産が眠っているとか。それはこの学校の存在を揺るがすほど物騒な代物だとか」
「さ、さすがにガセじゃないのか」
「新入生代表挨拶の打ち合わせで、校長にそれとなく聞いてみたんですが」
「そんなことを?」
「何か隠している様子でしたね。クロだと思います」
「う、嘘だぁ……」
 あまりにも荒唐無稽すぎる。校長に聞くこいつもこいつだ。少し、いやかなりおかしなやつなのかもしれない。
「それとやっぱり……」勾白は人差し指を立てる。「戯陀跋扈の噂ですね」
「ぎ、ぎだばっこ?」
「聞いたことありませんか? 皆、噂してますよ。友人から聞いたとか、先輩から聞いたとかで」
 勾白は目を少し丸くする。
「この地に巣食う怪異。それはこの百年、ずっと樹良高を監視していて、ここで起きる不可思議なことは元をたどればすべて戯陀跋扈の仕業だとか」
「へ、へえ……知らなかった」
「『戯陀』という新興宗教があったそうですよ。彼ら、百年前に教祖の死をきっかけに集団自殺をしたそうなんです。自殺場所の上に学校を建てたから、その呪いがここに染みついているとか、いないとか」
「なんでそんなところに学校を……」
「ああ」勾白は手を打った。「もしかして、ご友人が少ないから知らないんですか? この噂」
 顔がカッと熱くなる。これ以上ないほど図星だった。
「う、うるさいな」
 小さく言い捨て、俺は教室に戻ろうと歩き出す。少し後ろを振り返ると、勾白はいつまでもこちらを見ていた。

 教室に戻る直前、こんな話が聞こえてきた。
「ねえ、聞いた? ばらばらさんの話」
「生物部で飼ってたニワトリでしょ? マジで最低だよね」
 廊下の端で女子生徒二人が眉根を寄せている。
「……なんだ、ばらばらさんって」
 二人の横を通り過ぎた後、俺は思わず呟いた。なかなか不穏なことを話している。
「なんか最近噂になってるらしいよ。新学期から妙なことが起こってるって」
「うわっ、丹部!?」
 後ろから丹部がひょこりと顔を覗かせた。それから俺の間抜けな顔を見てけらけら笑う。
「うはは! ゆーし、びっくりしすぎ」
「びっくりさせたんだろ、お前が……。なんだよ、妙なことって」
「それがさあ」丹部は声を低くする。「最初はある男子生徒のノートだったらしいんだけど」
 その日、男子生徒が登校すると机に入れていたはずのノートがない。男子生徒は必死に探した。小テストの勉強をしなくてはならないのに、これではどうしようもないと嘆いた。
 結局ノートが見つかったのは、理科室の近くにある、ほとんど使われないトイレの中だった。それもすべてのページがばらばらに破かれていたのである。
 当然騒ぎになった。男子生徒を嫌う者による犯行だと犯人捜しが行われたが、名乗り出る者はいない。そうこうしているうちに、第二・第三の被害者が出た。ある女子生徒は知らぬ間に手鏡を粉々に割られ、ある男子生徒は体操服のジャージを切り刻まれた。
 被害に遭った物のどれもがばらばらになっている。これは同一人物の犯行に違いない。というわけで、犯人は自然とばらばらさんと呼ばれるようになったらしい。
 その名前を聞いた瞬間、背中に虫が這うような気味の悪い感触がした。また、あの寒気だ。
「……で、今回はニワトリっぽいな。ついに生き物かぁ。深刻だな」
「こ、この話、有名なのか?」
 まったくの初耳だった。先ほどの勾白の小馬鹿にしたような言葉が蘇る。
「樹良高生がSNSでよく言ってるよ。見なかった?」
 言ってから、丹部はあっと手で口を押さえる。
「そっか、友志ってスマホ持ってないから……!」
「うるせ、憐れむような目をやめろ」
 恥ずかしさをごまかすために、俺は軽く拳を握って殴る振りをする。
「まあ樹良高は生徒数も多いからなー。何かあっても知らないまま終わっちゃうってのはよくあることなのかも」
 丹部の慰めに納得しかけるが、取り残されている気持ちは否めなかった。どうしてこうも自分は周りとともに歩めないのだろう。
 二年C組の教室に入ると、どこか異様な空気がした。
 視線を走らせ原因を探る。クラスメイトたちからの視線が突き刺さっていた。
 俺に好意的な気持ちを向けてくれている……ような雰囲気ではなかった。皆が皆、俺を見るなり、ひそひそと小声で囁き合っている。
「え、あ……ごめん。な、何かあったかな……」
「ねえ、本当なの?」
 女子生徒が前に進み出た。俺の隣の席の三雲さんだ。
「ほ、本当って何が?」
 知らず知らず媚びた笑みを浮かべてしまう。「うわ、あの顔」「あれは絶対やってるわ」「見られてるって自覚ないのかな」なんて言葉が聞こえてくる。
「本当に飼育小屋に行ったの?」
「し、飼育小屋……? い、行ってないけど」
「誰が証明できるの?」
 話の全貌がまったく見えてこなかった。しかしクラスメイト全員がすべて分かっているようだ。ここでもまた俺は取り残されている。
「待って待って、なんの話か分からないけど、友志は本当のこと行ってるよ。飼育小屋には行ってない! ……まあ、俺もずっと一緒にいたわけじゃないけど……」
 丹部が慌てた様子で弁明してくれる。それでも教室の空気は変わらないようだった。出どころの分からない重苦しい沈黙がしばらく続き、俺は言葉を探して口をもごもご動かすのみ。
「なんとか言えよ、佐島」男子生徒が睨みを効かせた。
「な、なんとかって言われても……なんの話をしてるのか」
「ニワトリ殺したのお前だろって言ってんだよ!」
「お、俺が……?」
 丹部を見る。何がなんだか分からない、という顔をしていた。多分俺も似たような表情をしているはずだ。
 だがニワトリというワードで、先ほど耳にした噂に関する話なのだろうと察しがついた。だがそれだけだ。なぜ俺が殺したことになっているのか、しかもそれを皆が信じ込んでいるのかまったく分からない。
 ただ俺に向けられる視線が鋭利だという事実だけは分かる。生物部に所属する女子……日向さんは涙を流して俺を睨んでいる。
「いや、だからさあ……」
 丹部が一歩踏み出した、その時だった。
「この悪質な書き込みをしたのは誰だ?」
 教室の後ろの扉が開く。生徒会長の劔さんが、スマートフォンを片手に立っていた。教室の異様な空気にも一切物怖じする様子はなく、生徒一人一人を睨めつけている。
「佐島が昼休みに生物部の管理する飼育小屋へ侵入。白昼堂々とニワトリを殺害し、死骸を解体して並べ立てた……SNSにこんな根拠のない書き込みをしたのは誰だ、と聞いている」
「だ……誰もそんなことしてません。な?」
 男子生徒がクラス中の顔を見渡す。皆、無言で頷いた。
 劔さんは俺を振り返る。
「佐島。飼育小屋に行ったか?」
「い、いえ」
「だそうだ。虚偽の発信は許せるものではない。犯人は見つけ次第厳重に処罰する」
 でも、とどこからか声が上がる。劔さんはそれを一睨みで黙らせた。
 劔さんは「少し面を貸せ、佐島」と圧のある言い方で俺を呼ぶ。廊下に出る俺に丹部も続きたそうな顔をしていたが「すぐ戻るから」と押しとどめた。
「……ばらばらさんの噂をいつ聞いた?」
「さ、さっき……クラスメイトから聞きました」
 劔さんの足先がトントンと床を叩く。
「妙な噂を信じるな。厄介なことになるかもしれんぞ」
「や、厄介って?」
 劔さんは眉間に皺を深く刻んだ。明らかに面倒がられている。
「無駄口を叩くな。誰が質問していいと言った? 嘘の書き込みをしたやつともども、人の時間を奪っている自覚がないのか、お前らは」
「す、すみません、度々ご迷惑をお掛けして……」
 こういう劔さんに対しては、ひたすら謝るしかない。俺はなぜだかそれを知っていた。
「まったくだ。特にお前は一年の頃から面倒事ばかり起こす」
「え、あ、そうでしたっけ。自分ではそんなに覚えがないんですけど……」一睨み。「す、すみません。新学期の朝礼でも、ご迷惑をお掛けしました」
「いいから大人しくしていろ。おかしなことに首を突っ込むな」
 分かりましたと頷けば、劔さんは何も言わず踵を返した。忙しいだろうにわざわざこっちに来て、俺の冤罪を晴らしてくれるなんて。少し怖いけど、いい人なんだと思う。
「……ああ、それと」
 劔さんは振り返った。スクエア眼鏡が窓から差し込む陽を反射している。
「勾白には近付くな。……いや、向こうから勝手に来るか。いいか、話掛けられても無視しろ。相手をするな」
 どうしてあいつのことを、と聞きかけ慌てて口を噤んだ。無駄口だ。
 いいな? 念押ししてから、劔さんは廊下を戻っていった。俺の返事を待たずに。

 異様な空気は少し和らいだ、というか劔さんに強制的に押し込められた形だったが、それでも皆が俺を見る視線の奥には『犯人』と描かれているように思えた。
 気に掛けられないのには慣れていたが、気に掛けられているのは居心地が悪い。悪すぎる。しかもそれが悪い意味でなら尚更だ。五時間目の授業中も事あるごとに皆が俺を横目で見ていたし、隣の席の三雲さんは俺からあからさまに席を離していた。
 こんなことは初めてだ。ノートを取る手にも心なしか力が入らない。
 あの書き込みをしたのはいったい誰なんだろうか。嫌がらせか、それとも何かの勘違いか。前者はまあ分からなくもない。暗くてうじうじしているやつを突っついて楽しみたいやつはどこにでもいるだろう。
 問題は後者だった場合だ。俺が飼育小屋に行っていないのは、俺自身が一番よく知っている。となると、書き込んだ人は俺以外の誰かを見たのかもしれない。ニワトリを殺した犯人を。つまりはばらばらさんを。
 そいつは俺に似ていたのかもしれない。だとすると書き込んだ人は嘘をついているつもりなんてこれっぽっちもなくて、善意からやっていることになる。
 それって嫌がらせ目的よりまずくないか?
 その人視点からすれば俺は相当な事件をやらかしているのに、のうのうと授業を受けていることになる。ニワトリを解体したその手で英語の品詞分解をする異常者になる。その人視点から生まれる不条理への怒りは、他の生徒にも伝播していく……。
「や、大丈夫でしょ。会長さんも釘刺してくれてたし」
 授業が終わった後の教室で丹部はそう言ってくれる。
「でも劔さんが言ってたのは『虚偽の発言をする者は許さない』だろ。その人は自分は本当のことを言ってると思ってるし、周りにもそう言うから意味ないんじゃないかって」
 なるほど、と言って丹部は椅子に背を押し付け、そのまま椅子ごと斜めに傾く。放課後になってしばらく経つ。教室にはもう俺たち以外残っていない。
「じゃあ真犯人を捕まえるしかないんじゃないかな」
「え……どうやって?」
「そりゃもちろん、俺たちで犯人見つけるしかないでしょ! SNS情報によると、ばらばらさんは夜に出ることもあるらしい。張り込みしようぜ!」
 どう? と丹部は問う。
「見つけるって、そんなのできるか……? というか、協力してくれるのか?」
「そりゃあそうでしょ! 友達が困ってるのに放っておくわけないじゃん」
 友達。その言葉が俺の中にじんわりと広がっていく。そうか、俺と丹部は友達なんだ。目頭がきゅっと熱を持った。あれ、俺泣きそうになってる? そんなにか。そんなにだな。
「でも……こんな俺のために」
「そういうの禁止! それに夜中の学校ってわくわくするじゃん。一回くらい忍び込んでみたかったんだよね」
「……ありがとう、助かる」
 頭を下げると、大げさだなあ、と丹部は伸びをした。

「うーわ、雰囲気あるぅ」
 丹部が笑い混じりに囁いた。
 深夜、暗闇の中で俺たちは真っ暗な廊下を歩いていた。自然と足音を立てないようにしてしまう。光といえば丹部がどこからか拝借してきてくれた懐中電灯のみだ。
 人のいない校舎は思った以上に異界だった。昼間はあれほど騒がしい空間が、光と音を失ってまったく別の世界になったように思える。
「こんな時間にばらばらさんがいるなんて思えないな」
「まあかなりイッちゃってそうだよね。実際やってることヤバいし」
 俺たちはあのまま教室に残り、部活動が終わる頃を見計らって先生や警備員に見つからないようグラウンドにある倉庫の影に隠れた。倉庫の中で隠れた方がいいんじゃないかと馬鹿を言った俺に「鍵閉められて事件になるじゃん」と丹部はくつくつ笑っていた。
「ばらばらさん、なんであんなことするんだろうな」
 周囲に目を配りつつ俺は頭に浮かんだことを呟いた。
「なんでだろうね。ストレス溜まってるとか?」
「受験勉強で……とか?」
「なら犯人は三年生かなあ。いや、一年でも二年でも受験勉強してる人はしてるか」
 ちなみに俺はしてない、と丹部はおどける。恐怖感を薄らげようとしてくれているのだろう。さらにちなむと俺もしていなかった。
「もしくは対人関係で悩んでる、とか。クラスメイトとか、家族とか、恋人とか」
 俺は思いつく可能性を上げてみる。でもどれもありきたりというか、ノートや服をばらばらにするならまだしも……と言ってはなんだが、とにかく生き物の命を奪うに値する理由だとはどうしても思えない。いや、どんなわけを並べ立てられたってピンと来ないに決まっている。
「もしくは単純に殺したかったとか」
 丹部は事も無げにそう言う。俺は、え? と思う。え? なんでそんな、怖いことを。
「違う違う、あくまでね、推測というか」
 丹部は顔の前で手を振る。
「ほら、よくいるじゃん。サイコパス? みたいな。他人を傷つけることをなんとも思っていないやつ。よくはいないか。まあたまに、よく聞くじゃんか」
 驚いたけども確かにそうだ。偏執的に誰かのものを狙って解体するやつなんてまともじゃない。どれだけそれっぽい理由を並べ立てられるより、ただやりたかっただけだと言われた方がしっくりくる。
「飼育小屋の方に行くか」
 俺は廊下から外に懐中電灯の光を向ける。ばらばらさんの行動理由がシンプルなら、しかも行動がエスカレートしている今なら狙うのはやはり次の命である気がした。
「……勾白?」
 目を疑った。勾白が、あの奇妙な一年がグラウンドを歩いている。出にしているのはスマホのライトだろうか。足取りは優雅だ。俺たちのように恐る恐るといった感じではなく、メインストリートを往くような歩みだった。恐らく、飼育小屋の方に向かっている。
「え、あの新入生がいたの?」
 遅れて丹部がライトを向ける。その頃にはもう勾白は見えなくなっていた。
「あいつ、こんな時間に何やってんだ? 危ないだろ」
 自分のことは棚に上げ、俺は校舎の外へ出るための扉へ向かった。
「待って、ちょい待ち」
 丹部が俺の肩を掴む。
「なんだよ。早く行ってやらないと危ないぞ」
「いや、その……おかしくない? こんな時間に何してんの、あの子?」
「何って、そりゃあ……」
 口を噤む。すぐに一つの可能性にたどり着く。
「でも新入生だぞ。この学校に来たばかりなのに、そんな……」
「頭のおかしいやつには関係ないんだよ、そんなの」
「だとしてもなんで……」
「さっき言ったじゃん」丹部の瞳は怯えていた。「やりたいからだよ」
 嫌な沈黙が辺りを支配する。想像する。夜闇に乗じてニワトリに刃を突き立てる勾白を。必死で逃げるニワトリを追い掛ける時もあの悠長な足取りなのだろうか。想像上の勾白は、ニワトリの首を押さえ、刃を突き立て、ぶちぶちと筋繊維を押し切っていく。首を落とした後は、両羽を、それから両足を。澄ました顔が徐々に恍惚に染まる。顔に飛び散った血を手の甲で拭う。
「と、とにかく追い掛けよう。それであいつが本当に鶏を殺した犯人で、また別の動物を殺そうとしてるなら……」
 俺は唾を飲み込む。妙に大きな音がした。
「頑張って止めるしかない」
「おお、カッコいいこと言うじゃん」
「茶化すなよ」
 俺は笑う。丹部も笑う。丹部の瞳に映る俺は、丹部と同じく引き攣った笑顔を浮かべていた。

 勾白が見えた位置までようやく辿り着く。辺りを見渡しても姿はなく、すでに飼育小屋の方へ向かったようだった。丹部と顔を見合わせ、無言で頷きあう。どちらからともなくライトを消した。勾白に気付かれないようにするためだ。
 暗闇の中、進む足取りはさらに遅く、重くなった。飼育小屋は裏庭の奥だ。理科室の裏に位置する形になる。
 悲鳴が聞こえた。心臓が跳ねた。
「ちょっと、友志!」
 丹部に呼び止められたが、走り出した足は止められない。怖い。怖いのに自分が止められない。背中を冷や汗が伝う。息が上がる。言いようのない悪寒が体を駆け巡っている。
 何やってんだ、俺は。怖いのなら逃げるべきだ。飼育小屋に向かって走るなんて馬鹿げている。警察を呼ぶなり警備員を探すなり他の方法は如何様にもあるはずなのに、一番愚かな選択肢を選んでいる。
 角を曲がる。飼育小屋が目の前にあった。ライトを点ける。
「な、なに……? なんで……!」
 生物部の日向さんがこれ以上ないほど目を大きく開いていた。その手には血まみれのウサギがいた。
 予想はしていた。さっきの悲鳴は男のものではなく、女のものだったから。
「あれ。来たんですか、佐島先輩。逃げると思ってたのにな」
 日向さんの前に佇む勾白は、ライトの光に僅かに目を細めた。口ぶりからして、俺がいると気付いていたらしい。
「何よあんたら。なんでこんなところにいるの!?」
 日向さんは激昂する。手に持ったウサギから血が滴った。
「さっきも言ったでしょう」
 勾白は冷静だった。
「ばらばらさんの正体を確かめに来たんですよ。そうしたらあなたがここでアブノーマルなことをされていたので、声を掛けたんです」
「ふざけんな!」
「ど、どうしてそんなことをしたんですか」
 俺は堪らず尋ねた。
「どうしてって、そんなの、そんなの……」
 彼女の瞳が揺れる。手にしたナイフと、動かないウサギを交互に見比べる。
「……なんで? あたし、なんでこんなことをしてるの?」
 迷子の子どもが母親を探すような声だった。
「嘘、どうしてこんな……ごめん、ごめんね、痛かったよね。ごめんね……」
 泣きながら血まみれのウサギに顔を押し付けている。頬があっという間に赤に濡れた。
 どうなっているんだ。自分でも分からないうちに命を奪っていたとでも言うのか。その場しのぎの嘘なのかと思ったが、涙はあまりに悲嘆に暮れている。これが演技なら、彼女は今すぐオーディションを受けた方がいいだろう。
「当てられたんでしょうね」
 勾白が顎に手を添えて呟く。
「当てられた?」
「ええ、恐らく日々のストレスによって弱くなった精神に、よくないものが入り込んだんでしょう」
 勾白は朗らかに答える。
「よくないものってなんだ」
「決まってるじゃないですか。ばらばらさんです」
「何を言ってるんだよ。ばらばらさんは彼女じゃないのか」
 俺は思わず詰問する。話が見えない。
「ええ、まったく違いますよ」
「じゃあ誰が──」
「友志! 大丈夫か?」
 丹部が遅れてやってきた。その青は青ざめている。
「ああ、俺は大丈夫。ただよく分からなくて」
「よく分からない?」
 丹部は俺と日向さん、勾白を順に見ていた。
 そして告げる。
「──分からないままでいいよ」
「え?」
 衝撃があった。
 次いで、じわじわと痛みが広がっていく感覚。
「な、なんで……?」
 丹部の持つ大きな肉切り包丁が、俺の腹を突き刺していた。足に力が入らず、俺はその場にくずおれる。
「なんでって、さっき話したじゃん。やりたいからだよ」
 答えをもらっても何も分からなかった。頭の中では依然として、なんでどうしてが渦巻く。丹部はこんなことをやりたいと思うような人間じゃないだろ。
 だって、丹部は俺の友達で、ずっと、ずっと優しくしてくれていて──
 いつから?
 丹部と知り合ったのはいつだ?
 一年の頃? 一年のいつ?
「なに? なんなの! 急に、急に血が……!」
 日向さんの悲鳴が聞こえる。勾白は呆けた顔をして固まっていた。
 右腕を丹部に踏みつけられた。間髪入れず、肩に包丁を突き立てられる。
「うわ、うるさ。暴れすぎだろ」
 丹部は平坦な声で言う。自分が叫び声を上げていることに遅れて気がついた。
 丹部はまるで豚の脂身を切るように、俺の肩に包丁をスライドさせる。刃が動くごとに血が噴き出す。神経が、肉が、削られる。抵抗しようともがいた左腕は、丹部の右足に踏みつけられた。痛いなんてものじゃない。地獄だった。早く終わってほしかった。
「丹部」
 口からそう言葉が出ていた。
「丹部、丹部、丹部、許して、俺、ごめん、丹部」
「大丈夫、すぐ終わるよ。俺の時もそうだったからさあ。これ永遠に痛いんじゃないかって思ってたけど、時間で言えば数分だったんだよ」
 丹部は普段通りの間延びした声だった。その頬には俺の血が飛び散っている。
 ふと体の右側が自由になった。ああ解放されたのか。右肩を見ると先がなかった。腕は完全に切り落とされていた。血溜まりに右腕の切断面が浸けられていて桜色のれんこんでも作っているかのようだった。自然と笑いがこぼれた。
 日向さんの悲鳴は止んでいる。どうやら気絶したようだった。
「あ最初足にすれば良かった」
 次に丹部は俺の右足を踏む。太ももの上、足の付け根辺りに包丁が添えられた。ぐっと押し付けられる。激痛に体が跳ねる。
「あれ新入生君逃げないの。足動かなくなっちゃったかなあ」
 丹部は俺の右脚を切り落としながら問う。
「お気遣いどうも、ばらばらさん」
 ばらばらさん。やっぱり丹部がそうなのか。俺が感じていたおぞましい気配は、気分が悪くなるほど感じた寒気は、ぜんぶこいつのせいだったんだ。
「でもあなた程度にどうこうされるわけがないので」
「ん?」
 カッコ笑いが含まれた、ん? だった。丹部の手は俺の血で真っ赤になっていた。
「じゃあなんでそこに突っ立ったままなの。友志を助けたいと思わないの?」
 右足が軽くなる。意識を失わない自分に心底驚く。ああ俺どうなっちゃうんだろ。半分になっちゃったな。腕と脚一本ずつになって生きていけんのかな。笑いが溢れてしょうがない。
「そもそも俺が見えてる時点でちょっとしたあれか。なんだろ、イキり? 自分の力を過信してるパターンか」
 丹部は俺から離れる。制服に血が染み込んで重そうだ。
「うん、分かった。先にお前を殺そう」
 包丁を持ちゆっくりと勾白に近付いていく。一歩進むごとに包丁から血が滴る。
 何かが脳内で弾けた。
 廊下だ。学校の。
 これはいつの記憶だろう。
 何か大きいものが迫ってきている。俺は心底怯えている。
 丹部が包丁を振り上げた。
 その手が膨らんで弾け飛んだ。
「ん?」
 笑いは含まれなかった。包丁が地面に落ちる。丹部は手首から先が消えた自分の右手をしげしげと見つめている。
 勾白は何かを囁いていた。それから一度、ぱん、と大きく両手を打つ。
 丹部の胴体が、顔が風船のように大きく膨らんだ。
 あ、と思う暇もなく、丹部は一瞬で弾け飛ぶ。血が、肉が、脳漿が辺りに飛び散った。
 丹部の目玉が頬に当たる。意識が遠くなる。
「怪異に殺されるなんて浮かばれないでしょう」
 勾白は優しげに言う。
「代わりこの僕が、餞をしてあげますよ」