それから先のことは断片的にしか覚えていない。警察と話したことは覚えている。同じ質問に何度も答えたことも。透が屋上にいるのを見つけて、止めようとして間に合わなかった、と。
迅も同じことを言っていた。俺と迅の話は合っていた。合っていたというより、迅が話していた。俺はただ、迅の話に頷いていた。
遺書が見つかった。警察が屋上で石の下から回収した、三つ折りにされたノートの切れ端だった。「ごめん」とだけ、透の字で書かれていた。その三文字を見ても何も感じなかった。
感じるという機能が、そのとき俺の中で動いていなかった。迅はその三文字を見て唇を噛んだ。噛んだことを俺は横で見ていた。透の母親はその夜、家に帰ってきた。
通夜と葬式があり、俺と迅は二人で出席した。透の母親は俺たちにあまり話しかけなかった。ただ、通夜の夜、玄関の外まで見送ってくれた。母親は柱に片手をついていた。ついていないと立っていられなかった。
「あの子、何か言ってませんでしたか」
母親が聞いた。俺は答えられなかった。代わりに迅が横で答えた。
「最近、水の中の夢を見るって言ってました」
「水」
「はい」
母親はじっと迅を見た。それから頷きながら、目を伏せた。
「……あの子の祖父も、海の夢の話を、よくしてた」
母親はそれだけ言った。俺と迅は頭を下げて、その家を出た。家を出る前、俺は一度だけ振り返った。玄関の電気がついていた。母親の影が玄関の框のところに座り込んだのが、磨りガラス越しに見えた。
その一年後の四月、俺の部屋の机の引き出しの中で、透の写真の中の「四人目」の影が、また少し動いた気がした。夜、家に帰ったあと、俺は写真を出してテーブルに置いた。桜の枝の隙間の白いぼんやりとした影。額に二つの点。
その点が、ほんの少しだけこちらに近づいてきた気がした。俺は引き出しに写真を戻した。乱暴に戻した。そのとき、引き出しの底に小さな水溜まりがあった。
引き出しの中に水が漏れるはずがなかった。蛇口から遠いし、上の階に水道はない。俺は指で触ってみた。冷たかった。
舐めると、塩辛かった。翌朝、引き出しを開けると、水はもうなかった。塩辛い味だけが、舌の奥にうっすら残っていた。
迅も同じことを言っていた。俺と迅の話は合っていた。合っていたというより、迅が話していた。俺はただ、迅の話に頷いていた。
遺書が見つかった。警察が屋上で石の下から回収した、三つ折りにされたノートの切れ端だった。「ごめん」とだけ、透の字で書かれていた。その三文字を見ても何も感じなかった。
感じるという機能が、そのとき俺の中で動いていなかった。迅はその三文字を見て唇を噛んだ。噛んだことを俺は横で見ていた。透の母親はその夜、家に帰ってきた。
通夜と葬式があり、俺と迅は二人で出席した。透の母親は俺たちにあまり話しかけなかった。ただ、通夜の夜、玄関の外まで見送ってくれた。母親は柱に片手をついていた。ついていないと立っていられなかった。
「あの子、何か言ってませんでしたか」
母親が聞いた。俺は答えられなかった。代わりに迅が横で答えた。
「最近、水の中の夢を見るって言ってました」
「水」
「はい」
母親はじっと迅を見た。それから頷きながら、目を伏せた。
「……あの子の祖父も、海の夢の話を、よくしてた」
母親はそれだけ言った。俺と迅は頭を下げて、その家を出た。家を出る前、俺は一度だけ振り返った。玄関の電気がついていた。母親の影が玄関の框のところに座り込んだのが、磨りガラス越しに見えた。
その一年後の四月、俺の部屋の机の引き出しの中で、透の写真の中の「四人目」の影が、また少し動いた気がした。夜、家に帰ったあと、俺は写真を出してテーブルに置いた。桜の枝の隙間の白いぼんやりとした影。額に二つの点。
その点が、ほんの少しだけこちらに近づいてきた気がした。俺は引き出しに写真を戻した。乱暴に戻した。そのとき、引き出しの底に小さな水溜まりがあった。
引き出しの中に水が漏れるはずがなかった。蛇口から遠いし、上の階に水道はない。俺は指で触ってみた。冷たかった。
舐めると、塩辛かった。翌朝、引き出しを開けると、水はもうなかった。塩辛い味だけが、舌の奥にうっすら残っていた。

