海から、お迎えにあがりました


土曜日、俺は迅と二人で堤防に行った。何か月ぶりだったか、思い出せない。透が死んでから、堤防にはなんとなく行きにくくなっていた。三人で行っていた場所に二人で行くと、欠けている一人がより大きく感じられた。

それでも、その日は迅が「行こう」と言った。堤防に着くと誰もいなかった。釣り人もいなかった。曇り空で、海は灰色で、風が少し強かった。

俺たちは堤防の端のいつもの場所に座った。三人で座っていたころは真ん中に透がいて、透の右に俺、左に迅。今は二人で、間に透がいたぶんの隙間が空いていた。迅はその隙間を見て、空いた場所に自分のリュックを置いた。

置いてから、俺のほうに少し近づいた。近づいたぶん、肩が当たった。迅はその肩を引かなかった。

「これくらいのほうがいい」
「うん」

肩のあたりが温かかった。風は冷たかったが、肩の温度だけ世界から切り取られたみたいに温かかった。

「来週から施設だな」
「うん」
「どんなところなんだろうな」
「わからない。俺、パンフレット読んだけど、よくわからない」
「俺も」

迅が笑って海を見た。風が迅の前髪を乱して、迅は片手でそれを直した。直したそばからまた乱れた。
鼻筋から顎にかけての線が、灰色の海からの光に薄く縁取られて、横顔だけが、いつもより遠くに感じられた。

「悠、俺さ、最近変なこと考えるんだ」
「変なこと?」
「うん。透はなんで、あの時に死んだのかな」

俺の心臓が一拍止まった気がした。息を吸おうとしてうまく吸えなかった。喉の奥に固いものが詰まった感じがした。迅は俺を見ていなかった。ずっと海を見ていた。

「お前、覚えてるのか」
「何を」
「あの日のこと。屋上に上がってからの最後の数分」

俺は答えられなかった。答えられない俺を迅は少し見て、それからまた海のほうを向いた。

「俺も覚えてないんだ」

俺は迅の横顔を見た。

「ずっと覚えてるふりをしてた。警察に話したときも、葬式のときも。お前が覚えてないみたいだったから、俺が覚えてないとまずいと思ってた。でも俺も覚えてない」

迅の声は風に消されそうなくらい低かった。

「最初から?」
「最初から。屋上で気がついたとき、お前が隣で倒れてて、俺は自分が何をしてたかわからなかった。それでも何か話さないといけないと思った。お前が話せなさそうだったから、俺が話した」

迅は海に向かって話していた。

「あれからずっと思ってた。俺たちのうち誰かは覚えてるんじゃないかって。透自身が覚えてるならもう聞けない。でもお前か俺か、どっちかは覚えてるかもしれない。覚えてるけど、言えないだけかもしれない、って」
「俺は覚えてない」
「うん」
「迅も覚えてないなら、誰も覚えてないってことか」

俺は自分で言って、その言葉に少し驚いた。誰も覚えていない。それはつまり、透が最後の数分間、何を見て、何を考えていたかを知っている人間が、もうこの世にいない、ということだった。

「だから施設に行こうと思ったんだ」
「思い出せるかもしれないから?」
「思い出せたら、いいなと思ってる」
「思い出すのが、怖くないか」
「怖い」

迅は即答した。

「怖いけど、このまま覚えてないままだともっと怖い」
「もっと怖い?」
「うん。覚えてないと、たぶんいつか、自分で勝手に何かを思い出すんだ。本当のことじゃなくて、自分が安心するための何かを。それを抱えて生きていくのが、いちばん怖い」

俺はその言葉を口の中で繰り返した。自分で勝手に思い出す。本当のことじゃないものを。俺はそうなっていないだろうか、と思った。

この一年、透のことの記憶は少しずつ形を変えてきた気がしていた。透が落ちたという事実は変わらないが、その前後の記憶が、最初に話したときと今とで微妙に違っている気がしていた。それを俺は「思い出していた」と思っていた。でも、もしかしたら、「作っていた」のかもしれない。