黄泉の歌姫は月と海の狭間に揺れる

 すれ違う人全員が唄子のことを怪訝な顔で目で追ってくる。白い目もヒソヒソ声も、彼女に刺さって仕方がない。
 前を歩く照昌と天珠だって同じモノを感じているはず。しかし2人は、堂々たる足取りで古い床板を闊歩する。

 ここは、帝国海軍横須賀鎮守府。この国の軍事の最前線であり、帝都防衛の要石。カフェーの女給とは対極の場所だ。

 (な、何でこんなところに……)

 自然と身体が縮こまってしまう。どれほど自分が場違いか、自分自身が1番分かっている。
 一緒に長澤邸からここまで来た2人の靴を見失わないように、必死に彼らを唄子は追いかけた。

 突如、2人が足を止める。止められなかった勢いで、照昌の背中に唄子は突撃してしまった。

「長澤隊長。堂児、安倍、小野、以上三名到着しました。」

 謝る唄子と笑っている照昌の前で、ノックをした天珠がハキハキと扉に向けて声をかける。中からの返事を確認すると、彼は静かに扉を開いた。立てかけられた看板には、荒々しい筆使いで書かれた名前。……帝国海軍異能技術研究部隊。

 入り口すぐの壁際の大きな執務机。山積みの書類の奥でタバコをふかしているのは、長澤だ。

「よぉ、来たな!」
「ど……どうも……。」
「あの家掃除してくれたんだって?大変だっただろー!」
「いやあの……そのままの方が耐えられなかったので……」

 どこか乱雑な挨拶。唄子が引きながらも本音をこぼせば、ガハハと笑い飛ばされてしまった。本当に、海軍という言葉の真逆な男だ。

 そのまま、天珠に促されて席につく。それを待って口を開いたのは、唄子の向かいに座る銀縁眼鏡の男性だった。

「初めまして。この部隊の副官をしております、神宮寺(じんぐうじ)瑞樹(みずき)と申します。」
 
 この場のどの男性とも違う、落ち着いたテノールの声。高い位置で括られた長い黒髪が、白い海軍服と綺麗なコントラストを描いていた。眼鏡の奥に覗くクマ。破天荒な隊長に振り回されている様子が、唄子にさえ目に浮かぶようだった。

 と、そこへ響いたのは、長澤の大仰な咳払いだ。

 「さて…。全員と顔合わせが済んだところで。」

 そう前置きをすると、彼は堂々たる表情と態度で宣言する。

「小野!ここがお前の新しい職場、帝国海軍異能技術研究部隊!通称異能部隊だ!!」

 通り過ぎる冷たい風。瑞樹が眼鏡をくいと上げる音さえ聞こえてきそうな静けさ。
 
「だから…流石に女性の入隊は無理があると…!」

 ため息と共に瑞樹がこぼす正論。
 
「恐れながら隊長!俺は反対です!」

 背筋を伸ばし、敬礼と共に物申す天珠。

「おもろ〜。小野ちゃんはどや?ここで働きたい?」

 ニコニコしてるように見える表情のまま、軽快に唄子へ尋ねる照昌。

 軍人たちの視線を一手に集めながら、唄子は真顔で答えた。
 
「……働かないです、ここでは……」

 そもそも、瑞樹の言う通りだ。女である自分が軍で働くなど、あり得ない。
 
「だってよ、長澤はん」
「……」

 軽い口調で、照昌は唄子の本音を長澤へパスする。それにつられてこの場のリーダーを見れば、分かりやすいほど眉が下がっている。まるでお散歩を断られてしょげる大型犬だ。

 ギシ、と音を立てて長澤は古い椅子に座り腕を組む。そして、彼の目には明らかな事実を突いてきた。

「けど小野。お前、歌で寄ってきた霊を扱えちゃいねぇだろ。それをそのまま放置しとく気か?」
「……霊……?」
「お前が歌ってる時に、周りに集まってる光。あれ、死霊だろうが。」
「……!!」

長澤の言葉に、唄子は息を呑む。正直に言えば、彼女はずっと見て見ぬふりをしていたのだ。
 時に人の形にも見える不思議な光。唄子にとっての観客たち。不可思議だったその正体は、死霊。

「……」

 唄子は視線を泳がせ、俯く。心当たりがないとは、言えなかった。

「あのぉ〜」

 そこへ、す…と挙手をしたのは照昌だ。隊長の視線を受け、彼は疑問を口にした。

「そもそも、小野ちゃんの異能はなんなんどすか?歌、としか俺等は聞いてへん。確かに昨日長澤はんちで歌うとった彼女の周りに、霊は集うとったみたいだけど…。」
「そうだな。まずはその説明からか」

 長澤の答えに応じるように、瑞樹が各自へ資料を手渡す。そこに書かれていた異能名は、「死霊使い」。
 全員に行き渡ったのを確認すると、瑞樹は説明を始めた。
 
「その名の通り、死んた者の霊を操る力が、死霊使いの能力です。過去の事例では、平安時代の小野篁が冥府と行き来し、死んだ人間を生き返らせたという逸話がそれに該当するのでしょう。」

 資料には確かに、瑞樹の言う通りのものが記載されている。偉人のことは詳しくない。だが唄子にとっては、同じ名字だということが気がかりだ。
 それだけで、自分が死霊使いということに信憑性がある気がしてしまう。体温が下がる感覚がし、おもわず彼女は身震いした。

 瑞樹の解説は続く。

「ここからは、今代イチの陰陽師である叔父上に確認したことです。死霊使いはその能力の危険性故か、彼でさえ殆ど見たことがないそうです。ただし使いこなせば、霊との会話はもちろん、思うがままに使役することも可能だと。…大成させれば、逸話のように死者蘇生も出来るかもしれません。」
「はえー、うちの大旦那様言うならそなんやな。すごい能力やん。」
「……照昌、貴方はもう少し叔父上から真剣に術を伝授してもらうべきかと…。せっかく会える場所にいらっしゃるんですから…。」
「麹町遠いやん!」

 話が逸れ始めた瑞樹と照昌。そんな彼らを止めるように、長澤は大きな声をあげた。

「つまりだ!」

 嬉々とした声音に、全員の視線が集まる。唄子もまた、手元の紙ではなく長澤を見つめた。
 窓からそそぐ光に輝く髭面は、勝利を確信した豪快な笑みを浮かべている。殺人犯にされた唄子を助けてくれた、あの日と同じように。

「小野、テメェがその力を使いこなせば、死霊による一個師団だって指揮できるってことだ!!既に死んでるんだから、その軍は死を恐れることはない。そんな戦力を持てれば、この部隊に負けはない!!」

 身を乗り出す彼の熱唱は、まさにフォルテッシモだ。

「だから俺は、お前は救国の英雄にだってなれると言ったんだ!不幸を呼ぶ歌声?んな訳ねぇだろ!!」
 
 輝くほどの声が、水底の唄子へ語りかける。

「お前は歌いてえんだろ?だったら、ただ歌って霊を呼び寄せてねぇで、自分の力を、歌を、使いこなせ!!」
「……!」
「誰にも文句を言われずに歌えるようになるための場所が、この異能部隊だ。」

 破天荒な論理。だがそれは、深海まで届いた一筋の日の光のようだった。
 唄子にとっては、眩しすぎる。
 
「……失礼ながら、貴女に質問があります。」

 黙ってしまった唄子へ、囁くように瑞樹が声をかける。唄子と目が合ったのを返事と受け取り、彼は口を開いた。

「本来なら、異能はその家で管理され、技術を親から子へと教えられるもの。」

 親。その単語で唄子の脳裏によぎるのは、倒壊した家屋から伸びる真っ白な手。

「貴女はなぜ…自身の力について、何も知らないのですか?」

 瑞樹からの質問に、唄子はきゅっと手に力がこもる。
 外の訓練の声だけが聞こえてくる部屋の中、震えそうになる声を抑えるために、深呼吸。

「私……は……」

 そしてなんとか、彼女は言葉を奏で始めた。
 
「親の顔を……覚えて、ません……。」

 その演奏は、せきを切ったように唄子から溢れ出ていく。

「関東大震災で親は死んだらしいです。だから……物心ついた時から、とある家の女中で……。そこで家事は覚えました。でも、その家も…不景気になってから…金の足しにって、私は売られて…。売られた先も追い出されて…。仕方ないから、住み込みで働けるカフェーを転々と……」

 こんなに人に話したのは初めてだ。まるで不幸自慢。下がった体温は足元を冷やしていき、心臓が縮こまる感覚がする。
 
「歌は……唯一、私にとっての癒しで……好きなこと、だから……。ダメ、って…たくさん言われたけど……、歌ってないと…生きて、いけなくて……。」

 止め方がわからない口が動き続ける。はらりと落ちる自分の髪が、光を遮って視界を狭めていた。
 
「……わかる。」

 聞こえた硬い声は、天珠のものだ。

「俺の母親も震災で死んだ。父親は知らねぇ。」
「……!」

 初めて聞く似た境遇。そっと頭を上げると、燃えているような色素の薄い瞳と目があった。

「生きたいから俺は軍に入った。力の正確な制御はここで覚えた。」
「軍、で……」

 それは貴方が男だからできた選択でしょう、なんて。
 卑屈な想いが言葉にのってしまった。そんな唄子を見抜いたように、天珠はふいとそっぽを向く。

「だからって、テメェもその力をここで磨けとは、俺は言わないがな。」
「っ…」

 鉛のような空気。見守っているのか呆れているのか、長澤は小さくため息をついた。

「はいはーい、俺からも質問ええー?」
「……?」

 息が詰まりそうだったところを入れ替えたのは、おちゃらけたように手を上げる照昌だった。
 
「昨日の人は誰なん?妙に清らかな気しとったけど」
「あ?昨日の人?」

 簡潔な質問。それに眉を潜めた長澤へ、慌てた天珠は立ち上がり告げた。
 
「あ…!報告が遅れて申し訳ありません、隊長。昨夜、俺と安倍が隊長の家に戻った際、勝手口横の井戸のところで、彼女の歌を聞いている謎の人物がおりました。侵入者かと思い攻撃を仕掛けましたが、忽然と姿を消して…。」

 その言葉に、長澤は"ん?"と眉を寄せ答えた。
 
「もしかして、髪の長い金色の目の奴か?男か女かよくわからんが綺麗な見た目だけはしてるヒョロい奴」
「……!!そうです!!」

 彼が列挙したのはまさに夜見之宮の特徴だ。長澤も彼を知っていたとわかり、天珠の声がワントーン上がる。
 答えを促すように、照昌はこちらを伺う。唄子は、その転調に流されることにした。
 
「その人は、夜見之宮さんです。」
「……夜見之宮?」

 瑞樹が怪訝な顔で繰り返す。そこに、唄子は頷いた。
 
「はい。幼い頃からずっと、私の歌を聞きに来てくれる高貴な方で…」

 目の奥に浮かぶ、月に照らされた夜見之宮の微笑む顔。風に揺れる長い黒髪と、ひんやりとした手。
 そして昨日の口づけを思い出し、唄子の頬に熱が集まる。怒涛の展開に忘れていたが、あんなことをされたのは初めてだ。

「ふーん、惚れとるんやー」
「……!?」

 ニヤニヤとした照昌の声。ブワッと一気に体温が上がるまま、唄子は必死に首を振った。
 
「ち…違います!私なんかが、夜見之宮さんに釣り合う訳ないじゃないですか…!!」
「ふーん?へぇー…!」

 余計に笑みを深める照昌。からかいの空気に、唄子は顔が熱くて仕方がない。天珠がバディを叱責するが、そんなものどこ吹く風だ。
 
 年相応な反応をしている若い面々。その様子を眺めながら、長澤は当然のように呟いた。

「確かに高貴だろうが…あいつ人間じゃねぇぞ?かといって妖怪や怪異でもねぇが。」
「いやいやいや…、ちょっと待ってください。」

 踊り始めた会議を制止する瑞樹。彼は眼鏡を指で押し上げ、情報を整理し始めた。 

「男女のどちらか分からず…井戸の側にいた…清らかな気を纏い人でも妖でもない……"夜見之宮"と名乗る者……?」
「どしたー?青い顔して。」

 長澤が先を促す。それを受け、瑞樹は意を決したように言った。
 
「それ……まさか……月讀命(つくよみのみこと)では……???」
「へえ!!」
「……?」

 目を輝かせる長澤と、首を傾げる唄子。一方異能部隊の若手コンビは、身を乗り出して確認を口にした。
 
「それって…!」
「古事記に載っとる三貴子の一柱やないか!?」

 彼らの言葉に、瑞樹は神妙に頷いた。つまり、夜見之宮の正体とは。

「神…様…?」
「ってことだな!!」

 呆然とする唄子の声に、重なるような長澤の笑い声混じりの肯定。
 唄子にとって、自分が死霊使いだという話以上に実感が沸かない。だが、そうかもしれないという片鱗は、いくつも思い当たる。

「弘道!!あなたも会ったんでしょう?何か無礼を働いたりしてませんよね…!?!」
「ケンカ売った」
「はあ…??」

 立ち上がり確認する瑞樹だったが、平然と言われた長澤の言葉に卒倒してしまった。
 そんな上官を笑う照昌に、神へ攻撃した事実に青ざめる天珠。

 最早収集のつかない衝撃の中、唄子は夜見之宮への困惑と甘い感情がグルグルと渦巻いていた。