黄泉の歌姫は月と海の狭間に揺れる

 帝国海軍、横須賀鎮守府。その最奥にある古い物置部屋…否、異能技術研究部隊の看板の下がる執務室に、照昌はノックもせずに入っていった。

「おはよーございまーす!」

 彼の軽快な声が響く。中にいたのは、長澤だけだ。
 外から聞こえてくる訓練の声を思えば、当然かもしれない。

「おう。小野は起きたのか?」

 書いていた書類から顔を上げ、長澤は尋ねる。ひょいひょいと跳ねるように隊長の執務机へ照昌は進んでいき、緩い敬礼と共に答えた。

「起きたでー。食事しもって、うちの部隊について紹介した!」
「そうか。で?」
「なんも心当たりなさそうどしたわぁ?能力を聞いても不幸を呼ぶ…?って、超暗う答えるだけどした。」

 唄子のモノマネを交えながらの報告。思案顔の長澤へ、照昌は耳打ちをするように身を乗り出す。

「長澤はん、ほんまにあの女の子、救国の英雄になれる異能を持ってるんどすか?えらいそうは見えへん…」

 だがその言葉は、最後まで紡がれなかった。
 襲い来る妖怪の気。金棒が一文字に振るわれる。
 照昌は長澤の机に手をつき、それを踏み台に上へ。

「おおっ!?」

 しかしその足首を、大きな手が鷲掴みに。

「あーれえー!!」

 そのまま照昌は、まさに棍棒のように振り回され、部屋の奥の壁へと放り投げられてしまった。

「ぶべ!!」

 壁に背を打ち付ける。そのまま照昌は、壁掛けの世界地図と一緒に床へと一直線だ。ガラガラとなる豪快な落下音と巻き立つ埃。

「うぅ…いったぁ〜!何すんねん、堂児はん!!」

  照昌は攻撃主である堂児(どうじ)天珠(てんじゅ)へ声を荒げる。執務机の前に仁王立ちしている、制帽を目深に被った青年だ。鋭い犬歯を剥き、天珠は怒鳴った。

「安倍!!隊長殿への態度を改めろと毎度言っているだろ!!上官の机に身を乗り出すとは何事か!しかも扉が開けっ放しだぞ!!!」

 ビリビリと響く叱咤。しかし向けられてる照昌本人は、耳を塞いでイーッと顔をしかめて喚く。
 
「ここまですることあらへんやろ!!」
「普通だ!!俺はこのくらいされてしごかれたぞ!!」
「堂児はんの受けた壮絶ないじめと一緒にせんと!」
「ぅぐ…そ、れは…すまん…」

 口ごもる天珠に、舌を出す照昌。若手バディの騒がしさに小さくため息をつきながら、長澤は立ち上がった。

「軍議に出てくる。片付けと訓練怠るなよ。」
「はっ!承知しました!」

 きっちりとした敬礼で即答する天珠。その声を背景に、長澤は執務室を後にした。
 
 どう屁理屈つけて女性である唄子を隊に所属させるか。それを考えるだけで、長澤は頬が緩んで仕方なかった。

 ◇
 冷たい夜風が潮の香りを運んできた。横浜よりも、どこか香辛料や油の匂いが混ざる。

 屋敷の勝手口裏に佇む井戸に背を預け、唄子はその風に歌声をのせていた。ふわふわと集まる白い光が、彼女の周りで踊るように揺れている。

「……いい、歌だな」
「……!夜見之宮さん…!」

 井戸の向かい側。いつの間にかそこに居た夜見之宮へ、唄子は駆け寄る。優しい月明りのような瞳に映るのは、頬に自然の紅がのる彼女の顔。

「久しぶりに好き勝手できたの。気分がよくて!」
「……」
「ねえ、聞いてよ夜見之宮さん!この家、あり得ないの!」
「……?」

 夜見之宮は優しい笑みで首を傾げる。そんな彼に彼女が熱弁するのは、いかに今日が充実していたか。

 全ての窓を開けた瞬間、止まっていた空気が動いた感覚。
 山積みの洗濯物の汚さと布団のカビ臭さ。それが朝と夜でどう変わったか。
 水場の戦いの激しさ。

「全部終わってやっとこの時間なの!今までいったいどうやって生活してたのか、甚だ疑問!」

 夜見之宮の耳に転がる、祭囃子のような唄子の言葉。

「良い……唄子。」

 目を細める夜見之宮。彼の呟きに、彼女の歌声はリズムよく頷くのだった。

 そこへ、速いテンポで地を叩く音が曲調を乱すように乱入し始める。それに気づいた夜見之宮は、憂うようにその方角を見つめた。

「……夜見之宮さん?」
「……」

 演奏を止めた唄子が見上げてくる。その小さな顔を眺め、夜見之宮は髪を撫でた。

「また、生者と争うのは……よく、ないな。」
「……?」
「今宵は良い歌だった。…また、聴けるのを心待ちにしよう。」

 そして彼の艷やかな唇が、静かに唄子の額に触れた。

「えっ……!!」

 見上げた先に映るのは、柔らかい満月を思わせる笑み。言葉にならない熱が唄子の頬に集っていく。

 それを遮ったのは、牙のような怒号。

「何者だ貴様はァァ!!」
「きゃ…!!」

 声と共に天上から現れた軍服姿の青年。荒々しい爪が夜見之宮のいた庭に突き刺さる。風で逆立つ真っ白な髪は獅子のたてがみのようだ。そのから覗く、二本の鋭い角。

 もちろん、すでに夜見之宮の姿はなかった。

「クソ…。何だったんだ、あの侵入者…。」
「っ、」

 縮んでいく角に逆らうように立ち上がる青年。唄子を余裕で覆い隠すほどの背中に、彼女は一歩後ずさった。
 そこで初めて気がつく。彼女の前に、1枚のお札が浮いていたことに。五芒星の描かれたそのお札は、役目を終えたようにヒラヒラと舞い落ちていく。

「おーい堂児はーん!制帽落としたでー!」

 気の抜けた、聞き覚えのある声。唄子が振り向くと、海軍の白い帽子をヒラヒラと振る照昌がこちらへ駆けてきていた。

「あぁ、ありがとう。」

 青年はそう告げながら照昌から帽子を受け取る。そして髪を隠すように、目深にそれを装着した。

「小野ちゃん、紹介するなぁ。こちら、堂児天珠はん。鬼との合の子ぉやわぁ。」

 両手のひらをひらりと青年に向ける照昌。それを受け、天珠は背筋を伸ばして両足を揃え、敬礼をひとつ。

「帝国海軍、異能技術研究部隊所属大尉、堂児天珠だ。隊長殿からお話は伺っています。よろしくお願い致します、小野さん。」
「あ……!えと、よろしくお願いします。」

 これぞ軍人。やっと目にしたイメージ通りの姿に、唄子は逆に笑いそうになってしまった。

 そんな唄子へ、天珠は問い詰めるように話し始めた。

「それより、先ほどの男は貴女が招いたのか?」
「……夜見之宮さん、ですか…?」
「夜見之宮というのか…?貴女の横にいた、長い黒髪の男だ。」

 警戒心丸出しの、厳しい声音。戸惑う唄子をフォローするように、彼女の隣で照昌がぼやく。

「……なーんか……妖でも人でもない気配やったなぁ……」
「あぁ。だから攻撃を仕掛たが…避けられたというより、対象は忽然と消えた。」
「え…?」

 若い将校たちの会話に、唄子は耳を疑った。確かにいつも、彼の出入りは摩訶不思議だ。けれどまさか、それほど未知の存在だとは思ってもいない。

 3人の吐く白い息が地に落ちていく。この場に漂う謎に、答えられる者はいなかった。

「ま!考えてもしゃあない!明日長澤はんと神宮寺はんに相談しまひょ。」
「長澤隊長と神宮寺少佐!!」

 柏手のように空気を整えた照昌の一言。軽く頭の裏で手を組む彼へ、天珠は即座に呼び名を訂正するのだった。

 室内へ入った彼らが、その綺麗さに感動の声をあげるのは、このすぐ後のことだった。