黄泉の歌姫は月と海の狭間に揺れる

 0530(まるごさんまる)、富士の山の麓にて。
 広がる木々は森だろう。中央よりにぽっかりと空いた空き地と、森を挟んだ奥には市街地を模した木材たち。東西の両奥に陣取るのは、高台にそれぞれ設営された作戦本部。
 はためく軍旗を先に倒した陣営の勝利ということか。

 目隠しを外された長澤の視界がやっと捉えたのは、そんなよく見る演習場の景色だった。

 手荒に蹴られて膝裏に当たった椅子へ腰掛ける。軍服の下で数多くの打撲傷が悲鳴を上げたが、彼はそれらを無視した。

 上座に並ぶのは、陸海両省のお役人と、将校たち。自分を取り囲む特高の連中ども。
 まさに高みの見物。それぞれが思い描く結末通りになるよう、目を尖らせる狐たち。

(ったく……内部で潰し合いやってる場合かよ、下だらねぇ)

 この十数日、背広達に言い続けた悪態を心の内で繰り返す。例えば自分が将官クラスならばいざ知らず、まだ分隊にも満たない窓際部隊しか持たない自分を潰そうとして、一体何が楽しいのだろう。

 そんな思いをよそに、眼下ではそれぞれの人員が配置され始めた。

(……ま。実力が示せるってんならちょうどいいか。)

 後ろ手に拘束された腕ごと、深く背もたれに身を預けて足を組む。
 余裕とも、不遜とも、豪快ともとれるその様。仕掛け人たるお役人たちが顔を顰めた。その様子を、長澤は鼻で笑い飛ばす。

 徐々に戦場を埋めていく戦闘服姿の男たち。西に陸軍、東に海軍。あの装備ならば、陸戦隊だ。そこに信頼する部下たちが混ざっているのだろう。
 しかしその中に1人、軍服ではない人物がいる。一際目立つその人に気がついた時、彼は己の慢心を諌めた。

(小野――!?)

 それは、部隊から外したはずの民間人の少女だった。



 0545(まるごよんご)、海軍側指令本部にて。

 演習開始前最後の幹部ブリーフィング。総司令官である大佐の言葉を受け、瑞樹は眼鏡をくいと上げて改めて幹部陣へ告げた。

「我々が長澤中佐の私兵などではなく、帝国海軍の一員であることを示すための演習です。各自の能力は事前にお伝えした通りですので、彼らをどう扱うかは各隊司令官にお任せいたします。」

 互いに顔を見合わせ、怪訝な顔をする少佐たち。だが疑問は口にせず、彼の言葉に頷いた。
 今回共に戦うのは、大海原ではなく敵地上陸後の戦闘を専門とする部隊。海軍陸戦隊の中隊だ。横須賀にて、異能部隊の面々が配置される分隊との顔合わせはもちろん行っている。だからこそ、現場指揮を行う士官たちは口をつぐんだのだ。

 不思議な奴ら。だが書類の記載が本当ならば、戦力には成り得るだろう。
 異能部隊への現状の評価は、こういったところだった。

 それを分かったうえで、重要事項を周知する瑞樹。

「なお、本来霊感がなければ見えない異能も多いです。しかし、それらは安倍少尉の施した結界により、今回は陸軍含め全隊員が見えるようになっております。幽霊も出てきますので、周知のほどお願いいたします。」

 どよめく幹部陣。だが大佐の一声でその場は静寂と冷静さを取り戻し、つつがなく作戦確認が進んでいく。

 その裏で、若手3人はそれぞれの配置場所で演習開始に備えていた。

 森の入り口付近に陣取った陽動部隊。そこで天珠は、自分の変化姿を仲間へ事前共有する。実際に一部変化して見せると、どよめきと共に畏怖と好奇心の視線が集まった。そのことに、もう胸は痛まない。

 司令部のすぐ隣の通信基地にて、照昌はせっせと式神にする紙飛行機を折る。周囲からすれば遊んでいるようにしか見えないだろう。突き刺さる白い目。だが彼はそれを一切気にせず、自身の役割に没頭する。

 唄子がいるのは、丘の下の防衛ライン。大砲の最終確認をする海兵たちの横で、もう何度準備体操ルーティンを繰り返したかわからない。
 心臓が口から飛び出そうだ。特高からの要請で、天珠や照昌とは昨日家を出て以来会えてもいない。見知らぬ軍人たちの中に放り込まれ、身体が縮こまる。そのうえ、実戦形式の演習など初めてだ。

(い、い、いつも通り……!いつも通り……!!)

 深呼吸にならない深呼吸を繰り返す。ガチガチに固まった身体は、どれだけ柔軟をしてもほぐれそうになかった。

 空を見上げる唄子。雲の白と空の水色のコントラストが妙に平和だ。夏の空、西側にまだ小さく顔を覗かせている白い月を見つけることが出来た。夜見之宮が見守ってくれている。
 それが分かってようやく、彼女の胸は正常に富士の空気を全身に運んだのだった。

 その広い空を貫く甲高いラッパの音――演習、開始だ。

「っしゃあ!いくでーー!」

 開戦の狼煙の音が富士の空気に溶けていく真っ只中、最初に動き出したのは照昌だった。

 突然の大声に何事かと士官達の視線が集まる。観客が居ることにニヤリと口角が上がってしまう。楽しむ彼の周りを3機の紙飛行機が旋回した。

「偵察、開始!」

 彼の言霊に従い、式神が空を駆けていく。視界良好。ブレやノイズはなし。巨大な結界との併用だが、身体も楽だ。
 宮城広場のような失態は、もうしない。

 そして照昌は、自身の所属する分隊の指揮官へ向けて叫んだ。

「田中中佐!式神による上空偵察を開始しました!陽動部隊は森の中へ移動開始してはります!」

 彼の報告から一拍遅れて、無線通信が天珠たちからの報告をキャッチ。照昌の内容と相違ないことに、周囲はどよめいた。

 「あ!」とつい漏れた照昌の驚愕は、その声たちに紛れこむ。

「敵も動いたで!森の入り口付近に陣取っていた部隊、北側の森の中へ移動!」

 視界を式神ではなく自分のものへ戻せば、目の前にあるのはついさっきまで蔑みの目を向けて来た相手の間抜けな顔。
 なんと気持ちいいことだろう。
 糸目の描く弧を深くしながら、彼は報告を続けた。

「敵主力部隊、及び戦車の気配は上空からは確認できません。集落、又は森に潜んでるものと思われます!各攻撃部隊への指示を!」

 その言葉に、ハッと我に返ったように少佐が動き出す。その姿まで確認し、照昌は次の仕事へと駆けだして行った。

 ◇

 木々の生い茂る中を、海軍の分隊は敵陣目指して進んでいく。戦車に警戒せよとの指示を受け、部隊にはピンと糸が張り詰めていた。

 膝ほどの高さまで盛り上がった地面があると思えば、足音を隠しきれないほど木々の枝が散らばった場所もある。

(森って、こんな感じなのか…)

 当然だが、船の上とは全然違う。天珠は周囲の陸戦隊の先輩達から遅れをとらないよう、とにかく足を動かす。

 だがその足は突如、想定外の段差を踏み抜いた。

「うわ……!!」

 一気に視界が暗転し、身体が落下していく。同時に聞こえたのは、ガサァともズボッとも聞こえるギャグみたいな音。

「いって…」

 あまりに突然で、受け身すらうまくとれなかった。じくじくと痛む腰をさすっていると、パラパラと土埃が落ちてくる。目に入らないようそれを払い、彼は上を見上げた。

「何事だ!」「落とし穴です!」「各位、足下に注…うわぁ!!」

 聞こえる部隊の混乱。側面に手をついても、蟻地獄のようにザラザラと滑る。踏ん張ろうにも、ふかふかすぎる土に足が沈む。払っても払っても落ちてくる砂と葉っぱが鬱陶しい。
 だがどうにか足下に力を込め、バネのように跳ねる。そうして、地面から抜け出した。

 木の枝に着地。そこから見た景色は、予想外の乱戦だった。

 無線通信機はロープが絡まり、使用するのが難しくなっている。海兵たちの木刀や銃に対し、襲ってくる陸軍が振るってくるものは。

「スコップ!?こんな使い方ありかよ!!」

 おおよそ武器とは思えないそれに、天珠は驚きが隠せなかった。だがそのスコップたちは、容赦なく木刀を叩き折ってくる。土を掬えば目隠しとなり、先端を向けて振り回すだけでかなりの威嚇だ。

「スコップではない、円匙(えんぴ)だ!白兵戦最強武器を侮ったな海軍め!」

 まるで日本刀のようにスコップ…いや、円匙を構える大柄な陸軍の青年。腕章を見る限り、天珠と同じ大尉らしい。

「降りてこい!貴様が噂の鬼大尉だろう!我が渡辺の名にかけて、この俺が退治してやる!」
「……!?」

 突然の宣戦布告。目を見張る天珠だが、彼はすぐに顎を引いた。

 その大尉の立ち姿はまさに武人。まとう気配はただの尉官というにはあまりに猛々しい。
 全身を駆ける鬼の血が熱くなる。本能が告げていた、「此奴を倒せ」と。

 瑞樹がふとした時に話してくれた昔話。確か、酒呑童子を討った英傑の名は――。

「……」

 意を決して、宙へ歩を進める。そして軽々と着地し、天珠は構えをとった。角と爪が伸び、白目と黒目が反転する。放つ気配は妖の気。

「全力でいかせて貰うぞ、渡辺大尉!」
「当然だ!来い!!」

 鬼と侍。約1000年の時を超えた因縁の対決が幕を開けた。

 ◇

 「霊からの報告を申し上げます!」

 戦況を受け取った唄子は、隊の指揮官へ敬礼と共に告げる。その背後では、彼女に報告した霊がふうっと煙のように姿を消した。

 その様子を見ていた若い少佐は、ふんと鼻で笑う。そして追い払うように手を振ってきた。

「霊から……ね?いいよ、司令部に伝令しといで。君の上官なら信じてくれるんじゃないー?」

 その様子に追従するように、せせら笑う海兵たち。誰一人として、唄子の言葉を真に受けようとすらしない。

 久しぶりに感じる疎外感。彼女は爪が手のひらに刺さりそうなほど手を握りしめた。かつての「通常」がどれほど「異常」だったのか、嫌でも突きつけられる。
 我慢ならない扱いに、心臓がキーキーと悲鳴を上げていた。だが、ここに執着しても意味が無い。

「……承知しました!!」

 軍人として返事をする。どれだけ理不尽な対応をされようと、きっと天珠ならこうしたはずだ。

 そして彼女は、照昌仕込みの身軽さで駆けだした。…はずだった。
 
「ぶっ…!?」

 全身に走る衝撃。草と土の匂いだけが顔面を覆う。
 走り出すどころか、盛大に転んでしまっていた。そう理解したとたん、じくじくとした痛みと羞恥に、顔が赤い。

 背後から、盛大な笑い声が聞こえてきた。

「開始早々歌ってたし、ふざけてるのか?」
「そもそも、なんで女がここにいる」

 刃のような言葉が突き刺さる。かつて言われ続けた心ない言葉と、同じ温度だ。自分のことなら何とでも言えばいい。その痛みには慣れている。
 しかし、起き上がろうとした彼女を襲う嘲笑。

「異能部隊って……」
「……!」

 体温が冷えていく。自分の行動で笑われるのは、自分だけでは無いと突きつけられた。
 今まではなかったもの。だがそれは、外から見れば自分は彼らの仲間だとハッキリわかるもの。

 瑞樹、天珠、照昌、そして――隊長。4人の築いたものを、自分のせいで崩させやしない。

「大丈夫ー?お嬢ちゃん。」

 ニヤニヤと、鼻の下を伸ばした水兵が差し出してくる汚い手。
 それをシカトし、一気に立ち上がる。そして確かに富士の大地を踏みしめて、唄子は丘を勢いよく駆け上がった。
 サポートなのか監視のつもりか、その水兵は彼女のあとを付いてきた。

 ◇
0715(まるなないちご)、海軍陣営司令本部にて。目下の課題は、陽動部隊との連絡が途絶えて30分以上経過していることだった。

 直ぐ隣の通信部隊が必死に無線を繰り返す。交戦か、それとも電波妨害か。照昌の紙飛行機のうち一機は森へ入ろうとしたが、視界が悪く機能しない。

「ほ…報告申し上げます……!!」

 そこへ飛び込んできたのは、息を切らした唄子だった。
 滝のように汗を流し、膝に手をついて呼吸だけを繰り返す。そんな彼女に代わって、途中合流した霊が口を開く。

『北の森にて、陸軍と交戦あり。罠多数により、陽動第一分隊劣勢。離脱5名。第二分隊は戦況、拮抗しております。双方、無線通信機は土をかけられ使い物になりません。』

 士官たちの顔色が変わった。それはまさに、喉から手が出るほど欲しい前線の戦況だ。

「……それぞれの隊へ、伝令を頼むことはできるのか」

 恐る恐る、ある少佐が尋ねる。それに対し、霊は一切の迷いなく答えた。

『もちろんです。』
「……!」

 普通なら、お化けの言うことなど誰も信じないだろう。現に、青白く透けているその青年に、腰を抜かした兵もいるほどだ。
 
 だが彼等の前にいるその霊はどう見ても、日本海海戦時の水兵服を纏っていた。

 波紋のように広がる動揺。まさか、靖国に御わす英霊様が力を貸してくれているとでも言うのだろうか。
 ……演習ごときに?

「重ねて報告致します!」

 判断のつかない中、霊と並走してきた少女が声をあげた。見事な敬礼と、ピンと伸びた背中。

「ただいま、南の森を確認してる霊から私に報告がありました!南に2台、戦車あり!」

 軍では聞くことのない甲高い声が響く。そこに重なって、通信部隊がとある無線報告を拾った。

『隠密部隊より伝令!戦車部隊と接敵!交戦開始しております!』

 唄子の霊の情報の信憑性が、証明された瞬間だった。

 奥に座る大佐は目を細める。いったい誰が、これほど有用だと予想できただろう。式神による空中偵察しかり、幽霊による伝令しかり。

 そして彼は、慎重に作戦を展開していく。
 
「英霊殿。東の部隊へ、敵主力発見まで深入りをしないよう伝えて頂きたい。」

 隊内が静まり返った。自身の耳を疑った兵も多い。だがそれをものともせず、美しい敬礼と共に海兵の幽霊はすうと姿を消した。
 恐らく伝令に向かったと分かっていても、悲鳴を飲み込むのに精一杯だ。

「隠密部隊へ伝令。戦車は足止めだ。牽制に留め、撃破は狙うな。」

 大佐は通信部隊へ告げる。だが、先ほどの衝撃がまだ抜けていない。
 そんな彼らへ、瑞樹がゆっくりと告げる。

「……通信部隊、聞こえましたか?」
「……は!しょ、承知いたしました!!」
 
 大魔王のようにも感じる静かすぎる声に、慌てて無線機を操作し始めた。

「……小野君」
「はい!」

 次いで大佐は、異例の伝令を果たした民間協力者……否、異能部隊の一隊員へ目を向ける。
 軍服は着ていない。額に擦り傷をつくり、ボロのような袴姿に短髪の女。
 見た目とは、かようにも当てにならないものなのか。

「安倍少尉」
「はいー!」

 そして、通信部隊にいるもう一人の異能部隊へも声をかける。双方の返事を確認し、大佐は彼らへ直接命を下した。

「霊と式神による索敵を継続。敵主力を発見した場合、最優先で報告せよ。」
「承知いたしました!!」

 彼らの返事が重なる。そして間髪入れず、紙飛行機へ、お化けへ、それぞれ何かを伝えているようだった。

 自身の配置へ駆け戻って行く少女。彼女に並走してきた水兵は、その姿を追う。

「……さっき、笑ってごめん。」

 そう呟いた声に、彼女は得意げに笑って返すのみだった。

 ◇

 閲覧席に届く無線通信は、次々と将校らの予想を裏切っていった。

 開始後第一声は、両軍の進行状況。これは照昌の式神経由。
 海軍側の通信遮断の報告の後、その部隊の詳しい戦況。そのうえ、戦車の発見。唄子の霊によるものだ。

 明らかに何もないところで彼女が転んだ時は爆笑が起こっていたが、そんな空気はもうどこにもない。

「……まさかお前、なにかしたのか。」

 背後からの馬鹿げた質問。目線さえ送らず、長澤は答えた。

「……この拘束の中、何をどうやれと?」
「ッ……。」

 歯ぎしりをする顔が容易に想像できる。気分はいいが、彼は唄子の動向から目が離せない。
 打撲痕よりも腹が痛むだなんて。人生初の胃痛を楽しむ余裕は、残念ながらなかった。

 ◇

 戦況が大きく動いたのは、演習開始から2時間が経過したところだった。
 
「――!!」
 
 照昌がバッと顔を上げる。彼が目を向けたのは、本部の南東。

「戦車1台発見!!司令部後方、回り込まれとります!!」

 叫んだ報告は海軍の陣営全体に響き渡った。ざわつく兵の間を、一直線に駆ける照昌。

(間に合え――!!)
  
 祈るように脳裏で叫びながら、照昌は揃えた人差し指と中指だけを立てる。剣印だ。
 
「臨める兵、闘う者ぉ!」

 ずんずんと上ってくる鉄の塊。その周囲を囲む歩兵。
 
「皆陣破れて前に在れぇ……!!」

 艦砲を思わせる大口径砲身が、ギギギギとこちらの軍旗へ狙いを定めてくる。

「急急、如律令ォォーー!!」
「撃てー!」

 悲鳴のように九字を切り、右手を大きく振る照昌。同時に響いた、陸軍少佐の指示。

 ドォン――

 空気が、震えた。

 青ざめ、歯を食いしばり、この世の終わりのような海軍。
 頬が上気し、両手を突き上げ、勝ち誇ったような陸軍。
 桜と錨を掲げた海軍の軍旗に、全員の視線が集まる。

 その旗は、まるで何事もなかったかのように悠然とはためいていた。

「……?」

 まさに、目が点。誰もが空砲が海軍の誇りを貫いたと信じて疑っていなかったのに。

「当たり判定どうなんや!!」
「え、あ…!」

 照昌の怒号。赤い腕章をつけた審判はその声に我に返る。改めて彼は、戦車と軍旗と……その間に輝く五芒星を確認した。

「……海軍、防衛成功!」
「っしゃあ!!」
 
 全力のガッツポーズ。照昌の結界が砲撃を防いだのだ。両軍の歓声は反転した。雄叫びをあげる海軍と、ブーイングのような陸軍。
 その嵐を引き裂くように、それぞれの指揮官の指令が飛び交う。

「歩兵、進軍開始!!海軍の旗を奪い取れーー!!」
「各隊迎撃!!陸軍をこれ以上進ませるな!!」

 2つの波が、ついに激突。振り回されるスコップ、応戦する木刀。方々からあがる怒号と指示と皮肉と暴言。

「ふざけるな!!再装填急げ!!」
「次は外さねぇぞ!!」

 そんな声を聞いたのは、戦車の近くにいたとある下士官。

「安倍少尉ーー!!よくわからんが旗は任せた!!」
「絶対押し巻けるなーー!!」

 乱戦の中から響く声援。それをかき消すように、空気を震わす戦車の咆哮。

「ッ、ど、あぁああああ!!」

 ビリビリと照昌の全身がしびれる。軋む五芒星に呼応して、霊力が悲鳴を上げているようだ。
 その背後を1人の霊が通過した気配。

『恐れ入ります、大佐殿。敵主力を発見。現在中央の森を進んでいる模様。防衛部隊が迎撃準備に入っております。』

 その瞬間、照昌の視界にノイズが入る。式神が1機、墜とされたのだ。

(くっそぉ…!そろそろ向こうも気づきおったか……!!)

 司令部からは、瑞樹が大佐へ、霊の報告を代弁しているのが聞こえてくる。どうやら霊的なものを可視化させる結界さえ、効力が弱まっているようだ。
 だが、目の前で戦車の主砲は未だに軍旗を向いている。今自分が倒れたら、海軍の負けだ。

(アカンってぇ……!!流石に重労働すぎるやろ!!)

 脂汗が首筋を伝う。再度九字を切ろうと、すう……と富士の霊力を吸った。

 そのとき。太陽の光が一瞬だけ、何かの影に遮られる。勢いよくこちらへ迫り来る、天からの遠吠え。

「ぉぉぉぉおおおるぁぁぁあああ!!!!」

 天珠だ。バコン!と金属の塊に何かがぶつかった音。彼の足が容赦なく、長い筒の根本に突撃したのだ。
 その瞬間、戦車の砲台は全く別の方向を向いていた。

 戦車長は後に、この時に勝る衝撃はどの戦争でもなかったと語る。敵のみならず味方までも、目玉が飛び出し、開いた口が塞がらない。

 土煙を立てながら、地面にめり込む勢いで着地した天珠。彼の影がゆらりと立ち上がった。
 
 全身泥だらけだ。雲間から差し込む陽光を反射する、白い髪と赤い角。鼻血の痕を、拳で雑に拭う。
 いったいどこに上着を脱ぎ捨てて来たのか、シャツには円匙による細かい裂傷が走っていた。

「戦車は俺が抑えます!! 」
 
 陸軍からすれば、その姿はまさに悪鬼羅刹だ。

「陸戦隊各位、敵歩兵の迎撃を!!旗を……、守ってください!!」

 だが海軍から見れば、鬼神と呼ぶにふさわしき頼もしさ。
 
 数拍の間。そして。

「うおおおおおおおおお!!!!」
「海軍魂見せてやれえええええ!!!!」

 海の男達は、雄叫びと共に猛攻を開始。その勢いに、さしもの陸軍も怯み始めた。

「安倍少尉は、戦況把握と伝令に戻れ!」
「承知しましたあ!!」

 少佐の指示に、照昌は嬉々として返事をする。軍旗防衛の重圧から解放され、通信無線へダッシュした。
 
 丘の下では、まさに敵主力との戦闘が始まっていた。
 
 ◇

 後方から聞こえる2発目の轟音と、森の影から陸軍が現れたのは同時だった。
 
 足並み1つ乱さず、横一列に広がる土色の集団。
 スコップや銃剣の先端がこちらに迫る。その後方には、重そうな機関銃まで見えた。
 一糸乱れぬその前進は、兵隊というより巨大な怪物だ。

 その姿に、唄子はヒッと喉の奥に悲鳴を飲み込んだ。

「敵主力部隊接敵!」

 霊からの情報が本当だったと、こちらの部隊にも実感が襲う。だが動揺など一切見せず、少佐の指示が部隊を無駄なく動かしていく。
 
「大砲よーい!!」

 船から持ってきたみたいに見える巨大な筒が、兵たちの手によって徐々に角度を変えた。

「撃てぇーー!!」

 号令と共に響く、地鳴りのような砲撃音。
 だがそれを予測していたように、鉄帽の塊が左右に割れた。直後、勢いを増して迫ってくる。

「少佐!」
「なんだ!」

 双眼鏡を構えていた士官が叫ぶ。絶望ともとれる渋面を浮かべ、彼は告げた。

「左部隊、指揮は頼木(よりき)少佐!右部隊は光沢(こうざわ)少佐です!!」

 司令部へ霊を送り出した唄子は、並んだ名前に密かに首を傾げる。一方、この部隊の少佐は青筋を立てているではないか。

「あんの……頼光コンビか……!!」

 隣にいた水兵が唄子に耳打ちする。曰く、その2名の陸軍少佐は前線指揮力で有名だという。負け無しの噂もあるとか。

「少佐……頼光コンビのことライバル視してて……」
「なるほど……!」

 これは色んな意味で、負けられない。

「頼木部隊へ砲撃集中!奴は地形と機関銃を使う!陣形を組ませるな!」

 少佐の指揮に、再びギコギコと鉄の筒が動いていく。

「歩兵部隊、光沢の部隊を迎撃!!真正面から受けるな!お前達の技術で食い破れ!!」

 彼を慕う部下達の声が揃う。彼等は木刀を構え、一目散に駆け出した。

 拮抗する戦力。まるで上官たちのライバル心をそのまま映したかのように、互いに睨み合い、拳も銃声も容赦がない。

 少佐の額を汗が伝う。彼の目には、この先どうなるかが見えているようだ。
 そんな戦場の上、空を横切る何かの影。鳥だろうかと思ったが、そうではない。

「天珠さん……!?」

 唄子でさえ、あんぐりと口を開けてしまった。彼は今、森の向こうから飛び出して来なかったか。

「……小野。」
「……!!はい!!」

 少佐の声が突然降ってきた。勢いよく振り返ると、彼の表情はやけに静かだ。

「お前……、切り札があると言っていたな。それは今、使用可能なのか?」
「……!!」

 唄子は目を見開く。眉根を寄せる彼の顔に宿る葛藤。だからこそ彼女は、昂る熱のままにハッキリと答えた。

「はい!可能です!!」
「……」

 じ……と、未だ信頼の足りない上官と部下の視線が交わる。
 少佐の目は、未だ疑念を捨てきれていないようだ。
 だが同時に、その奥には別の感情もあった。
 
 頼光コンビに負けたくない。
 
 そんな、意地にも似たものが。

「ならば今すぐ行い、陸軍の部隊を迎撃せよ!!」
「承知しました、少佐!!」

 敬礼で応える。もはや唄子付きとなってる彼と共に、彼女は陣地の最前線へ駆け出した。

 眼前に広がるのは、「戦争」の縮図。本来ならばここに血が飛び、肉が裂け、命が散るのだ。
 月讀命の言う通り……この国に、死者が溢れるのだろう。
 恐ろしくて仕方がない。そんなこと、現実になってほしくない。

 だからこそ歌うのだ。この歌が呪いではなく、この国を救う可能性があると言うのならば。

「――……」

 澄み切った富士の気を、腹一杯に吸い込む。
 そして彼女は、冥府の戦人らに向けて歌い出した。

 それは軍歌か。あるいは呪詛か。それとも祝詞か。

 地を這うような低音が骨を震わせたかと思えば、脳を突き抜けるような高音を戦場一帯へ轟かせる。
 歌声は軍旗となり、大地の底から1人、また1人と兵が這い上がった。
 
 それはまさに、死霊の小隊だ。

「……お願いします、黄泉軍よ。」

 唄子は、両手を広げる。そして左右の両軍を指さして、告げた。

「陸戦隊の皆さんを支援!敵を……押し返して下さい!!」

 ◇

 閲覧席がざわつく……などという、生易しいものではなかった。
 お役人や特高だけでなく、演習など見慣れているはずの陸海両軍将校までが、腰を抜かして声を荒げている。

「あれはなんだ!!化け物か!?」
「海軍に味方しています!!」
「日本海海戦の水兵と報告が!!」
「陸軍頼木部隊、転進開始!」
「光沢部隊、徹底抗戦中!!」
「あんなもの、本当に統率が取れているのか!?」

 怒鳴り声が飛び交う中、長澤だけがただ黙って座っていた。視線の先にいるのは、堂々と指揮を振るう愛しい死霊使い。

(救国の英雄……。確かに、歌ってるアイツを初めて見た時に俺が思い描いたものは、アレだ。)

 神話の中の軍。それをまさか、本当に呼び出せるようになるなんて。
 いざ目にしてみると、胸中を支配するのは興奮ではなかった。

(もうまもなく、この国に死者が溢れる……か……。)

 彼女の手を取ったあの夜、月讀命が告げた言葉。あの警告をちゃんと聞けと、当時の自分をぶん殴りたくなってくる。

 あの日神が憂いた通り、彼女を戦争の渦中に飛び込ませてしまった。
 もう、後戻りは出来ないのだろう。彼女の覚悟は、嫌というほど見せつけられた。
 執務室でも、実戦でも。

(なら、俺も……)

 目を伏せる。長く、長く、息を吐いた。
 もう、感傷に浸るのは終わりだ。

(責任取る覚悟を……固めねぇとな。)

 顔を上げた時、彼の顔にはハッキリとした闘志が宿っていた。

「おい!!アレは何だ!!貴様は何を仕込んだ!!」

 特高の男が胸ぐらを掴んでくる。恐怖を浮かべるソイツへ、異能部隊の隊長は声高らかに言い返した。

「おいおい!!俺をずっと拘束してたのはテメェらだろうが!仕込む?何の話だ!」

 狂気ともとれる笑みを浮かべる。思わず一歩退いた特高の男を、逃がしはしない。

「死霊も!鬼の子も!陰陽術も!全て帝国海軍の優良な戦力だ!!まだなんか文句あんのなら、次はテメェらを相手してやろうか?あ?」
「ッ……!」

 その瞬間、ラッパの音色が鮮やかに響き渡る。
 陸軍の旗が、落とされた。

「……もっとも」

 歓喜と無念が交差する無線通信の中、声を落とした彼の言葉が不気味に響く。

「そんなくだらねぇことやって、大陸の日の丸に何かあったら……テメェらどう落とし前つけるんだ?」
「……!!」

 歪む背広の男の顔。そして負け惜しみのように、長澤の身体は無造作に突き放されたのだった。