黄泉の歌姫は月と海の狭間に揺れる

 どれくらい泣いただろうか。その歌が終わるまで、夜見之宮はずっと側を離れなかった。

「ごめんなさい夜見之宮さん…。みっともないところを見せちゃった…。」
「かまわん…。」

 鼻をすすりながら、唄子はやっとそうこぼす。夜見之宮は短い返事と共に、しゃがみ込んでいる彼女へ跪いた。

「唄子……私と、共に来るか…?」
「え…?」

 その言葉に、唄子は目を瞬かせる。
 彼女の戸惑いを知ってか知らずか、夜見之宮は手を差し出した。大きな満月を背負う彼。長い髪が、風に揺れている。
 このまま手をとれば、永遠に穏やかで居られるだろう。そう確信するほどの、静かで、温かい、夜見之宮からの誘い。

(綺麗…)

 唄子の胸が、トクントクンと早鐘を告げる。

「うん…」

 彼女は頷き、ゆっくりと手を伸ばした。

 しかしその手を横から握ってきたのは、大きくて無骨な手だった。
 
「!?」
「…?」

 2人は揃って乱入者に視線を向ける。
 
「ちょっと待ちな、嬢ちゃん!今夜の男を探してんなら、俺にしとけ!」

 そう豪快に告げたのは、日に焼けた肌に白い海軍士官制服が映える男性。

「昼間の軍人さん…!?」

 唄子は思わず声をあげてしまった。軍人は不敵に笑うと、ぐっと彼女の腕を引っ張って立たせてくれた。

「…何者だ?」

 唸るような声で、夜見之宮が尋ねる。

「帝国海軍中佐、長澤(ながさわ)弘道(ひろみち)だ!」
「……」

 軍人…もとい、長澤の野太い声が力強く名乗りをあげる。そして彼は、背に庇う唄子を振り向いて話し始めた。

「悪いが歌を聞かせて貰ったぜ嬢ちゃん!」
「えっ」
「その歌で、あんたは救国の英雄にだってなれる!俺についてこい!!」
「は…?」

 それは、まるで生を謳歌するような力強い誘い。だが唄子にとっては、意味がわからない。
 一体何をどうしたら、不幸を呼ぶと言われている歌で国を救う英雄になれると言うのか。

「…男よ」
「長澤だが?」

 だが、警戒心を剥き出しにした夜見之宮の声が響く。恐れひとつ抱かず返事をする長澤の、なんと豪胆なことか。

「彼女を…戦に巻き込むつもりか…?」
「…そうなるな」

 長澤が答えた瞬間、潮が引いていくような冷えが男たちの周囲を包んだ。月の光を纏う剣呑な眼差しが、長澤を突き刺す。

「愚かな…。もうまもなく、この国に死者が溢れる。その渦中に彼女を送るなど、言語道断…。」
「…!」

 すると長澤は顎を引き、声のトーンを落として問いかけた。
 
「アンタ…予見の力持ちか…?今の言葉は、この国が列強と戦争おっ始めると言いてぇか?」
「…」

 夜見之宮は答えない。だがその無言を、長澤は肯定と受け取った。
 
「だったら、なおのことだ…!」
「ちょっと…!!」

 握った唄子の手を掲げる長澤。引っ張られるままにたたらを踏む唄子だが、彼女には2人の会話の意味が分からない。
 
「……その手を離せ。野蛮な軍人よ。」

 いったいどこに隠し持っていたのだろう。夜見之宮の手には細身の(つるぎ)が握られていた。
 スラリと鞘から引き抜かれた刃に、満月の雫が零れて光る。
 
「おっ?やるかぁ?」

 その様子に、長澤の片手が軍服の革帯(ベルト)に伸びる。カチャ、と金属の音が静かに響いたと思えば、鋼鉄に包まれた銃口が夜見之宮に向いていた。

 唄子はギョッとしてしまった。
 
「!?ふ、2人とも待って…!!」

 まさに一触即発。しかも火種が自分だなんて、考えたくもない。
 やはり自分の歌は不幸しか呼ばないのだ。
 昔からの味方と、今日助けてくれた人が争う姿に、唄子は心臓が軋む心地がした。

 今にも刃を交えそうな2人。その間に、突如姿を現したのは長身の男。
 
「そこまでだ。何してんですか我が主。」
「おぉ!?」

 これには、さすがの長澤も度肝を抜かれたらしい。驚きの声と共に唄子を抱えて間合いを取る。そして銃をその男へ。
 
 だが、長身の男は長澤を見向きもしない。夜見之宮へ、まるで説教でもするように男は話しかけた。
   
「生者斬っちゃだめでしょー?主!ほら帰りますよ。」
「……」
「拗ねない!」

 しぶしぶ、夜見之宮は剣を鞘へ収める。そんな夜見之宮の背を押すような長身の男。
 呆然と2人の様子を見ているしか出来ない長澤と唄子。長身の男はそちらを向くと口を開いた。

「あ、軍人さん」
「?」
「いったん娘は預けますんでー」

 娘。その言葉は、どうやら唄子を指しているらしい。
 
「手ぇ…だすんじゃねぇぞ??」

 過保護親父を思わせる笑みと圧を長澤へ。
 視界を覆う程の強風が駆け抜けたと思えば、夜見之宮とその従者と思わしき長身の男は姿を消していた。

「……」
「……」

 いったい、何だったのだろうか。唄子も初めて出会った謎の長身しかり、これまで以上に実感した夜見之宮の神々しさしかり。
 唄子はつい、自分の頬をつねってしまった。…痛い。
 
「…随分若けぇ父親だな?」

 長澤の言葉にハッとする。そして唄子は、勢いよく首を振った。
 
「知らない人です!!あんな背の高い人、親だったら忘れない!!」
「…ぶっは!!」

 銃を仕舞った長澤は、大口を開けて笑い出す。

「なんでぇ?じゃあアンタ、知らねぇ若造から娘扱いされたのか?面白れぇなぁ、ほんと!!」

 ガハハと笑う髭面。本当に先程武器を向けあっていた男と同一人物なのか、唄子は自信がなくなってきた。
 まるでエネルギーの有り余った少年だ。

「改めて。俺は帝国海軍中佐の、長澤弘道だ。」
「……小野唄子……です。」
「小野か!よろしくな!!」

 差し出された骨太な手を握り返す。
 結局、居場所がないならうちに来いという長澤の言葉に、唄子は頷くしかできなかった。