黄泉の歌姫は月と海の狭間に揺れる

 7月9日、午前11時。唄子の鼻歌が長澤邸を包む。日課の掃除も、あとは各個人の部屋だけだ。

「……あれ?」

 照昌の部屋を開ける。その瞬間、目に入ったものに唄子はつい声を漏らした。

 机の上にちょこんと置いてある包み。それはどう見ても、今日のお弁当だ。

「もー、安倍さんったら……」

 そそっかしい彼らしい。これまでも何度かこんなことがあったが、決まって見つけるのはこのタイミングだ。

 お弁当を手に、居間の柱時計を確認。今ならまだお昼には間に合うだろう。

(今日から暫く演習だから、鎮守府に来ちゃ駄目って……)

 唄子は、今朝長澤から言われた言葉を思い出す。彼は昨夜の帰りも凄く遅かった。にも関わらず誰よりも早く家を出てしまい、本当に忙しい。

「音は……」

 確認のために、玄関先へ出る。いつも、港の方から音が登ってくるのだ。船の汽笛や、鎮守府の鐘、商店街のベルの音。そんな、日常の音楽たちが。

 耳を澄ませる。けれど、船の音や演習の空砲は聞こえない。

「……今から行って、すぐに戻ろう。」

 仲間はずれは口惜しいが、邪魔になる訳にはいかない。だからこそ唄子は、掃除を中断した。

 照昌の弁当と、ついでの買い物のために風呂敷とお財布を持つ。
 そして彼女は、鎮守府へ向けて駆けていった。

 ◇

 張り詰めた空気が執務室に重たくのしかかる。朝の訓練や雑務を終えた天珠と照昌が席についた時には、既にこの状態だった。

 昨日からじわじわと鎮守府内に広がっていた緊張。それがついに異能部隊にまでたどり着いた。そんな感覚に、2人の心臓は緊張に震えていた。

「堂児、安倍。盧溝橋での衝突は把握してるな?」

 長澤からの確認。簡潔なそれに、彼等は静かに頷いた。それを受け、隊長は話を続けていく。

「この件に関して、事件不拡大、局地解決が閣議決定として出されている。だから直ぐに部隊派遣とはならないだろう。……だが」

 言葉が切れたタイミングで、瑞樹は部下達へ資料を手渡す。それは、安倍家から届いた資料を長澤が要約したもの。

 そこに記されている内容に、照昌は口元を覆い青ざめる。一方天珠は、とある一文から目が離せなかった。

――夜間演習への発砲の犯人不明。阿片中毒異能者の可能性を視野に入れること。

「中国派遣の可能性を考慮し、本日より訓練を実戦形式へ移行する。1330(ひとさんさんまる)、戦闘服にて第5演習場に集合するように。」

 長澤の声が響く。その指示に、尉官2名は即座に承諾を返した。
 
「あ、長澤はん!質問!」
「……なんだ、安倍。」

 挙手をした照昌は、資料に入っている訓練計画書を指さした。

「これ、小野ちゃん入ってへんよ?実戦形式なら、小野ちゃんこそ入ってへんとマズイんとちがう?」

 この1ヶ月、彼女の基礎体力向上訓練の指導役は照昌だ。元民間人としてかつて自分がしていたものを、今度は唄子へ伝えている。
 じわりじわりと伸びている成果に、一緒に喜んでいる。彼女がどれだけこの部隊の一員か知っている。
 だから照昌にとって、それは当然の疑問だった。

 しかし、長澤は冷たい声で言い切った。

「小野への支援は打ち切りだ。本人には、暫く演習になるから来るなと伝えてある。」
「……えっ?」

 まるで棍棒で殴られたような衝撃に、照昌は目を見張った。信じられなくて、斜め向かいの瑞樹を見る。だと言うのに、彼の表情は変わらない。

 上官同士では、既に決定事項。

「……小野ちゃんのこと……部隊から外す……って、こと、どす……か……?」

 声が震える。誰か否だと言ってくれ。
 縋るような思いで口に出したのに、誰一人としてほしい言葉をくれはしない。

「そもそも、彼女がこれ程執務室に出入りしていることが、本来あり得ない状態でしたよ。」
「そうかもしれへんけど……!」

 淡々と告げられる正論。思わず瑞樹に噛みついてしまうが、眼鏡の奥の鋭い目に捕まると、反論が続かない。

「……仕方ないだろ……」
「堂児はんまで!?」

 ため息と共に、天珠も重たい口を開く。眉間に深くシワを寄せながら、彼は照昌へ告げた。

「彼女は女性だ。軍人じゃない。」
「ッ……!」

 強く強く、手を握りしめる。そんなことで除け者にされるのなら、これまでの唄子の努力は何だったのか。
 一緒にやってきた訓練は、作戦は、実戦は、何のための時間だったのだろう。

「ッ……く、そぉ……」

 照昌はギリギリと刃を食いしばる。長澤も、瑞樹も、天珠でさえ何も言わない。5人の部隊のうち上官3人が、既に同意していること。
 納得など、到底できない。けれど自分のこれは感情論だと、照昌だって分かっている。

「……わかり……ました……」

 消え入りそうな彼の声に、長澤は小さく息を吐いた。

「堂児。今夜にでも、小野から通行証を……」

 長澤が実務処理を進めようとする。しかしそれは、勢いよく開いた扉の音と甲高い声にかき消された。

「納得できません!!!」
 
 男たちの視線が扉に集まる。そこにいたのは、唄子だった。

「小野……!?お前、今日は鎮守府には来るなと……!!」
「長澤さん!!」
「っ、」

 何故ここにいる。そう問い詰めようとした長澤の言葉を遮り、彼女はつかつかと彼の執務机へ迫る。
 その道中で照昌の隣の空き机に置かれたお弁当の包み。「あっ!」とやらかしを自覚した彼に、鋭い非難の視線が瑞樹と天珠から突き刺さる。

「私、もう異能部隊の一員じゃないんですか!!」

 バン!と音を立てて長澤の机を叩く唄子。長澤は呆れたようにため息を零した。

「……海軍では働かねぇんだろ?」
「いつの話してるんですか!?確かに言いましたけど、あの時の私と今の私を一緒にしないでください!!」

 真っ直ぐにこちらを見返してくる丸い瞳。あの頃と違うのは、長澤も認めざるをえない。

「この歌で、救国の英雄にだってなれる。そう言ったのは長澤さんでしょう!?」
「……」
「本当にお国の役に立てると、やっと思えるようになったんです!!異能部隊にいるからこそ!!」
「……」

 唄子の主張を聞き続ける。睨み合いのまま、彼女は声高に叫んだ。

「それを今更!!女だからってだけで部隊から外されるのは、納得できません!!私の意思を無視して、勝手に決めないで!!」

 小さな両手で大きな音を立てて、彼女は身を乗り出した。

「私も訓練、作戦に参加します!!異能部隊の一員として!!」

 しん……と、重たい静寂が執務室に落ちる。
 ハラハラしている若手2人の視線を受けながら、長澤は厳かに答えた。

「……駄目だ。」
「なんで!!」

 反射で返ってくる声。それに対し、腕を組みながら隊長は淡々と宣告した。

「お前の努力は認めよう。だが、お前は民間人だ。従軍看護婦でも、通信使でも、事務員でもない。そんなお前を戦場へ連れ出して、俺を民間人殺しの指揮官にするつもりか?」
「……!!」

 唄子に突き刺さる正論。怯んだ彼女を長澤は追撃していく。

「能力の訓練なら家でやれ。安倍の結界もあるし、井戸もある。だが海軍ごっこは終わりだ。」
「海軍ごっこって……!!」

 当然のように唄子にも指示を出してきたくせに。ふつふつと、既に限界を越えている怒りが彼女の中でとぐろを巻く。

「民間人と軍属は違う。軍属と軍人も違う。女のお前は、軍人にはなれねぇ。」
「ッ……!!!!」

 唄子の視界が、真っ赤に染まる感覚がした。

「だったら……女じゃなければいいんでしょ……」
「……は?」

 一切目を逸らさずに呟いた呪詛。そこから、彼女の行動は早かった。

 長澤の机のハサミをとる。そして彼の手が届かないところまでパッと下がった。

「おい小野!!」

 まさか。

 男たち全員がそう固唾をのむ中、唄子は両耳の下にハサミを入れる。

「あーーーーーーーッッ!!!」

 重なる悲鳴は天珠と照昌のもの。盛大なその音とともに、地面に落ちた唄子の髪。

 バッサリと短くなってしまった。紫の着物と濃紺の袴も相まって、その姿はまるで青年だ。

「私……僕は、異能部隊の一員です!!入隊して配属されれば、文句はないですよね!!」
「お、まえ……!!」

 ワナワナと震える長澤。床に散らばった髪に混ざる水色の髪紐の残骸が、視界の隅に映った。

「自分が何したのか分かってるのか!!そんなことしたところで、状況は変わらないだろ!!」
 
 堪忍袋の緒が切れるとは、まさにこのことか。

「何したか分かってないのは貴方でしょう、長澤さん!!……長澤中佐ッッ!!」

 だが頭に血がのぼっているのは唄子も同じ。
 怒鳴り返すと、彼女はキッと照昌へ顔を向けた。

「安倍少尉!!髪の毛整えるの手伝って!!」
「えぇ!?」

 ズンズンと、そのまま唄子は執務室を出ていってしまった。
 間に立たされてしまった照昌。狼狽えたが、瑞樹が彼女の行き先を指したのを見逃さなかった。

「お、小野ちゃん待ってやー…!!」

 どうにか彼女を追いかける。
 残されたのは、それぞれ頭を抱える男たちだった。