黄泉の歌姫は月と海の狭間に揺れる

「起きて下さい、隊長ーー!!」

 スパーンと勢いよく開く襖。ドラのように家中に再び響くようになった天珠の声。
 
「んん……お前らより出勤遅いんだから寝かせろぉ……」
 
 対象は照昌ではなく、布団を頭まで引き上げる長澤だ。そろそろ見慣れてきそうな姿だが、この家の「長男」は容赦しない。
 
「小野さんに朝食を温め直す手間をかけさせる気ですか!?起きて下さい!!」
 
 天珠は容赦なく「父」の布団を引っ張る。だが長澤の抵抗も遠慮がない。もはや、朝から取っ組み合いだ。

「あーあー、堂児はん怖〜!」
 
 そんな部屋の前を、面白がりながら通過する「次男」。照昌はケラケラと笑いながら、台所の「末っ子」と合流した。

「おはようございます、安倍さん。」
「小野ちゃんおはよ〜!今日のおにぎり、具は何〜?」
「京華さん印の鰹節の佃煮と、蕗味噌(ふきみそ)です。」
「ほんまか!よっしゃあ!長澤はんが起きてくる前に食べ尽くしたろ〜!」

唄子に引き継がれた「母」の味。ダイニング机に整列しているおにぎりたちを、ヒョイヒョイと照昌は頬張っていく。
 
「安倍でさえもうとっくに起きてますよ!!」
「ちぃ……」
「舌打ちしないで下さい!!」

 聞こえてくる攻防に、唄子と照昌は2人で笑ってしまう。ほぼ毎日、飽きないものだ。
 これは、自分たちも参戦したほうがいいかもしれない。そして彼らは、廊下をパタパタと駆けていった。

 賑やかさの増した長澤邸。初夏の日差しがキラキラと、温かい家を照らしていた。

 ◇

 現世と違い、冥府はいつでも涼しくて過ごしやすい。いつもの彼岸花畑に腰をおろして、唄子は未来の旦那様へころころと笑いかける。

「……海軍、記念日……?」
「はい。鎮守府に皆さん入ることができて、艦隊?も公開されるんですって。横須賀一帯お祭りみたいになるって、長澤さんが言ってました!」

 さて、人間の催しとは興味深い。手のひらに伝わる彼女の体温に温かくなりながら、月讀命は話のつづきを促した。

「堂児さんが言うには、大国露西亜との戦いで日本海軍が大勝を収めた記念の日、なんですって。」
「ほう……」
「堂児さん、すっごい嬉しそうに話してくれました。安倍さんも、この期間はいつもの仕事ではなくてお祭り準備が多いから楽でいい、なんて言って。」
「……そうか」

 花のような笑顔の、なんと可愛いことか。
 ここ最近、彼女は毎日冥府に顔をだしている。さすがに現世との兼ね合いが心配になったが、唄子は自宅待機なのだという。軍人らの忙しさゆえだとか。

「……唄子」
「なんですか?夜見之宮さん」

 名を呼べば、愛らしい眼がこちらを向く。思わず口づけをしてしまう。頬に紅を乗せ、はにかむ唄子に胸が踊る。
 これ幸いとばかりに、月讀尊は毎晩の触れ合いを存分に楽しんでいた。

 そんな2人を覆うようにぬっと影が伸びる。見上げれば、それはやっぱり篁だった。
 
「えっ……もう明けの明星ですか?父上…!」
「あぁそうだ。察しがいいな唄子や」
「えー……」

 垂れている子犬の耳さえ幻視できる。明日も会えるというのに。
 指を絡め、名残惜しさを2人で味わう。そうしてやっと彼女は、黄泉比良坂へ向かうべく腰を上げた。

「あぁところで。海軍記念日とやらにちなんだ課題を出してやろう」
「……へ?」

 そんな彼女へ、篁はニヤリと口角を釣り上げた。