黄泉の歌姫は月と海の狭間に揺れる

 彼岸花の咲き誇る冥府にて。花々に負けじと真っ直ぐ背筋を伸ばした唄子。彼女は月讀命と小野篁へ、現世の兄貴分たちと共に立てた計画について共有したのだった。

「……と、いうことなので!夜見之宮さん、父上、どうか、私の特訓にご協力お願いします!」

 キラキラと目を輝かせ、唄子は彼らへ頭を下げる。
 揺れる髪を見ながら、冥府の2人は顔を見合わせた。その表情には雲がかかっている。

「……唄子や。お前がその力に関して、高みを目指すのはよいことだ。父として応援しよう。しかし……」

 篁が重い口を開く。目を細め、憂いを帯びた彼は続けた。

「死者への後悔、懺悔とは……誰しもが抱えているものだ。なにも、あの軍人が特別な訳ではない。本来なら、異能に頼らず心の整理をつけるもの。」
「そ、れは……」

 ご尤も。ぐうの音も出ない正論に、唄子の瞳が揺れる。つい夜見之宮を見上げてしまうが、彼も険しい顔をしていた。

「唄子。」

 夜見之宮の静かな声に名を呼ばれた。伸ばされた細い手が止まる。再度ゆっくりと動いたその手が、優しく唄子の頬に触れた。

「なぜ……あの男に尽くす……」
「……夜見之宮さん……」

 先日と同じ問いかけ。だがあの日のような雄々しさでらなく、揺れる瞳は子犬のような雰囲気だ。
 冷たくて優しい手に、自分の小さな手を重ねる。そして唄子は、頬を擦り寄せながら答えた。

「助けてもらった恩返しを……したいから。」
「……」
「長澤さんに出会わなければ、私はこうして今、冥府に来れていない。新しい着物も、心配してくれる仲間も、教えてくれる上官も、なにも無いの。」
「……」

 左右の耳の下、髪を束ねる水色の紐に触れる。似合いそうだからと素っ気なく渡されたそれは、あの日からずっと宝物だ。

「だから……今度は、私が彼の力になりたい。」
「……そう、か。」

 微笑む唄子。その姿に、月讀命は胸が苦しくて仕方がない。
 ずっと見守ってきたのは自分だというのに、愛しい歌姫を水底から掬い上げたのは自分ではない。突如現れた、荒れた海の如き益荒男だ。何という海賊。何という口惜しさ。

 ぐっと口を引き結ぶ。そして月讀命は、そっと唄子から手を離した。

「篁よ。」
「何でしょう、我が主。」

 彼女へ背を向けながら、月讀命は歴代最高の死霊使いへ指示をだす。

「唄子に答えてやれ。……時には、異能の手助けが必要な者も在ろう……。」
「……全く……。承知しました、我が主。」

 篁の返事と、唄子の嬉しそうな声。千年の時を越えた親子の会話を背に、月讀命はその場を離れた。
 
 ◇

 桜を散らすような春の長雨。異能部隊の執務室には、シトシトという雨音だけが響いている。

 チラ……と、天珠は隣の席の瑞樹の様子を伺った。銀縁眼鏡の奥の瞳。書類を真摯に捌いているその視線に、これから真正面から立ち向かうのだ。

 大きく、深呼吸。

「………神宮寺少佐」

 意を決して、椅子ごと瑞樹の方へ向ける。そして、能力強化訓練の計画書……のていをした、長澤の傷を癒やすための計画書を、この隊の副官へ両手で差し出した。

「至急、目を通していただきたい極秘作戦案があります。お時間よろしいでしょうか?」
「……。」

 じっと、差し出されたマル秘と書かれた書類を見つめる瑞樹。その無言に、天珠は心臓が口から飛び出そうだ。

「良いですよ。」
「……!ありがとうございます!」

 受け取って貰えた。まずはそこに一安心。だがそれを噛みしめる暇もなく次の緊張が天珠を襲う。
瑞樹は、彼の目の前で計画書を確認し始めたのだ。

「……。」
「……。」
 
 会話など一切無い。紙をめくる音と、さらさらと赤が入れられる音が執務室に響く。雨脚は強くなってきていた。

 最後のページに、瑞樹はペンを走らせる。そして書類を閉じると、天珠へと突き返した。

「私からの指摘は記載の通りです。修正のうえ、本日中に提出しなさい。」
「……!!しょ、承知いたしました!ご確認、ありがとうございます!」

 両手で受け取り、敬礼を返して椅子の向きを直す。再度深呼吸をしてから、天珠はその計画書の表紙をめくった。

(うわぁ、なるほど…。結構詰めたつもりだったが……)

 瑞樹の綺麗な字が、赤で容赦なく指摘してくる。自分より視座の高い一言一言に、うなるばかりだ。
 頭を抱えそうになるのをぐっと堪える。ここで凹むのは傲慢。そう自分に言い聞かせ、最後のページへたどり着いた時。

「……!!」

 目に入ったのは、上官承認欄にある瑞樹のサインと、「任せましたよ」の文字。

 嬉しさの余り隣を見る。だが瑞樹は、何事もなかったかのように涼しい顔で仕事を続けていた。

 ◇

 珍しく、今日の夕食は唄子と照昌の2人だけ。天珠は瑞樹と一緒に極秘の残業だ。
 だからこそ、照昌はついに唄子へ切り込んだ。

「んで、結局小野ちゃんって、月讀命様と長澤はん、どっちが好きなん?」
「え……?」

 菜の花のお浸しを頬張る。向かいに座る唄子は箸を止め、目を泳がせてしまった。
 徐々に彼女の頬に天然の紅が乗る。恋する乙女の可愛らしさに、照昌は頬が緩んで仕方がない。
 
「どっち……。どっち、なんだろう……。」
「およー?」

 はにかんだ笑みで口ごもる唄子。味噌汁を飲みながらじっと待てば、彼女は小さな口で紡ぎ始めた。
 
「夜見之宮さんといると、安心するし…会えて嬉しいし、私の歌を聞いて欲しい…です。長澤さんは、なんだか放っておけないというか…。もちろん、今の生活は長澤さんのおかげなので、ご恩は返したいですけど……」
「ほーん……?」

 朱色の頬を隠すように、唄子も味噌汁のお椀を傾ける。揺れる瞳が興味深い。

(恋慕は月讀命寄り……やけど、長澤はんも案外健闘しとるやん〜。おもろ。)

 妹分を観察しながら、照昌はそう思案する。どちらを選んでもハードな恋模様になりそうなことだけが心配の種だ。
 だが、唄子は恋をしている自覚がありそうだ。それが分かって、照昌はにんまりと微笑んだ。年相応の健全さ。どこかの白髪とは大違い。

 こちらに近づいてくる足音に、照昌は耳を傾ける。会話の聴こえる距離まで来たことを確認して、照昌は唄子の方へ身を乗り出した。
 
「そないに迷うなら、いっそ俺と見合いせーへん?不便はさせへんよー、実家は太いし!」
「……はい??」

 目が点。余りにも脈無し。面白くなるくらい予想通りの唄子の反応に重なって、もう一つの想定内が起こる。
 バン!!と音を立てて、照昌の言動を遮るように天珠が部屋へ入ってきたのだ。
 
「……安倍。」
「うわー鬼教官!」
「誰が!」
「冗談やて〜もお〜!」

 いつものようにおちゃらけて見せる。だが照昌の糸目は見逃さない。
 「おかえりなさい」と席をたった唄子と、大きな音を立てたことを謝る天珠。彼の瞳に宿る熱っぽさたるや。

 梅干しを添えたご飯の酸っぱさに、照昌は舌鼓を打つ。兄弟分2人を見守りながら、照昌は心の内でぼやいた。

 (ちゅーか、家主ほぼ不在で、年頃の男女3人だけが同じ屋根の下て……アカンやろ普通……。長澤はんの女性扱いの下手くそっぷりというか、ソーユー観念なさそうなとことかが見えるっちゅーかー…。)

 恋愛模様を観察しているのは楽しい。学生の頃から変わらないそれを、まさか軍隊で味わえるとは思わなかった。それも、上官の家である下宿先で。
 
「…奥さん、苦労したやろなー…」

 つい声にでてしまった。だがその言葉を拾った者は、誰もいなかった。