桜のつぼみが膨らんできた。吹き付ける春一番と洗濯物の取り合いをしたのは、ほんの数日前だ。
死のう団の件は、新聞で報道されたきりだった。特高に詰められることももう起こらず、異能部隊への事情聴取もない。
穏やかにすぎる日々は、ひたすら各々の訓練に励むものだった。
天珠は瑞樹に質問することが増えた。
机上での作戦シミュレーションの講習に積極的に参加しては、忙しい瑞樹を捕まえている。2人の議論は時間の許す限り続いていた。
一方、唄子は2日に1度のペースで冥府へ。
篁の酷い無茶振り…いや、高難易度な解説を必死に身体で覚えていく。習った技は異能部隊で実践。それを繰り返した結果、今や昼間でも霊を呼べる。
唄子の机には、軍楽隊の音楽教本や国際情勢の資料本までが当然のように居座っていた。
そして何より、大きく変わったのは照昌だ。
誰よりも早く起き、頭から冷水を被る。そうして身体を清めたと思えば、そのまま祝詞や真言の詠唱。式神を複数飛ばしての横須賀巡回。
初めてその様子を見た天珠は、本気で彼が狂ったかと疑った程。そんな姿も、今では通常運転の照昌だ。
長澤と瑞樹は満足げに笑う。桜が咲くのを待ち望む心地だ。
若手3人の姿を、上官2人は黙って見守っていたのだった。
そんな、ある日のこと。
日が落ちるのもゆっくりになってきた。窓からの夕焼けに目を細めながら、羽織を着る唄子。
「長澤さん。今日のお夕飯は何がいいですか?」
何か書き物をしていた長澤は、彼女の言葉に顔を上げる。しかし渋い表情で逃げるようにぼやいた。
「……俺じゃなくて安倍の希望を聞いてやれ……」
「安倍さんの好きな献立は昨日でしたもん。次は長澤さんの番ですよ?」
「小野ぉ……俺はいいから……」
長澤は相変わらず殆ど家に帰らない。だから唄子は好物で釣ることにしたのだ。普段どこで寝ているのか甚だ疑問だが、たまには家でゆっくり休ませなければ。
「よくないです!好きなの何でも作りますから!ね?」
「いや、だからぁ……」
逃げ道を探して瑞樹と照昌に視線を送る長澤。だが、二人とも素知らぬフリを決め込むではないか。この部屋に、彼の味方は居ないらしい。
困り果てた長澤を助けたのは、勢いよく開いた扉の音だった。
「長距離飛行用の純国産飛行機!!!!」
大きな音と同時に響いた嬉しそうな声。全員の視線の先にいるのは、1枚の資料を堂々と掲げる天珠だった。
「堂児……さん?」
あの礼儀正しい彼がこんなふうに帰ってくるのを、唄子は初めて見た。思わずもれた疑問の声は、大興奮で駆けてくる彼にかき消されていく。
「隊長!!小野!!純国産の飛行機を、陸軍がついに完成させたそうですよ!!」
「えぇ……っと……?」
「あー、なんかそんな話あったなぁ。」
「そんな話って!!何言ってるんですか隊長!!凄いことですよ、これ!!」
キラキラだ。眩しいほど輝いて、いかに偉業なのかを語り出す天珠。
少年のような彼に、長澤だけが「うんうんそーだな」と付き合ってあげ始めた。
一方唄子はそーっと、瑞樹と照昌の方へ避難。
「あぁ…技術研究講習ですか。」
そう呟いた瑞樹が確認していたのは、壁に掛けられている各自の予定の書かれた黒板だ。その講習は、最新の航空機や戦艦、及び兵器についてのものだという。首を傾げる唄子に、瑞樹がそう解説してくれた。
「堂児はん、戦艦とか戦闘機とか目ぇないからなぁ〜…。小野ちゃんも連れてかれたやろ?記念艦三笠。」
呆れ顔の照昌が呟く。こちらを見上げて尋ねられた言葉に、唄子は頷いた。
「はい、せっかく横須賀に居るのだから…と。堂児さんがお休みの日に、わざわざ。」
「うわー、俺ん時と一緒。公式案内要らずのえらい熱弁やったんとちゃう?」
「はい……」
記念艦三笠とは、日露戦争の英雄艦だという。横須賀の誇りのとして佇むその船を案内する天珠の姿は、唄子にとって記憶に新しい。
長澤が鎮守府のカレーを勧めたのと同じ行動原理。そう気づいた時、天珠がいかに隊長を慕っているかが見えて、唄子はつい笑ってしまった。
飛行機好き少年の後ろを唄子は抜き足差し足で通過する。
小さくこちらに手を振った長澤。それに微笑んで振り返し、彼女は足早に家へと向かっていった。
それからと言うもの、天珠は毎日のように新聞をチェックするように。
なんでも例の純国産飛行機を一機、新聞社が買い付けたらしい。その機体の名前の公募にも、彼は嬉々として葉書を投函していた。
目的は、5月に行われる英国の新国王の戴冠式の取材らしい。初の日欧直通飛行成功なるかと、国中がワクワクし始めていた。
◇
「全員いるなー?」
そう言いながら、長澤は異能部隊の執務室へと入ってきた。丁度唄子も訓練中。彼の言う通り、彼女も含めた4人が全員執務室に揃っている時だった。
隊員達を見渡すと、彼は何でもないことのように言い出した。
「例の陸軍が新聞社に売った飛行機だが、4月2日に立川飛行場から英国へ向かうらしい。離陸の場、見に行くか?」
「行きますッッ!!」
ガタン!と椅子が倒れる勢いで立ち上がったのは、もちろん天珠だ。被せ気味のその返事は長澤だって想定内。軽く目配せをすると、彼は唄子と照昌へ視線を向けた。
「お前らはどうする。堂児の肩を持つ訳じゃねぇが、この飛行機は我が国の最新技術だ。直接見れるなんて、またとない機会だが?」
ニヤリと笑う長澤。聞かれた2人は顔を見合わせると、おずおずと返事をした。
「ほな…せっかくやし行こうかな。」
「私も…。」
「おう!」
満足げに笑みを深くする長澤。次に目を向けたのは、彼の副官へだ。
「つーことで瑞樹!悪いが前日、品川の家にこの3人泊めてくれ。こき使っていいから!」
「全く…そんなことだろうとは思いましたが。」
ため息交じりにくいと眼鏡をあげる瑞樹。無茶振りに慣れきった彼は、迷うことなく答えた。
「家内に連絡しておきます。彼女のおかげでオルガンがあるので、小野さんにはいい訓練になる。男手があるのは、家内も助かるでしょう。」
「頼んだ!」
長澤の短く豪快な返事が響く。
そんなことよりも気になる単語に、唄子は身を乗り出してしまった。
「オルガンがあるんですか…!?」
「はい、ありますよ。家内が弾けるので、軍楽隊の教本を持っていってください。弾いてくれるはずです。」
「やったあ…!!ありがとうございます、神宮寺さん!!」
これは予想外の幸運だ。飛行機よりも、前泊の方が彼女にとっての本番になる予感がした。
「堂児、安倍、小野の3人は、4月1日の業務後、そのまま瑞樹と共に品川の彼の家へ向かうように。翌朝0630に、俺が車で迎えに行こう。」
「あれぇ?長澤はんは泊まらへんのー?」
長澤の指示に、照昌は唇を尖らせてる。しかしその抗議は、笑い声によって一蹴された。
「俺はその日も軍議だからな!」
「……?」
だがその笑みに、唄子は何処となく違和感を覚える。軍議は夜通しある訳ではない。なのになぜ、前泊を断る理由がそれなのだろう。
首を傾げる彼女に気づかないまま、長澤はさらさらと手元にメモをとっていく。
「んじゃ、陸にいる弟に話つけてくっから!お前ら、やることやったら瑞樹に報告して解散な〜。」
ひらひらと手を振りながら、彼は執務室の外へ出ていってしまった。
「……なんや長澤はん、元気あらへんかった……?」
ポツンと、照昌の呟きが静かになった部屋に響く。
「……!安倍も思ったか?やっぱり。」
それに便乗する天珠。2人の言葉で、唄子は自分の違和感が気の所為ではないと確信できた。
「アイツは……怖がってますから……。」
意味深な瑞樹の発言。あの長澤が何かを怖れるだなんて、若手3人には全く想像がつかない。
伺う視線に、瑞樹は眼鏡を押し上げる。諦めたようにため息をつくと、彼は重い口を開いた。
「弘道は、奥さんを5年前に病気で亡くしてます。それ以来段々と、彼は家庭そのものを恐れるようになりました。だから…、我が家に彼は来ませんよ。」
唄子、天珠、照昌、3人は息を飲む。
瑞樹が口にしたのは、それほど衝撃の事実だった。
死のう団の件は、新聞で報道されたきりだった。特高に詰められることももう起こらず、異能部隊への事情聴取もない。
穏やかにすぎる日々は、ひたすら各々の訓練に励むものだった。
天珠は瑞樹に質問することが増えた。
机上での作戦シミュレーションの講習に積極的に参加しては、忙しい瑞樹を捕まえている。2人の議論は時間の許す限り続いていた。
一方、唄子は2日に1度のペースで冥府へ。
篁の酷い無茶振り…いや、高難易度な解説を必死に身体で覚えていく。習った技は異能部隊で実践。それを繰り返した結果、今や昼間でも霊を呼べる。
唄子の机には、軍楽隊の音楽教本や国際情勢の資料本までが当然のように居座っていた。
そして何より、大きく変わったのは照昌だ。
誰よりも早く起き、頭から冷水を被る。そうして身体を清めたと思えば、そのまま祝詞や真言の詠唱。式神を複数飛ばしての横須賀巡回。
初めてその様子を見た天珠は、本気で彼が狂ったかと疑った程。そんな姿も、今では通常運転の照昌だ。
長澤と瑞樹は満足げに笑う。桜が咲くのを待ち望む心地だ。
若手3人の姿を、上官2人は黙って見守っていたのだった。
そんな、ある日のこと。
日が落ちるのもゆっくりになってきた。窓からの夕焼けに目を細めながら、羽織を着る唄子。
「長澤さん。今日のお夕飯は何がいいですか?」
何か書き物をしていた長澤は、彼女の言葉に顔を上げる。しかし渋い表情で逃げるようにぼやいた。
「……俺じゃなくて安倍の希望を聞いてやれ……」
「安倍さんの好きな献立は昨日でしたもん。次は長澤さんの番ですよ?」
「小野ぉ……俺はいいから……」
長澤は相変わらず殆ど家に帰らない。だから唄子は好物で釣ることにしたのだ。普段どこで寝ているのか甚だ疑問だが、たまには家でゆっくり休ませなければ。
「よくないです!好きなの何でも作りますから!ね?」
「いや、だからぁ……」
逃げ道を探して瑞樹と照昌に視線を送る長澤。だが、二人とも素知らぬフリを決め込むではないか。この部屋に、彼の味方は居ないらしい。
困り果てた長澤を助けたのは、勢いよく開いた扉の音だった。
「長距離飛行用の純国産飛行機!!!!」
大きな音と同時に響いた嬉しそうな声。全員の視線の先にいるのは、1枚の資料を堂々と掲げる天珠だった。
「堂児……さん?」
あの礼儀正しい彼がこんなふうに帰ってくるのを、唄子は初めて見た。思わずもれた疑問の声は、大興奮で駆けてくる彼にかき消されていく。
「隊長!!小野!!純国産の飛行機を、陸軍がついに完成させたそうですよ!!」
「えぇ……っと……?」
「あー、なんかそんな話あったなぁ。」
「そんな話って!!何言ってるんですか隊長!!凄いことですよ、これ!!」
キラキラだ。眩しいほど輝いて、いかに偉業なのかを語り出す天珠。
少年のような彼に、長澤だけが「うんうんそーだな」と付き合ってあげ始めた。
一方唄子はそーっと、瑞樹と照昌の方へ避難。
「あぁ…技術研究講習ですか。」
そう呟いた瑞樹が確認していたのは、壁に掛けられている各自の予定の書かれた黒板だ。その講習は、最新の航空機や戦艦、及び兵器についてのものだという。首を傾げる唄子に、瑞樹がそう解説してくれた。
「堂児はん、戦艦とか戦闘機とか目ぇないからなぁ〜…。小野ちゃんも連れてかれたやろ?記念艦三笠。」
呆れ顔の照昌が呟く。こちらを見上げて尋ねられた言葉に、唄子は頷いた。
「はい、せっかく横須賀に居るのだから…と。堂児さんがお休みの日に、わざわざ。」
「うわー、俺ん時と一緒。公式案内要らずのえらい熱弁やったんとちゃう?」
「はい……」
記念艦三笠とは、日露戦争の英雄艦だという。横須賀の誇りのとして佇むその船を案内する天珠の姿は、唄子にとって記憶に新しい。
長澤が鎮守府のカレーを勧めたのと同じ行動原理。そう気づいた時、天珠がいかに隊長を慕っているかが見えて、唄子はつい笑ってしまった。
飛行機好き少年の後ろを唄子は抜き足差し足で通過する。
小さくこちらに手を振った長澤。それに微笑んで振り返し、彼女は足早に家へと向かっていった。
それからと言うもの、天珠は毎日のように新聞をチェックするように。
なんでも例の純国産飛行機を一機、新聞社が買い付けたらしい。その機体の名前の公募にも、彼は嬉々として葉書を投函していた。
目的は、5月に行われる英国の新国王の戴冠式の取材らしい。初の日欧直通飛行成功なるかと、国中がワクワクし始めていた。
◇
「全員いるなー?」
そう言いながら、長澤は異能部隊の執務室へと入ってきた。丁度唄子も訓練中。彼の言う通り、彼女も含めた4人が全員執務室に揃っている時だった。
隊員達を見渡すと、彼は何でもないことのように言い出した。
「例の陸軍が新聞社に売った飛行機だが、4月2日に立川飛行場から英国へ向かうらしい。離陸の場、見に行くか?」
「行きますッッ!!」
ガタン!と椅子が倒れる勢いで立ち上がったのは、もちろん天珠だ。被せ気味のその返事は長澤だって想定内。軽く目配せをすると、彼は唄子と照昌へ視線を向けた。
「お前らはどうする。堂児の肩を持つ訳じゃねぇが、この飛行機は我が国の最新技術だ。直接見れるなんて、またとない機会だが?」
ニヤリと笑う長澤。聞かれた2人は顔を見合わせると、おずおずと返事をした。
「ほな…せっかくやし行こうかな。」
「私も…。」
「おう!」
満足げに笑みを深くする長澤。次に目を向けたのは、彼の副官へだ。
「つーことで瑞樹!悪いが前日、品川の家にこの3人泊めてくれ。こき使っていいから!」
「全く…そんなことだろうとは思いましたが。」
ため息交じりにくいと眼鏡をあげる瑞樹。無茶振りに慣れきった彼は、迷うことなく答えた。
「家内に連絡しておきます。彼女のおかげでオルガンがあるので、小野さんにはいい訓練になる。男手があるのは、家内も助かるでしょう。」
「頼んだ!」
長澤の短く豪快な返事が響く。
そんなことよりも気になる単語に、唄子は身を乗り出してしまった。
「オルガンがあるんですか…!?」
「はい、ありますよ。家内が弾けるので、軍楽隊の教本を持っていってください。弾いてくれるはずです。」
「やったあ…!!ありがとうございます、神宮寺さん!!」
これは予想外の幸運だ。飛行機よりも、前泊の方が彼女にとっての本番になる予感がした。
「堂児、安倍、小野の3人は、4月1日の業務後、そのまま瑞樹と共に品川の彼の家へ向かうように。翌朝0630に、俺が車で迎えに行こう。」
「あれぇ?長澤はんは泊まらへんのー?」
長澤の指示に、照昌は唇を尖らせてる。しかしその抗議は、笑い声によって一蹴された。
「俺はその日も軍議だからな!」
「……?」
だがその笑みに、唄子は何処となく違和感を覚える。軍議は夜通しある訳ではない。なのになぜ、前泊を断る理由がそれなのだろう。
首を傾げる彼女に気づかないまま、長澤はさらさらと手元にメモをとっていく。
「んじゃ、陸にいる弟に話つけてくっから!お前ら、やることやったら瑞樹に報告して解散な〜。」
ひらひらと手を振りながら、彼は執務室の外へ出ていってしまった。
「……なんや長澤はん、元気あらへんかった……?」
ポツンと、照昌の呟きが静かになった部屋に響く。
「……!安倍も思ったか?やっぱり。」
それに便乗する天珠。2人の言葉で、唄子は自分の違和感が気の所為ではないと確信できた。
「アイツは……怖がってますから……。」
意味深な瑞樹の発言。あの長澤が何かを怖れるだなんて、若手3人には全く想像がつかない。
伺う視線に、瑞樹は眼鏡を押し上げる。諦めたようにため息をつくと、彼は重い口を開いた。
「弘道は、奥さんを5年前に病気で亡くしてます。それ以来段々と、彼は家庭そのものを恐れるようになりました。だから…、我が家に彼は来ませんよ。」
唄子、天珠、照昌、3人は息を飲む。
瑞樹が口にしたのは、それほど衝撃の事実だった。


