宿の女将から借りた電話での報告。それは天珠にとって、重たい胸の内を明かすような感覚だった。
『くく…なんだ、任務成果としちゃあ充分なのに、納得のいってない声だな。』
「っ……それは……」
見抜いた長澤の誂う声。声だけだというのに、彼の洞察力には舌を巻くしかない。
視線が下る。受話器を割りそうなほど握りしめながら、天珠は口を開いた。
「正直……悔しい、です。小野は有益な情報を得てくれたのに、指揮をした俺が生かしきれなかった。安倍には、負担をかけてしまったし…。」
『…それで?』
何が言いたい、という長澤の言葉に天珠の目は泳ぐ。言いたいことなどまとまらぬまま、青年の口は動き続けた。
「神宮寺少佐が、予知の少ない情報をもとに、いかに精密な作戦立案をされているか…。2.26事件の時の少佐の指揮と、今回の自分の差に…」
『打ちのめされるのは、傲慢だな。』
「ッ……!」
言おうとした言葉は、そのまま先制されてしまった。息を飲む天珠に対し、電話の向こうから言葉の波が襲い来る。
『そりゃ経験値が違う。だが、瑞樹の手腕に気づいたならいいじゃねぇか。』
何処となく弾んでいる声音。続く波は、天珠の心の鉛をあっさりと洗い流すものだった。
『少しでも近づけるよう、瑞樹から盗めばいい。』
「神宮寺少佐から……!」
『変化に期待してるぞ……堂児大尉。』
顔を上げる。自然と、天珠の背筋は伸びていた。
「……はい!」
満足げな笑い声とともに、通話が終了する。
受話器を女将に返すと、天珠は宿の敷地にある井戸へと駆けた。
夜闇のなかにぽっかりと穴を開けている井戸。もちろん、こちらへ向かって行った唄子の姿はない。もう、冥府へ行ったのだろう。
「……能力のこと、かな……。」
そう呟いて、無理矢理自分を納得させる。彼女の異能について、天珠から教授できることは何もないのだから。
だがその事実に、彼の心はザラザラと妙な心地を訴えていた。
「……戻ろう。」
もっと唄子に頼られたい。彼女の役に立ちたい。
なぜそう思うのか分からないまま、天珠は宿の階段を上っていった。
◇
唄子は、ゆっくりと目を開けた。
一面に咲き誇る彼岸花。その赤とコントラストを描く真っ暗な空が広がっている。
冥府だ。
初めて自分で行った黄泉渡りの歌。ちゃんと成功したことに、彼女はまずホッと胸をなで下ろした。
「唄子……!?」
聞こえてきた声に、唄子は振り向く。真っ赤な花畑の向こうから、なんと駆けてくるのだ。あの、夜見之宮が。
「夜見之宮さん……!」
たまらなくなって唄子も駆け出す。
互いの勢いがぶつかるように、2人はひしと抱き合った。
「急に……唄子の気がこちらに降りた……。驚いた。まさか……黄泉渡りの歌を……覚えていたとは……!」
ひんやりと気持ちいい抱擁。長い髪のかかる背に腕を回して、唄子はクスクスと笑いを漏らした。
「前に来た時に、父上から教えて貰ったんですよ。」
「……篁……か……。」
「はい。夜見之宮さんをびっくりさせられたのは、なんだか嬉しい。」
彼の胸に頬を押し当てる。サプライズが成功したような気分は、とても心地が良かった。
「夜見之宮さん、昨夜はありがとうございました。夜見之宮さんが手伝ってくれたおかげで、あの方のお話を沢山聞けました。」
神を見上げながら、唄子は改めて礼を告げる。唄子の歌に引き寄せられた情報源を、歌が終わっても宿に留められたのは彼の協力あってこそ。
重ねられた謝礼に、月讀命は目を細める。言われたことのないその言葉は、冷たい夜に輝く一等星のようだった。
「……作戦、とやらは……うまく、いったのか……?」
唄子の髪を撫でながら、彼は尋ねる。鬼の子と安倍の子が、唄子と共に何やら真剣に霊の話を聞いていたのを、彼は昨夜見守っていたのだ。
「……それが……」
「……?」
けれど、唄子の視線はゆっくりと地に落ちていく。
夜見之宮に促されるままに彼女は花畑に腰かけると、事の顛末を神に話したのだった。
「……そうか……。自殺はなかったが……徒労……。」
「うん……。」
繰り返す彼の言葉に、唄子はしょんぼりと眉を下げる。そんな彼女に、月讀命は心が落ち着かない。だが、どうすればいいのか分からない。
そおっと彼女の肩へ手を伸ばす。母親が幼子にしていた光景を思い出したからだ。
けれどその手が触れるより先に、唄子は月讀命を見上げて言った。
「私…彼にもお礼と報告を伝えたくて来たの。それから…」
その目に宿る光。もう、かつて俯いて歌っていた少女ではないと知らせてくる。
「もっと、霊のみんなとちゃんとお話したり…協力してもらうには、どうしたらいいのか、知りたくて…!」
「……」
唄子は、自らの力を高めたい。その真っ直ぐさが、月讀命は愛おしくて仕方がない。
幼き頃から変わらない、彼女の美徳だ。
「……ついて来るといい……、唄子。」
「……!はいっ!」
ゆっくりと立ち上がる。そうして歩き出した月讀命の隣に、彼女はしっかりと並んでいた。
そよそよと揺れる赤い彼岸花たち。その中に舞う穏やかな光は、冥府に住まう霊。
それらの中を揺蕩うように進みながら、月讀命は告げる。
「昨夜の霊を見つけることは……恐らく、難しいだろう……。」
「……どうして?昨日のように歌えば、きっと会えると思っていたのだけど……」
唄子は首を傾げる。変わらぬ足取りのまま、彼は答えた。
「昨夜は……あの霊と縁のある場所、彼の気がかり故に……彼自ら唄子の元へ来れた。」
「……確かに、死のう団って方々の拠点は蒲田だから……。指導者のお兄さんにとって、縁のある場所……。」
「そうだ……。だが、ここは違う……。」
思案する唄子。ここ冥府こそ死者の居場所だから、霊に会えると思っていたのに。
穏やかな音色で続く夜見之宮の言葉に、唄子は目を見開いた。
「この冥府から、特定の1人を呼ぶというのは……大海原の中、水底に沈む特定の小さな貝殻を見つけるに等しい……。」
「……!」
言われてみれば、その通りだ。しかも、昨夜の彼の名前さえ唄子は分からない。その状態で再会するのは、確かに至難の業。
夜見之宮が足を止める。す…と彼が指さす先に佇むのは、異国情調漂う大きな御殿。
「それを成せるのは……篁だろう……。」
「父上……!?」
その御殿から、大柄な人物が現れた。妙に気さくに手を振る様子は、十中八九話題の人物だ。
「……彼から、教えを請うといい……。唄子……。」
「……!」
「お前なら……篁の秘術を……受け継げるだろう……。」
満月の瞳が温かい。笑みと共に伝えられた励ましに、唄子の胸は躍るように跳ねた。
「ありがとう、夜見之宮さん……!」
何度目かのお礼。そして唄子は、溢れ出す高揚感と共に駆け出した。
先祖のように力を使えれば、翻弄するのではなく、ちゃんと長澤たちの手助けが出来るかもしれない。
唄子は初めて、自らの歌を力として研鑽しようと心から思えたのだった。
◇
カタンカタン、と電車の音が迫ってくる。3日間の東京出張の最終日、午後3時。帰りの電車を待つ中で、照昌は唄子と天珠の背中を見つめていた。
(小野ちゃんは冥府で技の訓練の方向掴んで来はった…。堂児はんは長澤はんと電話した後、何か顔が明るうなって…。)
任務直後は自分と同じように顔を曇らせていた彼ら。だが昨夜にはもう、2人はそんな空気を纏っていなかった。
(俺は…?ただ悔しがってただけ…?)
照昌の自問は続く。
自分より小さな唄子がもつポテンシャルも、天珠の大きな背中も、このままでは手が届かぬほど遠くへ行ってしまうのではないか。
それは、嫌だ。
「安倍さん、電車来ましたよ。」
「何してんだ?行くぞ、安倍。」
電車の眩しい光に包まれた2人がこちらを振り向く。照昌は、その電車にはまだ乗れなかった。
「……ごめん、堂児はん、小野ちゃん。先帰っとって。」
「えっ?」
驚く唄子に返事もしないまま、照昌は逆方向へと駆け出した。
「俺、麹町行ってくる!たぶん明日には帰る!」
背後から、唄子の声が聞こえた気がする。けれど、照昌の足は止まらなかった。
今なら、簡単に安倍家本家に顔を出せる。そこにいる大旦那は、あの伝説級陰陽師と肩を並べるらしい。
昭和にもなって陰陽術なんて…と、舐めていた昔の自分をぶん殴りたい。
照昌は生まれて初めて、規格外の化け物から教えを請う為に、全速力で駆けていた。
『くく…なんだ、任務成果としちゃあ充分なのに、納得のいってない声だな。』
「っ……それは……」
見抜いた長澤の誂う声。声だけだというのに、彼の洞察力には舌を巻くしかない。
視線が下る。受話器を割りそうなほど握りしめながら、天珠は口を開いた。
「正直……悔しい、です。小野は有益な情報を得てくれたのに、指揮をした俺が生かしきれなかった。安倍には、負担をかけてしまったし…。」
『…それで?』
何が言いたい、という長澤の言葉に天珠の目は泳ぐ。言いたいことなどまとまらぬまま、青年の口は動き続けた。
「神宮寺少佐が、予知の少ない情報をもとに、いかに精密な作戦立案をされているか…。2.26事件の時の少佐の指揮と、今回の自分の差に…」
『打ちのめされるのは、傲慢だな。』
「ッ……!」
言おうとした言葉は、そのまま先制されてしまった。息を飲む天珠に対し、電話の向こうから言葉の波が襲い来る。
『そりゃ経験値が違う。だが、瑞樹の手腕に気づいたならいいじゃねぇか。』
何処となく弾んでいる声音。続く波は、天珠の心の鉛をあっさりと洗い流すものだった。
『少しでも近づけるよう、瑞樹から盗めばいい。』
「神宮寺少佐から……!」
『変化に期待してるぞ……堂児大尉。』
顔を上げる。自然と、天珠の背筋は伸びていた。
「……はい!」
満足げな笑い声とともに、通話が終了する。
受話器を女将に返すと、天珠は宿の敷地にある井戸へと駆けた。
夜闇のなかにぽっかりと穴を開けている井戸。もちろん、こちらへ向かって行った唄子の姿はない。もう、冥府へ行ったのだろう。
「……能力のこと、かな……。」
そう呟いて、無理矢理自分を納得させる。彼女の異能について、天珠から教授できることは何もないのだから。
だがその事実に、彼の心はザラザラと妙な心地を訴えていた。
「……戻ろう。」
もっと唄子に頼られたい。彼女の役に立ちたい。
なぜそう思うのか分からないまま、天珠は宿の階段を上っていった。
◇
唄子は、ゆっくりと目を開けた。
一面に咲き誇る彼岸花。その赤とコントラストを描く真っ暗な空が広がっている。
冥府だ。
初めて自分で行った黄泉渡りの歌。ちゃんと成功したことに、彼女はまずホッと胸をなで下ろした。
「唄子……!?」
聞こえてきた声に、唄子は振り向く。真っ赤な花畑の向こうから、なんと駆けてくるのだ。あの、夜見之宮が。
「夜見之宮さん……!」
たまらなくなって唄子も駆け出す。
互いの勢いがぶつかるように、2人はひしと抱き合った。
「急に……唄子の気がこちらに降りた……。驚いた。まさか……黄泉渡りの歌を……覚えていたとは……!」
ひんやりと気持ちいい抱擁。長い髪のかかる背に腕を回して、唄子はクスクスと笑いを漏らした。
「前に来た時に、父上から教えて貰ったんですよ。」
「……篁……か……。」
「はい。夜見之宮さんをびっくりさせられたのは、なんだか嬉しい。」
彼の胸に頬を押し当てる。サプライズが成功したような気分は、とても心地が良かった。
「夜見之宮さん、昨夜はありがとうございました。夜見之宮さんが手伝ってくれたおかげで、あの方のお話を沢山聞けました。」
神を見上げながら、唄子は改めて礼を告げる。唄子の歌に引き寄せられた情報源を、歌が終わっても宿に留められたのは彼の協力あってこそ。
重ねられた謝礼に、月讀命は目を細める。言われたことのないその言葉は、冷たい夜に輝く一等星のようだった。
「……作戦、とやらは……うまく、いったのか……?」
唄子の髪を撫でながら、彼は尋ねる。鬼の子と安倍の子が、唄子と共に何やら真剣に霊の話を聞いていたのを、彼は昨夜見守っていたのだ。
「……それが……」
「……?」
けれど、唄子の視線はゆっくりと地に落ちていく。
夜見之宮に促されるままに彼女は花畑に腰かけると、事の顛末を神に話したのだった。
「……そうか……。自殺はなかったが……徒労……。」
「うん……。」
繰り返す彼の言葉に、唄子はしょんぼりと眉を下げる。そんな彼女に、月讀命は心が落ち着かない。だが、どうすればいいのか分からない。
そおっと彼女の肩へ手を伸ばす。母親が幼子にしていた光景を思い出したからだ。
けれどその手が触れるより先に、唄子は月讀命を見上げて言った。
「私…彼にもお礼と報告を伝えたくて来たの。それから…」
その目に宿る光。もう、かつて俯いて歌っていた少女ではないと知らせてくる。
「もっと、霊のみんなとちゃんとお話したり…協力してもらうには、どうしたらいいのか、知りたくて…!」
「……」
唄子は、自らの力を高めたい。その真っ直ぐさが、月讀命は愛おしくて仕方がない。
幼き頃から変わらない、彼女の美徳だ。
「……ついて来るといい……、唄子。」
「……!はいっ!」
ゆっくりと立ち上がる。そうして歩き出した月讀命の隣に、彼女はしっかりと並んでいた。
そよそよと揺れる赤い彼岸花たち。その中に舞う穏やかな光は、冥府に住まう霊。
それらの中を揺蕩うように進みながら、月讀命は告げる。
「昨夜の霊を見つけることは……恐らく、難しいだろう……。」
「……どうして?昨日のように歌えば、きっと会えると思っていたのだけど……」
唄子は首を傾げる。変わらぬ足取りのまま、彼は答えた。
「昨夜は……あの霊と縁のある場所、彼の気がかり故に……彼自ら唄子の元へ来れた。」
「……確かに、死のう団って方々の拠点は蒲田だから……。指導者のお兄さんにとって、縁のある場所……。」
「そうだ……。だが、ここは違う……。」
思案する唄子。ここ冥府こそ死者の居場所だから、霊に会えると思っていたのに。
穏やかな音色で続く夜見之宮の言葉に、唄子は目を見開いた。
「この冥府から、特定の1人を呼ぶというのは……大海原の中、水底に沈む特定の小さな貝殻を見つけるに等しい……。」
「……!」
言われてみれば、その通りだ。しかも、昨夜の彼の名前さえ唄子は分からない。その状態で再会するのは、確かに至難の業。
夜見之宮が足を止める。す…と彼が指さす先に佇むのは、異国情調漂う大きな御殿。
「それを成せるのは……篁だろう……。」
「父上……!?」
その御殿から、大柄な人物が現れた。妙に気さくに手を振る様子は、十中八九話題の人物だ。
「……彼から、教えを請うといい……。唄子……。」
「……!」
「お前なら……篁の秘術を……受け継げるだろう……。」
満月の瞳が温かい。笑みと共に伝えられた励ましに、唄子の胸は躍るように跳ねた。
「ありがとう、夜見之宮さん……!」
何度目かのお礼。そして唄子は、溢れ出す高揚感と共に駆け出した。
先祖のように力を使えれば、翻弄するのではなく、ちゃんと長澤たちの手助けが出来るかもしれない。
唄子は初めて、自らの歌を力として研鑽しようと心から思えたのだった。
◇
カタンカタン、と電車の音が迫ってくる。3日間の東京出張の最終日、午後3時。帰りの電車を待つ中で、照昌は唄子と天珠の背中を見つめていた。
(小野ちゃんは冥府で技の訓練の方向掴んで来はった…。堂児はんは長澤はんと電話した後、何か顔が明るうなって…。)
任務直後は自分と同じように顔を曇らせていた彼ら。だが昨夜にはもう、2人はそんな空気を纏っていなかった。
(俺は…?ただ悔しがってただけ…?)
照昌の自問は続く。
自分より小さな唄子がもつポテンシャルも、天珠の大きな背中も、このままでは手が届かぬほど遠くへ行ってしまうのではないか。
それは、嫌だ。
「安倍さん、電車来ましたよ。」
「何してんだ?行くぞ、安倍。」
電車の眩しい光に包まれた2人がこちらを振り向く。照昌は、その電車にはまだ乗れなかった。
「……ごめん、堂児はん、小野ちゃん。先帰っとって。」
「えっ?」
驚く唄子に返事もしないまま、照昌は逆方向へと駆け出した。
「俺、麹町行ってくる!たぶん明日には帰る!」
背後から、唄子の声が聞こえた気がする。けれど、照昌の足は止まらなかった。
今なら、簡単に安倍家本家に顔を出せる。そこにいる大旦那は、あの伝説級陰陽師と肩を並べるらしい。
昭和にもなって陰陽術なんて…と、舐めていた昔の自分をぶん殴りたい。
照昌は生まれて初めて、規格外の化け物から教えを請う為に、全速力で駆けていた。


