カラカラと、長澤は自宅の引き戸を開けて玄関へ。真っ暗な玄関は寒々しく、人の気配がない。
天珠たち3人は今日から3日ほど東京だ。送り出したのは自分なのに、数年ぶりの人気のない家は心の奥底の空洞を鈍く刺激した。
そもそも帰る気はなかったのだ。だというのに、向かう前の報告に来た天珠からしつこく念を押されてしまった。必ず家に帰れ、と。
ギシギシと床板を鳴らしながら、水を飲むために台所へ。すると目に入ったダイニングテーブルで、天珠の言動の理由を長澤は理解してしまった。
濡ふきんが被せられた食器と、おひつ。中を覗けば、漬物と干物とおむすび。ご丁寧に、言伝まで添えてある。
「ちゃんと食べてくださいね。 唄子」
と、彼女らしい小さな字。
「……参ったな……。」
見覚えのある光景に、長澤は机に手をついて俯いてしまった。
暗い台所に置かれた小さなおむすびと、メモ。書かれていた内容は、今日と同様の言葉に「病院に行ってきます」と加えたもの。震えていた小さな字。
亡くした妻と、唄子の姿が重なる。自分の手元においたところで、女性らしい幸せを何一つ与えてやれないことは、既に証明されているというのに。
もう、唄子のことを手放せそうにない。たとえ相手が神であろうと渡したくないと思えるほど。先日の行方不明で、長澤は強くそう実感してしまった。
おむすびをひとくち齧る。妻が作ったものとの味の違いは、残念ながらわからなかった。
◇
東京、蒲田の小さな宿にて。夕食を終えた天珠と照昌は、部屋の中でそれぞれ過ごしていた。
隣の部屋からは、唄子の歌声が聞こえてくる。そして、人ならざる者の気配も。夜見之宮…いや、月讀命が来ていることは、2人とも気づいていた。
「なあ堂児は〜ん。」
「……なんだ。」
熱燗に舌鼓を打つ照昌が声をかける。今日の報告書を書く手を止めずに返事をした天珠だが、次の発言に面食らってしまった。
「小野ちゃんと月讀命って、恋仲なんかなぁ?」
「…はあ!?」
バキ、と勢い余ってペンが折れる。思わず照昌の方を見れば、彼はニヤニヤしながらこちらへ寄ってきた。
「だってさあ、毎晩聞きに来るんやで、小野ちゃんの歌を!神様が!滅茶苦茶好きやん、小野ちゃんのこと!」
「酒臭!いや、そんなこと俺に言われても…」
「おもんない〜。気にならへんの?妹の恋愛事情!」
ドン引きする天珠に、照昌は口を尖らせる。お猪口に注いだ熱燗をまたくいっと煽りながら、照昌は歌声の止んだ壁の向こうを好奇の目で眺めた。
「……今頃、よろしゅうやってんのかいな〜。」
「……は?」
怪訝な顔をする天珠。彼にも分かるように、照昌はお猪口に指を出し入れし…。
「ッ……!!!」
意味を理解した瞬間、天珠はぶあっと顔を真っ赤にしてしまった。
「き…貴様っ、俺達は任務中だぞ!!!」
「あーだだだ、暴力反対ぃ〜!」
思いっきり髪を引っ張られる。照昌は笑いながら、熱燗が零れることだけは回避したのだった。
と、そこへ部屋の扉から鳴るノックの音。
「堂児さん、安倍さん!」
聞こえてきたのは、唄子の声だ。
取っ組み合いになっていた2人は動きを止め、顔を見合わせる。そして天珠は寝技から照昌を解放し、部屋の入り口へ。
「どうかしたのか?」
戸を開け、唄子に声をかける。そこにいた彼女は、照昌たちと同じ宿の浴衣を身に着けていた。
大きさが合っていないのだろう。首筋と鎖骨がいつもより目にはいる。女性らしいふくよかな胸元も、薄い浴衣1枚を隔てているだけだ。
天珠の脳裏を駆ける先程の照昌の発言。後でもう一度彼を殴ると、天珠はいま決めた。
「堂児さん、お願いです!安倍さんも一緒に、私の部屋に来てくれませんか?」
「……は!?」
彼女の発言は追い打ちだろうか。顔が赤くなる天珠と、興味津々で寄ってきた照昌。
「いや、あの、小野さ…」
「死霊の1人が、歌を終えても戻らないんです!その彼が、死のう団のことを伝えたいって…!!」
「……ん?」
狼狽える天珠を遮って、唄子は必死にそう紡いだ。眉を下げ、不安に揺れる瞳が2人を見上げてくる。
天珠も照昌も、すぐに彼女のお願いに応えるのだった。
◇
翌朝、宮城前広場…後の皇居外苑にて。ようやく街全体の1日が始まろうとしている時間帯に、天珠、照昌、唄子の3人は作戦を開始していた。
「ほないくでー…!」
そう宣言し、パンと柏手を打つ照昌。そして彼が何やら呪文を呟くと、彼の前に置かれていた7つの紙飛行機がふわりと宙に浮き始めた。
「東京駅、国会議事堂、警視庁、内務省、首脳官邸、皇居一帯、靖国神社!死の気配を感知しなはれ!」
照昌の言葉に従い、紙飛行機たちは空へ。青空の中に溶けていくそれらを、唄子は眩しさに目を細めながら見送った。
「あれは…?」
「式神や!」
初めて見る不思議な光景。彼女の呟きに対し自慢げに答えたのは、照昌だった。
「式神の運用は得意なんやで?こないして警戒場所に式神を飛ばすことで、異変があったら俺がすぐ感知できるってわけ!」
「へえ…!」
さすがは、陰陽師。昨夜、天珠が書いた報告書を紙飛行機にして飛ばしていたのも、ふざけていた訳じゃなかったようだ。それを唄子は、一夜明けてやっと知ったのだった。
「7機も飛ばすのを嫌がっていたくせに…。」
「そらそうやで堂児はん!さすがに7体運用しながら他のこするんは無理やて、昨日言うたやろ!!」
「わかったわかった。」
ジト目の天珠に文句をぶつける照昌。昨日の作戦会議と同じようなやりとりに、唄子はつい笑みが零れた。
「じゃあ、俺は足で見回ってくる。何かあったら妖気で知らせるから、そっちも異変があればすぐ知らせてくれ。」
天珠はそう告げると、まるで鍛錬に励む学生かのように広場の外周を走り始めた。
「妖気で…って?」
唄子は確認するように尋ねる。彼女が鬼の姿の天珠を見たのは、初めて会った夜の一瞬しかない。
そんな彼女へ、照昌はごろんと芝生に寝転びながら答えた。
「堂児はん、鬼化するとえらい禍々しい妖怪の気を放つんや。確か酒呑童子やらと血の繋がりある説。」
「酒呑童子…って、凄く強い伝説の鬼…?」
「そやで。」
昔、童話として家主の子供に読み聞かせたような。唄子でも聞き覚えのある名前に、改めて彼女は驚いてしまった。
「俺も陰陽師やさかい?そないな妖怪の気、嫌でも気づくってこと。」
「なるほど…。」
天珠と照昌、2人ならではの連携術だ。
納得した唄子は、照昌の隣に腰を下ろした。
冬の空は高く、風は冷たい。
昨夜、唄子の歌に寄せられて来た霊は、死のう団と呼ばれてしまっている青年たちをよく知る人物だった。
死が目的となってしまっている彼らを止めてほしい。そう懇願され、死後の彼が見守っていた彼らの計画を話してくれた。
割腹自殺。それを阻止するべく、異能部隊は秘密裏に動き出していた。
天珠たち3人は今日から3日ほど東京だ。送り出したのは自分なのに、数年ぶりの人気のない家は心の奥底の空洞を鈍く刺激した。
そもそも帰る気はなかったのだ。だというのに、向かう前の報告に来た天珠からしつこく念を押されてしまった。必ず家に帰れ、と。
ギシギシと床板を鳴らしながら、水を飲むために台所へ。すると目に入ったダイニングテーブルで、天珠の言動の理由を長澤は理解してしまった。
濡ふきんが被せられた食器と、おひつ。中を覗けば、漬物と干物とおむすび。ご丁寧に、言伝まで添えてある。
「ちゃんと食べてくださいね。 唄子」
と、彼女らしい小さな字。
「……参ったな……。」
見覚えのある光景に、長澤は机に手をついて俯いてしまった。
暗い台所に置かれた小さなおむすびと、メモ。書かれていた内容は、今日と同様の言葉に「病院に行ってきます」と加えたもの。震えていた小さな字。
亡くした妻と、唄子の姿が重なる。自分の手元においたところで、女性らしい幸せを何一つ与えてやれないことは、既に証明されているというのに。
もう、唄子のことを手放せそうにない。たとえ相手が神であろうと渡したくないと思えるほど。先日の行方不明で、長澤は強くそう実感してしまった。
おむすびをひとくち齧る。妻が作ったものとの味の違いは、残念ながらわからなかった。
◇
東京、蒲田の小さな宿にて。夕食を終えた天珠と照昌は、部屋の中でそれぞれ過ごしていた。
隣の部屋からは、唄子の歌声が聞こえてくる。そして、人ならざる者の気配も。夜見之宮…いや、月讀命が来ていることは、2人とも気づいていた。
「なあ堂児は〜ん。」
「……なんだ。」
熱燗に舌鼓を打つ照昌が声をかける。今日の報告書を書く手を止めずに返事をした天珠だが、次の発言に面食らってしまった。
「小野ちゃんと月讀命って、恋仲なんかなぁ?」
「…はあ!?」
バキ、と勢い余ってペンが折れる。思わず照昌の方を見れば、彼はニヤニヤしながらこちらへ寄ってきた。
「だってさあ、毎晩聞きに来るんやで、小野ちゃんの歌を!神様が!滅茶苦茶好きやん、小野ちゃんのこと!」
「酒臭!いや、そんなこと俺に言われても…」
「おもんない〜。気にならへんの?妹の恋愛事情!」
ドン引きする天珠に、照昌は口を尖らせる。お猪口に注いだ熱燗をまたくいっと煽りながら、照昌は歌声の止んだ壁の向こうを好奇の目で眺めた。
「……今頃、よろしゅうやってんのかいな〜。」
「……は?」
怪訝な顔をする天珠。彼にも分かるように、照昌はお猪口に指を出し入れし…。
「ッ……!!!」
意味を理解した瞬間、天珠はぶあっと顔を真っ赤にしてしまった。
「き…貴様っ、俺達は任務中だぞ!!!」
「あーだだだ、暴力反対ぃ〜!」
思いっきり髪を引っ張られる。照昌は笑いながら、熱燗が零れることだけは回避したのだった。
と、そこへ部屋の扉から鳴るノックの音。
「堂児さん、安倍さん!」
聞こえてきたのは、唄子の声だ。
取っ組み合いになっていた2人は動きを止め、顔を見合わせる。そして天珠は寝技から照昌を解放し、部屋の入り口へ。
「どうかしたのか?」
戸を開け、唄子に声をかける。そこにいた彼女は、照昌たちと同じ宿の浴衣を身に着けていた。
大きさが合っていないのだろう。首筋と鎖骨がいつもより目にはいる。女性らしいふくよかな胸元も、薄い浴衣1枚を隔てているだけだ。
天珠の脳裏を駆ける先程の照昌の発言。後でもう一度彼を殴ると、天珠はいま決めた。
「堂児さん、お願いです!安倍さんも一緒に、私の部屋に来てくれませんか?」
「……は!?」
彼女の発言は追い打ちだろうか。顔が赤くなる天珠と、興味津々で寄ってきた照昌。
「いや、あの、小野さ…」
「死霊の1人が、歌を終えても戻らないんです!その彼が、死のう団のことを伝えたいって…!!」
「……ん?」
狼狽える天珠を遮って、唄子は必死にそう紡いだ。眉を下げ、不安に揺れる瞳が2人を見上げてくる。
天珠も照昌も、すぐに彼女のお願いに応えるのだった。
◇
翌朝、宮城前広場…後の皇居外苑にて。ようやく街全体の1日が始まろうとしている時間帯に、天珠、照昌、唄子の3人は作戦を開始していた。
「ほないくでー…!」
そう宣言し、パンと柏手を打つ照昌。そして彼が何やら呪文を呟くと、彼の前に置かれていた7つの紙飛行機がふわりと宙に浮き始めた。
「東京駅、国会議事堂、警視庁、内務省、首脳官邸、皇居一帯、靖国神社!死の気配を感知しなはれ!」
照昌の言葉に従い、紙飛行機たちは空へ。青空の中に溶けていくそれらを、唄子は眩しさに目を細めながら見送った。
「あれは…?」
「式神や!」
初めて見る不思議な光景。彼女の呟きに対し自慢げに答えたのは、照昌だった。
「式神の運用は得意なんやで?こないして警戒場所に式神を飛ばすことで、異変があったら俺がすぐ感知できるってわけ!」
「へえ…!」
さすがは、陰陽師。昨夜、天珠が書いた報告書を紙飛行機にして飛ばしていたのも、ふざけていた訳じゃなかったようだ。それを唄子は、一夜明けてやっと知ったのだった。
「7機も飛ばすのを嫌がっていたくせに…。」
「そらそうやで堂児はん!さすがに7体運用しながら他のこするんは無理やて、昨日言うたやろ!!」
「わかったわかった。」
ジト目の天珠に文句をぶつける照昌。昨日の作戦会議と同じようなやりとりに、唄子はつい笑みが零れた。
「じゃあ、俺は足で見回ってくる。何かあったら妖気で知らせるから、そっちも異変があればすぐ知らせてくれ。」
天珠はそう告げると、まるで鍛錬に励む学生かのように広場の外周を走り始めた。
「妖気で…って?」
唄子は確認するように尋ねる。彼女が鬼の姿の天珠を見たのは、初めて会った夜の一瞬しかない。
そんな彼女へ、照昌はごろんと芝生に寝転びながら答えた。
「堂児はん、鬼化するとえらい禍々しい妖怪の気を放つんや。確か酒呑童子やらと血の繋がりある説。」
「酒呑童子…って、凄く強い伝説の鬼…?」
「そやで。」
昔、童話として家主の子供に読み聞かせたような。唄子でも聞き覚えのある名前に、改めて彼女は驚いてしまった。
「俺も陰陽師やさかい?そないな妖怪の気、嫌でも気づくってこと。」
「なるほど…。」
天珠と照昌、2人ならではの連携術だ。
納得した唄子は、照昌の隣に腰を下ろした。
冬の空は高く、風は冷たい。
昨夜、唄子の歌に寄せられて来た霊は、死のう団と呼ばれてしまっている青年たちをよく知る人物だった。
死が目的となってしまっている彼らを止めてほしい。そう懇願され、死後の彼が見守っていた彼らの計画を話してくれた。
割腹自殺。それを阻止するべく、異能部隊は秘密裏に動き出していた。


