「ついたぞ」
篁の声で、そっと目を開く。そこに広がっているのは、まさに未知の世界だった。
暗い。それは確かだ。けれど辺りは不思議な光に満ちていて明るい。彼岸花が咲き誇り、夜空のような空とのコントラストが美しい。
ここが、冥府。
「っ………!!」
衝撃に胸を撃たれ、唄子は言葉がでなかった。
「唄、子………?」
「……!!!」
音のないなかにポツンと落ちてきた声。それはこの数週間、唄子がずっと探していた音色。
振り向いた向こうにいたのは、夜見之宮こと月讀命だった。
「夜見之宮さん……!!」
「……!?」
真っ赤な花々の中を駆け、唄子は彼に飛びついた。細く冷たい夜見之宮の身体が受け止める。驚いている彼を見上げ、彼女は目一杯叫んだ。
「聞きに来てくれなくて、寂しかった!!」
「……!」
満月のような瞳が唄子だけを映す。大きく見開かれたそこから、ぽろんぽろんと零れた言葉。
「……私が、聞きに行っても……いいのか?」
「もちろん…!私は、夜見之宮さんに聞いてほしい…!」
「っ……!」
その音を当然として拾い上げた唄子が、静かなる神にとってどれほど衝撃だったことか。
神であるが故に、心の臓も、体温も関係ない。けれど、身体が熱くなるという感覚、月讀命は初めて味わった。
それからは、離れていた時間を埋めるように寄り添っていた。
唄子の報告は止まらない。天珠、照昌との共同生活や、瑞樹の授業で知った月讀命のこと、長澤の笑い声がいかに大きいか。夜見之宮は、満潮のような穏やかさでそれをずっと聞いていた。
「かの…戦人とは…」
「戦人…?あ、長澤さんのこと?」
「……そう」
唄子に寄り添う彼が、唯一気にかけた話題。首を傾げる唄子へ、彼はゆっくりと問いを紡ぐ。
「唄子、お前を…戦へ連れ出すと言った。」
「あぁ…うん…」
「……苦しんではいないか……?」
「夜見之宮さん…」
彼の瞳の満月が気遣うように揺蕩う。その気遣いが、唄子は嬉しかった。
「苦しくはないですよ。戦なんて、そうそう起こらないですから。」
「……」
無邪気な彼女の言葉に、夜見之宮は目を細めた。そして格段に綺麗になった髪を撫でる。
唄子が愛おしいからこそ、夜見之宮は長澤への警戒を解くことができなかった。
「そうだ、夜見之宮さん!聞きに来てくれない間に私、歌も上達してるんですよ!」
「ほう…」
胸を張り、唄子は立ち上がる。そして彼女は訓練の成果を披露するように歌を奏でた。
見違えるほど軽やかになった歌声。夜見之宮は、彼女を抱きしめて称えたのだった。
◇
地に足がつき、冷たい空気が肌を包む。その感覚で自分の輪郭を思い出していく。耳の奥に残る黄泉渡りの歌が干潮となったのを確認して、唄子はゆっくりと、目を開いた。
長澤の家の勝手口横にある井戸のほとり。篁が言うには、井戸ならばどこでも冥府出入口だそうだ。
(もう、覚えた。)
唄子は井戸を覗き込み、頬が緩む。これでいつでも、夜見之宮に会いに行くことができる。もう待つだけじゃない。その事実が、彼女の心を甘く溶かしていった。
さて、恐らくもうすぐ天珠の号令が家に響くはずだ。唄子は朝食の準備をするため、勝手口から中へ。
「……あれ?」
そこで覚えた違和感。家の中に、人の気配がしないのだ。
訓練からの帰り際、いつもの時間に帰宅予定だと天珠は敬礼と共に話していた。
なにか緊急の仕事があったのだろうか。
ザラリと唄子の心臓を撫でる不安。しかしその感覚は、扉が豪快に開いた音で簡単に霧散した。
「ともかく落ち着け。案外、ただ夜遊びしてるだけかもしれねぇぞ。」
最初に聞こえた硬い声は、なんと長澤のものだ。家に帰って来るなんて、唄子が来てから数えるほどしかない。
「ですが隊長…!!道中に買い物袋だけ落ちていて、鎮守府から帰ってきた気配すらないというのは、どう考えてもおかしいです…!!」
天珠の切羽詰まった言葉が続く。長澤に従順な彼が言い返すとは、珍しい。
「んあーーもう!!霊力すら追えへんって何!?流石に自信失くすんやけどぉー!!」
悲鳴を上げている照昌。泣き出しそうな声音に、胸が締め付けられそうだ。
「あの……」
「!?!?」
ようやく玄関先にたどり着いた唄子が顔を覗かせる。
すると3人の軍人は勢いよくこちらを振り返ったではないか。少々、怖い。
「お…おかえりなさい…??」
鬼気迫る迫力にたじろぎながら告げる。彼らがこれほど焦燥するということは、余程の緊急事態だったのだろう。
次の瞬間、勢いよく距離を詰めた天珠と照昌がまくしたてた。
「小野!!!!貴様どこに、」
「家ん中ぁ〜〜〜!?!なんでなんで??どこにおったん!?もぉーー心配したでーーー!!!」
「えぇ……!?」
驚きに身がすくむ。ガバッと勢いよく照昌に抱きしめられてしまった。すぐに天珠が彼を引っ剥がしたが、そんな天珠も唄子に怪我がないか執拗に聞いてくるではないか。
困惑のまま長澤を覗き見る。奥に立ち尽くす彼は、深く深く安堵の息を吐いていた。
「……私、を……探してくれてたんですか……?」
恐る恐る呟く唄子。
「当たり前だろ!!」
「そらそうやでぇ…!!」
「ッ…」
まさか「よほどの緊急事態」が、自分の不在だったなんて。
驚きは、天珠と照昌の力強い即答によって感激に変わっていく。同時に湧き上がるのは、きゅう、と胸が締め付けられるほどの申し訳なさ。
「……心配かけて、ごめんなさい……!」
頭を下げる唄子。そんな彼女を、天珠も照昌も怒鳴らなかった。
「小野」
長澤の声に、彼女は顔を上げる。3人の視線が、異能部隊の隊長に集まった。
「理由は明日…いやもう今日か。今日の軍議で聞く。まずは休め。」
「……はい。」
疲れの滲む声。唄子の返事を確認すると、彼は指示を続ける。
「堂児、安倍。お前らは朝の点呼は免除。休息の後、1300勤務開始とする。」
その言葉に、対照的な敬礼で答える若い士官たち。
「承知しました、隊長。寛大なご指示、感謝いたします。」
「ますー…。」
敬礼を下ろすよう、長澤は軽く手を振った。
「勤務開始次第、本来午前中に行う訓練等を実施すること。1500より異能部隊執務室で軍議だ。小野、お前も参加しろ」
「は、はい…!」
そのまま続いた具体的な行動指示。そこまで告げてやっと、彼は厳しい声で告げた。
「以上、解散。」
そしてサッと身を翻す長澤。玄関の引き戸を開けると、外套をなびかせながら1人外へ。
「…!!」
たまらなくなって、唄子はそんな彼を追いかけた。
◇
刺すような冷たい潮風にあおられる。風に負けているうちに朝焼け前の闇に紛れてしまいそうな濃紺の背中に、唄子は必死に声をかけた。
「長澤さん…!!」
「……」
立ち止まってくれた彼に追いつく。だか、なんと言えばいいのかがわからない。
「…帰ったはずの堂児が駆け込んできた。…お前が行方不明だと報告を受けたときは…、肝が冷えた。」
「……!!」
そこに落ちてきたのは、聞いたことないほど小さな声。とても、あの長澤のものとは思えない。
ピアニッシモの音色は続く。
「安倍は式神による索敵は上手だ。…それでも見つからないうえに、あの神との関係を考えたら…。」
「……私が…死んだ、か、と……?」
「っ、」
唄子が仮説を口にする。彼女にとって、それは誰かが思い浮かべるとは到底思えないもの。
しかしその瞬間、力強い腕に抱き寄せられていた。
「無事でよかった……」
「……!」
分厚くて熱い長澤の体。痛いほどの力強さの結果、トクトクと早足で駆ける彼の心音が聞こえてきた。
本気で、あの仮説に長澤は震えていたのだ。それが唄子にとって、どれほど衝撃か。
「…ごめんなさい…。」
「……おう。」
消え入るような謝罪に、同じくらい小さなたった一音の返事。
それだけを交わすと、長澤は振り返ることなく鎮守府へ。
彼から移された熱で、唄子の心臓もハイテンポの鼓動を鳴らしていた。
篁の声で、そっと目を開く。そこに広がっているのは、まさに未知の世界だった。
暗い。それは確かだ。けれど辺りは不思議な光に満ちていて明るい。彼岸花が咲き誇り、夜空のような空とのコントラストが美しい。
ここが、冥府。
「っ………!!」
衝撃に胸を撃たれ、唄子は言葉がでなかった。
「唄、子………?」
「……!!!」
音のないなかにポツンと落ちてきた声。それはこの数週間、唄子がずっと探していた音色。
振り向いた向こうにいたのは、夜見之宮こと月讀命だった。
「夜見之宮さん……!!」
「……!?」
真っ赤な花々の中を駆け、唄子は彼に飛びついた。細く冷たい夜見之宮の身体が受け止める。驚いている彼を見上げ、彼女は目一杯叫んだ。
「聞きに来てくれなくて、寂しかった!!」
「……!」
満月のような瞳が唄子だけを映す。大きく見開かれたそこから、ぽろんぽろんと零れた言葉。
「……私が、聞きに行っても……いいのか?」
「もちろん…!私は、夜見之宮さんに聞いてほしい…!」
「っ……!」
その音を当然として拾い上げた唄子が、静かなる神にとってどれほど衝撃だったことか。
神であるが故に、心の臓も、体温も関係ない。けれど、身体が熱くなるという感覚、月讀命は初めて味わった。
それからは、離れていた時間を埋めるように寄り添っていた。
唄子の報告は止まらない。天珠、照昌との共同生活や、瑞樹の授業で知った月讀命のこと、長澤の笑い声がいかに大きいか。夜見之宮は、満潮のような穏やかさでそれをずっと聞いていた。
「かの…戦人とは…」
「戦人…?あ、長澤さんのこと?」
「……そう」
唄子に寄り添う彼が、唯一気にかけた話題。首を傾げる唄子へ、彼はゆっくりと問いを紡ぐ。
「唄子、お前を…戦へ連れ出すと言った。」
「あぁ…うん…」
「……苦しんではいないか……?」
「夜見之宮さん…」
彼の瞳の満月が気遣うように揺蕩う。その気遣いが、唄子は嬉しかった。
「苦しくはないですよ。戦なんて、そうそう起こらないですから。」
「……」
無邪気な彼女の言葉に、夜見之宮は目を細めた。そして格段に綺麗になった髪を撫でる。
唄子が愛おしいからこそ、夜見之宮は長澤への警戒を解くことができなかった。
「そうだ、夜見之宮さん!聞きに来てくれない間に私、歌も上達してるんですよ!」
「ほう…」
胸を張り、唄子は立ち上がる。そして彼女は訓練の成果を披露するように歌を奏でた。
見違えるほど軽やかになった歌声。夜見之宮は、彼女を抱きしめて称えたのだった。
◇
地に足がつき、冷たい空気が肌を包む。その感覚で自分の輪郭を思い出していく。耳の奥に残る黄泉渡りの歌が干潮となったのを確認して、唄子はゆっくりと、目を開いた。
長澤の家の勝手口横にある井戸のほとり。篁が言うには、井戸ならばどこでも冥府出入口だそうだ。
(もう、覚えた。)
唄子は井戸を覗き込み、頬が緩む。これでいつでも、夜見之宮に会いに行くことができる。もう待つだけじゃない。その事実が、彼女の心を甘く溶かしていった。
さて、恐らくもうすぐ天珠の号令が家に響くはずだ。唄子は朝食の準備をするため、勝手口から中へ。
「……あれ?」
そこで覚えた違和感。家の中に、人の気配がしないのだ。
訓練からの帰り際、いつもの時間に帰宅予定だと天珠は敬礼と共に話していた。
なにか緊急の仕事があったのだろうか。
ザラリと唄子の心臓を撫でる不安。しかしその感覚は、扉が豪快に開いた音で簡単に霧散した。
「ともかく落ち着け。案外、ただ夜遊びしてるだけかもしれねぇぞ。」
最初に聞こえた硬い声は、なんと長澤のものだ。家に帰って来るなんて、唄子が来てから数えるほどしかない。
「ですが隊長…!!道中に買い物袋だけ落ちていて、鎮守府から帰ってきた気配すらないというのは、どう考えてもおかしいです…!!」
天珠の切羽詰まった言葉が続く。長澤に従順な彼が言い返すとは、珍しい。
「んあーーもう!!霊力すら追えへんって何!?流石に自信失くすんやけどぉー!!」
悲鳴を上げている照昌。泣き出しそうな声音に、胸が締め付けられそうだ。
「あの……」
「!?!?」
ようやく玄関先にたどり着いた唄子が顔を覗かせる。
すると3人の軍人は勢いよくこちらを振り返ったではないか。少々、怖い。
「お…おかえりなさい…??」
鬼気迫る迫力にたじろぎながら告げる。彼らがこれほど焦燥するということは、余程の緊急事態だったのだろう。
次の瞬間、勢いよく距離を詰めた天珠と照昌がまくしたてた。
「小野!!!!貴様どこに、」
「家ん中ぁ〜〜〜!?!なんでなんで??どこにおったん!?もぉーー心配したでーーー!!!」
「えぇ……!?」
驚きに身がすくむ。ガバッと勢いよく照昌に抱きしめられてしまった。すぐに天珠が彼を引っ剥がしたが、そんな天珠も唄子に怪我がないか執拗に聞いてくるではないか。
困惑のまま長澤を覗き見る。奥に立ち尽くす彼は、深く深く安堵の息を吐いていた。
「……私、を……探してくれてたんですか……?」
恐る恐る呟く唄子。
「当たり前だろ!!」
「そらそうやでぇ…!!」
「ッ…」
まさか「よほどの緊急事態」が、自分の不在だったなんて。
驚きは、天珠と照昌の力強い即答によって感激に変わっていく。同時に湧き上がるのは、きゅう、と胸が締め付けられるほどの申し訳なさ。
「……心配かけて、ごめんなさい……!」
頭を下げる唄子。そんな彼女を、天珠も照昌も怒鳴らなかった。
「小野」
長澤の声に、彼女は顔を上げる。3人の視線が、異能部隊の隊長に集まった。
「理由は明日…いやもう今日か。今日の軍議で聞く。まずは休め。」
「……はい。」
疲れの滲む声。唄子の返事を確認すると、彼は指示を続ける。
「堂児、安倍。お前らは朝の点呼は免除。休息の後、1300勤務開始とする。」
その言葉に、対照的な敬礼で答える若い士官たち。
「承知しました、隊長。寛大なご指示、感謝いたします。」
「ますー…。」
敬礼を下ろすよう、長澤は軽く手を振った。
「勤務開始次第、本来午前中に行う訓練等を実施すること。1500より異能部隊執務室で軍議だ。小野、お前も参加しろ」
「は、はい…!」
そのまま続いた具体的な行動指示。そこまで告げてやっと、彼は厳しい声で告げた。
「以上、解散。」
そしてサッと身を翻す長澤。玄関の引き戸を開けると、外套をなびかせながら1人外へ。
「…!!」
たまらなくなって、唄子はそんな彼を追いかけた。
◇
刺すような冷たい潮風にあおられる。風に負けているうちに朝焼け前の闇に紛れてしまいそうな濃紺の背中に、唄子は必死に声をかけた。
「長澤さん…!!」
「……」
立ち止まってくれた彼に追いつく。だか、なんと言えばいいのかがわからない。
「…帰ったはずの堂児が駆け込んできた。…お前が行方不明だと報告を受けたときは…、肝が冷えた。」
「……!!」
そこに落ちてきたのは、聞いたことないほど小さな声。とても、あの長澤のものとは思えない。
ピアニッシモの音色は続く。
「安倍は式神による索敵は上手だ。…それでも見つからないうえに、あの神との関係を考えたら…。」
「……私が…死んだ、か、と……?」
「っ、」
唄子が仮説を口にする。彼女にとって、それは誰かが思い浮かべるとは到底思えないもの。
しかしその瞬間、力強い腕に抱き寄せられていた。
「無事でよかった……」
「……!」
分厚くて熱い長澤の体。痛いほどの力強さの結果、トクトクと早足で駆ける彼の心音が聞こえてきた。
本気で、あの仮説に長澤は震えていたのだ。それが唄子にとって、どれほど衝撃か。
「…ごめんなさい…。」
「……おう。」
消え入るような謝罪に、同じくらい小さなたった一音の返事。
それだけを交わすと、長澤は振り返ることなく鎮守府へ。
彼から移された熱で、唄子の心臓もハイテンポの鼓動を鳴らしていた。


