荷造りは簡単に済ませた。重い荷物を持って、ゾンビと鉢合わせたときに動けなくては意味がないからだ。下着を二、三枚と、スマホの充電器。あとは最低限の水と食糧。
下着を何枚入れようかと考えて、絶望しかけた。この状況が何日続くのか、まるでわからない。
……けれど、まずは母と合流しなくては。
藪内がいる母の部屋へ戻ると、藪内は自分のスマホを眺めていた。見慣れた光景だ。普段、こいつは暇さえあればゲームをしている。
藪内は俺が戻ってきたことに気がつくと、「とりあえずめぼしいやつ、オレのスマホに転送したんです」と言い訳がましい。
「……別に、この状況下でおまえがゲームしてるとか思わねえよ」
俺の言葉に、藪内は片眉をあげて「へえ」とつぶやいた。どういう反応だ。
「それで? なにかわかったことは?」
「んー、今のとこはなんとも。でも、うちのオカンと結構メールのやり取りをしてたみたいです。資料を送りあったり……」
自分の母親と藪内の母親は、ただ高校生の息子を持つひとり親という境遇が似ていて、仲が良いだけだと思っていたが。
「あれ、仕事の話をしてたんですねえ……」
藪内が俺の心のうちを、そっくりそのまま言葉にした。
俺は驚いて、思わず藪内の顔を見た。目と目が合う。藪内はなんだか気まずそうに、眼鏡の奥の瞳を逸らした。
「あの。オレも自分ち、行ってもいいですか。荷物入れ替えたいし……」
そこで、さっそく出立した。
島の東にある俺の家から、西にある藪内の家まで、普段ならば町なかを通っていく。
けれど俺たちは遠回りをすることにした。普段人の少ない場所ほど、ゾンビに遭遇する確率が低いんじゃないか。そう考えたからだ。
島の南、入り江にある港を中心にして、町は発展している。島の北は山になっていて、ほとんど開発されていないが、ふもとには農家をやっている人たちの段々畑があったりする。とはいえ、漁業が主産業の島だから数は少ないし、歳を取って農業をやめてしまった人も多い。
俺たちは、放置された畑のあいだにある、アスファルトのひび割れているような寂れた道を選んで通った。藪内が「ゾンビに発見されないように、できるだけ頭を低くしたほうがいい」と言うので、道路脇の好き放題に伸びた木々や雑草に身を隠しながら走った。その目隠しが切れるときには藪内直伝のクリアリングとやらをしてから、移動した。
「……なあ」
道程の半分ほど行ったところだろうか。俺は藪内に小声で話しかけた。
今のところ、まだ、人間にもゾンビにも遭遇せずに済んでいる。……それは、母たちの居場所の手掛かりが得られないということでもある。
「なんすか」
「武器、交換しないか?」
先を行く藪内が、怪訝そうな顔で振り返った。
「おまえのほうが銃の扱いに慣れてるだろ。いつも持ち歩いてたし」
エアガンのことだ。藪内は「はあ」とため息をついて、前を向き直った。
こちらを見ないまま、呆れたような声で言う。
「あんなのは子ども騙しのおもちゃですよ」
やれやれといった態度が鼻につく。
「それはそうかもしんないけど。それに暇さえあれば、FPS? やってるだろ」
まあ、俺の解像度の低さも大概ではあるが。
「あんなのは遊びですよ」
「ゲームなんだからそりゃ遊びだろ」
「ガチ勢じゃないですってこと」
それでも知識と経験があるぶん、俺よりは藪内が銃を持ったほうがずっとマシだと思う。
そう口に出そうとしたとき。
「はあ〜あ」
藪内はこれまでで一番でかいため息をついた。
「あのね。警棒ってのは殴らないといけないんです。それも相手を殺そうとするんなら、何度も、何度も、急所めがけてね。けっこうキツいんですよ」
「……」
キツいと言った。それは体力的にという意味か。それとも精神的にという意味か。たぶん、後者だ。……藪内の人間らしさを垣間見たような気がする。
藪内は、声に笑いを滲ませて続けた。
「その拳銃ならダブルアクションだし、トリガーを引けば一発です。迷う暇がなくて、あんたみたいな偽善者にはちょうどいい」
「……おまえなあ」
俺は一瞬、反発を覚えた。しかし、「ふう」と息を吐く。
たしかに、俺が警棒を持っても、振り下ろすことに躊躇してしまうかもしれない。それなら、危険を察知したときに、躊躇を覚える暇もなく攻撃できる拳銃のほうがいいのかもしれない。
――これまでの俺なら。
「……『キツい』んだろ。俺がやるよ」
藪内が、こちらをまた振り向いた。提案の内容に驚いたようにちょっと目を見開いて、しかし真意がわからないと怪訝そうに眉を寄せている。
俺は、やつにニヤリと笑ってみせた。
「おまえみたいなガリよりも、俺のほうが体力あるしな」
「……こいつ……」
藪内も、ちょっと口元を綻ばせて――笑った、のか?
しかし、藪内はその笑みをごまかすように前を向くと、「たしかに、体力ごり押しのあんたのエイムはクソだったわ」と言い放った。
それから立ち止まり、あらためてこちらに向き直る。すっかり真顔に戻っている。
「じゃあ、交換」
「ああ」
「いくら憎いからって、これで後ろからオレのこと殴らないでくださいよ。ゴリラに殴られたら、たぶん一発で死ぬんで」
藪内が、憎まれ口を叩いた。俺は「そんなことするわけないだろ」と即答しそうになって、黙っていた。
藪内のことは、やっぱり嫌いだ。けれど、俺が今この島で頼れるのは、こいつしかいない。
――「守りたいものがなにか、優先順位を決めたほうがいい」と藪内は言った。
俺は、母を助けるためにできることはなんでもする。そう決めただけのことだ。
下着を何枚入れようかと考えて、絶望しかけた。この状況が何日続くのか、まるでわからない。
……けれど、まずは母と合流しなくては。
藪内がいる母の部屋へ戻ると、藪内は自分のスマホを眺めていた。見慣れた光景だ。普段、こいつは暇さえあればゲームをしている。
藪内は俺が戻ってきたことに気がつくと、「とりあえずめぼしいやつ、オレのスマホに転送したんです」と言い訳がましい。
「……別に、この状況下でおまえがゲームしてるとか思わねえよ」
俺の言葉に、藪内は片眉をあげて「へえ」とつぶやいた。どういう反応だ。
「それで? なにかわかったことは?」
「んー、今のとこはなんとも。でも、うちのオカンと結構メールのやり取りをしてたみたいです。資料を送りあったり……」
自分の母親と藪内の母親は、ただ高校生の息子を持つひとり親という境遇が似ていて、仲が良いだけだと思っていたが。
「あれ、仕事の話をしてたんですねえ……」
藪内が俺の心のうちを、そっくりそのまま言葉にした。
俺は驚いて、思わず藪内の顔を見た。目と目が合う。藪内はなんだか気まずそうに、眼鏡の奥の瞳を逸らした。
「あの。オレも自分ち、行ってもいいですか。荷物入れ替えたいし……」
そこで、さっそく出立した。
島の東にある俺の家から、西にある藪内の家まで、普段ならば町なかを通っていく。
けれど俺たちは遠回りをすることにした。普段人の少ない場所ほど、ゾンビに遭遇する確率が低いんじゃないか。そう考えたからだ。
島の南、入り江にある港を中心にして、町は発展している。島の北は山になっていて、ほとんど開発されていないが、ふもとには農家をやっている人たちの段々畑があったりする。とはいえ、漁業が主産業の島だから数は少ないし、歳を取って農業をやめてしまった人も多い。
俺たちは、放置された畑のあいだにある、アスファルトのひび割れているような寂れた道を選んで通った。藪内が「ゾンビに発見されないように、できるだけ頭を低くしたほうがいい」と言うので、道路脇の好き放題に伸びた木々や雑草に身を隠しながら走った。その目隠しが切れるときには藪内直伝のクリアリングとやらをしてから、移動した。
「……なあ」
道程の半分ほど行ったところだろうか。俺は藪内に小声で話しかけた。
今のところ、まだ、人間にもゾンビにも遭遇せずに済んでいる。……それは、母たちの居場所の手掛かりが得られないということでもある。
「なんすか」
「武器、交換しないか?」
先を行く藪内が、怪訝そうな顔で振り返った。
「おまえのほうが銃の扱いに慣れてるだろ。いつも持ち歩いてたし」
エアガンのことだ。藪内は「はあ」とため息をついて、前を向き直った。
こちらを見ないまま、呆れたような声で言う。
「あんなのは子ども騙しのおもちゃですよ」
やれやれといった態度が鼻につく。
「それはそうかもしんないけど。それに暇さえあれば、FPS? やってるだろ」
まあ、俺の解像度の低さも大概ではあるが。
「あんなのは遊びですよ」
「ゲームなんだからそりゃ遊びだろ」
「ガチ勢じゃないですってこと」
それでも知識と経験があるぶん、俺よりは藪内が銃を持ったほうがずっとマシだと思う。
そう口に出そうとしたとき。
「はあ〜あ」
藪内はこれまでで一番でかいため息をついた。
「あのね。警棒ってのは殴らないといけないんです。それも相手を殺そうとするんなら、何度も、何度も、急所めがけてね。けっこうキツいんですよ」
「……」
キツいと言った。それは体力的にという意味か。それとも精神的にという意味か。たぶん、後者だ。……藪内の人間らしさを垣間見たような気がする。
藪内は、声に笑いを滲ませて続けた。
「その拳銃ならダブルアクションだし、トリガーを引けば一発です。迷う暇がなくて、あんたみたいな偽善者にはちょうどいい」
「……おまえなあ」
俺は一瞬、反発を覚えた。しかし、「ふう」と息を吐く。
たしかに、俺が警棒を持っても、振り下ろすことに躊躇してしまうかもしれない。それなら、危険を察知したときに、躊躇を覚える暇もなく攻撃できる拳銃のほうがいいのかもしれない。
――これまでの俺なら。
「……『キツい』んだろ。俺がやるよ」
藪内が、こちらをまた振り向いた。提案の内容に驚いたようにちょっと目を見開いて、しかし真意がわからないと怪訝そうに眉を寄せている。
俺は、やつにニヤリと笑ってみせた。
「おまえみたいなガリよりも、俺のほうが体力あるしな」
「……こいつ……」
藪内も、ちょっと口元を綻ばせて――笑った、のか?
しかし、藪内はその笑みをごまかすように前を向くと、「たしかに、体力ごり押しのあんたのエイムはクソだったわ」と言い放った。
それから立ち止まり、あらためてこちらに向き直る。すっかり真顔に戻っている。
「じゃあ、交換」
「ああ」
「いくら憎いからって、これで後ろからオレのこと殴らないでくださいよ。ゴリラに殴られたら、たぶん一発で死ぬんで」
藪内が、憎まれ口を叩いた。俺は「そんなことするわけないだろ」と即答しそうになって、黙っていた。
藪内のことは、やっぱり嫌いだ。けれど、俺が今この島で頼れるのは、こいつしかいない。
――「守りたいものがなにか、優先順位を決めたほうがいい」と藪内は言った。
俺は、母を助けるためにできることはなんでもする。そう決めただけのことだ。
