夜明けが来るまで、俺たちは農具小屋で浅い眠りをむさぼった。それから外が明るくなると、港へ向けて移動を開始した。
新垣のじいさんが港にいるかどうか、確証は持てない。しかし、忌籠祭を集会所で過ごしてはいないだろうから、やはり一番可能性が高いのは港だ。
新垣のじいさんは、偏屈で有名だった。まだこの島にやってきて日の浅い俺ですら知っている。
人と交わらず、ひとりで漁をしている。時化のときでも自宅に戻らず、漁師小屋に座っている。酒も煙草もやらず、めったに口を利かない。日がな一日海に出ているか、そうでもないときは海を眺めているので、よほど海が好きなのかと勘違いされるが、いつも険しい顔をしていて楽しんでいる様子はない。家族や親せきは、少なくとも今はいない。
美咲は明け方まで泣いたり、泣き疲れてうとうとしたり、また泣いたりを繰り返していた。朝にはすっかり瞼が腫れてしまい、ぼんやりとした様子で歩いている。
俺たちはそんな美咲を真ん中にして進んだ。警棒を持った俺が先導し、拳銃を持った藪内がしんがりを務めた。俺はだいぶクリアリングも板について、港まで無事にたどり着くことができた。
道中、ゾンビを見かけることが何度かあった。明らかに、遭遇の頻度が増えている――やつらの数が増えているんだ。
大半は、こちらを見ていない隙に背後を駆け抜けるか、その道を諦めて遠回りするかだったけれど……三、四人、遠くから顔を見たゾンビもいた。この小さな島だから、みんな見知った顔だ。いくら陰口を叩かれた相手とはいえ、知った人間たちが血肉に飢えた怪物に変わり、さまよっている姿を見るのはつらかった。
……見知った顔の死体が、見知った顔のゾンビに、喰われているのを見るのも。
町なかで、島唯一の旅館のおかみさんが、旦那さんを喰っているのを見た。露わにした腹に食いつき、皮と脂肪を噛み切り……。
俺は美咲と藪内に「見るな」と告げて、また道を変えた。けれどしばらく、その赤だけでない生々しい色彩が目に焼き付いて離れなかった。
一番ゾンビが多かったのは町で、港は一番少なかった。そもそも忌籠祭の前後は港へやってくる人も少ないからだろう。
俺たちは新垣のじいさんの漁師小屋を探して、辺りをうろうろとした。詳しかったのはやはり生まれたときから島に住んでいる美咲で、すぐに記憶を呼び起こすと、俺たちをプレハブ小屋の前まで案内した。
「昔はよく、家にいたくないなってときに、おじいちゃんの漁師小屋にいさせてもらってたの。ほら、おじいちゃんって大体、ここにいるでしょう? だから……」
でも、「夢」の話をしたら、入れてくれなくなっちゃった。
美咲は気まずそうに、磨りガラスの向こうを窺う。じいさんの姿があるかどうかは、わからない。しかし、薄暗い小屋のなかで、石油ストーブの火が赤く燃えているような気がする。
入りたい。火に当たりたい。俺と藪内はシャワーを浴びたあと適当な部屋着に着替えて、エアコンのきいた家で眠っていた。美咲に起こされたあとも、事態が緊迫していて着替えることに思い至らなかったし、そのまま飛び出してきてしまったから――一月の海風に吹かれていると、そのまま全身が凍り付いて、ゾンビに噛まれなくたって死んでしまいそうだ。
震える手でノックした。バン、バン、と戸が揺れる。
「おはようございます。新垣さん、いますか?」
シン……と辺りは静まり返っている。
「高遠諒です。陽那島小中高の……」
風が吹きすさぶ。戸がガタガタと揺れる。俺の歯もガチガチと鳴る。寒くて寒くて、今すぐにでもガラスを破って中に入ってしまいたい……。
藪内が、一歩前へ進み出た。
「こんちはー! 藪内燈ですー! あの、オカンが前にお話聞かせてもらいましたよねー!? 戦前の島に伝わってた儀式の話! ちょっとオレたち、別に詳しくお話を聞きたいことがあってー!」
ギシリ、と。椅子から腰を浮かせたような物音があった。そのまま足音が、ギッギッギッと近づいてくる。
「……なんの用だ? もう必要な話は聞かせただろう」
低く、しわがれた声。じいさんの声を初めて聞いた。俺と藪内は目を合わせる。励ますように頷くと、藪内は続けた。
「今、この島で何が起きてるか知ってますー!? オレたち! 新垣さんが、その直接の原因を作ったんじゃないかと疑ってるんですけどー!!」
おま、バッ……!
俺は声に出しかけて、口をつぐんだ。あまりに直球すぎる! 案の定、戸の近くまでやってきていたじいさんは、「帰れ」と言って背を向けてしまう。
「年雄おじいちゃん!!」
そのとき、美咲が声をあげた。
「あたし、美咲です! 平良美咲! あのね、お父さんもお母さんもおねえちゃんも、あたしんち、みんな人喰いの化け物になっちゃって……! この二人があたしを助けてくれたの! お願い、このままだと凍えて死んじゃう! ちょっと休憩させてもらえるだけでいいから……」
美咲の父母がゾンビになっていたことを、今初めて知った。
新垣のじいさんは、足を止めた。相変わらずこちらに背を向けているが、心が揺らいでいるのがわかる。
「……休むだけだ」
そう言って、新垣のじいさんは戸に手をかけた。鍵が開くなり、俺たちはなかに飛び込んだ。
驚いたじいさんが、手に持った鉄の棒をこちらへ向ける――槍だ。いや、先端が三つ又に分かれている。漁具のヤスだろう。
「わわわわ、だいじょうぶですって! オレたち、まだゾンビにやられてません! 人間です!」
藪内が大げさにおどけてみせる。「ゾンビ?」とじいさんは眉を顰める。
「あー、俺たち、あの化け物のことをそうやって呼んでて……」
じいさんは「ふん」と鼻を鳴らした。
「あいつらは、人間だ。人を喰うようになっただけの、人間」
まるで、なにかを知っているような口ぶりだ。俺たちは、パイプ椅子に腰を下ろしたじいさんを取り囲んだ。ちょうど、近くに石油ストーブがあってあたたかい。
「そうだよね、人魚様は関係ない。人間を食べてるのは人間。やっぱり、あんな怪談は嘘なんだ」
美咲の言葉に、じいさんはそちらをじっと見つめた。やがて噛みしめるように、「大きくなったなあ」と言う。美咲は面映ゆそうに笑った。
「年雄おじいちゃんとまた話せて、うれしいよ。たまに港で顔を合わせても、あたしを避けてるみたいで、さみしかったから」
「……」
じいさんは、それ以上なにも語らない。小屋のなかに沈黙が満ちる。俺はようやく身体があたたまって、震えが止まった。と同時に、焦りが生まれる。
ここへ来ればなにかわかると思っていた。けれど、漠然とそう考えていただけで……口数の少ない偏屈者にどうやってその「なにか」を語らせるか、そこまでは考えていなかった。
藪内は、どうしてかニコニコとしている。
「あの、オレのオカンのこと覚えてます? 藪内ゆかりって民俗学者の。何回かお話聞かせてもらったみたいなんですけど」
「……」
美咲のことを見ていたじいさんが、藪内へじろりと視線を向けた。
「実は、オレのオカン、その『人を喰うようになった人間』に襲われて、どっかに連れてかれちゃったんですよ。なんていうか、あんまいい母親じゃなかったんですけど。自立してて、頭が良くて、強いんだけど、同じことをオレにも求めてくるみたいな……甘えられる感じではなくって……」
藪内は母親を慕っているのかと思っていたが――そう考えていると、たまらずじいさんが口を開いた。
「自分の母親のことを悪く言うもんじゃない。あの人は……いい人だった」
「……そっかあ」
藪内は、まだニコニコしている。ひょっとしたら、母親に対する好意的な反応を引き出すために、わざと否定的なことを口にしたのかもしれない。
と、藪内は突然じいさんの胸ぐらを掴んで、怒鳴りつけた。
「じゃあ! その『いい人』を危険に晒した責任を取ってくれよ! あんたが大島に渡した人間たちがオカンを襲ったってことはわかってんだよ!! オカンのことも『よしのさん』みたいに死なせていいのかよ!?」
新垣よしの。1959年、陽那島の岬で自殺した女性。彼女と新垣のじいさんの関係性を俺たちはまったく知らないから――これは、ブラフだ。
じいさんの顔色が徐々に青ざめていく。
「なぜ、義姉さんの名前を……」
そのときだった。ガヤガヤと、小屋の外から話し声が聞こえてきた。一瞬ギクリとするが、「ヤバすぎ」と爆笑する声がして、どうやら人間のようだとわかる。
磨りガラス越しに二人の人影が見える。バンバンバン、と外から乱暴に戸を叩く音がして、「ちわーす。一昨日のじいさん、いるー?」と声がした。
「俺たち、大島に渡りたいんだけどー」
くだんの動画配信者は、五人組だったはずだ。しかし、俺たちの前に現れたのは二人の男だった。ひとりがハンドグリップをつけたアクションカメラをずっと掲げている。
新垣のじいさんが戸を小さく開くと、男たちはその隙間を遠慮なくこじ開けて入ってきた。
「やー、ヤバいね、この島! いくら奇祭つっても、まさかカニバリズムの祭りだとは思わなかったわ! 俺らの泊まってた宿の人らも、お互いの腹を食い合っててさー。マジでリアルすぎて吐くかと思ったわ」
彼らが、自分たちの目撃したもののどこまでが現実だと気づいているのかはわからない。彼らにとっては、すべてがコンテンツに過ぎないのかもしれない。
「そんで、一昨日約束してくれたとおり、俺たち大島に渡りたいんだよね」
俺は藪内と目を合わせた。
新垣のじいさんは、すでに大島に彼らを渡したのかと思っていたが。
その疑問は、すぐに氷解した。
「一昨日、先に渡してくれた三人が、まだ帰ってなくてさー」
新垣のじいさんは、黙っている。
雄弁な動画配信者たちが勝手に語ったところによると、新垣のじいさんの小型漁船は定員が五名。そのため、一度に全員を島に渡すことはできなかったそうだ。二組に分かれ、先に三人が上陸。残りの二人が忌籠祭を取材し、あとから追いつくことにしたという。
「あいつら、幽霊の遊女にでも襲われて、お楽しみ中なんかなー! ギャハハハ!」
下品な冗談を言って、自分で下品な笑いをあげている。新垣のじいさんは、黙ったまま立ち上がった。ヤスを掴んで、外へ出ていく。
まさか……本当に大島へ行くのか?
「やっぱり、あいつらを大島に渡したのは新垣のじいさんだったんですね。ついてったら、もっと詳しいことがわかるかも……」
藪内がヒソヒソと耳打ちする。耳たぶに息が触れて、くすぐったい。
「でも、危険だ。俺たちも……」
大島に上陸させられて、ゾンビに変えられるかもしれない。そう言うと、藪内は少し考えこんだ。
「オレたちにはみさきちがいる。たぶん、あの子の恩人を危険に晒すような真似はしないと思う」
果たしてそうだろうか。
美咲は、動画配信者と俺たちのあいだを、軽い足取りで歩いている。自分の名前が出たことに気づいたように、くるりとこちらを振り向いて言った。
「あたし、ずっと大島へ行ってみたかったの! あそこが人魚様の故郷だもの。直接会ってお願いしたら、聞いてくれるかも……おねえちゃんを生き返らせてくれるかもしれない!」
新垣のじいさんが港にいるかどうか、確証は持てない。しかし、忌籠祭を集会所で過ごしてはいないだろうから、やはり一番可能性が高いのは港だ。
新垣のじいさんは、偏屈で有名だった。まだこの島にやってきて日の浅い俺ですら知っている。
人と交わらず、ひとりで漁をしている。時化のときでも自宅に戻らず、漁師小屋に座っている。酒も煙草もやらず、めったに口を利かない。日がな一日海に出ているか、そうでもないときは海を眺めているので、よほど海が好きなのかと勘違いされるが、いつも険しい顔をしていて楽しんでいる様子はない。家族や親せきは、少なくとも今はいない。
美咲は明け方まで泣いたり、泣き疲れてうとうとしたり、また泣いたりを繰り返していた。朝にはすっかり瞼が腫れてしまい、ぼんやりとした様子で歩いている。
俺たちはそんな美咲を真ん中にして進んだ。警棒を持った俺が先導し、拳銃を持った藪内がしんがりを務めた。俺はだいぶクリアリングも板について、港まで無事にたどり着くことができた。
道中、ゾンビを見かけることが何度かあった。明らかに、遭遇の頻度が増えている――やつらの数が増えているんだ。
大半は、こちらを見ていない隙に背後を駆け抜けるか、その道を諦めて遠回りするかだったけれど……三、四人、遠くから顔を見たゾンビもいた。この小さな島だから、みんな見知った顔だ。いくら陰口を叩かれた相手とはいえ、知った人間たちが血肉に飢えた怪物に変わり、さまよっている姿を見るのはつらかった。
……見知った顔の死体が、見知った顔のゾンビに、喰われているのを見るのも。
町なかで、島唯一の旅館のおかみさんが、旦那さんを喰っているのを見た。露わにした腹に食いつき、皮と脂肪を噛み切り……。
俺は美咲と藪内に「見るな」と告げて、また道を変えた。けれどしばらく、その赤だけでない生々しい色彩が目に焼き付いて離れなかった。
一番ゾンビが多かったのは町で、港は一番少なかった。そもそも忌籠祭の前後は港へやってくる人も少ないからだろう。
俺たちは新垣のじいさんの漁師小屋を探して、辺りをうろうろとした。詳しかったのはやはり生まれたときから島に住んでいる美咲で、すぐに記憶を呼び起こすと、俺たちをプレハブ小屋の前まで案内した。
「昔はよく、家にいたくないなってときに、おじいちゃんの漁師小屋にいさせてもらってたの。ほら、おじいちゃんって大体、ここにいるでしょう? だから……」
でも、「夢」の話をしたら、入れてくれなくなっちゃった。
美咲は気まずそうに、磨りガラスの向こうを窺う。じいさんの姿があるかどうかは、わからない。しかし、薄暗い小屋のなかで、石油ストーブの火が赤く燃えているような気がする。
入りたい。火に当たりたい。俺と藪内はシャワーを浴びたあと適当な部屋着に着替えて、エアコンのきいた家で眠っていた。美咲に起こされたあとも、事態が緊迫していて着替えることに思い至らなかったし、そのまま飛び出してきてしまったから――一月の海風に吹かれていると、そのまま全身が凍り付いて、ゾンビに噛まれなくたって死んでしまいそうだ。
震える手でノックした。バン、バン、と戸が揺れる。
「おはようございます。新垣さん、いますか?」
シン……と辺りは静まり返っている。
「高遠諒です。陽那島小中高の……」
風が吹きすさぶ。戸がガタガタと揺れる。俺の歯もガチガチと鳴る。寒くて寒くて、今すぐにでもガラスを破って中に入ってしまいたい……。
藪内が、一歩前へ進み出た。
「こんちはー! 藪内燈ですー! あの、オカンが前にお話聞かせてもらいましたよねー!? 戦前の島に伝わってた儀式の話! ちょっとオレたち、別に詳しくお話を聞きたいことがあってー!」
ギシリ、と。椅子から腰を浮かせたような物音があった。そのまま足音が、ギッギッギッと近づいてくる。
「……なんの用だ? もう必要な話は聞かせただろう」
低く、しわがれた声。じいさんの声を初めて聞いた。俺と藪内は目を合わせる。励ますように頷くと、藪内は続けた。
「今、この島で何が起きてるか知ってますー!? オレたち! 新垣さんが、その直接の原因を作ったんじゃないかと疑ってるんですけどー!!」
おま、バッ……!
俺は声に出しかけて、口をつぐんだ。あまりに直球すぎる! 案の定、戸の近くまでやってきていたじいさんは、「帰れ」と言って背を向けてしまう。
「年雄おじいちゃん!!」
そのとき、美咲が声をあげた。
「あたし、美咲です! 平良美咲! あのね、お父さんもお母さんもおねえちゃんも、あたしんち、みんな人喰いの化け物になっちゃって……! この二人があたしを助けてくれたの! お願い、このままだと凍えて死んじゃう! ちょっと休憩させてもらえるだけでいいから……」
美咲の父母がゾンビになっていたことを、今初めて知った。
新垣のじいさんは、足を止めた。相変わらずこちらに背を向けているが、心が揺らいでいるのがわかる。
「……休むだけだ」
そう言って、新垣のじいさんは戸に手をかけた。鍵が開くなり、俺たちはなかに飛び込んだ。
驚いたじいさんが、手に持った鉄の棒をこちらへ向ける――槍だ。いや、先端が三つ又に分かれている。漁具のヤスだろう。
「わわわわ、だいじょうぶですって! オレたち、まだゾンビにやられてません! 人間です!」
藪内が大げさにおどけてみせる。「ゾンビ?」とじいさんは眉を顰める。
「あー、俺たち、あの化け物のことをそうやって呼んでて……」
じいさんは「ふん」と鼻を鳴らした。
「あいつらは、人間だ。人を喰うようになっただけの、人間」
まるで、なにかを知っているような口ぶりだ。俺たちは、パイプ椅子に腰を下ろしたじいさんを取り囲んだ。ちょうど、近くに石油ストーブがあってあたたかい。
「そうだよね、人魚様は関係ない。人間を食べてるのは人間。やっぱり、あんな怪談は嘘なんだ」
美咲の言葉に、じいさんはそちらをじっと見つめた。やがて噛みしめるように、「大きくなったなあ」と言う。美咲は面映ゆそうに笑った。
「年雄おじいちゃんとまた話せて、うれしいよ。たまに港で顔を合わせても、あたしを避けてるみたいで、さみしかったから」
「……」
じいさんは、それ以上なにも語らない。小屋のなかに沈黙が満ちる。俺はようやく身体があたたまって、震えが止まった。と同時に、焦りが生まれる。
ここへ来ればなにかわかると思っていた。けれど、漠然とそう考えていただけで……口数の少ない偏屈者にどうやってその「なにか」を語らせるか、そこまでは考えていなかった。
藪内は、どうしてかニコニコとしている。
「あの、オレのオカンのこと覚えてます? 藪内ゆかりって民俗学者の。何回かお話聞かせてもらったみたいなんですけど」
「……」
美咲のことを見ていたじいさんが、藪内へじろりと視線を向けた。
「実は、オレのオカン、その『人を喰うようになった人間』に襲われて、どっかに連れてかれちゃったんですよ。なんていうか、あんまいい母親じゃなかったんですけど。自立してて、頭が良くて、強いんだけど、同じことをオレにも求めてくるみたいな……甘えられる感じではなくって……」
藪内は母親を慕っているのかと思っていたが――そう考えていると、たまらずじいさんが口を開いた。
「自分の母親のことを悪く言うもんじゃない。あの人は……いい人だった」
「……そっかあ」
藪内は、まだニコニコしている。ひょっとしたら、母親に対する好意的な反応を引き出すために、わざと否定的なことを口にしたのかもしれない。
と、藪内は突然じいさんの胸ぐらを掴んで、怒鳴りつけた。
「じゃあ! その『いい人』を危険に晒した責任を取ってくれよ! あんたが大島に渡した人間たちがオカンを襲ったってことはわかってんだよ!! オカンのことも『よしのさん』みたいに死なせていいのかよ!?」
新垣よしの。1959年、陽那島の岬で自殺した女性。彼女と新垣のじいさんの関係性を俺たちはまったく知らないから――これは、ブラフだ。
じいさんの顔色が徐々に青ざめていく。
「なぜ、義姉さんの名前を……」
そのときだった。ガヤガヤと、小屋の外から話し声が聞こえてきた。一瞬ギクリとするが、「ヤバすぎ」と爆笑する声がして、どうやら人間のようだとわかる。
磨りガラス越しに二人の人影が見える。バンバンバン、と外から乱暴に戸を叩く音がして、「ちわーす。一昨日のじいさん、いるー?」と声がした。
「俺たち、大島に渡りたいんだけどー」
くだんの動画配信者は、五人組だったはずだ。しかし、俺たちの前に現れたのは二人の男だった。ひとりがハンドグリップをつけたアクションカメラをずっと掲げている。
新垣のじいさんが戸を小さく開くと、男たちはその隙間を遠慮なくこじ開けて入ってきた。
「やー、ヤバいね、この島! いくら奇祭つっても、まさかカニバリズムの祭りだとは思わなかったわ! 俺らの泊まってた宿の人らも、お互いの腹を食い合っててさー。マジでリアルすぎて吐くかと思ったわ」
彼らが、自分たちの目撃したもののどこまでが現実だと気づいているのかはわからない。彼らにとっては、すべてがコンテンツに過ぎないのかもしれない。
「そんで、一昨日約束してくれたとおり、俺たち大島に渡りたいんだよね」
俺は藪内と目を合わせた。
新垣のじいさんは、すでに大島に彼らを渡したのかと思っていたが。
その疑問は、すぐに氷解した。
「一昨日、先に渡してくれた三人が、まだ帰ってなくてさー」
新垣のじいさんは、黙っている。
雄弁な動画配信者たちが勝手に語ったところによると、新垣のじいさんの小型漁船は定員が五名。そのため、一度に全員を島に渡すことはできなかったそうだ。二組に分かれ、先に三人が上陸。残りの二人が忌籠祭を取材し、あとから追いつくことにしたという。
「あいつら、幽霊の遊女にでも襲われて、お楽しみ中なんかなー! ギャハハハ!」
下品な冗談を言って、自分で下品な笑いをあげている。新垣のじいさんは、黙ったまま立ち上がった。ヤスを掴んで、外へ出ていく。
まさか……本当に大島へ行くのか?
「やっぱり、あいつらを大島に渡したのは新垣のじいさんだったんですね。ついてったら、もっと詳しいことがわかるかも……」
藪内がヒソヒソと耳打ちする。耳たぶに息が触れて、くすぐったい。
「でも、危険だ。俺たちも……」
大島に上陸させられて、ゾンビに変えられるかもしれない。そう言うと、藪内は少し考えこんだ。
「オレたちにはみさきちがいる。たぶん、あの子の恩人を危険に晒すような真似はしないと思う」
果たしてそうだろうか。
美咲は、動画配信者と俺たちのあいだを、軽い足取りで歩いている。自分の名前が出たことに気づいたように、くるりとこちらを振り向いて言った。
「あたし、ずっと大島へ行ってみたかったの! あそこが人魚様の故郷だもの。直接会ってお願いしたら、聞いてくれるかも……おねえちゃんを生き返らせてくれるかもしれない!」
